「日光の魅力」

(宇都宮大学国際学部国際文化学科3年 伊藤友紀)

 

1.テーマ決定の動機

宇都宮は暑い。少なくとも日光育ちの私にとってはそう感じる。小さい頃、友達に「ゆきちゃんの住んでいる日光ってどんな所なの?」とよく聞かれて、私はいつも「私の住んでいる日光は、自然が豊富で観光地だけど、あとは特に何もない所だよ」と答えていた。そして日光が嫌いであった。しかし、私が高校生の時、1999年12月に「日光の社寺」が世界遺産に登録された。全国からたくさんの観光局が訪れ、外国人観光客も増加し、「世界の日光」として世界に知れわたったのをきっかけに、私は今までの日光の見方が変わり、日光のよさ、日光のすばらしさに気が付き始めたのである。そんな私の地元で余暇を過ごす観光客が感じる日光の魅力、についてレポートをしていきたいと思う。

 

 

2.日光の社寺、世界遺産登録

日光は日本人の誰もが、一度は修学旅行や見学、ドライブ、で日光を訪れたことがあると思う。日光の過去10年間の観光客数を見ると、1992(平成2)年から1998(平成10年)までは平均して、6730人の観光客が毎年日光を訪れていた。しかし1999(平成11)年は5737人と最低の観光客数であった。しかし同年末に「日光の社寺」が世界遺産に登録されたことで、2000(平成12)年には大きな伸びをみせた。2002(平成14)年はその落ち着きが見られたものの、1992年からの10年間で600万人を越える観光客が訪れているのである。http://www.city.nikko.tochigi.jp/             

1999年(平成11)12月に世界遺産に登録された「日光の社寺」。日光の二社一寺とは、二荒山神社、東照宮、輪王寺を指すのである。その中でも最も名高いものといえば東照宮である。元和3年(1617)、徳川家康の霊をまつったとして創建された。現在の主な社殿は家光公により造営されたものである。延べ、454万人もの当時の名のある名工・工人が全国から集められ造られ、江戸時代の工芸の枠を集めた美術品の建物なのである。主な見どころとしては、本殿、石の間、拝殿、陽明門、唐門など8棟の国宝である。陽明門は、華やかな建物が多い東照宮の中でも一番華麗なものである。全面に彫刻、彩色がなされ、特に、太陽の光をあびて輝く様子は、息をのむ美しさである。陽明門は1日みても飽きないと言われているので、「日暮の門」の別の名前もあるのだが、なるほどと、納得できてしまうほどである。その他「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿」「眠猫」など個別の彫刻も一見の価値のあるものが多くあるのである。二社一寺はどれも魅力的歴史的建造物であるが、その二社一寺を取り囲む自然があるからこそ二社一寺は輝きを増すのだと私は思う。二社一寺の人工美、奥深く豊かな自然美が見事な調和を奏でている。これこそが日光の魅力だと思う。

 

 

3.日光観光について

日光にはたくさんの飲食物産店、旅館がある。そしてそれぞれ日光観光の独自の情報、特色、日光の名産品、自然の名所、施設、イベントやお祭り情報などがインターネットにたくさん掲載されている。私は地元の飲食物産店や旅館の人たちに、観光客に対して強くアピールしている事柄を聞いてみた。飲食物産店が、観光客に強くアピールしているのは、やはり日光の名産品をつかった料理、工芸品である。湯葉や中禅寺湖でとれるニジマスやヒメマス、日光彫りなど。飲食店は常に、この日光の名産品が、どうやったら更においしくなり、お客さんを喜ばせられるかを考えているのである。旅館業は、日光のこの豊富な自然に囲まれた風景、眺め、天然の温泉を、お料理ではやはり日光の名産品を取り入れて強くアピールしているのである。

山と湖の見えるすごく景色のよい、歴史のある旅館で私はバイトをしている。そこではすばらしい眺め、天然温泉、サービス、日光の名産品を使ったお料理がお客さんをおもてなしする。訪れるお客さんは口々に「お料理すごくおいしかった。」「眺めがすばらしい。」「こんな素敵な自然に囲まれて、のびのびと毎日生活しているなんて羨ましい。」「また泊まりにきます。」と笑顔で私たちに「ありがとう」と言ってくれるのである。私はその言葉を聞くたびに、胸がいっぱいになり、嬉しくなる。同時に自分が当たり前のように暮らしてきた「日光」の偉大さすばらしさを訪れるお客さんに教えられるのであった。

 

 

4.おわりに

日光には、新鮮な空気、きれいな水、豊かな自然、たくさんの野生動物が生息している。そして私たちはこの自然に囲まれて毎日生活している。私は宇都宮大学に入学して、地元日光を離れ宇都宮で一人暮らしを始めた。日光にはないデパート、コンビニ、施設など一歩外に出れば、いつでも何でも自分の欲し物を手に入れることが可能で便利なことに気がついた。しかし同時に、にごった月の夜空。騒音と排気ガスの塊でしかない大渋滞。緑地を減らしすぎ平然と立ち並ぶ建物。ありふれた犯罪。そして、これらのことによって起こる人々のストレス。これらから私はむなしさを感じた。

久しぶりに実家に帰った。ふと気がつけば鳥のさえずりに囲まれ、深呼吸をすればおいしい空気が体いっぱいに広がる。夜空を見上げれば星が瞬いている。地元の人は、笑顔で今日も「いらっしゃいませ」とお客さんを呼び、観光客の人々はみな、のびのびと穏やかな顔をして日光を満喫しているように見える。私はこんな日光が大好きだと心から思った。

便利さを求めて都会に住むか、自然の中での生活をするかそれは人それぞれであるが、日光に訪れる人々は、せめて余暇を使って日光の自然の偉大さ、安らぎ、癒しを求めてくるのだと思う。人口美と自然美が調和された日光、私は今、自分の地元を誇りに思っている。