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日本の介護について~老老介護の実態を探る〜

 

老老介護とは

 

高齢者人口を見てみると、日本の65歳以上は2,190万人で、総人口比率比17.3%となっていて、過去最高を記録している。男女別では、男性913万人、女性1,277万人で、女性は男性の1.4倍で、85歳以上では女性が男性の約2.5倍となり、高齢になるほど女性の割合が高くなっている。なお、2,190万人のうち、70歳以上は1,481万人、75歳以上は893万人、80歳以上は483万人で、85歳以上は223万人になっている。海外との比較では、調査年次に相違はあるもののスウェーデン、イタリアが17.4%で最も高く、ギリシャが16.7%、ドイツが15.9%、イギリスが15.7%、フランスが15.6%などとなっていて、日本は3番目に高い水準である。だが,7%から14%に達するのに要した年数をみると、スウェーデンでは85年、イギリスでは47年、フランスでは115年を要しているのに対し、日本の場合、1970(昭和45)年の7.1%から1994(平成6)年には14.1%となり、所要年数はわずか24年となっている。[1]

 
このように急速に少子高齢化が進む日本で今問題になっているのは「介護」「年金」「労働」などすぐには解決のめどの立ちそうにないものばかりである。

 

その中でも私が興味を持っているのは「介護」に関する問題である。高齢者が増えるということは、介護が必要になる人も増えるということである。これからの未来、私は親族の介護をしたり、もしくはそれを職業として行うことになるかもしれない。そこで現在の介護の実態や問題点を知りたいと思った。そこから何らかの解決策を見つけられればいいと思う。

 

介護保険導入後、厚生労働省が初めて実施した「平成12年介護サービス世帯調査(概況)」[2]の結果が発表された。現在の日本の介護者の年齢別割合40歳未満の人が3.5%、40歳〜49歳の人が12.3%、50歳〜59歳の人が28.9%、60歳〜69歳の人が23.6%、7079%の人が17.1%、80歳以上の人が5.8[3]となっており、50歳代が約3割で最も多いものの、60歳代以上の割合が約半数であり、「高齢者が高齢者を介護する」という「老老介護」に直面している人が多いことが浮き彫りになった。

 

 

老老介護の問題点

 

老老介護の問題点は、介護する側の負担があまりにも大きいことである。

 

例えば2006年は、介護疲れによる殺人・心中事件が30件を超えた。しかも、加害者の7割が男性[4]である。その中でも気になる事件がある。神奈川県藤沢市で2006年夏、「老老介護」の末に寝たきりの妻(74)をバットで殴打し、ノミのようなもので胸を突き刺して殺害したとして、3月に殺人罪で懲役3年の判決を受けた男性(74)が、判決後わずか1週間で死亡したという事件である。記事によると、判決の日、車いすの男性に裁判官が語りかけたが、反応はない。男性はがんに侵され、認知症でもあった。置かれた状況を理解しているのか、記者が見ていて心もとなかったそうだ。大工として家族を養い、まじめに生きてきた男性。妻は事件の2年前から寝たきりとなり、夫は献身的に介護をしていたそうだ。拘置所で息を引き取ったのかと思うとやりきれない。判決によると、子供たちが介護の援助を申し出たが、男性は「迷惑をかけられない」と受け入れなかったそうだ。[5]それでも子供たちはヘルパー派遣の契約をしたといい、家族の苦労も容易に想像できる。

もう一つ、老老介護が引き起こした悲惨な事件を紹介しよう。

「薄氷の老老介護 結末は殺害」こんな見出しのついる200717日に起こった事件についての記事だ。介護疲れの末、実の父を殺してしまった男性についての記事である。[6]脳梗塞で倒れた91歳の男性の父を85歳の男性の母が献身的に介護していた。母が父をみる「老老介護」の家族だったが、ケアマネジャーからみればそれほど介護疲れしている家庭ではなかったらしい。その生活が母の入院で一変する。リウマチを悪化させ、母は年末に救急車で運ばれた。母が要介護度3と重い状態に陥った。それから母に代りその男性が介護をするようになった。男性は父を介護施設に入所させようとしたが、どこにも空きがなかったらしい。三度の食事を長男がつくる。薬とともに食卓に並べ、そのつど後片付けに立つ。掃除、洗濯、買い物…。風呂や着替えの介助、父の寝床も整えなければならない。風邪をひいた父が尿を漏らすたび下着を替え、床を拭き、汚れ物を洗わなくてはならない。夜遅く、やっと自分の時間ができたが、疲れ切ってすぐに寝てしまう。母の見舞いもある。建築設計士の仕事も放っておけない。徐々に追い詰められた男性は、ついに父を殺してしまう。「私が入院したのが悪かったんです、私が」痩せた肩を震わせながら懸命に息子をかばう母、「介護に疲れました」介護に追い詰められ疲れ切った息子。これらの事件は防ぐことはでけなかったのか。

 

このような事件のコメントからは、必ずといっていいほど「懸命に介護をしていた」という家族像が浮かび上がる。一生懸命介護をする家族ほど、介護に追い詰められやすいのだろうか。「老老介護」では、34割の人が「死にたい」と思ったり、軽度のうつ状態になるといわれる。「老老介護」の現実はきびしいものである。

 

 

これからの日本を考える

 

 老老介護」に的を絞って調べてみたが、日本の介護問題はこれだけにとどまらない。例えば高齢者の独居率が急激に増加していて、介護サービスが追いついていなかったり、介護者による老人虐待があったりするのだ。「老老介護」に限らず介護をする人にとって一番不安に思っていることは肉体的・精神的負担だが、「経済的負担」「適切なサービスが受けられるか分からない」などという要因で不安を感じている方も多いようだ。[7]官民のどちらの介護サービスもずいぶん整備されてきているが、すべての人がその恩恵を受けられるとは限らないのだ。医療制度や介護保険、生活保護といった弱者を支える制度に改革の風が吹き寄せているが、「制度」にあおられても、必ずしも人はSOSをうまく発せられない。老人ならなおさらそうであるはずだ。その思いを社会がくみ取れないとき、悲劇は生まれる。介護殺人、餓死、虐待…。支える力は十分だったのか。社会の片隅で起こった事件をしっかり見つめなくてはならないのだ。

最後に「老老介護」が、急速に高齢化する日本から消えることはないだろう。むしろ増えつづけることになる。そんななかで社会は何ができるだろう。長年一緒に連れ添ってきた妻や、自分を育ててくれた親を最後の最後まで介護して、そして殺してしまう…そんな悲しいことがあってはならないのだ。国が莫大な費用を投じている介護福祉分野。それでも「サービス」の手が届かない社会の隙間では老いた体で懸命に配偶者を介護する人間がいるのだ。その隙間を埋められるもの、それは「人との繋がり」ではないかと考える。家族の繋がりはもちろん、地域の繋がりがあれば、たとえ公的な介護サービスが受けられない場合でも介護の負担を一人で負う必要がなくなる。「老老介護」の裏側には現代の家族の、そして地域の繋がりの希薄さといった要因も隠されているのだ。今一度自分と自分を取り巻く人たちを見つめなおし、よりよい関係を築く努力を怠らなければ、私たちが介護する側、もしくはされる側になったときにこのような事件は減っているだろう。



[1] 総務庁統計調査;2000年9月15日現在推計

[2]全国の在宅生活において手助けや見守りを要する40歳以上の約4,300人が対象、20006月実施

[3]厚生労働省「平成12年介護サービス世帯調査の概況」2001

[4] テレビ朝日報道ステーション;2007119日放送内容より

[5]毎日新聞 2007510日付

[6]京都新聞

[7]生命保険文化センター「平成13年生活保障に関する調査」