FOOT BALL DREAMが仕掛けた余暇政策

〜カシマサッカースタジアムが近隣地域に与えた効果〜

                             栗山有子(宇都宮大学国際学部国際社会学科4年) 

 

1.   サッカーによるスポーツ文化の振興と余暇

 

日本のスポーツといえば、相撲、柔道と野球、などといわれて久しかったわが国において、プロサッカーリーグが根付くのか…と疑問視されたのは何年前のことだったろう。2002FIFAワールドカップの日韓同時開催で、日本中が熱くなったことは記憶に新しい。また、最近では、イラクの復興支援で、日本からイラクの子供たちにサッカーボール一千個が送られたことでも話題となった。戦場の余暇となるほどのサッカーは、全世界の子供たちの未来を展望することのできる魅力的なスポーツである。思い起こせば、Jリーグ開幕とともに湧き起こったサッカーブーム、しかし、このブームだけは、熱しやすく冷めやすいといわれる日本の一時的なブームでは終わらなかった。今日では、正に、わが国の代表的スポーツとして、サッカーが名実ともにエントリーされたといえよう。本稿では、私の出身地である茨城県に建設された県立カシマサッカースタジアムにフォーカスをあて、県民の一人として実体験した「カシマ現象」、すなわち、鹿嶋地域におけるサッカーブームと近隣地域に与えた効果について、全くの個人的見解ではあるが、ランダムな情報をもとに探ってみることとした。

 

 

2.鹿嶋の地に息づいたFOOT BALL DREAM(フットボールドリーム)

 

(1)  スタジアム建設の経過と地域的背景

 

 まず、鹿嶋地域の活性の柱となったのは、鹿島アントラーズFCの誕生である。1991年、ホームタウンである鹿嶋市(当時は鹿島町)に近代的なクラブハウスを構え、日本初のサッカー専用スタジアム(旧カシマスタジアム)をホームスタジアムとし、鹿島アントラーズは誕生した。Jリーグ昇格のための必須条件であるサッカー専用スタジアムを、たった1年半で建設したことは、あまりにも有名になった誕生秘話である。また、試合中の地元サポーターの強力な応援が話題となり、鹿嶋の名は全国的に注目されるところとなった。

            

それまでの鹿嶋の地といえば、鹿島開発(鹿島港に接する鹿島臨海工業地帯)とは無縁で、地元産業は振るわず、鹿島灘の別荘地分譲などのリゾート開発すら、バブル崩壊とともに天から見放された状態となり、例えは悪いが、鹿行地区(ろっこうちく:鹿島郡と行方郡の総称)イコール僻地の代名詞と化し、過疎化は進む一方だった。そのような地域に転勤命令が下れば、それは左遷と理解するしかない。ところが、今は出世街道そのものだ。鹿嶋にサッカー旋風が巻き起こり、街も、人々の暮らしも変化した。サッカー開催日ともなると、職場や学校、病院までもが、その勝敗に沸きあがり、子供からお年寄りまで、年齢を問わず、アントラーズの活躍を分かち合って喜びとする姿は、「カシマ現象」といわれ話題となった。そして、多方面においてサッカーに乗じた戦略がくり広げられたのである。

 

(2)  キーワード

 

さて、それでは、サッカー旋風を巻き起こす原動力となったのは、一体、何だったのだろう。勝利へと突き進む鹿島アントラーズの選手たちの赤いユニホームは、アントラーズレッドと呼ばれ、赤い旗印は街中に翻る。選手たちを愛し、熱い声援を送り続けるサポーターのほか、企業や行政など、実にさまざまな方面からチームを支援する人の熱い思いによって、街は走り出し、成長を続けた。企業や行政が仕掛けた余暇政策ではない。これらを多方面から支えているもの、どの分野にも共通しているものは、FOOT BALL DREAMであった。鹿島アントラーズのHP(*1)にも、「FOOT BALL DREAMの夢を分かち合うことが鹿島アントラーズのテーマ」と紹介されているが、これこそ、旋風を巻き起こす原動力となったといっても過言ではない。

 

 

3.カシマサッカースタジアムが近隣地域に与えた効果

 

 カシマサッカースタジアムは、前述したように、鹿島アントラーズのホームスタジアムであるとともに、茨城県立カシマサッカースタジアムとして、鹿嶋地域ばかりでなく、茨城のサッカーの拠点となって、W杯以降は、世界に向けた情報発信源ともなっている。それに伴って、地域政策が連動し、活性化したことは、実に喜ばしいことである。以下、FOOT BALL DREAM仕掛けた各方面への効果を、いくつか例にとって検証してみたい。

 

1)カシマサッカースタジアムの建設とその概要

 

カシマサッカースタジアムのHP(*2)によると、1993年、Jリーグの開幕(第1期工事=着工 平成312月、完成平成55月)とともに誕生した日本初の本格的サッカー専用スタジアムとして、事業費8,466百万円、および周辺環境整備費2,582百万円をかけ、鹿嶋市神宮寺262の地に建設された。その後、2004W杯開催スタジアムとしてのFIFA基準を満たすため、従来の15000人から42000人に収容能力を高める増改築工事(第1期工事=着工 平成1010月、完成平成135月)が、9811月から改修費19,300百万円をかけて行われ、既設の一層スタンドに二層目のスタンドを増設し、スタンド最上段は地上37メートルの高さという豪華なスタジアムに生まれ変わった。工事は、途中Jリーグを開催しながら進められ、スピードと安全性の面でも大いに評価できるスタジアムである。また、女子トイレの数が従来の53個から285個と6倍近く増設、サポーターの交歓の場を設けたほか、車椅子用観戦スペースは、バックスタンドの最前列すべて、ゴール裏には大型映像装置を新設するなど、快適な観戦環境が整った。

 

2)交通アクセス

 

  しかし、同スタジアムは、鹿島灘の荒れた原野のど真ん中に建てられたのだから、交通の便がいいとはいえない。そこで問題となったのは交通輸送対策であった。Jリーグ開幕当時から、輸送体制の充実が不可欠であると、県、市、国土交通省などが協議を重ね、鉄道各社や地元バス会社とも協力し、W杯開催招致を視野に、毎年、着実にスタジアム周辺の道路やアクセスは充実していった。連日のように、地元新聞紙は、鹿嶋でのW杯招致にむけた道路整備と輸送対策等が掲載され、県の企画部内にはワールドカップ開催準備室が発足し、あらゆる事態を想定した施策が盛り込まれた。一県民としての私の意見であるが、そのスピーディーな行政の姿勢は目を見張るものがあった。また、W杯開催時には、W杯関連道路として整備された51号バイパスなど、鹿嶋周辺の国、県、市道7路線が一斉に開通し、アクセス道路は、W杯閉幕後も地元の交通対策に大いに効果があったことはいうまでもない。鉄道は、JR潮来線、鹿島臨海鉄道によるアクセスで、東京と水戸の二方面から車両増結や臨時列車が運転された。元々、鹿島臨海鉄道は、旧国鉄からの第三セクターによる経営であるが、サッカースタジアム隣接の貨物駅が乗降駅「カシマサッカースタジアム駅」として開業し、大洗や鹿島の観光を目玉に成長している。バス路線も、東京―鹿島神宮定期便以外に臨時便を運行させ、成田空港―鹿島神宮間も新設された。無料シャトルバスや予約制のスタジアム直行便が東京駅と新宿駅、県内の日立、水戸、取手の各JR駅のほか、つくばバスセンターから運行されている。

 

3)お土産産業などにみる効果 

 

お土産に売り出されるお菓子を例にとってみると、アントラーズやサッカーをもじった名前や形のお菓子など、創意工夫を凝らしたものが目立つ。鹿島名物にこだわっていた老舗も、この効果に便乗しないわけにはいかない。鹿嶋市観光協会のHP(*3)などでも紹介されているが、名実ともに生き残るためには、やはり味と値段と体裁だろう。消費者は、パッケージだけで騙される観戦客ばかりではない。売上げた数字が如実に物語る。それは、飲食店やサッカーグッズなどにも同じことがいえるのではないかと思う。

 

4)その他の効果

おもしろいところでは、サッカーに思いをこめた住民の意思を市議会に反映させようと、サポーターが市議選に出馬して当選したことが話題となった。また、サッカーが暴走族取締りや、少年非行防止に一役買っているとの話もあるのだ。鹿嶋市のHP(*4) で、「サッカーの応援で息子が暴走族をやめた」との婦人の談話が紹介されているが、警察関係者によれば、サッカー警備で、暴走族取締りや、少年補導する警察官の人員が削減されているだけだ、との声もあるので、効果があったかどうかは疑問だ。現に、鹿島警察署管内では、世代交代を経て、一層きらびやかな格好になった暴走族が走行する姿はいくつか現認されている。

 

 

4FOOT BALL DREAM の熱は、いつまで続くか? 

 

FOOT BALL DREAMの光が落とした影もあるようだ。急速な街の発展にあやかれない人々も存在し、W杯開催による弊害もあったことは確かだ。地元商店街に活気がでたかといえば、飛躍的に整備された道路の影響で、大型店舗に飲まれてしまい、根本的な活性化にはつながらなかったというのが実際だろう。特に、W杯開催時には、フーリガン対策と称して、主催者側をはじめ行政サイドから営業の自粛を迫られたり、散々注文をつけられたわりには、終わってしまえば「ごくろうさん!」で、何の恩恵もなく、結局、儲かったのは、いわゆる飲み屋だけではないか、と不満の声もでている。住民主動で動き出したことはよし、としても、後押しするはずの行政サイドが、「お堅い」とか、「タテワリ行政」などといわれるマイナスの部分が及ぼした影響に、その影の原因をみることができるのではないだろうか。

 

 ともあれ、サッカーの街として知名度は上がり、FOOT BALL DREAM の熱は、まだ冷めてはいない。アントラーズFCだけでなく、住友金属工業など企業の少年サッカー教室も人気で、鹿嶋でのサッカーの将来性に期待し、ベクトルを向けているのスポンサーをはじめとする企業、グループなどは多数ある。このような気運の盛り上がりと一体化したスポーツ振興策に効果があるのは確実なようで、最近は、小中学校の週休二日制が開始された事に伴なう各種スポーツイベントが目立つ。事実、地元高校がサッカーで全国大会に出場しているほか、サッカー以外の他のスポーツでも全国大会参加など活躍が著しい。FOOT BALL DREAMが点けたスポーツ振興の灯を消してはならない。今後は、鹿嶋からハイレベルな選手、チームを輩出することで、スポーツ先進のまちづくりに結びつけることが、市の新しい方向性の一つとなり、強いては、鹿嶋周辺地域の人々の自信回復につながることだろう。

 

注)文中、鹿島と鹿嶋を使い分けているのは、鹿島町が大野村と合併した際、佐賀県鹿島市とのかね合いで鹿嶋市となったため、鹿島の名が使われているものにあっては、そのまま表記した。

 

<参照サイト>

(*1)鹿島アントラーズオフィシャルサイト

http://www.so-net.ne.jp/antlers/frame/f_profile.html

http://www.so-net.ne.jp/antlers/team/top.html

(*2)県立カシマサッカースタジアム

http://waka77.fc2web.com/studium/08ibaraki/01kashima.htm

(*3)鹿嶋お土産:鹿嶋市観光協会http://www.sopia.or.jp/kashima-kanko/omiyage.html

(*4)鹿嶋市http://city.kashima.ibaraki.jp/