裁判員制度

〜その制度と社会的役割〜

1H050349

 進 勇太郎

 

0:はじめに

 「知れば知るほどにやりたくなくなる制度である。」この言葉は昨年の裁判員精度に対する発表終了後に、辻先生がおっしゃったものです。

私がこの制度に興味を持ったのは、昨年のこのゼミでの川上君の発表です。その時のゼミナールでの、裁判員制度に対する雰囲気としては全体的に反対が強かったのを覚えています。

それ以降、「この制度は何のためにあるのか」が私の頭に率直な疑問として残っていました。

今回、最後の発表に当たって良い機会であると思い、「裁判員制度〜その制度と社会的役割〜」をテーマに調べてみることにしました。

 

あなたはなぜ裁判員制度が必要だと思いますか?

                                            

 

.1:裁判員制度とは

 裁判員制度とは今までの裁判のプロである裁判官が行っていた、判決や量刑を決める作業に、裁判の素人である国民(市民)が参加する制度です。この制度は良くも悪くも、裁判に国民(市民)の感情を持ち込む制度です。

 裁判員制度は陪審制度と参審制度の中間、もしくは参審制の一種だと考えられています。ここで簡単に陪審制度と参審制度の特徴を紹介しておきたいと思います。

 

@陪審制度の特徴

a:陪審員は有罪か無罪かだけを決めます。ただしそれは事実認定の問題であるとされます(これは法律の解釈についての有罪、無罪は裁判官に任せて、陪審員はその事実があったかどうかということ決めるということです)。そして裁判官は法を適用して、量刑を決めます。

b:陪審員の合議は全員一致が原則です。どうしても合意に至らなかった場合は再度新たな陪審員を集めて、審理全体をやり直します。

c:事実誤認を理由とした控訴は認められません。(これは陪審員が私達の仲間であり、その判断は間違っていない、もしくは疑うべきものではないと考えられているためです)。しかし法律的判断を理由に控訴することは可能です。

d:一般的に陪審員が無罪を決めた時には、検察官は控訴できません。

e:陪審員は事件ごとに選ばれます。

 

A参審制度の特徴

a:裁判官と参審員で合議し、法の適用、事実認定、量刑の判断を行います。

b:参審員として法廷を構成するのは陪審員の12名よりずっと少なく、せいぜい数名です。

c:判決に不服がある人は、法律問題、事実認定の誤り、量刑不当のいずれについても控訴できます。

以上が両制度の特徴です。

裁判員制度は参審員制度でも、陪審員制度でもありません。世界でどこの国も運用したことのない制度です。

それでは早速その賛成、反対それぞれの意見を見ていきたいと思います。[進勇太郎1] 

 

1:賛成意見

 裁判員制度に対する賛成理由は大きく2つに分類されます。それは「現行司法制度上の問題点の改善」「その制度の社会的な意義」です。

 ただ賛成の立場の人は、厳密には裁判員制度に対する賛成ではなくて、むしろ陪審制度に賛成の人がほとんどであることには注意が必要です。(従って厳密には裁判員制度に諸手をあげて賛成する人はいないと思われます。)加えて注意が必要なのは、このことから裁判員制度の利点が陪審制度ならより発揮されるというスタンスの意見が多くなっています。さらに彼らは裁判員制度を批判することもあります。そのどちらの理由としても、陪審制度があらゆる司法制度の中でベストだと考えているからです。[進勇太郎2] [進勇太郎3] 

 ところで、彼らは陪審制を支持するにあたって二つの共通認識を持っています。一つは、「陪審制度は民主主義的な司法の特徴であること」、もう一つは「現行司法上の問題点の改善が陪審員制度でできること」です。[進勇太郎4] 

 以上のことが裁判員制度に賛成する意見の中に、どう反映されているか分かりませんが、こういった前提を持った意見がこれから書かれることは注意したほうが良いと思い書きました。

 

@現行司法上の問題点の改善

a)口頭主義の改善

@)口頭主義とは

今までの裁判では、検察側が提出した調書をただ淡々と読むだけでした。それが裁判員制度に変わることで、法廷で読みあげる形である口頭主義に変化するといわれています。法定での証言や服装、態度、その人の表情などから、裁判員は判断するようになり、それらが現行の裁判制度よりも重視されることにつながります。

A)その効果

今まで国民が司法に対して、関心をもたなかった理由の一つに分かりづらい裁判が行われていたことがあげられています。

そしてその原因としては調書主義が挙げられており、それが変化することで国民が司法により関心を持つきっかけとなると考えられています。

 

b)自白偏重主義の改善

 今までの裁判は自白偏重主義だといわれています。つまり自白があると、有罪の確率が高まります。

 問題が起きるのは逮捕後、そして勾留中の23日間の間に調書がとられます。そしてこの調書での自白が証拠と認められて、そのまま有罪判決を下されることがありました。

 この証拠をどの程度まで証拠と認めるかが、裁判員制度によって大きく変わるといわれています。

 例えば[進勇太郎5] 23日間の勾留だけではなく、そこから別件逮捕などでさらに勾留日数が増えた場合に、この自白は国民の感覚からして証拠として許容できないだろうといわれています。[進勇太郎6] なぜならそのような長期勾留の状況下で、「自白すれば早く帰れる」等といわれたら、その自白は強要されたものではないかと考えるのが自然だからである、といわれています。そしてその疑いは拭い去ることができないのではないかといわれています。

すると、検察としては今までのやり方では有罪判決は出ない、よってやり方を変える必要性が出てくる、といわれています。このことが自白偏重主義の改善へとつながっていくと考えられています。

 

c)裁判の迅速化

今までの裁判は時間がかかりすぎるといわれていました。それが、裁判員が裁判に関与することで、公判から判決までのスピードが速くなるといわれています。

具体的には公判に6日以上かかる裁判は全体の1割以下になると予測されています。そして実に5割以上もの公判が34日で終わると考えられ、「思い出の事件を裁く最高裁」と川柳にされるような状況からは大きく変化するとみられています。

早くなる原因としては、連日開廷による影響も大きいのですが、それよりも、公判前整理手続による争点の決定により、今までよりも、コンパクトに纏った裁判ができることが原因として大きく挙げられています。

 

A裁判員制度の社会的な意義

a)司法制度上の問題点改善により得られるメリットがあること

 このメリットが国民を守り、より民主的である世の中につながると主張されています。

 

b)国民の司法参加の実現

 先に述べたように「陪審制度は民主主義的な司法の象徴である」と賛成派の人は捉えます。したがって、裁判員制度は「国民の司法参加」ですので、彼らはその点を評価しています。

 この価値観は陪審制度の歴史(簡潔に結論を言えば、つまり国家権力に国民が関わることは民主主義では当然という考え方が根底にあるのでしょう。そしてそれを得るまでの歴史は国王との戦いの歴史なのです。そして国民は勝利しました。従って国民が国王と戦って勝利した結果、正義を得たということです。そして今回の価値観に関する部分の認識は上記のもので十分だと思います)陪審制度がどのような役割を果たしてきたと捉えているかに由来しています(詳細は別紙)

 

2:反対意見

 裁判員制度に対する反対の理由は大きく3に分類されます。「裁判員制度の問題点」「憲法問題」「司法制度改革審議会の問題」です。そこでそれぞれを確認していきたいと思います。

 また、反対意見を述べる人の立場も大きく3つに分類出来ます。それは以下の通りです。

@)裁判員制度よりも、陪審制度のほうが望ましい

A)裁判員制度よりも、現行の裁判のほうが望ましい

B)裁判員制度よりも、参審制度のほうが望ましい(ただ、見たことはありません。どちらかというと、裁判員制度が参審制度よりだからです。)[進勇太郎7] 

 

@裁判員制度の問題点

a)誤判の可能性

@)粗雑司法への変化[進勇太郎8] 

 現行の裁判では資料を読み、それをもとに裁判官が心証(裁判官の確信という意味)をとります。ここに裁判員が加わると、裁判は口頭での供述が重要視されるようになります。

 この変化により、今まで精密司法と呼ばれていた日本の裁判が変化して、粗雑な司法制度に改悪されるのではないかといわれています。

 なぜ裁判員の参加が粗雑司法への変化となるのでしょうか。

 それは評決に至るまでの経過が、裁判員の資質により大きく変化するのではないかと見られているからです。

 今までの裁判では膨大な証拠を調べ上げ、その一つ一つについて証拠としての有用性を裁判官が認定していました。それが裁判員制度になると、審理する期間が短くなり、また事実認定についても、今までのプロによるものから、素人によるものへの変化がおきます。

さらに選ばれる裁判員の条件は義務教育の修了者ですから、様々な人がいる事は予想できます。その中に、裁判員であっても何もしゃべらない人、興味本位で裁判員に参加する人、二日酔いで法廷に来る人がいないとは言い切れない、ということが根拠になって、粗雑司法への変化が起こると言われています。

(裁判員制度の評議は裁判官と国民(市民)のため、このようなことは防がれるのではないかと私は考えています。プロと素人が評議に同時にいることで、たとえ素人である国民(市民)がその役割を果たさなくても、プロだけでもやっていけるでしょう(ただし裁判員制度の意義はありません)。)

A)手続の更新[進勇太郎9] 

 この問題は裁判員制度が途中からの裁判員参加を認めてしまっているところに起因します。

 例えば補充裁判員(最多で6名まで)を使い切ってしまった場合、この場合は新たに裁判員、補充裁判員を選ぶことになります。そしてその新しく選ばれた裁判員は審理の途中から、参加することになるのです。これを手続の更新と呼びます。[進勇太郎10] 

 この時、その裁判が評決を出す間際だったらどうでしょうか。裁判の資料は膨大なものになります(裁判官いわく「事件にもよるけど、現行の司法制度では資料の厚さは5センチ以上」とのこと)。これを読みこなすことはできるのでしょうか(ちなみに公判の議事録を渡すことはできないものと思われます。裁判ではテープに録音された議事録を業者に出して、文書化します。その際に裁判官の方がおっしゃるには「民事事件の場合、1ヶ月はかかる」そうです。これは推測ですが刑事事件の場合も同様にかかるのではないでしょうか。「では1ヶ月後にまた始めるのはどうだろう」という疑問を持つ人もいるかもしれませんが、それは裁判員の拘束の問題があって、結局新しい裁判員を選任しなおすことになるでしょう。ちなみに裁判官と裁判員の評議は密室で行われるので、議事録はありません)。また、それを要約して伝えるとしたら誰が伝えるのでしょうか。それは事実をしっかりと伝えることができるのでしょうか。

 上記のような状態で、途中から参加した裁判員がしっかりとした自分の意見をもてるのかどうかは、私は疑問に感じますし、おそらく誰もが疑問に感じるところでしょう。[進勇太郎11] 

B)部分判決制度

 2007年に新たに法律で制定された制度です。公判が長引く重大な事件の場合には、事件を分割して審理できる制度です。

 《例:連続殺人事件》A事件とB事件の場合がどちらも裁判員での審理対象の場合、2組の裁判員を作り、A事件を審理するチームとB事件を審理するチームに分けます。そしてAチームはA事件に対する判決と量刑を決めます(これを部分判決と呼びます)。そしてBチームはB事件だけではなくA事件の資料を読みながら、ABの両方の事件を含めた判決と量刑を導き出します。なお裁判官はABの両事件に共通の裁判官が勤めます。

 この制度の最大の問題点はA事件で有罪判決が出ても、Bの裁判員が無罪の評決を行えば、結果無罪になるという点です。

 またこの制度を適用するかどうかは、裁判所次第で、その運用方法によっては国民の民意が裁判に反映されなくなるのではないかともいわれています。

 (この制度を使うと、検察、弁護側とも控訴できません。ただ部分判決を行うことや、その区分に関して検察、弁護側は即時抗告出来ます。即時抗告とは、審判で下された決定に対し不服の場合、上級審に対して不服申し立てを行うことを言います。即時抗告は2週間以内に行う必要があります。)

C)評議のブラックボックス化

 裁判員制度は裁判員と裁判官の評議の経過を公表する事は出来ません。その評議が何対何で成立したか、またその結論に至るまでの理由を公表しないのが原則です。これは裁判員が私達の仲間であり、その過程に関して疑う必要が無いと考えられているためです。加えて、評議が公開されると、裁判員の自由な発言が出来なくなるといった指摘もあります。

 その結果、判決を出すまでの過程がクリアにならず、誤判が起きた時に検証しにくいといわれています[進勇太郎12] 

D)日本人の国民性

 日本人の国民性が裁判員制度には適していないという意見です。具体的には日本人は感情的な考え方を持っていること、そして議論が下手であること、この二点が裁判員制度に適さないとされています。[進勇太郎13] 

 

b) 国民の負担

@)費用の問題(別紙参照)

[進勇太郎14] A)裁判員参加による国民(市民)の肉体的な、精神的な負担が過重である

 実際に模擬裁判員制度に参加して、裁判を聞くだけで疲労を感じるということが私は分かりました。かなり速いペースで審理は進んだからです。模擬裁判員制度と言う事で、事件の争点はまとめてあった模様ですが、それでもそのペースについていくのがやっとという印象が強いです。評議自体は裁判を聞くのに比べて疲労感は少なく感じました。

 以下では実際に裁判員候補者である国民(市民)が裁判員制度に対してどのように感じているかを考えるため、アンケートを参考にしたいと思います。

「裁判員制度についてのアンケート調査研究結果」(最高裁判所が行ったもので、日本国籍を持つ二十歳以上の男女8300人を対象として行われました。有効回答数は5137件です)。

 [進勇太郎15] アンケートでは61.6%もの人が「参加したくない、またはあまり参加したくない」と回答しています(NA0.1%、わからないは10.1%です)。

 その理由としては「裁判所にいくまでの日程調整が大変だ」が42.6%、「心理的に不安である」が27.6%で、スケジュール調整に不安を抱える人が非常に多くいます。

これはよくいわれるように裁判員制度での有給が認められるか、自分が戻った時に会社の風当たりが強くなったりしないかなどから不安が生まれると私は考えています。[進勇太郎16] 

 

 [進勇太郎17] ちなみに未就学の子供がいる家庭は15.4%、介護を要する家族がいる家庭は11.7%(いずれも最高裁判所が行ったアンケートによるもので、有効回答数は5137件です。対象者は国籍が日本で、20歳以上の男女です)です。子供の世話や介護などは裁判員制度の辞退理由となりますから、無作為に抽出された裁判員候補者の1/4未満は参加できないと考えています(ただ厳密にはもっと少ないでしょう。なぜなら対象が世帯ですから、必ずしもアンケート回答者が、育児・介護をしなければならないとはいえないからです。ちなみに今回のアンケートでは職業も聞いており、専業主婦は回答者数の14.4%です。そこで上記の数に14.4%を掛けると・・・[15.4+11.7]*14.4%=3.9024%です。よって無作為に抽出されたうちの少なくても4%弱は辞退するということになりそうです。専業主婦が育児・介護をするのは女性に対する偏見だと言うのは御勘弁ください)。

 

c)裁判官と対等な関係を保てるか

@)裁判官の誘導

おそらくこの裁判員制度の最大の懸念といえるでしょう。

 すでに行われた裁判員制度の模擬公判では裁判官と、裁判員の関係が対等ではなく、裁判官の意見が通ったと言われています。

その具体例を昨年の川上君のレジュメから考えます。以下は引用です。

 

20058月に行われた東京高裁での模擬裁判を具体例にします。

裁判官3人と裁判員6人(2050代の男女) 審理期間 3

<事件内容>

「カラオケスナックで若者とけんかになった57歳の男が自宅に戻って刃渡り15aの包丁を持ち出し、スナックの前で若者の腹を刺した。しかし相手は死ななかった。被告人は「突進してくる相手にとっさに手を出したら刺さった」と殺意を否認した」

 <争点>

争点1.「包丁が刺さったのは偶然か計画的か」 争点2.「被告人に殺意はあったか」

 <評議>

争点1.「包丁が刺さったのは偶然か計画的か」

裁判員  「殺意があればもっと深いはず」

裁判官  「人によって傷の深さも違うのでは」

裁判員  「突き刺したにしては傷の形がおかしい」

 


裁判員5人が「偶然」裁判官3人が「計画的」という主張で、一向にまとまらなかったために、最終的に

裁判官  「被告人は犯行後に知人に『刺しちゃった』と言っている」と発言し、それを参考に「被告人が体ごとぶつかるように包丁を刺した」というふうにまとまった。[進勇太郎18] 

 

争点2.「被告人に殺意はあったか」

裁判員  「本当に殺そうと思うなら出刃か柳刃だ。あたしなら刺すのも大腿部だ」

裁判官  「死んでもかまわないという気持ちがあったなら法律の世界では殺意ありだ」

裁判員  「私たちの感覚と違う」

      「ぼくらはそれを殺意とは言わない」

      「殺意の一言でくくられるのには抵抗がある」

 


この争点に関しても裁判官と裁判員の意見が対立し、なかなかまとまらなかったが、

裁判官  「これまでの裁判でそれも殺意となっている」という発言が裁判員の判断を変え結局、殺意がありになった。

 

 

 というように裁判官の意見が模擬公判では強く通ったケースがあります。このような事は今後の裁判員制度でも起きるという批判がされています(かなり有力です)

 このことから裁判のプロである裁判官が、裁判の素人である国民(市民)を味方に付ける事は簡単であり、裁判官の思いのままの裁判にしかならないと言われています(国民の司法参加による裁判の変化が引き起こす問題として、裁判官の罪意識の軽減がいわれています。これは今まで死刑判決を出す時とは異なり、国民の民意が反映された制度の中で死刑判決を出すことで、裁判官の判決の後ろ盾となるものが出来て、その結果、裁判官ではなく、その時関わった裁判員に余計な精神的負担を背負わせると、批判されています。上記の例では意見が通ったのは殺意の認定ですが、これが量刑判断の箇所で、加えてその判決が死刑の場合に起きることが予想されています)。

A)公判前整理手続

 公判前整理手続とは、公判(裁判のことです)の前に、裁判官、検察官、被告の弁護士が集まって、争点を決める手続きのことです。

 検察、弁護側双方が証拠を開示し、事前にどの箇所で争いが決めます(例えば被害者を刺したことは検察も、弁護側も事実として認めたとすると、その点は裁判で争いません。しかし、検察は殺意あり、弁護側は殺意無し、と主張したとすると、その点は裁判で争います)。

 問題はそこに裁判員が参加出来ないことです。

 なぜ問題かというと、公判前整理手続によって、事前に裁判官はある程度事件について知識があるのに対し、裁判員側は知識無しで望むので、その点で裁判官側からの誘導を掛けられる可能性が生じると指摘されています。

なお、どんな結果になったとしても、公判開始後に公判前整理手続きの経過は公判冒頭に裁判官から話されます。

(これに関しては事前に参加するかしないか、裁判員制度運用後も慎重に考えていく必要があると思います。国民の負担の面から考えれば、公判前整理手続きに参加して、裁判にも参加してというのはスケジュールの面から厳しいと思います。さらに公判前整理手続から公判までの期間が短くないと国民は参加できないのですが、非常に短いとなると、しっかりとした証拠集めができるのかどうかという問題も生じ、難しいところです。そしてまた検察、弁護側双方が「争いがない」と言っているのに、裁判員が口をさしはさむのは公平性に欠けると思います。したがって証拠の採否について意見を述べるのは難しいと私は考えています。そうすると、ただ見るだけです。しかし、その一方で上記の批判は最もだと思います。それ以外の批判には、裁判公開の原則にも反すると言う批判もあります。)

 

d)裁判の公平性について

 よくここではパーブマッカースの法則があげられます。

パーブマッカースの法則とはアメリカで行われた実験から導き出された法則です。ある裁判に対して、影の陪審(つまり実際の陪審とはべつに評議体を作り、そこで評議を行う模擬陪審の集まりのことです)を作り、評議すると、1/4の確率で実際の陪審の評決とは異なった評決になるという法則です。[進勇太郎19] 

 これはアメリカでは有罪・無罪を評決するだけなので、1/4の確率で他とは違う判決を行うわけですが、日本では量刑まで決めます。そうすると、裁判の公平性が保たれるかどうかが、不安視されています(具体的には沖縄と北海道で同じ事件に対する量刑が異なると、裁判の公正さが保たれなくなり、社会秩序が維持できなくなると言われています)。

 

A憲法問題[進勇太郎20] (別紙参照)

a)裁判員制度は違憲

@)公平な裁判所とは

A)裁判官の独立

B)国民参加の規定が無い

 

b)裁判員になることで

@)思想・良心の自由が奪われる

A)苦役

 

B司法制度改革審議会

a)メンバーの問題

この審議会に司法制度の素人が数名参加したことで悪い影響を及ぼしたと言われています。

例えば、憲法問題を精査出来なかったことがあげられます。

今回は司法制度改革審議会の論点整理の箇所で、『これら諸々の改革を・・・「法の支配」の下に有機的に結び合わせようとする』と謳いながら、その制度に対する憲法論議をおろそかにしているという批判がされています。[進勇太郎21] 

また、現行の裁判の問題点が話し合われておらず、そのため裁判員制度の意義がぼやけている、とも批判されています(これは裁判員制度の賛成論者からも批判されています)。

 

b)審議時間

 国民の司法参加について集中的に話し合ったのは、実に3回の議論しか行ってない、ということを根拠にあげています。

 

3:なぜ導入されるのか 〜その社会的な意義〜

@裁判員制度導入へ

a)国民の司法参加について

@)日本における国民の司法参加の歴史[進勇太郎22] 

日本における国民の司法参加の歴史は「戦前において、陪審制が日本に存在したこと」に端を発します。

戦前の陪審制は1918年、原敬が政権をとったことから陪審法の審議が始まり、その後、陪審法は1923年に帝国議会を通過し、1928年から施行、そして1943年に「陪審法ノ停止ニ関スル法律」により停止されています。なお、その3項には『今次ノ戦争終了後再施行スル』との規定がありますが、現在に至るまで復活していません。

復活していない理由としては、戦前の陪審制度が失敗だったという評価がされていることが大きいといわれています。失敗という評価の根拠としては制度面の不備から、実際に陪審制度が行われた回数が非常に少なかったことがあげられます。

1928年から1943年までの間に陪審を行ったのが、わずか460件に過ぎませんでした(実際の法定陪審事件は25097件です。つまり460/25097しか行われていないということです。)。

なぜここまで少なかったのかというと、

・陪審員の判断は答申である。つまり、裁判官はそれに拘束されない

・裁判官が気に入らない答申は、陪審員に再審理を命じることができた

・陪審員の日当、宿泊費などは被告の負担

・被告は判決に対して控訴できないが、検察側は可能である

ことなどがあげられています。

 これらのことから戦前の陪審員制度は失敗であったといわれています。よって陪審員制度議論は戦後、下火でした。

 しかし、その流れを大きく変えたのが、19791989年にかけての免田、財田川、松山、島田の再審無罪事件です。この事件をきっかけに、現行の裁判制度への批判が生まれ、陪審制度導入への議論が再度盛り上がりをみせました。そして1990年代後半に入り、司法制度改革の論調が高まってくるに連れて、陪審員制度導入論議は加熱したというのが、日本の裁判への国民参加の歴史と現状に至るまでの議論の流れです。

A)国民と司法の関係

昨今の改革の流れは行政に対して国民が接点を持つ箇所を増やす改革でした。

これは国民と司法の関係についても、同じであるというのが、今回の司法制度改革の流れです。

それと並行して、いままでは国民と司法との距離が疎遠だったといわれており、その結果、司法制度において様々な問題が生じているという議論もあり、その二つの流れを受けて、「司法制度への国民の参加」が司法制度改革審議会で話し合われました。

 

b)司法制度改革審議会の現状認識

司法制度改革審議会は今回の自らの改革の必要性を以下のように整理しています。

『我が国は、直面する困難な状況の中にあって、政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等の諸々の改革に取り組んできた。これら諸々の改革の根底に共通して流れているのは、国民の一人ひとりが統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら 自由で公正な社会の構築に参画し、この国に豊かな創造性とエネルギーを取り戻そうとする志であろう。今般の司法制度改革は、憲法のよって立つ基本理念の一つである「法の支配」の下に有機的に結び合わせようとするものであり、まさに「この国のかたち」の再構築に関わる一連の諸改革の「最後のかなめ」として位置付けられるべきものである。』としています。

(今世紀の司法制度改革の基本理念と方向利点

 またこの審議会の設置目的を法律は以下のように規定しています。

『審議会は、二十一世紀の我が国社会において司法が果たすべき役割を明らかにし、国民がより利用しやすい司法制度の実現、国民の司法制度への関与、法曹の在り方とその機能の充実強化その他の司法制度の改革と基盤の整備に関し必要な基本的施策について調査審議する。』(司法制度改革審議会設置法第二条) 

またさらに司法制度改革審議会は、司法制度改革が必要な背景をこのように捉えています。

『我が国が取り組んできた政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等の諸改革は、何を企図したものであろうか。それらは、過度の事前規制・調整型社会から事後監視・救済型社会への転換を図り、・・・』(今世紀の司法制度改革の基本理念と方向)

 

A裁判員制度反対派の社会的な意義に対する考え

a)憲法軽視の風潮を生む

 この制度自体が憲法に反しているというところにスタンスをおく筆者は、この制度自体が憲法軽視につながることから、これが認められるならば、どんな解釈であろうとも認められると述べています。

 [進勇太郎23] 具体的には 苦役 の箇所をその根拠として主張しています。

 

b)国民の負担

 

c)裁判員制度に対する国民の支持率の低さ

 このことから、裁判員制度が機能しないという批判が行われています。[進勇太郎24] よって裁判員制度が当初の期待通りの効果をなさず、社会の役に立たないといわれています。

 

d)なぜ必要かが分からない

 これは司法制度改革審議会が、現行の司法制度の問題点を話し合わなかったことを理由に「なぜ必要か」が審議されておらず、この制度の意義がぼやけていて国民に伝わっていないといわれています。

 またこれらの主張をする人たちは、司法制度と行政・立法制度は性質が違うと述べています。それは司法制度が、その二つをチェックするからであるとし、その性質の違いから、司法への国民参加について疑いがあるという主張されています。

 

4:まとめ

@制度批判について

 上記のように様々な批判がされていますが、その中には適切でないものも非常に多くあると私は考えています。

 なぜ適切では無いのか、そしてなぜここまでの批判が生まれるのか、についてはBの部分で説明します。そして制度批判についての私の意見もBの部分で説明します。

 

A体験して分かったその社会的な意義

3-@-b)司法制度改革審議会の現状認識を受けてですが、私はこれらの現状認識は間違っていないと考えています。

 まずは司法制度改革審議会の設置目的についてです。

日本の司法は「二割司法」(『日本の司法は本来の役割の二割しか果たしておらず、あとの八割は泣き寝入り、政治決着、暴力団による解決やごね得、あるいは行政指導』佐藤幸治(近畿大学教授・憲法調査会の意見概要-参議院第26回調査会 意見概要から))と揶揄されてきています。このことから、司法が果たす役割を明らかにする事が必要だと考えています。

 次に、司法制度改革が必要な背景についてです。

事後監視・救済型社会への転換というのは、現代の流れであると私は感じています。[進勇太郎25] 

このような社会では法整備が後からついてきます。人が自由に行動した結果、まったく想像出来なかったことが起きる可能性があります。そしてその行為を司法がチェックをするわけですから、出来る限りその場に国民の声を反映させることは、十分に意義があると私は考えます。

最後に司法制度改革の基本理念についてです。

私は国民(市民)が裁判員制度に参加する過程を通じて『国民の一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら 自由で公正な社会の構築に参画し、この国に豊かな創造性とエネルギーを取り戻そうとする志』を持つことは可能であり、必要だと考えています。

可能だと考える根拠は、模擬裁判員制度に参加した感想から、そして必要だと考える根拠は就職活動中に感じています。

私が参加した時の事件(事件の詳細は別紙)[進勇太郎26] で、ある模擬裁判員の方がおっしゃっていました。「この母親はどこかに相談出来なかったのか。」[進勇太郎27] 

私はこの時に「この制度は現在の社会に不足している点を考えるきっかけになる」と感じました。

また、就職活動中に「現在は誰もが新しいアイデアを考えなければならない。そしてそれをビジネスチャンスとして捉えられる仕組みが必要である。なぜならその人が持ってるアイデアや知識が今までになかった新しいことを産み出すからだ。」と私はしばしば聞きました。

もしこれが正しいとするなら、これからの日本の政治や地方自治を考える上でも同様のことがいえるでしょう。つまり、日本に住む人みんなが、社会の問題点や、社会に不足している箇所を、または政府が予測出来なかったことを、同時にいる裁判員の感情、体験なども含めた具体的事例を通じて、感じて、学び取り、そしてその点に対して、自分の意見を持つことが必要です(もちろん全ての面で、ということではなくて、その人の興味のある面で、大丈夫です)。このことが司法制度改革審議会のいう『統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として・・・』であるということだと私は解釈しています。

そして、『・・・「この国のかたち」の再構築に関わる・・・』とあることから、また私の実感としても、現在の日本は変化の過渡期にある事は間違いないかと思います。そのさなかに私達が上記のような考えるきっかけを持つことは、主権を持つ私達にとって十分に意義があることだと考えます。

私は以上が、裁判員制度が社会の中で果たす役割であると感じています。

 

Bなぜここまで批判されるのか〜制度面の批判と私達の誤解〜

非常に批判の多い今回の司法制度改革ですが、今回私が注目したのは司法制度改革の、その意義にあります。なぜならここに裁判員制度に対する誤解が生じる原因が隠れていると考えているからです。

 おそらく「なぜあなたは裁判員制度が必要だと考えますか」と質問された時に、考えられる答えで最も多いのは「裁判に民意を反映させるため」だと私は考えています。

 しかしこの答えが、私達を誤った議論の方向へ向かわせている、私は今回の調査を通じてこのように感じています。

 なぜなら、この考え方は知らず知らずのうちに、「裁判官は敵である」という印象を私達に植えつけると私は考えているからです。

 「民意を反映させる」には、「裁判には民意が反映されていない」という前提が含まれています。また、[進勇太郎28] 民主主義の中で、国家権力に民意が反映されていないというのは、批判の対象となり、それは絶対悪として一般的には考えられていると思います。

 この前提から導き出される裁判員制度に対する印象は「裁判官は民意を無視している」というものではないでしょうか。この答えが私達にこの司法制度改革の本質を捉えさせるのを難しくしていると私は考えています(私の考える今回の司法制度改革の本質はもう少し後でお話しします)。

 裁判官[進勇太郎29] は敵ではありません(これは事実ではなく、意見です。したがってより適切なのは、私は模擬裁判員制度への参加を通じて、裁判官は敵ではないと感じましたという表現かもしれません。また、この私の意見で注意すべきは、私の会った裁判官は全て裁判所が用意した裁判官であり、人あたりのいい人を選んでいる可能性が高いことです。よってこの意見は私自身が体験した個別のケースに引っ張られて過ぎていると言う批判は避けられないでしょう。

ところで、この裁判官が敵か味方か中立の立場にあるのかについては一人一人がよく考えていかなければならないところです。なぜなら国家権力と国民や市民が対立するというのが、この発表前の私の考え方でしたし、そういった考え方を持っている人は多くいるはずです)。

 その証拠に一度でも裁判官にこの制度の問題点をぶつけて見たらわかると思います。例えば手続きの更新の問題、部分判決、そして評議のブラックボックス化、実はこれらは全て裁判官の裁判の運用によって解決出来ます、裁判官が問題点について十分に考慮している事はすぐに分かると思います。

 無論、全ての問題点において完璧な解決策が提起されているわけではありませんし、法律上は明らかにおかしな制度になっている箇所が多いかもしれませんし、法律で実際に保証されないと不安な面も多くあります。また裁判官も人ですから、様々な人がいるのは間違いなく、そのような彼らを一概に信頼できるのかという批判はあると思います(でもそれは陪審員だって参審員だって裁判員だって同じです。極論すれば隣の他人を信頼する事はできないということになります)[進勇太郎30] 

 しかし、それでも、彼らに意見を説得されたからといって、「民意を無視している」「よってこの制度に意義は無い」と言ってしまうのは、あまりにも乱暴であると思います。なぜなら民意の反映とは一方的なものではないと私は考えているからです[進勇太郎31] 

 裁判員制度の導入は「民意の反映」につながる一面を持っています。しかしその「民意の反映」という言葉自体が、この制度の批判へとつながる原因を生み、そして結果として制度への反対者を増やしていることは皮肉な結果です。

手続きの更新の問題は、補充裁判員を多く選出する事で回避出来ます。また最初の裁判員選出時にもこの点に留意する事は出来ます(ただし健康問題などあまり生活に深く立ち入って聞くと、プライバシーに関するところなので、難しいとは思います。また、長期に及ぶ審理が予測される場合は、最大6人と言う補充裁判員の法定上の上限を変える必要性も出て来るでしょう)。

 部分判決の問題は、裁判所がその運用について任せられているので、その運用は実際になってみないと分かりませんが、最高裁事務総局の判事は「部分判決はあくまで例外的という位置づけ」[進勇太郎32] と語っています。

 評議のブラックボックス化は、裁判官が公判の場でその評議の経過等を読みあげるだけで、回避出来ます。ただし、裁判官が、原告か被告のどちらかの不都合な事は述べないように配慮する可能性が在り、そういうことのおきないように評議の場で何を述べるかは話し合う必要があると私は考えています(こういったところは法律でしっかりと整備するべきだと考えています

 これらの解決策は全て不完全なものであることは確かです。しかし、裁判官のやり方一つでは解決できる道はあるという事は示せたと考えています。)

 

C司法制度改革の本質とは

 私は今回の司法制度改革の本質は、「裁判(官)と国民の関係」をどうするかということが問われていたと考えています。決して、「裁判にどのように民意を反映させるか」ではありません。

 それは司法制度改革審議会での「司法への国民参加の意義」について話し合われていたことからも、明らかです。

今までの裁判が民意とかけ離れていたどうかは私には分かりません[進勇太郎33] [進勇太郎34] しかし、国民が裁判所に対して注意をあまり払ってこなかったのは事実だと思います。

 その理由としては国民に理解できる裁判を行ってこなかった裁判所にも在りますし、その努力を行うことをしなかった国民にもあると考えています[進勇太郎35] 

 この現状は好ましくありません。なぜなら注意を払わないことは裁判所や法律が疎遠に感じることにつながり、それは裁判所の決定への無関心を引き起こすと考えられるからです。そしてその無関心は極論すれば国家による独善的な司法への可能性を高めることになります。またそこまでは行かなくても、私達が司法の決定に疑いを持つようになれば、判決の意義が薄れ、社会生活の秩序維持に支障をきたします(ただ、二割司法と呼ばれる現在でも、私達の周りには支障が生じていないと考えられるので、そんな事はありえないのかもしれません)。その結果として待っているのは法律以外の解決手段かもしれません。例えば暴力であったり、権力であったり、金であったり、もしくはメディアによる扇動かもしれません。いうまでもなく上記のものはチェックが効かなくなります(裁判所の判決が重んじられなくなると、です。裁判所の判決は、いくら強制力があると言っても、私達が判決自体にその意義や権威を認めるからこそ、意味があるのでしょう。裁判員制度を考える上で裁判員がいることでその権威を落としてしまわないかというところは裁判員制度を考える上で意味のある観点の一つだと思います)

 この状態は例えるなら、おそらくスラムのような、社会の、暗く、決して好ましいといえない面が表面化しているといえるでしょう。

 現状はここまでひどくありません。将来に至ってもその可能性は限りなく0に近いと思います。

 しかし、理想としては、裁判に国民が関心を持っているほうがより好ましいので、よって今回、最も単純に裁判に国民を参加させることに決定した、私はそう捉えています(実際は司法制度改革審議会では国民の司法制度への参加ありきで、話が進んでいたと言う印象を受けています。その根拠として、そもそも「国民の司法参加がなぜ必要か」というような議論が出ると、『「論点整理」のところにありますように、・・・国民の司法参加というものを考えていかなければならない。こういうことについては異論をさしはさむ人はいない・・・』と発言をして、それ以上深く突っ込んだ議論を出来ないような流れになっていたと感じたからです。)そしてそれは間違った方向へは進んでいないと思っています。

 

Dまとめ

 私はこの制度に賛成したいと思います。

 その理由としてはこの制度の社会的な意義の大きさを感じ取ることが出来たから、そして裁判員制度に対する不安は裁判官のやり方しだいで少なからず0に近づけられるからです。

 確かに裁判員制度は数々の問題点があります。しかし、実際には裁判官と共に合議することが、素人だけの合議を採用する陪審制のいきなりの導入よりも、そのリスクを全ての面で軽減していると考えられます。たとえば控訴審が裁判官だけで行うというのは、保険としての機能と考えれば決して悪いことではありません[進勇太郎36] (ただ、実際に控訴されたから全て裁判官だけの控訴審を行うかといえば、そうではないみたいです。地裁差し戻しだってあるだろうというように裁判官は述べていました)[進勇太郎37] 

 そして何より現状よりも、より良い世の中を考えていける制度だと思っています。

 国民の負担に関しては、やはり厳しいものがあるでしょう。その一方で体験した人の中には、裁判員制度の意義を感じることの出来る人がそう少なく無いと思います。この裁判員制度の意義をどれだけ、国民の間で共有できるかによって、裁判員の負担の感じ方は大きく変わってくるでしょう。そして、その意義は体験してみないと分からない一面があることは確かだと考えます。

今後、裁判員制度について日本の社会に求められるのは、裁判員制度に対してのありとあらゆる意見を出し続けることです。そうすることでたとえこの制度が廃止になろうとも、それは日本にとっては非常にいいことだと考えます(なぜかというと、この問題を考えることは、必ず民主的な価値について考えるきっかけになり、必ず行政に対する国民の姿勢を考えることにつながるからです。よって私は数年後にこの制度が廃止になっていても、それまでにしっかり意見が出ていれば、それは日本の未来にとって非常に良かったと断言できると考えています)

 この制度は使い込んで、改良を重ねて、より良い制度になる可能性を多く含んでいる、私は強くそう感じています。

 

参考文献

裁判員制度が始まる その期待と懸念 土屋美明

裁判員制度は刑事裁判を変えるか 伊佐千尋

裁判員制度と国民の司法参加 刑事司法の大転換への道 鯰腰溢弘

裁判員制度の招待 西野喜一

裁判員制度はいらない 丸田隆

5:番外編

 裁判員制度についてどのように考えましたか。

 私は今回、社会的な意義を重要視して、賛成の立場をとりました。裁判員に参加する側から考えた結果です。したがって裁かれる側から考えると、いろんな反論が出てくると思います。

 これは裁判員制度が現行の制度より優れていると言いきれないからこそ、立場が変わると、賛否が変わるのだと思います。

 実際に私が反対するなら、被告の観点から反論します。

それは例えば、国民とマスコミの関係について触れて、被告が感情的に裁かれると、マスコミの報道によっては判決に大きな影響を与える可能性がある、もしくは素人に裁かれるのはその裁判員の先入観に大きく左右されて、公平な裁判にならないといった反論をしていくでしょう(そして、それは可愛そうだと付け加えれば完璧です)。ただ、一応その辺も考慮に入れたつもりではいます。(おそらく被告人に言わせれば、私の意見は納得が出来ないものでしょうが)

 最後にこの制度の最大の私の懸念について述べます。それは裁判員制度によって裁判がワイドショー化されることです。それは、無罪のものを有罪にすることが良い検察官、有罪のものを無罪にすることが良い弁護士につながってしまうからです。このような法廷には正義は存在しません。

 裁判に民意を反映すると、裁判は私達の生活により、身近に感じられます。そのことが上記の問題を引き起こしてしまわないか、非常に心配です。

 

 

 

 



別紙資料

 

陪審制度の歴史

 その起源はイギリスです。もともとは国王が必要とする情報収集手段として1085年に創設されました。その最初の事例は検地帳です。この際の手続き、つまり自分の見聞きしたことについて真実を述べること、これが裁判に反映されて、陪審制度の基礎となりました。

 その後、様々な紆余曲折を経て、具体的にはその時々の権力者の支配に対抗するようにして、15世紀か16世紀には現在の制度へと発展したとされています。

 なぜ国王の情報収集機関が、国民を守る(賛成派の人たちは陪審制度をこのように捉えています。なぜなら国民は仲間であり、その仲間が出した結論は、仲間にとって不利になるはずはないからです)機関へと変化したのでしょうか。

 それはこの制度が「住民の代表」機関であるからです。つまり、陪審制度は地方における権力の交代を直ちに反映しうる制度であり続けたということです。地方権力が貴族からジェントリー階級へ移行するに連れて、陪審員の構成も変わってきました。さらに、複数の住民を参加させなければ陪審制度が成り立たない以上、より下層の住民を陪審員に加えざるを得なかったと実情があります。そのことが地域の利益を優先することにつながり、そして現在の陪審制度への変化につながったのです。

[進勇太郎38] そして、もう一つ陪審制を正当とみなす根拠があります

 それは、国家権力の圧政から国民(市民)の自由を守る機能があると主張されていることがあげられます。その機能は陪審に与えられたある権限に保証されます。その権限はジュリーナイフィケーションです。

 つまり理由を示すことなしに、無罪の評決を下すことの出来る権限です。それはたとえ、証拠とその法律に照らし合わせて、有罪であることが明白であっても、無罪の評決が出来ることにつながっています。

 現在では国家権力の圧政がなくなり、陪審制度には「立法府が当然払うべき関心をその法制度に対して払っていない国において、評判の悪い法律の適用を阻止する安全弁として機能している」といわれています(簡単にいえば破壊活動防止法が、その成立時に労働組合や知識人によって強硬に反対されたという背景が、現代においてもその法律を適用することを妨げていると似たようなことです。異なるのは、陪審員が常に司法の場に存在して、抑止力を保証しているという点で、絶対に異なっています)

[進勇太郎39] 

@)費用の問題

 裁判員、補充裁判員には一日あたり1万円未満の日当が支払われます。宿泊費は別途8700円(地域によっては7800円)が支払われます。交通費に関しては鉄道、船舶、航空料金は実費、(ただし急行や特急などの諸条件はあります)バス、タクシーにおいては1キロ当たり37円(ただし鉄道が無い区間ではこの通りでありません)が支払われます。

 かりに交通費を含めて、裁判員の日当が1日1万円とすると(東京だと離島じゃなければ泊まらないでしょうし、このくらいかなと私は考えました。なお裁判員制度のホームページには一定の時間刻みで日当が決まるとあるので満額はそうそうないと考え、交通費含めて1万円程度と考えました。また裁判書に行くのに交通機関が無いと答えた方は、全体の3.5%です。[進勇太郎40] この数値は最高裁判所が実施したアンケートによります)、裁判員は原則6人で、裁判の平均開廷日数は3.6日(最高裁判所の統計によります。公判前整理手続きを行ったものを対象としています)、裁判員制度の審理対象は約25003000件(裁判所の資料より)と見られているので、6万円×3.6×3000件=6億4800万円です。これが最低限の額ではないでしょうか。そこからさらに上積みされる事は容易に予想できます。その代表例は裁判所の施設整備などです。

 この金額について国民の理解を得られていないというのも反対の理由の一つになっています(ただし、この費用の問題を理由に裁判員制度に反対の声を挙げるのは、あまり支持されていないように感じています)。

A憲法問題[進勇太郎41] (別紙参照)

a)裁判員制度は違憲

@)公平な裁判所とは

 憲法第三十七条一項「全て刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」の中の「公平な裁判所」が裁判員制度でも「公平な裁判所」といえるかどうかが問題になっています。

 具体的には@-a-A手続きの更新 @-a-B部分判決 が行われた時に「公平」であることが保たれないのではないかと目されています。

A)裁判官の独立

 憲法第七十六条三項「全て裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあり、裁判員が参加する事でこの規定を侵すと考えられています。

 具体的にはある事件で裁判官3人が有罪、裁判員6人が無罪を主張した時に、評決は無罪となります。この場合裁判官の有罪判決は裁判員によって拘束されたと捉えられます。

B)国民参加の規定が無い

 他の国の憲法では明確に陪審、参審制度を導入することを妨げない文章があるというのがこの主張の根拠で、日本には無い事から、裁判員制度が違憲と主張されています。

b)裁判員になることで

@)思想・良心の自由が奪われる

 憲法第十九条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とあり、裁判員にいやいや参加すると、この規定に触れる可能性があります。

 例えば、どうしても死刑に反対の裁判員を、合議の結果、死刑にせざるを得ない場合に生じると考えられています。

A)苦役

憲法第十八条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」とあり、裁判員の参加はこれに反するという主張がされています。

裁判員に選ばれると、強制的に裁判所まで足を運び、裁判に立ち会う必要があります。これが「意に反する苦役である」と言われています。

また、裁判員には守秘義務があり、評議の内容、経過、多数決の際の数、また職務上知り得た情報は漏らしてはいけないことになっています(違反すると罰金または懲役です)。これも「苦役」に該当するのでは無いかと言われています。

 

 

 

 


 [進勇太郎1](今回は裁判員制度の概要、例えば裁判員になる資格、その辞退理由、その対象事件や、裁判員が何をするかについては触れていません。知りたい方は質問か、私の手元に昨年の川上君のレジュメがありますので、そちらをみてください。簡易版としては前週レジュメに掲載してあります。もちろんこの発表に関する部分でみんなが分からないようなところは本文中に解説してあるつもりです。)

 [進勇太郎2]これらのことによって裁判員制度は陪審制度へのステップであるという捉え方をする人がいます。しかし私は、これは間違いだと考えています。なぜなら、二つの間に関連性は無いことに加えて、決して裁判員制度より陪審制度が優れているなどと言いきることは出来ませんし、その逆も然りである、と考えているからです。さらにいえば、現行の裁判と、裁判員制度の関係も同じです 

 [進勇太郎3]その時々の社会的な背景を考慮して、適宜選択できることが本来ならば最も好ましいのです。しかし現実はそうはいかないので、それぞれの人がそれぞれの価値観や体験から、結論を導き出しています

 [進勇太郎4](本来ならば、後者の価値観は疑っていかなければならないのですが、それは手に負えなくなってしまいそうなので、今回は考察していません。)

 [進勇太郎5]この辺の法律論は裁判員土屋p171
刑事裁判の原則はp182

 [進勇太郎6](それでも認める人は認めて大丈夫です)

 [進勇太郎7]つまり、それぞれにより好ましいと思う司法制度があります。よってある点では反対派の中でも、意見の相違がありますし、賛成派の人と意見が一致する点もあります。
 ただ、今回はそれを厳密に区切っていません。裁判員制度に反対する意見とまとめてしまっています。よって反対意見の一部は賛成派の意見と重複する箇所があります。

 [進勇太郎8]裁判員(西野)

 [進勇太郎9]裁判員(西野p105

 [進勇太郎10]裁判員土屋p203
に併合罪

 [進勇太郎11]裁判の違憲とも合わせて(西野p107

 [進勇太郎12]ただ、法律の問題なんかは公判でやるベシという意見もあって、この辺は実際に運用してみないと分からない

 [進勇太郎13](おそらくですが、裁判官が裁判員に発言して欲しいのは、この国民感情または市民感情の部分であると私は思います。)

 [進勇太郎15]最高裁のアンケート

 [進勇太郎16](しかし、大企業はそこまで後ろ向きではないとは思います。実際に模擬裁判員制度では企業の総務課の人が勉強のため参加していました。
問題は中小企業での制度整備はどこまで進むかというところでしょう。2005年の「報道特別番組 あなたが裁く2〜裁判員制度は機能するか〜徹底検証」の行った中小企業へのアンケートでは「裁判員制度での欠勤を有給に出来るか」という問いに対して、「経営上難しい」が44%を占めました。これは大企業に対する、中小企業と同じ問いへの同じ答えが7%であることに比べたら厳しい数字です。
大企業の人ばかりが裁判員制度に参加するとなると、格差に対して新たな火種を生むことにつながりかねません。なぜならこの制度は国民の民意を反映する制度であるという認識がある以上、そこに会社規模による参加・不参加の問題が生じると、納得の出来ない人が出ると考えられるからです。すると、中小企業の分の損失補てんは社会全体で行う必要が出てくるかもしれません。
また、有給の扱いが正しいかどうかはまた考えなければなりません。社会人の中には有給は自分の休暇のために使いたい人もいるでしょう。そのような人が裁判員に選出されると、裁判員に真面目に取り組むかというところに疑問を感じるからです。)

 [進勇太郎17]最高裁のアンケート
カット候補 別紙 

 [進勇太郎18]必ず争点なのでまとめる

 [進勇太郎19]日本でもなりました

 [進勇太郎20]ここで憲法論をやってもしょうがない

 [進勇太郎21]もう少し具体例

 [進勇太郎22]その前に抑えておかなければならない点があります。先に述べた通り、裁判員制度は世界初の制度です。よって当初からあった概念ではありません。そこでここでは、陪審員制度と戦後の司法制度の観点から流れを追っていきたいと思います。

 [進勇太郎23]具体的には・・・のが適切?

 [進勇太郎24]機能しない理由は裁判員に選ばれながら、その義務を懸命に履行しないだろうと予測されるからです。
 

 [進勇太郎25]かっとしました
特に経済において顕著だと感じています。市場に任せれば、いい方向に向かうというのは

 [進勇太郎26]別紙作成

 [進勇太郎27]私達のグループでは、相談に乗ってくれない父親のせいで、母親が子育てに非常に追い込まれているという認識を持っていました(形成しました、もしくは合意に至りました)。そこで札幌から来た母親はもしかしたら、友人もいないかも知れない、誰か話せる人はいたのだろうか、そういった思いを持ったから、上記の発言が出たのだと、私は考えています。

 [進勇太郎28]また、それは悪として考えられているくらいでいいかも

 [進勇太郎29]検察官も は削除

 [進勇太郎30]論理的におかしい?裁判官だけの時と、裁判員と一緒にいる時をごっちゃにしてる?

 [進勇太郎31](例えば先ほどの引用部分は裁判員制度を批判する上で、非常に良く見かけます。そしてそれを裁判官による民意が反映されていない具体例であると書きますが、それは誤解です。なぜなら今までの裁判の判例を無視して、新しく判例を出すことが民意の反映ではないからです。たとえそれが民意であったとしても、今までの判例にとらわれない判決は私達の不利益になる可能性を多く含んでいます。なぜなら裁判所は「多数の利益の代表では無い」からです。また、特に争点2は法律の部分です。そもそも私達が裁判に民意が反映されていないと考えていた部分は量刑の部分のはずです。それにも関わらずこの法律の解釈の箇所で民意が反映されていない、それどころか誘導されている、よってこの制度は無意味であるというのは大変乱暴な理屈です。)

 [進勇太郎32]裁判員制度が始まるその期待と懸念p109

 [進勇太郎33]皆さんはどう考えますか。裁判所の下した判決について、不満を持った事はありますか。私はありますが、それが民意といえるかどうかは私には分かりませんでした。むしろ意見の相違という方が適切であると感じています

 [進勇太郎34]今回調べた上で、一つだけあったのは自動車運転過失致死傷です。しかしこれは立法の遅れであって、判決には問題がなかったと指摘する人もいます)

 [進勇太郎35](そのための時間がなかったのならそれは立法にも行政にも責任がありますし、それが出来るだけの頭がなかったなら、それは教育問題ともいえるのかもしれません。ただ私の結論として、この問題に関しては裁判所や弁護士の責任は非常に大きい、そして国民の態度に問題があったということが大きな割合を占めることはまちがいないと考えています)。

 [進勇太郎36]裁判員土屋p209
控訴審の意義
ミランダルールp219

 [進勇太郎37]もう少し補強

 [進勇太郎38]このへんは別紙

 [進勇太郎39]カット

 [進勇太郎40]最高裁のアンケート

 [進勇太郎41]カットしてよい