「余暇政策論レポート」

公園について

013339 山崎直樹

1.公園を創るために

 

     たくさんの人が使う場所を考えることは難しいことです。人にはそれぞれ好み、趣味があり、生活習慣も違います。これらすべての内容を含めると様々な機能、施設の備えた公園が必要になります。しかし、そこまで大規模な内容を含めてしまうと、もはや公園とは言えない別のものとなってしまう様なきがします。

 

     まず、公園とはどのようなものであるかを考えなければなりません。また、何を求めるかで活気のある有効な公園になるのか、利用・存在価値のある公園になるか、とても難しいことではあるけれど私は非常に重要な部分であると考えています。

 

     必要となるものの中でも最も重要となる1つにお互いの情報や意思、感覚を共有するためのコミュニケーションの場が考えられます。

 

     実際にどんな公園を求めるのか、出来上がった公園を維持・管理していくための人との交流にコミュニケーションは不可欠です。

 

     携帯電話やインターネット、メール、通信販売など現在は家に居ながらにして、またどこでも人と話すこと、買い物をすることは可能です。

 

     しかし、直接人と向き合ってコミュニケーションをとる機会が減ってしまう様なきがします。個人差はあるだろうけど、人によっては全く外出しなくなるような人も中にはでて来るのではないでしょうか。お互いの目と目を向き合わせてコミュニケーションをとることはとても重要です。

 

     これらコミュニケーションをはかる場の1つとしての公園の存在は大きいのではないかと考えます。

 

     良い公園を創るためには、利用者自身が自分の意思を持ち、熱意を伝えることが重要です。自分の思っていることを他人に伝えることは難しいことです。しかし、熱意を持って、意見を言えばきっと相手もその人のことを悪くは見ないと思います。

 

 

2.公園の現状

 

     私が実際見てきた公園の様子は利用者が偏っている(限定されている)様な印象が非常に強いです。主な利用者は親子で次に散歩をしている人が大半だと言うことです。特に公園の規模が小さくなるほど親子による利用率が高くなるように見受けられます。

 

     原因の1つとして公園の遊具(滑り台、ブランコ、砂場、ジャングルジムなど)が小さい子向けのものが多いことです。大人向けの設備はほとんどありません。

 

     そういう場所だと言ってしまえば、そうなのですが、多くの公園が公共施設であり、お役所任せに創られているものが多いので、どの公園も多少見た目は違っても機能的には何ら変わりの無い公園が出来上がってしまっていることも問題があるような気がします。

 

     確かに利用者の立場から考えると、実際に公園の維持・管理作業を行う場合、公園の掃除当番を考えると、他人が汚したものを自分が片付けることに抵抗や疑問を持つ人、参加しない人が出てくるなどの問題も生じると考えられます。

 

     このようなトラブルを考えるとお役所に任せて維持・管理してもらう方が、何も面倒なことは起きません。むしろ利用者にとっては都合が良いのかもしれません。

 

     公園の良いところの1つとしては誰でも誰の許可無く、すきな時に利用できるという点があります。ただ、公園を利用するにあたって、それなりのマナー、ルールは守る必要があります。

 

     しかし、現状はひどく、たとえゴミ箱があってもポイ捨てをする人がいます。公園によっては定期的に掃除されている公園もあれば、無造作に草も伸び放題といった公園もあります。

 

     自分の地域の公園を良くするも、悪くするも利用者自身であって、何か問題が発生するとすぐに役所に苦情を出すのは、私はどうかと思います。現在の公園の利用者がごく1部の人であるので、それが問題と思っているのもごく1部の人であるから、本当にそれが問題であるのかどうかは、誰が見ても明らかな場合以外は疑問に思うところです。

 

     結局、公園の利用の仕方については、はっきりとした明確なことが決まっていないので、不都合なことが起きるたびに、その都度とりあえず問題のもとは排除しておく方向になっているようなきがします。

 

 

3.利用者による公園創り

 

     はじめから問題が起きないように、また後々問題が起きにくいようにするためには利用者自身がどんな公園にするのか、あらかじめ話し合いルールを決めておくのが良いのかもしれません。

 

     ここで問題となるのが個々の利用者の要望を実現できるのか、と言う事です。当然すべての公園が同じ条件であるわけではなく、敷地の広さや時代の変化(ニーズ)にも対応しなければなりません。日々変化のある公園を創るためには、やはり利用者が積極的に公園創りに参加していくことが必要です。

 

     また、公園は見た目の印象、雰囲気も大事だが、機能的でなければ結局無いものと変わりありません。機能的な公園にすることによって初めて公園の存在価値が重要なものとなるのではないでしょうか。そうでなければ何時まで経っても何も変わらないつまらない公園のままで終わってしまいます。

 

     最初は何も気にせずに、好き勝手にいろんなアイデアを出し合えば良いのではないでしょうか。それからどんな公園にするのが良いのか方向を決め、いらないものを省いていけば何とかなります。「こんな施設が家の近くにあったら」、とか「広い芝生の上で寛ぎたい」など、普段公園を利用しない人でも何か求めるものが公園に実現できる可能性は十分にあると思います。

 

 

4.これからの公園 まとめ

 

     現代の小学生に楽しい夢の公園についての絵を描いてもらうと、サーカスやテーマパークといった不思議な建物やジェットコースター、ゲームセンターが巨大な滑り台とともに描かれるそうです。その一方で大人に公園の夢を聞くと、広い芝生や大木の木陰、一面の花畑、噴水などの言葉が返ってくるそうです。

 

     私はこの文章を読んでとても驚き、世代によって公園に求めるイメージが大きく違うことを強く感じました。現在の公園はほとんど昔と変わりがありません。ただ、遊具のデザインや素材が多少違っているだけで、見た目の変化はあっても、機能的には全くといって良いほど変わっていない公園が多いようなきがします。公園に求めるものは世代やその時代によって変化しているのは確かなことだと思います。しかしほとんど変化の無い公園はおかしな気がしてなりません。

 

     お花が好きな人同士が集まって公園の花壇で花を育てるとか、バスケットゴールなどを設置して見知らぬ人同士が一緒になって同じ趣味を楽しむとか、新たな出会い、交流の活動場所として公園を利用することも可能ではないのでしょうか。

 

     とても広い敷地を持つ公園が少し暗い雰囲気を出していたり、活気がなかったり、そんな公園を見ていると、とても無駄なような気がしてなりません。何か見ていて楽しさや活気が伝わってくるような公園は私にとっては理想的なものです。

 

     公園について皆がどう考えているか、どんなイメージを持っているかはわからないけれど、意外と身近過ぎて、あまり公園のことを深く考える人はいないと思います。また、どんなに利用者が少なくても、その公園の存在が無駄だと思う人もあまりいない様なきがします。それ自体が公園に無関心だということなのだろうけれど、もっと多くの人に公園の在り方について考えてもらいたいです。

 

 

参照サイト:Park I Love http://www.asahi-net.or.jp/~it1m-okmt/