空港からみた首都圏の航空行政

                   2009/01/08

                 1h0502065 河井優輔

 

1.はじめに

まず、先日の私の不手際で発表が遅れたことによって、いろいろとご迷惑をかけたことを謝罪いたします。

 

私は実家が北海道にあるため帰省する際は、他の交通機関より早く到着することができる飛行機を必ず使う。大都市圏を中心にすると遠隔地に出かける人々は大抵飛行機を使うのではないか?そこで、利用しなければならないのが空港である。この空港という施設を通じて日本という国の航空行政を見ていきたい。

 

2.空港とは?

(1)「空港」と「飛行場」の違い

 @飛行場…飛行機が離着陸できる場所。要は、滑走路がある場所である。

     ・自衛隊や、在日米軍などが使用する非公共用飛行場

     ・旅客、貨物の運送を行う航空機の離発着する公共用飛行場

 

 A空港…飛行場という大枠の中の一部分。主に公共用飛行場のことを空港と指す。

    

(2)定義

·            航空機を安全・確実・迅速に離着陸させる能力

·            旅客や荷物の積み降ろしを安全確実に行う能力、旅客の扱いについては快適性も要求される。

·            航空機の整備・補給能力。

·            旅客・貨物を市街中心部へ(または市街中心部から)遅滞無く送る能力。

·            国際空港では、出入国管理、税関、検疫に関する業務

 

日本の空港空港法により、空港施設整備費の負担や設置・管理主体によって、以下の4種類の空港に分類される。

  1. 第一種空港: 国際航空路線に必要な飛行場 。施設設備費を国が100%負担

・成田、羽田、関西、中部、伊丹

  1. 第二種空港: 主要な国内航空路線に必要な飛行場。主要な国内航空路線に必要な飛  行場 この第二種には更に、'A''B'の区別があり国が設置し管理する空港が'A'、国が設置し地方自治体が管理する空港が'B'とされている。施設設備費を国が75%、自治体が25%負担。

A…新千歳、仙台、新潟、福岡、那覇などの19空港。

B…旭川、帯広(市)、秋田、山形、宇部(県)の5空港

 

  1. 第三種空港: 地方的な航空運送を確保するため必要な飛行場。設置、管理ともに自治体。施設設備費を国が50%、自治体が50%負担。

・青森、神戸(市)、岡山などの53空港

  1. その他飛行場: 上記の区分に該当しない飛行場 。

・調布、県営名古屋などの公共用飛行場。

・小松、三沢、徳島、米子などの共用飛行場。

⇒防衛省の設置する飛行場で民間の空港の機能も果たすものは共用飛行場といい、空港法の適用を受ける。施設設備費を国が2/3、自治体が1/3を負担。

 

. 航空行政の現状

(1)日本の航空政策

<戦前> ・旧陸軍の軍事基地として、飛行場は軍民共用の形で利用される。

<戦後> ・飛行場は米軍に接収され、日本籍の航空機による活動が禁止されていた。

     ・サンフランシスコ平和条約(昭和26年)締結後、日本籍の航空機による活動再開。そして、各地の飛行場が日本へ返還される。

        ・昭和27年〜特殊法人日本航空の設立

        ・昭和28年〜東亜航空

        ・昭和31年〜全日空

        ・昭和39年〜日本国内航空

        ・昭和46年〜東亜航空と日本国内航空の合併⇒東亜国内航空 

4547体制の確立(昭和45年、47年)

  ⇒戦後、GHQによる航空活動禁止が解禁されると、 日本には続々と航空会社が誕生した。しかし、産業として未成熟であったこともあり再編成を繰り返した。そのため政府は、路線や運賃を政府によって調整することで競争を抑制し、航空業界の安定的な発展、共存共栄を図る観点から国内航空業界を保護育成しようという考えになり、昭和45年に佐藤内閣において閣議了解された。

       昭和47年の運輸大臣示達は先の閣議了解を具現化するもので、3社の事業分野  を明確に分割した。4547体制の確立となった。これは行政指導として事業分野の調整を果たした。

        ・日本航空〜国際線・国内基幹線

        ・全日空〜国内基幹線・国内ローカル線

        ・東亜国内航空〜国内ローカル線・一部国内基幹線

      ⇒この政策は功を奏し、昭和50年代を通じ続けられ、航空産業の幼稚産業からの脱却と経済成長からの航空需要の増大をもたらした。

4547体制の廃止へ(昭和60年)

@昭和53年の日本貨物航空参入問題、それに付随する日米航空交渉。

A当時の体制の維持、すなわち規制は成長期を超え成熟期となった航空業界に必要ではなくなり始め、保護政策から競争政策へ行政を転換させるべき、という主張が政府内で高まった。

B既に体力をつけた3社自らが、新たな分野へ進出機会を求めるようになった。

 

そして、昭和6012月運輸政策審議会は「今後の航空企業の運営体制の在り方について」という新たな航空政策を答申、4547体制の廃止を決定した。翌61年の最終答申では新たな航空政策に関する基本方針が呈示された。

 

方針は、@国際線の複数社化、国内線のダブルトラック・トリプルトラック化

A日本航空の完全民営化

今後は安全運航の確保を基本としつつ、企業間の競争を通じて、利用者の要請に応じたサービスの向上(運賃制度、マイレージなど)、経営基盤の強化、国際競争力の強化(航空連合)等の実現を目指すこととした。日本の航空政策が規制緩和、競争促進へと舵を切ることになり、全日空、日本エアシステムの国際線への参入、国内主要線の複数社参入が認められるようになった。

<平成>・羽田に新滑走路誕生⇒発着枠増加。

    ・平成10年〜スカイマークエアラインズ(福岡〜羽田)北海道国際航空(新千歳〜羽田)の新規参入。以後、現在までに数社が参入。

  

   (2)日本の空港整備事業

 @国の空港整備5箇年計画

空港整備5箇年計画のもとで整備され、航空機のジェット化と大型化に対応するために既存空港が拡張され、管制施設なども整備され、そして新空港が建設されてきた。昭和42年からの第1次空整5箇年計画、そして第2次、第3次と続けられ、平成14年で終了した第7次空港整備計画を持っていったん終了した。平成15年からは新たに社会資本整備重点計画に移行し、現在も進行中である。

  当時、空港整備事業に関わる法律には『空港整備法』(現、空港法)や離島の航空路線を保護する『離島振興法』があった。昭和31年当時の国務大臣による提案理由は「わが国の国土は南北3 千キロにも及び、数多くの都市が散在しており、政治経済活動を能率化いたしますためには、航空路網を整備する必要があることはきわめて明らかでございます。しかしながらわが国におきましては、現在ようやく一部の幹線のみが整備されているにすぎない状態であり、早急に各地の空港を整備拡充することが強く要望されて参っているのでございます」とある。

★『空港整備法』制定の当初の理念は国内航空ネットワークの確立にあった。

 

    国内航空網の早期整備のため、昭和42年から第1次空港整備五箇年計画が始まる。その後、「空港輸送需要の増大に対処し、空港の整備の促進と運営の円滑化をはかるため、空港整備事業に関する政府の経理を一般会計と区分して行うこととし、新たに特別会計を設置しよう。」ということになり、『空港整備特別会計法』が制定され、空港整備特別会計が設立された。以後、第2次空整から、空整特会は空港整備事業への資金供給の中核を担うことになる。

  ★空港整備特別会計…それまで一般会計または港湾整備特別会計によっていた空港の整備事業を、航空需要の急速な増加に対応すべくさらに促進させることを目的として設置された。下のグラフを見たとおり、最近では羽田空港に対して予算の半分近くを割いている。

日本の空港整備は、国内航空網の整備、地方空港の拡充、大都市空港の整備と拡充という方向で進展してきた。第5次空整までは、国内航空網の整備を重点的に実施している。第5 次空整が終わる平成2年の時点で、隣接する府県に空港がある県を除けば、ほぼ「一県一空港」は達成されており、『空港整備法』の理念は満たされたといえる。第6次空整以降にわが国の空港整備の方針は一変する。

十分な数の空港を確保した後は、空港の滑走路の長さを国際水準に高める方向へ転換した。第7次空整からは、大都市圏にある空港は地価が高いため、まずは相対的に地価が安い地方空港の拡張へ空港整備事業をシフトさせた。需要が乏しい空港の拡充や国際化(地方〜ソウル)が進んだのもこの時期である。この結果、地方空港は充実したが、大都市空港の整備が大幅に遅れることになった。これを受けて、第7次空整(平成8年〜13年度)では、大都市空港の拡充が推進されている。しかしながら、他のアジア諸国の動向を考えれば、成田、羽田、関西、中部といった複数の拠点空港を同時に整備する手法については、国際競争の観点から疑問が投げかけられる。それではどうして集中型ではなく分散して整備を進める方向しかとれないのだろうか。

これまで7次の空港整備計画の実施によって、地方空港の大半がジェット化と大型化に対応して整備されてきた。そして、ここ10年でやっと成田、羽田、関西、中部に対し大規模な整備を推し進めてだしている。整備拡張された地方空港どこも羽田と路線新設や増便を望み、羽田は空港拡張で発着枠容量を拡大しても、すぐ容量満杯になるという歴史を繰り返してきた。逆説的なことかもしれないが空港整備特別会計制度を使って地方空港整備に相当額を注ぎ込んだことが、結果として羽田の空港整備を後追いにさせ、その対応を日本で最も遅らせてきたといえるのではないか。

A羽田と成田の機能分担について

来年、羽田に4本目の滑走路供用が開始されることに伴い、年間3万回ほどの国際旅客定期便を羽田に認めようという政府の方針になった。

成田は昭和53の年開港以来国際線、羽田は国内線の空港として位置付けられ、それぞれの機能を発揮するため整備され、適合してきた。だが、成田は羽田に比べ環境面(利用時間)や保安面(反空港派の存在)の制約を抱えている。羽田のほうが有利な点が多くある。このような現状から両空港が現在持っている経営資源を最大限活用する立場となると羽田における国際線の発着枠は規制をすべて廃止や見直しではなく、成田が引き続き国際線を中心とした航空サービスができることを考え、羽田に対して制約をしていくべきだと私は考える。例えば…

    ・昼は成田、夜は羽田と完全に機能を分ける。

    ・近距離便は羽田、長距離便は成田。

    ・羽田にソウル、上海便を移行し、空いた枠に国内線を今より入れ、新規乗り入れ会社を受け入れる。

(成田へは平成18年で40カ国1地域乗り入れ希望)

成田を建設するにあたって、あんな片田舎に多くの犠牲が伴って造ってしまった以上、簡単に捨てるのはおかしいと思う。犠牲を伴った人たちに失礼なのではないか。個人的には、あの遠さが「これから海外へ行くんだなぁ。」というワクワク感を出してくれて好きですが。だが、世間では遠い、不便という認識が一般に通っている。

    

               

成田空港

羽田空港

開港

昭和53

昭和6

滑走路

2本(40002250

3本(3000X2、2500

都心からの距離

64km(最短51分)★1

16Km(最短16分)

運用時間

6時〜23

24時間★2

年間乗降客数

3200万人

6700万人

年間取扱貨物

220t

67t

  ★1.叶ャ田空港、国、京成電鉄などの出資によって成田まで36分で到着できる鉄道建設中。平成22年完成予定。

  ★2成田空港は深夜23時から早朝6時までは開いていない。この深夜早朝の時間帯に限って、平成13年から国際便でも羽田空港を使用することが認められた。ただし騒音被害をくいとめるためにこの時間帯は千葉県上空を飛行しないことになっている。

 

では、羽田が国際化することで何が生まれるか?良いことから考えると…

1.東京の都市国際競争力強化 (成田のアジアのハブ空港化へ)

2.航空機騒音問題の減少(沖合に滑走路ができる、航空機の性能向上ため)

3.廃棄物処理場の有効利用 (東京のごみの一部再利用)

4.ユーザーの満足度

 

    不安要素としても

1.在日米軍が握る制空権。

2.羽田沖は良好な漁場であり、シジミにアサリにアナゴにと東京湾の特産品が取れる。故に漁業関係者の反発は避けられない。

3.多くの大型船が航行する東京湾において、さらなる羽田拡張は大型船舶の運航に支障をきたすのではないか。

4.酸素不足で、ヘドロ満載で埋め立てのために海底を掘った巨大な穴がいくつもある。海底に酸素を供給するようなのをつけなければ一層酸素不足が深刻化し、海の生態系を脅かす。

かといって、国内のことだけを考えていればいいのではないという点がある。香港やインチョンといった空港がアジアのハブを目指して努力している。現状の日本では、海外へ出かける場合一部の地域の住民以外はこれらの空港を乗り継ぎ拠点としたほうが便利な状況にある。このことは本来日本に落ちる金が他国の手に渡っているということで、国力とも関係する。もし日本をアジアのゲートウェイにしたいのであれば真剣に検討しなければならないのではないか。

 

★アジアゲートウェイ構想…アジアの国々との経済的・人的・知的・文化的交流を強化し、アジアの成長と活力を日本に取り込もうという安倍政権が掲げた構想。「航空自由化に向けた航空政策の転換」などの重点分野を掲げている。重要項目の一つの「アジア・オープンスカイ」政策では、成田空港は物理的に増便や新規就航が難しいことを受け、それ以外の国際空港で実質的な自由化を推進していくことを掲げており、羽田空港の国際化を一層加速するといる

                                       

 

                                       

B首都圏第3空港

・横田基地

一昨年の私の発表の際取り上げた在日米軍横田基地。成田、羽田の補完として利用できないかという意見が今でも根強い。現在も共用化について東京都から国へ要求されている。都心からの距離などスペックも申し分ない。ただ実際、あの周りは民家が多く、昔から航空機よりうるさい軍用機が飛び交い騒音に悩まされ続けてきた。そのため、反対派が根強く存在する。また実現の可能性としても、アメリカが難色を示し、現在のところ低い。

  ・茨城空港?

   来年開港予定の航空自衛隊との共用空港。茨城県としては首都圏第3空港として据えている。だが今現在、国内線の就航すら決まっていない。都心からの距離も成田よりはるか遠く、ユーザーにとっては不便なことは明白だ。

  

(3)まとめ

ここまで航空にかかわる行政について見てきた。言い方が悪いかもしれないが日本には地方の政治家によってどんどん作られている全く利用されていない空港が多く、そして首都圏の空港はパンク状態で運営されている。日本の空港行政は異質だと思う。素人目にも一目瞭然の甘すぎる見通しによって作られ続けている地方空港が、建設費などの返済に実際には利用者が少ないために赤字になり、国の空港特別会計のプール金からの補助を受けたりしている。これらを補うために成田や羽田の空港の離発着料などを使っている。規制を緩和するより、静岡、茨城などの意味もない空港を作らずに、現在の地方空港でも場合によっては統廃合するなどすれば離発着料を下げることが可能なのではないか。空港だけではなく、公共事業を伴う日本の箱もの行政に総じて言える。

 航空自由化によって、さらなるヒト、モノの流入になってきた。羽田や成田など大規模空港の発着枠を増やすためには、まず日本の交通行政から変えなければいけないと思う。近い将来、整備新幹線などが完成する。そうすれば、羽田からの札幌、富山、小松行きなどを少々減らし、枠を作りそこに成田から近距離路線を移行する。最後に長距離路線の便成田に就航させる。これがいいのではないのだろうか。これが、成田・羽田が共存していく方法だと思う。

   

 

参照) 国土交通省 

東京都 

                       『羽田日本を担う拠点空港』 酒井正子

                        週刊ダイヤモンド

                        東京航空局の方の話

                        成田国際空港   など