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見る余暇とする余暇 市民にとってのサッカー
はじめに
日本国内でのサッカー人気を不動のものとしているといっても過言ではない。欧州選手権2004の開催に伴い、新たなサッカーブームが起こっている。2002年に日本と韓国でワールドカップ同時開催という歴史上、初めての試みを見事成功させた。火付け役になったのは美形選手の影響もある。日本の政治に関心を示さない若者も日本サッカーには精通する。また、自分は小学生の頃からサッカーと関わり続け趣味として今も続けている。社会人リーグ(後に説明)を通じてレベルの高いサッカーと触れ合うことで技術の向上を図っている。また、宇都宮大学にいる留学生とサッカーを通じ交流している。自分にとって欠かせない生活の一部になっているこのスポーツを“社会人リーグ” “サッカーの国際機関”“JFL”の三つの点にわけ考察していきたい。自分の実体験をもとにサッカーという余暇を視聴者と選手に分けた視点にも触れたい。
滋賀県における社会人リーグ、選手としてのサッカー
47都道府県サッカー協会が運営する社会人のためのリーグがある。そこでは各チームの強さに合わせてグループを構成しリーグ戦を行う。主なルールはFIFAの定めた試合のルールで行う。Aグループ(主に十チームほど)に所属ているチームが一年通じて対戦成績の下位2チームがBグループ(十チームほど)の上位2チームが入れ替わりをするというものだ。私自身も中学生の頃地元の社会人リーグに参加しサッカーをしていた。自分のレベルの向上を目指し中学校より強いチームを選んだ。選手は中学生のレベルに比べると、はるかに高いのだが学校の部活にはない悩みがあった。このチームでは、選手を集めるのに困っていた。例えると、大学内で有志を募り同好会としてサッカーをするといったものに近い。さらに会社内で人を探す為簡単に人は集まらない。そのため他チームや友人を集めなんとか試合ができている状態だった。さらに多くの社会人チームは練習場所に困る(なぜ場所に困るかは後に説明)。こういったチームは小規模な同好会と変わらないものである。自分の参加していたチームでは近くの小学校に願い入れ19:00から21:00まで借りていた。しかし、サッカーに限らずスポーツするときは大きな声を上げるもので地域住民からの苦情が絶えなかった。選手は皆社会人で仕事が終わり、サッカーをして汗を流しビールを飲む為に来る選手がほとんどにもかかわらず、そういった人からすれば窮屈な環境だった。ストレス発散の為にあるものの必要な練習場所を獲得できないためより問題を抱えてしまう。地域に密着し市民レベルでの交流を中心に行われているものである。このように企業の傘下で社会人リーグのチームを構成、運営する上では問題は少ない。というのも、社会的責任を持てるからだ。事実、次に述べるようなことはなかった。
チーム編成、リーグへの参加・登録への道
今現在、自分の地元の友人・知人がフットサルチームを起こした。中学来の友人が中心になりグランドを借りるために行政機関を回っていた。大塚(仮名)が作ったチーム(co’mo esta大津)は今では起動に乗り毎週水曜日グランドを借りサッカーをしている。しかし、起動に乗るまでは苦悩が絶えなかったのだ。
リーグへの登録を行うにあたり要求されたのが選手名簿、使用グランド、チームの管理者だった。さらにそこからチームのユニフォームといった具合にリーグ参加には多くのハードルがあった。彼は企業からチームを作ったのではなく、個人間で参加しようと考えていたのですべてを自分でやらなければならなかった。
まず、グランドを借りに市役所に問い合わせたところ市のグランドは貸せないとつき返されたという。理由として個人には貸し出せない。優先的に貸し出す機関、チーム、大会があるため貸し出せない。スケジュールは空いているのだが個人には貸し出せないといったところなのか、仮に貸し出して別のオーダーがあれば譲ればいいだろうというのが大塚の主張だ。何度も掛け合ったが無理だったようだ。結局、お世話になっていた小学校なら貸し出してもらえると掛け合ったが個人には貸し出さないとまたつき返された。彼はあきらめずに小学校に頼み続け貸し出してもらえるようになったのが一年後だった。
もちろん、私もこのチームの一員なので名簿にも載っている。選手を集めるのにはあまり困らなかったようだ。サッカーは十一人、最低九人(七人というルールもある)でできるがフットサルでは五人でできる。近くの大学に通う学生つながりや仕事先の人を集め毎週十人前後は集まるという。今大会登録はしていないようだが起動にはのったようだ。
市民のサッカー
市民だけでチームを運営するのは非常に困難である。個人の活動よりは団体、組織への対応が優先とされ、個人への行動は消極的である。それは、現在私が活動している宇都宮での社会人リーグでも同じである。活動しているとたびたび実感する行政の不行き届きさを感じてしまう。行政機関としては余暇としてサッカーを提供することは必要と感じている。日本の土地は個人が所有・管理しているか国家のものなので定期的に貸し出すには許可が必要になる。理論としては正しいのだが、市民活動を締め付けていることになる。
世界規模のサッカー
現在、サッカーは国際的に行われるスポーツの一つであり、イギリス、アルゼンチン、スペイン、ブラジルなどではサッカーがもっとも人気のあるスポーツといってもよいのではないかと思う。それらを運営するには多くの組織が必要になってくる。その中でも日本に特化して、左図を活用し解説したい。
FIFA:国際サッカー連盟 国際親善マッチやワールドカップなど国家間における仲介役として機能を果たす。主にはランキングや優秀選手を評価などと幅広い活動を通して国際試合を円滑にすすめる。また、新しいルールや方式などを打ち出し世界のサッカーを先導している。ワールドカップを管理しているのはFIFAである。
IOC:主にはオリンピックでのサッカーを管理する。
上記の団体がJFA(日本フットボール協会)と密接に連絡をとりあい見る余暇としてサッカーを維持している。
JFA:日本において最大のサッカーの組織である。ここで国際試合、日本代表選手、監督の選抜を行う。さらにJリーグの組織的管理やJFL(日本フットボールリーグ)の運営を行う。
47都道府県サッカー協会:社会人リーグや地域のサッカー大会を運営する。つまりはここに参加登録をしてはじめて一つのチームになる。
事例を用いて説明したい。日韓ワールドカップが開かれたのはまだわれわれの記憶の新しいところにありチケットを得る為に悪戦苦闘した人もいると思うが、大会自体を組織するのがFIFAである。あのようにチケットの管理をしていたのが国内組織JABOCだ。ワールドカップの為創設されたので今は運営していない。
Jリーグを運営するのがJFAでありそこに参加しているのがジュビロ磐田や鹿島アントラーズなどのチームである。これらも企業のバックアップのもとサッカーをする。そういった面は社会人リーグの持つそれと同じである。地域に密着したものなので興行収入として事業を行える。
JFL(日本フットボールリーグ)
次にJFLについて説明していきたい。日本サッカーをすべて組織しているといっても過言ではないJFAが組織するJFL。その概要を以下に抜粋した。
主 催 財団法人 日本サッカー協会(JFA )
日本フットボールリーグオフィシャルスポンサー
株式会社デサント
開催方式
16チームによる2回戦総当たりリーグ方式(ホーム&アウェー方式)
前・後期各15節、全30節(240試合)
開催期間
3月28日(日)~
12月5日(日)
前期 3月28日(日)~ 6月27日(日)
後期 7月 3日(土) ~ 12月 5日(日)
*入れ替え戦 第 1戦:12月19日(日) 第2戦:12月26日(日)
開催会場
全国各地域
開催概要
【試合方式および勝敗の決定】
90分間[前・後半各45分]の試合を行い、勝敗が決しない場合は引き分けとする。(延長戦は行わない)
【 勝 点 】
勝利:3点、引き分け: 1点 、敗戦:0点
【順位の決定】
全日程が終了した時点で、勝点の多いチームを上位とし、順位を決定する。
ただし勝点が同じ場合は、
(1)
得失点差の多いチーム
(2)
総得点の多いチーム
(3)
当該チームの対戦成績(イ.勝点、ロ.得失点差、ハ.総得点数)
(4)
順位決定戦(上記の三つを見比べても同等の場合、同順位のチームで試合をする)
の順序により順位を決定する。
* なお、順位決定戦の実施は実行委員会が必要と判断した場合にのみ実施され、その他の場合は同順位とする。
【地域リーグとの入れ替え】
下位2チーム(15・16位)が全国地域リーグ決勝大会上位2チームと入れ替え戦を行い、敗戦チームが地域リーグへ降格する。(大学チームは成績により降格するが地域リーグには加入しない)
強化費 各試合、勝利チームには「勝利チーム賞」として 10万円を支払う。
また、内容の良い引分けゲームをしたチームには「グッドチーム賞」として5万円(両チームの場合は2万5千円)を支払う。
全チーム共通で、 1得点につき「ゴール賞」として 1万円を支払う。
以上のことから、JFLから地域リーグに降格することもありえる。抜粋:JFL公式サイト
試合運営の概要である。JFLでは地域性が光る。栃木SC(栃木のJFL加盟チーム)だと応援している人もいると思う。仮にJFLの上位2チームに入ればJ2リーグにあがることができるため、いずれはJ1!と意気込む。以下にJFL参加チームをのせているが私が一押しのチームを紹介したい。
国士舘大学サッカー部<国士舘大学>
1956年に創部された国士舘大学サッカー部は、その年に関東大学サッカー連盟へ加盟し、3部リーグからスタートした。1963年には2部へ昇格、1970年には念願の1部に昇格した。1シーズンで2部に降格したものの、1974年に復帰。1982年には、1部で初優勝を成し遂げた。それを含めて、創部以来47年間で同リーグ9回、全日本大学サッカー選手権4回、総理大臣杯2回、関東大学選手権3回の優勝という輝かしい成績を残している。JFLには、1998年の旧JFLから大学チームの代表として参戦。以後、着実に力をつけ、J1、J2、JFLに数多くの選手を輩出している。
1吉岡
広介
1982/12/05 177 70 東海大学菅生高校
2
FW 橋本
尚樹
1982/06/08 180 72 郡山高校
3 MF 片山
奨典
1983/09/08 168 65 国見高校
4
DF 竹内
彬
1983/06/18 180 72 向上高校
5 DF 片岡
洋介
1982/05/26 178 73 西武台高校
6
MF 藤田
修弥
1982/07/07 177 70 市立習志野高校
7
MF 土屋
貴啓
1983/07/11 175 67 岐阜工業高校
8
MF 宮田
義人
1982/07/08 174 68 本郷高校
9
MF 蒲原
達也
1983/07/08 170 62 国見高校
10 MF 清水
康也
1982/06/15 170 64 ヴェルディユース
11 FW 小比賀
慎
1983/11/02 177 68 北海高校
12 MF 永田
剛久
1982/08/04 177 72 小野田工業高校
13 FW 本田
洋一郎
1983/04/10
166 60 弥栄西高校
14 MF 岡田
聡明
1983/03/08 170 62 久御山高校
15
MF 柴崎
晃誠
1984/08/28 175 62 国見高校
16
FW 金子
央朋
1984/04/24 184 73 東福岡高校
17 MF 久保田
勲
1983/05/22 175 65 国士舘高校
18 FW 小林
浩次
1984/01/09 180 72 東北高校
19 DF 村山
拓也
1983/05/09 181 69 静岡学園高校
20
MF 養父
雄仁
1984/05/24 175 70 弥栄西高校
21
GK 金子
芳裕
1982/07/30 190 85 修徳高校
22
GK 山下
高明
1984/11/07 180 85 帝京高校
23 MF 深澤
良輔
1983/06/29 179 69 清水エスパルス
24 DF 佐藤
直貴
1984/06/13 183 71 室蘭大谷高校
25 DF 小林
公平
1984/07/20 180 71 藤枝東高校
26
MF 久木原
洋
1984/08/03 173 72 武蔵越生高校
27
DF 山崎
祐輔
1984/07/05 183 76 保善高校
28
DF 高橋
臣徳
1984/08/21 177 68 遠野高校
29
DF 杉森
陽介
1984/08/03 183 72 星稜高校
30
FW 深澤
幸次
1984/12/29 161 67 甲府工業高校
24
MF 長谷川
賢
1981/07/24 168 62 横浜市立東高校
25 DF 佐藤
栄嗣
1982/01/20 178 73 エスパニョールFC/アルゼンチン
26
MF 長谷川
太一
1981/02/26 178 66 アルビレックス新潟
28 DF 上田
博之
1982/04/18 182 75 鹿児島実業高校
30 GK 深野
光宏
1982/05/30 192 86 桐光学園高校
31
MF 藤原
宏樹
1982/06/22 170 67 ヴィッセル神戸ユース
1 DF 成沢
博
1982/07/05 185 69 石巻商業高校
2
MF 八木
真紀
1982/07/08 180 73 国士舘高校
3
MF 納谷
伊織
1982/07/11 170 65 静岡学園高校
4
MF 松宮
充義
1982/07/26 176 65 久御山高校
5 FW 吉田
甚一朗
1982/08/06 170 57 武蔵越生高校
6
MF 市川
大輔
1982/08/23 173 70 国士舘高校
7
DF 武井
賢治
1982/09/29 165 58 日大藤沢高校
8
DF 馬場
英鷹
1982/11/06 178 70 戸塚高校
9 DF 大谷
知也
1982/11/14 168 67 水戸短大附属高校
10
MF 木村
和馬
1982/12/13 170 60 琴丘高校
11
DF 鳥海
賢
1983/01/08 184 74 修徳高校
12
MF 池田
一義
1983/01/08 177 67 八王子高校
13 DF 染谷
直
1983/02/26 176 69 柏レイソルユース
14
MF 笹川
哲史
1983/04/02 165 54 京都学園高校
(母校)抜粋:国士舘大学公式サイト
笹川さんとは高校のときの友人で個人的に応援をしている。165cm、54kgと小柄ながらチームの中心的存在でボランチを勤め、京都選抜にも選ばれるという輝かしい成績を残して今もなお国士舘大学のメンバーにも選ばれ精進している。彼には期待したい。
社会人リーグとは一線を引いているJFLでは参加条件がとは異なる。[i]JFLではチームのグランドをもっていなければならない。チームの組織力が問われる。もうこの時点で見る余暇として認められたものと考えてもいいだろう。いまでは見られないがJリーグ発足(1994年)以前では国内プロリーグはJFLだけであり、ジーコがJFL時代からいたのは有名な話である。上に挙げたプロフィールからわかるように参加選手は優秀な肩書きをもっており、今のJリーグを支え日本代表にも選ばれている選手もいる。
まとめ
社会人リーグが市民の余暇の為に開かれ、ストレスの発散を目的とし向上心をもってプレーする。反面、それに対する行政機関の支援は少なく個人、会社が独自で進めるというものだった。現在自分にとってもそれが余暇になっている。またJFLやJFAが運営するJリーグも見る余暇になっている。しかし、これらを調べている段階で二つのことを考えた。もっと地域に密着した場の提供が行われないのかということだ。土地が少ないのかもしれないが事実余っている土地も日本には多くある。社会人リーグの試合でよく行われるのが山の頂上やふもと、試合会場に行くまでも一苦労である。すぐそばに誰も使っていないグランドがあるにもかかわらず。そういったグランドは別の機会に使われる。子供ちびっ子大会、フリーマーケットなどに使われるのだが使用していない時間は貸し出してもいいだろうと思う。だが、プレーしているときはそれらを忘れて楽しんでいる。
[i]・大塚製薬株式会社サッカー部<大塚製薬>
・本田技研工業株式会社フットボールクラブ<Honda FC>
・愛媛FC<愛媛FC>
・佐川急便株式会社大阪サッカークラブ<佐川急便大阪SC>
・佐川急便株式会社東京サッカークラブ<佐川急便東京SC>
・YKK APサッカー部<YKK AP>
・栃木サッカークラブ<栃木SC>
栃木教員サッカークラブとして1953年に発足して以来、常に栃木県を代表するチームとして活躍を演じてきた。最近では、1989年から1992年にかけて関東リーグに所属。1998年度には、関東社会人大会優勝によって、7年ぶりの関東リーグ復帰を果たしただけでなく、1年目で初優勝を飾った。全国地域リーグ決勝大会でも、初挑戦で準優勝。1994年には栃木サッカークラブと改称し、教員主体のチームから、一般社会人選手にも門戸を広げた。創設時より一貫して、純粋なアマチュアチームとして活動を続け、JFLに所属していることに、大きな意義と誇りを感じている。
・ ソニー仙台フットボールクラブ<ソニー仙台FC>
・ ・SC鳥取<SC鳥取>
・ ・国士舘大学サッカー部<国士舘大学>
・ ・デンソーサッカー部<デンソー>
・ ・横河武蔵野フットボールクラブ<横河武蔵野FC>
・・北陸電力サッカー部アローズ北陸<アローズ北陸>
・ ・佐川印刷株式会社サッカークラブ<佐川印刷SC>
・・(株)草津温泉フットボールクラブ<ザスパ草津>
・・群馬FCホリコシ<群馬FCホリコシ>
・
出典 サイト
http://www.jfa.or.jp/ 日本サッカー協会
栃木サッカークラブ 栃木SC チーム
JFL 日本最高峰のアマチュアリーグ
日本サッカー協会
参考
友人へのインタビュー