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三上愛未  「貧困問題を考える  〜フィリピンにおける臓器移植〜」

 

 

「貧困」という言葉を聞いて皆さんは何を考えるだろう。日本では、毎日食べモノがないほど苦しんでいるという人が身近にいるわけではない。私たちにとってあまり実感のない言葉だろう。私もフィリピンでの臓器移植について知るまではそうであった。フィリピンでは貧困層の人々の中には臓器売買によってお金を稼いでいる人もいるという。そこで私は、自分の臓器を売ってまで稼ごうとするフィリピンの人々の貧困の様子を考えてみようと思う。

 

 

1.          フィリピンでの貧困の様子と臓器移植

 

「貧困層」とは、スラムやスクオッター地区の小さな部屋に67人で住み、食事は11回ないし2回。子供を学校へやる経済的余裕も全くなく、定職について安定した収入がない人たちのことを指す。また、母子家庭が多いのも特徴である。彼らは経済的理由で十分な医療を受けられないという問題がある。民間療法に頼ることが多く、医師による医療ミスがあったとしても訴えることはない。ここにも裕福な方の特権があるのだ。一番の問題は中絶である。妊婦は闇で売られている中絶薬を服飲したり、医師ではない人間にやって腹部を圧迫させられたりして堕胎する。そのため障害児が生まれ、妊婦が命を落とすこともある。貧困家庭では、子供達も家事や親の手伝い、働く人も多いため障害児は迷惑になると考えるケースが多い。つまり役に立たないとみなされる障害児は、親に放置され無用の重荷と見られるケースが多いのだ。更に、貧困層に特徴的なのは睡眠薬の服用である。空腹を抑えるために自ら睡眠薬を飲み、シンナーを吸うひとが多いのだ。そのため、脳に障害が出る場合や、意識が朦朧としたまま道路に出て事故にあう場合が多い。十分な医療が受けられないので、そのような人の数は減らず、家庭でもほったらかしの状態になる。だからいつまでもなくならない。まさに悪循環である。

 フィリピンは表では高層ビルが立ち並び、モールには人が溢れ、幹線道路でも車が溢れている。首都圏は排気ガスでいっぱいであるが、一歩道路から踏み入れた地区は、全く整備されていない下水、衛生観念もなにもない地区が広がっている。塵を拾い、生計を立てている者もいる。ここでも貧富の差が激しいことが分かる。

「二つあるものは一つ売る」(2007529日付 朝日新聞)これは実際、貧困層の人が考えていることだ。例えば、二つある腎臓は一つなくなっても生きていくことはできる。それならば、一つ売ってお金にした方がいいのだ。

2007210日フィリピンの保健省が公聴会を開き、生体腎移植制度案の導入を決めた。これは、腎移植を希望する外国人患者に対し、一定の条件を満たせば腎提供を認めるという制度だ。これは、臓器提供を増やすことが目的ではなく、闇で売買をする自国民の保護であるとしている。制度の導入によって、日本をはじめ多くの国々の移植希望者が殺到することが予想される。フィリピンでは、(1)臓器提供者への生活支援費(2)別のフィリピン人患者一人分の移植代(3)入院・手術費を合わせ、約600万円である。海外で腎移植をした場合、約1600万円かかるのだから希望者が増えるのは当たり前である。また、1970年代からすでに移植が盛んだったフィリピンでは、設備や技術がしっかりしている。同じ移植の多い中国よりもアフターケアが良いといわれていることも移植希望者が多い理由だろう。このように日本での臓器不足が深刻な中、貧困層の人たちの提供が続くフィリピンで腎移植は盛んであるのが実態だ。

 

 

2.          臓器移植のメリット,デメリット

 

移植のメリットは、日本などで臓器がなく困っている患者さんの命を救える可能性があることである。命が助かるということは、何も悪いことではない。また、臓器提供者にとっても、その多くがお金に困っている貧困層なため、お金をうけとることができるというメリットもある。デメリットは、いくら安全と言っても100%ではないので臓器提供者が命を落としてしまう場合があることだ。制度案を導入したことで、臓器売買が安易に行われてしまうのではないか、本当に闇取引を防ぐことができるのかなどという問題もある。

 

 

3.          貧困と闘う

 

以上から、私は臓器移植が良い悪いよりも、フィリピンの貧困層を救う対策を考えていかなければならないと思う。フィリピン政府は生体腎移植制度案の導入を決めるよりも、現実に多くいる貧困層の人々を救う、お金を得られる仕事を紹介する法案や扶助などの具体的な対策をしていくべきだったと思う。今、貧困者が多くいることは確かに分かる。しかし、いくらお金がないからと言ってもこの世に生まれてきた自分の体の臓器を安易に売ってほしくないと思う。確かに臓器をまつ患者さんにとっては生きられる可能性が広がるわけであり、ありがたいことかもしれないが、その一方で臓器を売ってしまった人は自分の命の一部を軽視しているように感じる。

 逆に考えると、自分の臓器を売らなければ生活していけないぐらい貧困であり、その問題は深刻であるといえる。今、その問題を真摯に受け止め、真正面からぶつかっていく必要があると思う。第一に、国民全体が富裕層と貧困層との格差が大きいことを理解しなければならないと考える。理解することで貧困で闘う人の問題を考え、自分たちのかかわる問題だと認識できるのではないだろうか。自分に身近な問題だと考えることができるようになれば、そこから生まれた様々な意見を訴えていくことや対策を練っていくこともできると思う。第二に、そのような意見が出た場合、政府がどれだけ具体策を出していけるかだと思う。深刻な問題であるため、何か政府の援助なり、協力がないと解決していけないと考える。

私は、腎臓器移植の問題が世界に広まり、フィリピンの貧困の状態が深刻であることが多くの人に知られて良かったと思う。切り口は臓器移植かもしれないが、その背景にある「貧困と闘う人々」のこともぜひ多くの人に考えてもらいたい。

 

 

4.          フィリピンのこれから

 

現在、富裕層と貧困層との格差が広がっているフィリピンである。これらの格差を縮めていくことが必要だ。私は、実際フィリピンを訪れたことはないので街の人々の様子が本当はどのようなのかが分からない。しかし、生活自体が困難である人たちが多くいることは理解することができた。私がいま、フィリピンの貧困層の人たちをその問題から直接的に解決することはできない。私がいまできることは、これらの問題を理解し、ほかの側面からも問題を見ながら自分が不要になった文房具を送ったり、募金に参加したりすることだと思う。同じアジアに住む人々の中で貧困に苦しんでいる人たちがいることを私たちは忘れてはいけないと思う。

 フィリピンはこれから貧困の問題を解決していかなければならない。私は、どのように解決されていくのか注目していこうと思う。そして、そこから私にできることを探していきたいと思う。「貧困」という言葉を深刻に受け止め、少しでも問題を考えていくことが必要だ。[i]



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[i] http://scrapbook.ameba.jp/zouki2_book/entry-10025008020.html (フィリピンでの臓器移植 フィリピン臓器移植の実態)

http://blog.goo.ne.jp/pp_agadmnl/e/7196034146891d7be595595d9f97d447  (マニラ りぱぶっりく狂笑国 フィリピンの貧困層)

200722日付 読売新聞

http://cuttlefish.at.webry.info/200703/article_1.html  (フィリピンの臓器売買合法化の動きをどう考えるか 三余亭 ウェブリブログ)