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中村祐司「北京五輪と四川大地震―政策状況の激変から見えてくるもの―」
1.北京五輪をめぐる「環境基盤」形成のうねり
5月12日の四川大地震を契機とした北京五輪を取り巻く政治環境の大変容は、今までの五輪史上、そしてこれからの五輪でもおそらく類を見ないであろう特性を有している。
大震災というのは国外諸勢力の協力の獲得につながり、国内の統一や団結を促し、五輪成功への逆バネとして作用する機会になり得るという意味では、国家社会一般に当てはまる普遍的法則を持つものかもしれない。しかし、ここでいう「類を見ない特性」とは、たとえ偶発的であれ、そのタイミングとそのインパクトないしは政策的揺れ幅があまりにも大きかったことを指している。
チベット騒乱を契機とした国際ルートにおける聖火リレーの混乱は、日本の長野に限らず、行く先々で火種をまきちらすかのような様相を呈した。「たかが聖火、されど聖火」が複数の国家間摩擦のレベルにまで至ったのである。
ところが、四川大地震(その後の数日間)を契機とする中国政府・北京五輪組織委員会の国内外に向けた対応が、国内の民意と国際社会の視線を対極から対極へと変えた。そこには甚大な被害に対する同情論や、批判の矛先を回避しようとする中国政府の意図的転換戦略としてのみでは把握しきれない、新しいポジティブなうねりが生じている。
もちろん、中国内聖火リレーにしてもチベット自治区(ラサ)における厳戒態勢が示すように、治安の問題が解決されたわけではないし、主要競技施設が集中する北京市内においてもそのことは同様である。大震災以前に国際社会が批判の矛先を向けた、環境問題、食料問題、運営の不透明性、取材制限、コピー用品市場など知的所有権の問題、都市開発に伴う立ち退き問題、エリート選手引退後の待遇問題・・・・・・など、山積した課題が今回の状況激変によって雲散霧消するわけでもない。
しかし、数々の難題への直面は、中国に限らず、五輪開催国・都市に必然的に伴う類のものではないだろうか。13億人の人口を単一の中央集権政党・政府が統治することの抽象論レベルでの是非はともかく、現実に直前に迫った五輪を下支えする国内外の「北京五輪環境基盤」が、ポジティブな方向で形成へと向かっている事実は明らかである。したがってこうした新現象に注目して、新聞報道からいくつかの素材を取り上げていきたい。
2.四川大地震後の開かれた中国政府の対応
「中国と世界を一枚岩にした」[1]といわれる四川大地震(5月12日)の死者・行方不明者は8万6,600人を超え、負傷者は37万4,000人以上に及んだ。中国政府は海外からの支援を受け入れ、日本の「国際的緊急援助隊」は一番乗りした。一時は救援物資輸送のための自衛隊派遣も報じられた。
こうした連携が小泉政権・安部政権時代には考えられなかった方向で日中関係を好転させている。大震災による甚大な被害が海外からの支援受け入れの直接の動機ではあるものの、同時に五輪を前に「開かれた中国」を演出したい政府の強力な意図が存在する。「天変地異の時こそ、国家の能力が最も試され、民族の心が最もはっきりと示される」という指摘もある[2]。
また、中国政府は世論対策として、「ブッシュ政権がハリケーン、カトリーナ対策で失敗し、国民が反発した教訓」を生かしているともいわれている[3]。
3.聖火リレーをめぐる役割の大変容
5月12日以後は聖火リレーの果たす性格が変容した。「大惨事からの再起の願いを込めて国家への求心力を高める」役割が加わった。当初、北京五輪組織委員会は、国際オリンピック委員会(IOC)が700万元(約1億5,000万円)の災害支援金を拠出したことで事足りるとの立場を取った。しかし、トーチを手にした走者が笑顔を振りまく姿が国民を刺激し、「聖火リレーを中止し、節約した経費を救援活動に回せ」といった非難がインターネット上に溢れる結果となった。
組織委は13日午後になって「一転、歌や踊りに彩られた式典の簡素化やスピーチの短縮などの規模縮小を決定」し、「黙祷をささげたり、ルート沿線に募金箱を設置」したりする運営の転換を行った[4]。5月19日から3日間聖火リレーは中断され、犠牲者を悼む「全国哀悼日」が設定された。
震災後、「被災者支援を通じた団結強化、愛国心発揚」という新たな任務が政府に加わった。「自粛モード」に変容した聖火の「政治的価値」は形を変えて継続された[5]。聖火リレーをめぐる性格が「反中国」から「愛国」を経て「被災地との連帯」へと変化したのである。
4.“五輪シフト”への移行
一方、主要メディアに対して中国共産党は「五輪の雰囲気を盛り上げるような報道を多くするよう」通知を出した。中国内では「被災した子どもを聖火の点火者にすべきだ」「開会式の演出に震災の要素を加味すべきだ」といった声も挙がっている。しかし、「復興を前面に押し出して政治的な意図があからさまになる」と批判が復活する可能性がある[6]。
この点で、中国指導部は6月13日、北京で共産党中央や国務院(政府)、各省の幹部を集めた会議を開き、四川大地震対策と同時に「被災者の生活を安定させることが五輪成功へのよい雰囲気づくりになる」として、「五輪シフト」(政策の最重要の力点を五輪へ置くこと)を打ち出した。
このことは、「五輪以上に国民に身近で関心の強い問題」となった「震災対策」と「五輪」との連結・両立からの転換姿勢を示している。しかし、「五輪開会時も数百人規模で仮設住宅にも住めない避難民がいるのは確実」な状況であり、「被災者感情を軽視した華美な五輪」が指導部批判として跳ね返ってくるおそれもある[7]。
5.北京五輪の歴史的位相
中国政府が被災地の情報を積極的に公開したために、「国内外に連帯の輪」が広がり、五輪が成功すれば、政府内穏健派の柔軟路線がさらに続くという指摘がある。反欧米的なナショナリズムが国内の被災者救済の輪に転化した。日本や欧米の救援に対する歓迎は、今後の中国の外交や将来にポジティブな影響を与えるという見立てである。改革開放30周年を年末に控え、政治改革を含む「新改革プログラム」の発表を予想する向きもある[8]。
五輪とその後の国家体制の変動を歴史的展開として位置づける指摘もある。ベルリン五輪(1936年)の9年後のナチス・ドイツ崩壊、モスクワ五輪(1980年)の11年後の旧ソ連解体がそれに該当するとした上で、「報道を統制し、民主化が遅れていた国で開催された五輪の後は大きな変動が待っていた」とする。したがって四川大地震で内外のメディアに認め始めた「報道の自由」をさらに大幅に拡大し、透明性を高めることで民主化をすすめることで歴史の教訓から学ぶべきだとする見解である[9]。
6.五輪をめぐる政策状況の激変から何が見えてくるのか
第1に、最初に北京五輪をめぐる「環境基盤」の形成と述べたが、それは強固さと脆弱さを合わせ持った微妙なバランスのもとに成り立っていることが分かる。北京五輪運営の成功にはあらゆる局面で、内在的であれ外在的であれ四川大地震を意識的にどう大会運営に刻印していくかが問われるからである。華美なスポーツ祭典の極地ともいうべき五輪と、多数の生命を奪い生存者には日々の試練を与え続けている大震災との「両立」という、そもそも相矛盾しかつ振幅(ぶれ)が許されない国家的難題をどう克服していくのか。意外かもしれないが、中国政府の選択肢は限られていると見てよいのではないだろうか。
第2に、「環境基盤」形成に至り、これを継続するコアとなる原動力は、ボトムアップ型の新しいボランタリズムの広範な出現にかかっているのではないだろうか。中国ではボランティア活動の歴史が浅い分だけ、五輪を契機に国外からの選手や観戦客らから実践的な刺激を受けることで、準備段階での上からの動員型の力がそのまま下から上へのベクトルに転換する可能性がある。これとは対照的にスポンサー企業を中心とする五輪市場の囲い込みは、市場が提供するサービスに対する国民の消極的で受動的な顧客主義をさらに助長するのではないだろうか。
第3に、こうした「環境基盤」の形成を何とかポジティブなグローバル社会の形成へと連結できないだろうか。ここで「地球市民」「世界民主主義」といった崇高な理念レベルのキーワードについて吟味するつもりはないし、素朴な「平和」論にすがるつもりもない。そうではなく、人間が地球上に生き続ける存在である限り(来るべき国際宇宙ステーション実用化時代はともかく)、声高に他者(他国家)への敵視や一方的批判のみを展開するオンパレード論者は、その時点で「清濁併せ呑む」ことでは共通する自国と他国との関係性をめぐる思考を停止させていることになる。
その意味で、「日中も友好という原点に立ち返って、わずかずつでも共生の実践を重ねていくしかない。その試行錯誤が我々を鍛え、子々孫々に平和への希望を伝える唯一の道のようだ」[10]という指摘に賛同したい。
[1] 2008年6月19日付産経新聞「五輪の中国 四川衝撃」。
[2] 2008年6月15日付日本経済新聞「中外時評 大地震は中国を変えるか 災い転じて報道の自由を」。
[3] 2008年6月22日付下野新聞(共同通信記事)「五輪の風 世界が見る中国 四川大地震で透明性 米メディアの好感度アップ」。
[4] 2008年5月15日付産経新聞「四川大地震 愛国主義へ『活用』 五輪聖火リレー 規模縮小し継続」。
[5] 2008年5月18日付読売新聞「四川大地震 聖火 新たな『政治的価値』 逆境下で団結の象徴に」。
[6] 2008年6月19日付朝日新聞「地震が変えた緊張関係 国際社会の批判下火 政府、盛り上げ図る 『連帯』の火に」。
[7] 2008年6月15日付下野新聞(共同通信記事)「“五輪シフト”を指示 胡指導部、震災対策と連結」。
[8] 2008年6月8日付毎日新聞「四川大地震 識者に聞く 五輪の成否 将来を左右」。
[9] 2008年6月15日付日本経済新聞「中外時評 大地震は中国を変えるか 災い転じて報道の自由を」。
[10] 2008年6月19日付朝日新聞「四川大地震 救援活動に見た友好の原点」。