040421yoka 余暇政策論講義メモ(中村祐司作成)
<イラク問題>
―04年4月16日付朝日新聞朝刊から―
「日本政府が自衛隊撤退の要求を即座に拒否したことに、抵抗勢力の間に反発が広がった可能性がある」(アブドラジャバル宗教者委員会理事)
「ファルージャでは4月に入っての米軍の掃討作戦ですでに700人以上が死んでいている」
「武装勢力の中に、日本人3人の解放をファルージャでの対米交渉のカードとして使おうとする勢力があったという見方もあった」
「日本政府が抵抗勢力を『テロリスト』と呼んでいることに反発が出ている」という同委員会の指摘。
「武装勢力は米国の占領に対する、正当な闘争を行っているという立場」
「一般市民の多くも、米国の占領に強い反発を抱き、そうした武装勢力の『占領闘争』を支持してもいる」
「今回、日本人人質の解放で動いた宗教者委員会も、米英商品の不買運動を進めるなど平和的な反占領闘争の前面に立つ」
☆「米国の占領を『善』ととらえ、それに反対する勢力を『悪』ととらえる日本政府の立場は、イラクの国民感情とは大きなずれがある。イラク人の大勢も、日本人民間人を人質に取るなど暴力的な作戦を支持してはいないが、日本政府の高官の『テロリスト』発言が、アラビア語衛生テレビ、アルジャジーラなどを通じて流れ、イラク国内の反発を引き起こしたことは事実だ」
―04年4月20日付朝日新聞朝刊から―
栗原彬「責任(responsibility)の本来の意味は『応答可能性』、ある種の呼びかけに応えられるかどうかだ。人質たちは『イラクの惨状を見て救ってほしい』と願う人々の人道的要請に応えるべく現地に行き、内発的な『人間の責任』を果たそうとしたのだ。他方、政府・与党などは、「民間人はイラクに行くな」という「権力の指示」に応えなかった点を、『自己責任』の欠如と非難している。人道的要請への魂の応答と権力の指示への従順さの、どちらがより重いのか。答えは自明だろう」
早野透「///危険を承知でなぜイラクに飛び込んだのか、外務省は今年に入って13回も退避勧告を出しているのに、という議論も噴出した。その議論にも2種類ある。▽外務省の竹内行夫事務次官は『日本政府は外国においても邦人保護に全力を尽くす責任がある。我々の同僚が命を懸けてというと大げさかもしれないが、治安情報を収集し分析し国民のみなさんに周知している。私たちはNGOの役割を重視し協力関係にもある。しかし、安全、生命の問題となると自己責任の原則を自覚して自らの安全を自ら守ることを改めて考えていただきたい』と述べている。/////▽だが、もうひとつ、自業自得だ、殺されてもやむをえまい、高校実習じゃあるまいし日本政府に迷惑をかけて幾ら費用がかかったと思っているんだといった類の、拘束された人々と家族への悪罵に近い『自己責任』論がある。//////▽///パウエル米国国務長官。『誰も危険を冒さなければ私たちは前進しない。彼らや、危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ』////」