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エコミュージアム―21世紀のまちづくり―
佐藤夏美(宇都宮大学国際学部国際文化学科3年)
1.はじめに
余暇を過ごす場所を考えるとき、多くの人は真っ先にさまざまな娯楽施設や海外、イベントなどを思い浮かべるだろう。余暇というと、とかく私たちはどこかへ出かけることを考えがちである。しかし、自分たちがいつも暮らしている「まち」が余暇を過ごすのに他に引けを取らないような魅力ある場所であったならどうだろうか。私たちの余暇はさらに充実した、よりよいものになるのではないだろうか。また、視点を変えて、近年は「地方の時代」と言われて久しく、その中で地方自治体は特色ある、さまざまな形の地域づくりを試みている。ここではそのまちづくりのひとつとして、「エコミュージアム」を取り上げたい。私の地元である秋田県矢島町は実はこのエコミュージアムによるまちづくりを目指し、取り組んでいるうちのひとつである。エコミュージアムは「21世紀のまちおこし」とも言われ、インターネット上を見るだけでもわかるように、日本全国にすでに数多く存在しているようである。本稿では、エコミュージアムとはそもそも何なのかを明らかにし、その歴史や特徴を押さえた上で、すでにエコミュージアムを実践している地域を取り上げ、その現状とそこから見える問題点について考察する。そして、なぜ今エコミュージアムなのかについて私なりに考えてみることにする。
2.エコミュージアムとは
エコミュージアムはecologyとmuseumの合成語で、日本語では「生活・環境博物館」と意訳され、博物館のひとつとして位置づけられている。しかし、従来の博物館が建物を新たに建築して、その中に特別な収集品を保存、展示するという、「もの」が生まれ育ってきた時間や空間をまったく無視した、そこで一話完結してしまうような閉鎖的な展示方法をとっているのに対して、エコミュージアムはまず地域固有の魅力を掘り出すことから始まり、地域の自然環境、社会環境、地域住民の生活の発達過程をも史的に探求して、地域の営みから生まれた遺産(資源)を「現地」で学習・保存・育成・展示することを目的とした、屋根のない、持続的で発展的な展示方法をとっているという点で、一線を画するものだということができる。つまり、エコミュージアムとは地域をまるごと博物館と捉え、ものの収集ではなく、その地域の特性に焦点を置いた、「地域の記憶」の収集を行う、新しい博物館の考え方なのである。
この考え方は1960年代後半にフランスで提唱された。その当時のフランスでは、中央集権が引き起こす弊害、例えば地方の過疎化や生活水準の低下などの地域格差の解消策として地方自然公園が開設されたが、その管理運営を地方自治体に委ねたのが始まりである。創設者はその地方自然公園の開設に参画したジョルジュ・アンリ・リヴィエールで、彼は国際博物館学会議の初代会長であった。
(日本エコミュージアム憲章2001「エコミュージアムとは」と朝日町「エコミュージアムとは…」を参考にした。)
エコミュージアムの特徴は6つあり、それらは以下の通りである。(日本エコミュージアム憲章2001「エコミュージアムとは」を一部引用。)
〈地域の学校〉
エコミュージアムは地域を知るための生涯学習の学校であり、また地域の担い手を育むため、おとなから子どもまでが学べる学校である。
〈空間の博物館〉
エコミュージアムは、町界や市界を領域に限るものでなく、ひとつの文化圏を領域として地域の魅力の研究・保存・展示を行う。
〈地域の研究所〉
エコミュージアムは、地域の発展のための研究所として、住民が専門家と共に地域のことについて継続的に調査・研究していく必要がある。
〈時間の博物館〉
エコミュージアムは、地域で培われてきた人々の体験と残されてきた記憶を共有する。例えば、ある時代の地域の伝統的な生活様式などを体験できる場である。
〈地域の魅力の保全センター〉
エコミュージアムは、地域の魅力を保全する博物館である。しかし、魅力とは「モノ」だけでなく生活や文化・記憶をも指す。また、それは元来あった場所に保全するのが原則で、地域まるごと博物館とも呼ばれる。
〈住民と行政のパートナーシップ〉
エコミュージアムでは、住民と行政が力を合わせながら、ひとつの非営利団体として、地域の運営を行っていく。
3.山形県朝日町の事例
山形県朝日町は、全国に先駆けて2.で述べたようなエコミュージアムを取り入れた地域づくりに乗り出し、それをうまく機能させている数少ない地域のひとつである。1989年(平成元年)、朝日町の自然の豊かさに惹かれ、県外から移住した西澤信雄さんが、子どもたちとともに地域の自然や文化を探索する「朝日ナチュラリストクラブ」を続ける中で出会った、新しい地域づくりの方策がエコミュージアムだったのである。バブル景気がピークを迎えていた時期、もう乱開発はやめて地域の環境を大切にし、そこに住む人々の生活や伝統に学び、誇りを持って暮らせる地域づくりをしていこうという考えから、日本で初のエコミュージアム研究会が発足した。これを契機に、91年には「朝日町総合開発基本構想・基本計画」にエコミュージアムの理念が取り入れられ、92年には日本初の「国際エコミュージアムシンポジウム」の開催、95年には行政と民間協同のシンクタンク「エコミュージアム研究機構」が発足した。そして99年には運営の主体となる「NPO朝日町エコミュージアム協会」が発足するなど、朝日町はエコミュージアムの理念を地道に、しかし着実にまちづくりに反映させている。
“サテライト”と呼ばれるエコミュージアムの展示物は現在17群ある。ミツバチの蜜ろうを原料とするろうそくを製作する「ハチ蜜の森キャンドル」や、13カ国170品種を栽培している「世界のリンゴ園」、地球にやさしい町を標榜する朝日町のシンボルである、世界にも例のない、空気を祀る「空気神社」、カヌーに適した最上川など、その内容は非常にユニークかつ多様である。
地域にある資源(自然・歴史・文化・生活・産業など)を見直し、もともとの場所で展示、保存、育成し、地域の発展に役立てることを基本にしているのがエコミュージアムである。とすると、山や川、古い町並み、森や動植物、果樹園や加工工場も資源となり、サテライトとなる。そして何より、住民が生活してきた歴史、つまりは町民一人一人がサテライトであり、サテライトを案内する人(学芸員)は町民すべてということになる。このように、ただ単に観光地化、産業化するのではなく、住民を巻き込んでまちづくりをしている点が朝日町のエコミュージアムによるまちづくりの大きな特色である。
4.エコミュージアムの持つ難しさ、問題点
3.で事例として取り上げた朝日町は、行政と住民が一体となって発想し運営すること、住民がアイディア、知恵、情熱、ビジョンなどを提供し、行政が資金、資材、施設、技術などで後押しする形で両者が足並みをそろえて運営に参加すること、というエコミュージアムの理念に基づき、住民参加の機会を促して地域を再発見し、愛着を持ってもらうことに成功している、エコミュージアムの成功例と言ってもいいかもしれない。しかし、エコミュージアムは変化することのない過去の「もの」だけを対象にしているのではなく、現在や未来の地域資源や、そこに暮らす人の「こころ」を集めることも対象にしている。地域の自然や文化に誇りを持ち、地域のよさを伝えていく活動にゴールはない。だからエコミュージアムにとって、完成というものはないのである。朝日町は今後も小さな地区にもサテライトの位置づけを明確にして、自覚してもらい、さらに新しいサテライトも探していかなくてはならない。そのためには関係者や住民一人一人がエコミュージアムの意義と魅力をしっかりと把握し、共有されていなければならないのである。
また、これからエコミュージアムを取り入れたまちづくりをしようという地域にとって、エコミュージアムの作り方が完全に体系化されているわけではない。地域資源が違うのだからエコミュージアムの完全なマニュアルを作ることは不可能であり、そこにエコミュージアムの難しさもあると考えられる。現状を見てみると、エコミュージアムという名前ばかりが勝手に一人歩きをしてしまい、似て非なるエコミュージアムが増加している、という例もある。
5.21世紀のまちづくり
確かにエコミュージアムは難しさや多くの課題を抱えていることも事実である。しかし、エコミュージアムは以前のような行政主導ではなく、そこに住む住民が自分のまちを作ることができるという点で、21世紀のまちづくりに必要なものであろうと私は考える。21世紀において、新たなまちづくりの活路はどこに見出せるのか。それは、地域資源を最大限に生かし、地元のよさを見直すという、エコミュージアムの活動にこそあるのではないだろうか。自分のルーツを知り、そしてそれを知らせることは古いことの回帰ではなくて、新しいものを生み出すための原点となりうるのである。それがまちづくりの原点であり、なぜ今エコミュージアムなのかの理由になるだろうと私は考える。
参考サイト