060137H 砂川将弘

 

ジェノサイドとは、

 

 

「ジェノサイド」ということばの意味を私は知らなかった。調べてみると、[ある人種・民族を、計画的に絶滅させようとすること。集団殺害。集団殺戮(さつりく)(yahoo辞書より)]とあった。そして私はある授業でこの言葉と出会い、最も酷いとされるジェノサイドと出会った。ルワンダ内戦。それはたった三ヶ月で100万人が殺されたという事件だった。私は何故これほどまでに大勢の人間が死んでしまったのか不思議だった、大きな国同士の戦争ではなく、内戦によって。この事件について、調べてみることにした。

 

 

ルワンダ内戦

 

19944月アフリカの中央に位置する小さな国で大虐殺が起きた。

ルワンダは最初ドイツの植民地でその後ベルギーのものになり、1962年に独立。以後ツチ族によって支配されていたが、それに反対する多数派フツ族によるクーデターが73年起こり、立場が逆になった。それから権力を持ったのが大統領のハビャリマナだった。彼は独裁政治を行ったので、これに対抗すべくツチ族はルワンダ愛国戦線(RPA)を結成し、ハビャリマナ政権にたいする反政府運動は活発化する。内戦のきっかけは、9446日に起きた大統領暗殺だった。この事件の犯人をフツ族急進派はツチ族だと決めつけジェノサイド(虐殺)は開始された。

 

 

二つの民族

 

フツ族:ずんぐりして丸顔、肌が黒く、鼻が平ら、唇が厚い、顎が四角い。

ツチ族:痩せ型で顔が長い、さほど色黒ではない、鼻は細く、唇は薄く、顎は尖っている。

ただ、人種間結婚もされていて、見た目での区別は困難。

もともとは別々の場所からの移民であったが、時がたつにつれ同じ言語を話すようになり、同じ宗教を信仰するようになって、境界なしに小さな丘に混住した。だが、フツ族の土地にツチ族が入植するようになってから小さな争いが生まれるようになり、それを入植後ドイツ、ベルギーがこれを煽り、ツチ族は高貴、フツ族は野蛮であるという神話を広めることで両民族は大きく対立し始める。

 

 

 

20世紀最大のジェノサイド

 

衝突の兆しは少し前から起きていた。89年に大統領は外国からの圧力により、複数政党制導入をすすめなければならなかった。今までは独裁政治が続いていた中で、この改革を大統領は望まなかった。それの少し後、ルワンダ愛国戦線がハビャリマナ政権に対して宣戦布告。大統領はこれを利用して、すべてのツチ族はRPAの味方であり、自分と違う考えを持ったものも敵と見なした。これによりツチ族はもちろん、穏健派フツ族も殺された。このときからすでに虐殺ははじまっていたのだろう(厳密にはもっと1973年より前からかもしれないが)。国内では国民を扇動するかのような新聞が発行され、さらにラジオでも「俺たち対奴ら」という虐殺の下地をつくっていた。

この新聞もラジオも実は大統領の意思とは別に、その夫人が指揮して行われたことだった。彼女は独自に宮廷内にアカズ(小さな家)とよばれるものを作り、各権力者や一族を集めた組織をつくり影で力を持っていた。また、アカズに歯向かったりした人は、正確な理由は分からないが何らかの形で死んでいた。

93年にアルーシャ協定(和平条約)によりこの戦争は一応終結する。RPAは政治闘争での勝利を目指していたので、すごい進歩だった。条約署名の4日後、千の丘の自由ラジオ(PTLM)が放送を開始した。このラジオ放送こそ、国民最も扇動したものだった。

 944月頭、大統領暗殺予告が新聞に掲載され、6日夜、その通りのことが起きた。PTLMRPAと国連平和維持軍を犯人と名指しした。国連軍は89年からの戦争時からルワンダにいたが、与えられた権限は非常に小さなもので自衛権しか持っておらず、目の前で虐殺が起きていても見ていることしかしなかったPTLMは時に正確な政治予報になったので、人々に与える影響も大きかったようだ。大統領暗殺から一時間足らずで、首都キガリでは道路にバリケードが張られ、道端で人が殺されはじめた。7日明けごろ、野党指導者が襲われ、それを救出にいったベルギー兵も殺されるという事件が起きたが、それでも国連軍はほぼ無抵抗だったそうだ。