odagiria030702 「余暇政策論」レポート
「発泡酒増税に伴うマーケティング戦略 〜消費者はビール業界に何を求めるか?〜」k010509 小田桐藍子
概要
2003年5月1日、発泡酒の増税に伴って、4月の発泡酒シェアは48.2%と過去最高を記録した。この駆け込み需要の反動や増税による消費の落ち込みも出ており、ビール業界は新たに新商品の開発・販売を計画している。
発泡酒は、ビールと比較して、特に低所得階層で多く購入され、また、そのほとんどが家庭内で消費されている商品である。その背景には、日本の酒税法が他の主要国と比較して、ビールに対して非常に重い酒税を課しているという事情がある。また、近頃の不況とリストラ等の影響によってサラリーマンの家計収入の減少が続いている中で、自宅で飲む発泡酒は、庶民のささやかな息抜きであっただろう。それに加えて、発泡酒が増税され、需要が減少するのは言うまでもない。このような現状の中で、ビール業界の生き残りにかけた新しい戦略とは一体どのようなものがあるのか、発泡酒の将来を検証する。
はじめに
ほとんどのビール会社はインターネット上で発泡酒増税反対の署名活動を行ってきた。しかし、その努力も報われず、5月1日から増税は実施されたのである。それに伴って、大手ビール会社は新たなるマーケティング戦略と、発泡酒離れする消費者の確保に頭を悩ませている。そこで、一体発泡酒とビールは何が違うのか、そこを改めて考え直し、発泡酒にしかない特徴を売りにしてこの夏に向けて新商品をどんどん生産している。また、発泡酒がここまで消費者に定着するまでにはどのような経緯があったのだろうか。ビールと発泡酒の歴史を追うと共に、その現状を述べたいと思う。
1.
日本のビールの歴史と酒税法
1.1.
日本史と「麦酒」
この地球上で一体いつからビールが作られているのか、はっきりとした起源はわかっていない。しかし、今から約5000年前、メソポタミア地方でシュメール人がビールを造っていたという記録は残っている。また、世界的にもビールで有名なドイツでは、1516年にヴィルヘルム4世によって「ビール純粋令」が発令され、「ビールは麦芽、ホップ、酵母、水のみを原料とすべし」と定義し、現在でもこの法律が厳格に守られているのである。また、輸出の際にも麦芽100%のオールモルトビールでなければ、ビールとして認めてもらえず、輸出もできないのである。
一方で、初めて日本にビールをもたらしたのは、1724年、江戸時代のオランダ人であったといわれ、その当時はビールの需要は主に居留外人と駐屯兵であった。その後文明開化がうたわれるようになり、イギリス産に引き続き、アメリカ産やドイツ産のビールが多く輸入され、民間にも浸透していったと考えられる。では、日本でビールが作られるようになったのはいつ頃のことだろうか。世界の動向も踏まえて、ビールの歴史をたどってみることにする。
表 1
日本史 |
ビールとの関わり |
1716〜45年 8代将軍吉宗の統治(享保の改革) 1841〜42年 天命の改革(水野忠邦) 1853〜58年 13代将軍徳川家定 1867年 大政奉還 1868〜1912年 明治維新 1873年 徴兵例・地租改正 1874年 台湾出兵 1875年 ロシアと千島・樺太交換条約 1876年 李氏朝鮮と日朝修好条規(江華条約)締結 1877年 西南戦争 1889年 大日本帝国憲法発布 1890年 第一階帝国議会開会 1892〜96年 初代内閣総理大臣 伊藤博文 1894〜95年 日清戦争 1895年 下関条約 1902年 日英同盟成立 1904年 日露戦争 1905年 ポーツマス条約 1907年 日露協商 |
1724 オランダ通商使節団が江戸に入府 1853 蘭方医、川本幸民がビールを醸造 1870(明治3年) アメリカ人w.コープランドが横浜に「スプリング・バレーブルワリー」社を設立 1872(明治5年) 渋谷庄三郎が大阪に「渋谷ビール」を設立 1874(明治7年) 野口正章が甲府に「三ツ鱗ビール」を設立 1875(明治8年) スプリング・バレーブルワリーが「ジャパン・ブルワリーリミテッド」に引き継がれる 1876(明治9年)官営ビール事業として「札幌麦酒醸造所」設立 1877(明治10年) 札幌麦酒醸造所から「札幌ビール」が発売される 「日本麦酒株式会社」設立 1888 (明治21年) ジャパン・ブルワリーリミテッドから「キリンビール」が発売される 1889(明治22年) 「大阪麦酒株式会社」設立 1890(明治23年) 日本麦酒株式会社から「エビスビール」が発売される 1892(明治25年) 大阪麦酒株式会社から「アサヒビール」が発売される 1901(明治34年)ビールへの課税開始 1906(明治39年) 日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒が合併 「大日本麦酒」が設立される 1907(明治40年) 「ジャパンブルワリー」を引き継いで、「麒麟麦酒」(現キリンビール)が設立 |
1.2.
酒税法と発泡酒
上記の表1に書かれているように、1901年(明治34年)には麦酒が課税対象となっている。これは1900年(明治33年)の北清事変(義和団事件)によって、軍の強化を余儀なくされ、資金を獲得するためにそれまで清酒にしか課税していなかった酒税が麦酒税として課せられることになったのである。この頃の税率は、麦酒1石につき金7円というか税率だった。さらに、1904年(明治37年)、1908年(明治41年)に麦酒税法は改定され、今の酒税法の基礎が出来上がっていったと思われる。1940年(昭和15年)にはそれぞれの酒類にあわせて税法を単一の「酒税法」として制定しなおし、ビール税がここに含まれることになる。ここで初めて酒類を「アルコール分1度以上の飲料」と定義し、さらにビールを「麦芽・ホップ及び水を原料として発酵させたもの」としている。
ところで、酒税法では酒類を以下のように10種類11品目に分類している。
表 2
種類 |
品目 |
主な原料 |
製法による分類 |
その他の規定 |
清酒(日本酒) |
|
米、米麹 |
醸造酒 |
平成4年4月1日より級別廃止 |
合成清酒 |
アルコール、糖質、有機酸、アミノ酸 |
混成酒 |
清酒に類似するもの |
|
焼酎 |
甲類 |
アルコール含有物 特に原料は問わない 穀類の麹及びデンプン質 |
蒸留酒 甲類は連続式、乙類は単式蒸留 |
ウイスキー類、スピリッツ類、リキュール類の定義に抵触しないこと |
乙類(本格焼酎・泡盛) |
||||
みりん |
(本みりん) (本直し) |
もち米、米麹 焼酎 |
混成酒 |
エキス16以上と未満 |
ビール |
|
麦芽、ホップ |
醸造酒 |
麦芽の重量が2/3以上であること |
果実酒類 |
果実酒 甘味果実酒 |
果実 |
醸造酒 |
果実酒は原料の種類及び使用量において甘味果実と区分 |
ウイスキー類 |
ウイスキー ブランデー |
発酵させた穀類 果実 |
蒸留酒 |
|
スピリッツ類 |
スピリッツ |
糖類、デンプン質 アルコール含有物 |
蒸留酒 単式及び連続式蒸留 ウイスキー類以外 |
エキス分が2度未満 |
リキュール類 |
|
アルコール含有物及び糖類 |
混成酒 |
エキス分が2度以上 |
雑酒 |
発泡酒 粉末酒 その他の雑酒 |
発泡酒は麦芽・ホップ アルコール、粉末酒は酒類とデキストリン |
|
発泡酒は麦芽を原料の一部とした酒類で発泡性を持つ |
表2を見て、注目していただきたいのは、発泡酒は「麦芽を原料の一部とした酒類で発泡性を有する雑酒」という定義を与えられている点である。つまり、ビールと発泡酒はどうちがうのか、という疑問はこれで解消される。それぞれ、属している種類が違うのである。また、発泡酒の中にも麦芽使用率によって、税制の差がある他、唐辛子や果汁など、「ビール」には使用できない原料を使用した場合にも発泡酒と呼ばれるのである。副原料の種類には限定が無いため、主原料に麦を1%でも使用していれば、他の原料は麦以外の雑穀(ひえ・粟など)や糖化液などを大量に使用してもかまわないのである。安い原料を使えば使うほど価格も安くなるといえる。現代のようなハーブを使った発泡酒など、可能性はこのころから生まれていたといっても良いだろう。
具体的な発泡酒の税率は次のようになっている。
法律上の分類 |
麦芽使用率 |
酒税(1klあたり) |
分類 |
ビール |
67%以上 |
222000円/kl |
ビール |
|
50%以上 |
@222000円/kl |
麦芽67%未満発泡酒 |
発泡酒 |
50〜25% |
A152700円/kl |
麦芽50%未満発泡酒 |
|
25%未満 |
B105000円/kl |
一般的な発泡酒 |
これをレギュラー缶(350ml)1缶あたりの酒税に換算してみると次のようになる。
図 1.1996年から2003年の増税の比較
2.発泡酒の誕生と人気の秘密
2.1.発泡酒の誕生
ここでは、発泡酒はいつ頃かできて、どのように市場展開していったのかを述べたいと思う。
戦後、物資が少なかった時代に甘藷を原料とした「芋ビール」の研究がなされ、1950年(昭和25年)に発泡酒製造免許を受けて「太陽ビール」として発売されたのが第1号である。商品名を見ていただくとわかるように、これは発泡酒でありながらビールという名で発売している。当時はまだ、発泡酒は“安いビール”というイメージしかなかったのだろう。発泡酒という商品で売り出すにはあまりにも需要が少なく、戦後の混乱の中で、民間に浸透していなかったので約1年で発売中止になったという。それでは、発泡酒が再登場したのはいつ頃なのだろうか。
最初に出たのは1994年(平成6年)のサントリー「ホップス」(350ml、180円)であった。当時のマスコミが「ビールのまがい物」「節税ビール」などと話題として取り上げたので、人々の意識の中に簡単に刷り込まれた。また、これは当時のビールより50円前後安かったため人気を集め、翌年にはサッポロから「ドラフティー」(350ml、160円)が発売された。この頃になると、ビール業界のネーミング競争とでも言おうか、多彩な商品名で顧客をつかもうとし、「○○ビール」と称しなくてもビール・発泡酒という分野は存在しつづけた。さらに、低価格の輸入ビールもそれなりに売れてはいたがブームは過ぎ去り、国産で、名の知れたビールメーカーの商品という安心感もあってか、発泡酒市場は拡大していった。発泡酒が再登場したこの時期から、その売りは安さであることがうかがえる。実際に、ホップスは麦芽を65%使用していたためビールと同じ税率であり、これでは節税にならない。麦芽を25%未満にし、「スーパーホップス」(350ml、150円)で売り出した。これに刺激され、ドラフティも同量145円に引き下げになった。この頃から発泡酒の価格競争が熱くなり、市場獲得のために、ビール業界が様々な工夫を凝らすようになるのである。1998年にはキリンから「淡麗〈生〉」、2001年にはアサヒから「本生」が登場した。
2.2.発泡酒戦争
1996年(平成8年)6・7月、アサヒ「スーパードライ」がキリン「キリンラガー」を上回るという出来事があった。44年間トップの座を守りつづけたキリンはあっさりとその座を明け渡してしまったのである。この日、当時のアサヒビールの社長は社員の前で、男泣きをしたと言う。この歴史的なニュースから何が読み取れるのだろうか。
96年の実績から、アサヒ「スーパードライは」87.7%を占めているのにたいし、キリンリールは「ラガー」のほかに、「一番搾り」も出荷しており、それぞれ59.8%と28.2%の出荷率で、ちょうど2つあわせた比率に匹敵しているのである。ここでアサヒはスーパードライのみに頼ったマーケティングをしてきたといえる。さらに、アサヒは1958年に日本で初めて缶ビールを製造・発売していたのである。缶の特徴は軽く、持ち運びに便利で、それまでのビールはビンビールを配達するという習慣に対して、缶ビールを自分で買ってくるというスタイルに変わってくるきっかけを作ったのである。このように、ビンビールの多いキリンとは違った分野でマーケティングを行っていったのであった。また「缶化」政策に積極的に取り組んだのがアサヒであるのに対し、キリンはかなり消極的だった。
これから派生してキリンは新たに発泡酒市場に乗り込んでいこうと、「麒麟淡麗〈生〉」を発売した。これは先発のサントリー、サッポロとともに『ビールのみ』のシェアから『ビール+発泡酒』で売り出すという新しい基準を作り上げようとした。一足遅れて2001年にアサヒからも「本生」が発売され、ついに大手4社全てが「ビール+発泡酒」という市場に参戦した。「本生」の赤い斬新な缶のデザインは人目を引き、「ためし買い」というともかく飲んでみようという消費者が多いため、アサヒの発泡酒は後発だが不利にはならなかったといえる。
下記の図2を見ていただくとわかるように、97年から98年にかけて発泡酒市場はかなりの伸びを示しており、200年には1/5を占めるようになっている。
図2
ところで、なぜアサヒは最後まで発泡酒の発売にらめたったのだろうか。それは「スーパードライ」は大手4社の主要ビールの中で一番発泡酒に近いビールだったからといわれている。スーパードライとの違いを明らかにしなければ、シェアの拡大へとはつながらないことはわかっていたからだろう。また、それまで3社が発売した発泡酒の欠点を解決し、いやな匂いや後味の悪さを克服しようと、海洋深層水と大麦エキスを採用したのである。予想を上回る「本生」の大ヒットにより、さらに発泡酒市場は4社でヒートアップしてきている。次の章では今年の夏に向けて新商品を次々と発売されている発泡酒を比べてみる。
3.増税に負けない発泡酒作り
3.1.知恵と味を競う
大手ビール会社4社(キリン・アサヒ・サッポロ・サントリー)は発泡酒の増税に伴って、売上が減少するのを避けるため、この夏にむけて新商品を続々と発表している。このような状況で、消費者は増税した発泡酒を買いたいと思っているのだろうか。ウェブ上でのアンケートをもとに消費者の視点から考える。アサヒから2003年1月に「穣三昧(みのりざんまい)」、2月に「アサヒスパークス」、7月に「本生 アクアブルー」、キリンからは夏限定商品「8月のキリン」、サントリーから「楽膳〈生〉」など、発泡酒売り場は日々拡大しつつある。それに加えて、2002年の道路交通法の改定で、飲酒運転、酒気帯び運転などの罰則が厳しくなったため、ノンアルコールビールの開発にも力を入れ始めた。アサヒから「本生 half & herb」は副原料にハーブを使っており、すっきりとしたハーブの爽快感が売りである。また、「本生 アクアブルー」は海洋深層水と大麦エキスは先ほども述べたとおりだが、さらに糖質50%オフという健康面にも配慮した商品である。サントリーからの「楽膳」は炭酸ガス圧を下げることによるおなかにたまらないビールとして売り出している。
個人的にはビールのほうが好きなので発泡酒の味についてはここでは述べないが、各社かなりの工夫を凝らしている様子がうかがえる。これは発泡酒がビールより安いという理由ではもはや売れないという事実だろう。消費者を獲得するには値段ではなく、もはや副原料で勝負しなくてはならないのだろう。また、缶のデザインでも人目を引くかどうか、また女性ファンが多い発泡酒ならではのマーケティングを展開していくべきだと思う。
おわりに
多くの人々が発泡酒とビールの違いを知らないまま、発泡酒を安いビールと思い込んでいるが、ここで双方は全く別のものであるということが理解していただけたと思う。夏にむけてたくさんの発泡酒を是非のみ比べてみるのも面白いかもしれない。また、はじめは味が薄いと言われ、味の決め手である麦芽の使用率を酒税法によって抑えつつ、復原料を使うことにより味を補い、ここまで消費者に受け入れられる発泡酒を作ったのはビール会社の努力のおかげだと思う。
〈参照サイト〉
http://www.remus.dti.ne.jp/~yama-chi/seishu/teigi.html
http://www4.justnet.ne.jp/~mondo_okayama/yougo-beer.htm
http://www.suntory.co.jp/customer/FAQ/a_beer.html
サントリーの会社概要から経緯・お客様からのQ&Aなど、ビールの不思議に答えてくれるサイト。
http://www.kirin.co.jp/about/knowledge/q_a/
キリンビールから発売されているお酒についての解説、ビールの歴史などを詳細に載せている。
ビール図書館と題し、法のもとに製造・販売されているビール、世界で発売されているビールについての解説を載せている。
http://www.marukin.biz/sakeerabi/beer
http://plaza23.mbn.or.jp/~kodawari_/kodawari_2_070.htm
http://www.asahi.com.com/money/column/tky200305260219.html
〈参考文献〉
大草 昭 2000年 「ビール・地ビール・発泡酒」 文芸社
宮本鉱太郎 2002年「アサヒビール 成功する企業風土―内側から見た復活の法則」 祥伝社
新納一徳 1997年 「アサヒビールの秘密」こう書房