050622 Tanaka

 

憲法第9条とその改正をめぐる日本と米国の関係

 (宇都宮大学国際学部国際社会学科1年) 田中日香理

 

1.憲法改正とは

 

日本国憲法の改正をめぐる議論のこと。日本国憲法は1947年に施行されて以来一度も改正されたことがない。飛鳥時代に制定された大宝律令が奈良時代に養老律令として一度改正されたことがあるだけ。もちろん大日本帝国憲法も改正されたことなし。

 

改正の論点は、主なものは第9条と自衛隊をめぐるものである。他にも基本的人権の強化、民主主義の強化、地方自治の強化、天皇の地位を国家元首と明記すべきか否か、という諸問題がある。ここでは、9条と自衛中心に述べていくことにする。

 

 

2.9条の解釈

 

この条文は「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の3つの要素から構成される。日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶのは、憲法前文の記述およびこの第9条の存在に由来している。

 

9条条文

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

色々な解釈がなされているので混乱しないようにまずは定義を述べておく。「戦争」は国家が宣戦布告によって開始する国際法上の戦争のこと。「戦力」は自衛のための戦力は戦力にあたらない、とするのとすべての兵器の保持を禁じている解釈の2つがある。「国際紛争を解決する手段としては」の前置きは9条が否定するのは自衛戦争以外の戦争である、制裁戦争および侵略戦争を禁じるものであるとする、すべての戦争は国際紛争を解決する手段としてなされるのですべての戦争を禁じている、の解釈がある。

 

社会契約説によれば、国家の主権は個人の自然権(生まれながらに与えられている権利)の集合、つまり自然権には生存するという権利が最も基本的なものとして据えられている、そのため国家が生存する権利があるのは明白である。主権=生存すること。そのために自衛するのは当然だ、という意味。解釈のされ方としては、日本国憲法にいくら平和主義が謳われていても、自国の生存を根本的に否定するのは考えられないので日本も自衛のために実力を行使することは許されているという解釈が有力。また、あらゆる国家が行う戦争は自衛戦争と主張されていることから、自衛官をも否定した非武装中立を意味しているという説もある。

 

政府は、憲法制定当初は一切の軍備を禁止し、自衛戦争をも放棄したものとしていた。しかし朝鮮戦争に伴う軍備の必要性から、憲法で禁止されたのは侵略戦争であって自衛戦争ではないと立場を変えている。また、自衛隊は憲法で禁止された「戦力」にはあたらないとした。ちなみに国連で認められている集団的自衛権を日本は持っているが、行使してはならないとしている。

 

9条の全体の解釈としては、自衛権を含め一切の戦争行為及び戦力を否認している。自衛権は否定していないが戦争行為は否認しており、そのための戦力も認められない。自衛の範囲内ならば戦争も戦力も認められる。個別的自衛権は認めるが、集団的自衛権は認めない。の4つがあることになる。

 

 

3.自衛権

 

ここで個別的自衛権と集団的自衛権について述べてみる。集団的自衛権とは、自国(A)と密接な関係にある外国(B)に対する武力攻撃を日本が直接攻撃されていないにもかかわらず実力で阻止する権利をいう。例え話で、他国(C)B国を攻撃してきたとする。その時、B国がC国に対抗するのは個別的自衛権が発動していることになる。またC国の攻撃が激しい場合は、A国もB国と一緒に攻撃を防ぐことになる。これは集団的自衛権。上記で政府がこれを行使しないとしているのは、そのための武力が憲法9条での必要最低限の武力範囲を超えると考えているからである。しかしこれは米国を見捨てていることになる。

 

そもそも自衛権は、説明の便宜上わかれているだけで個別的自衛権も集団的自衛権も含んでいる。もしC国がAB両国に攻撃してきたとしたら個別と集団の区別はつかなくなる。必然、両国は共同して攻撃を抑えようとする。日本国は自衛権を主張するのだとしたら、集団的自衛権も認めるべきである。また憲章でも第51条において、個別的自衛権と集団的自衛権は国家固有の権利と認められている。

 

 

4.日米安全保障条約

 

日米間の特殊国際法、1960年に批准された日米安全保障条約は9条と密接に関係している。現状は極端に言えば、米国は血を流し日本は金だけという関係である。日本が攻撃された時は米国を頼り、米国が攻撃された時には協力しない(集団的自衛権を認めていないわけだから)そのかわりに金(思いやり予算)だけははずむという。

 

日本は日本国憲法を制定するにあたって、過去における軍国主義的行動を反省し再び戦争の惨禍がないように、平和主義を具体化した9条をつくった。しかしこれは無防備、無抵抗を定めたものではない。そこで平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることにしたのである。その他国がアメリカである。保持を禁止した戦力とは、日本がその主体となって指揮管理する戦力をいうもので、外国の軍隊はたとえ日本に駐留するとしても禁止された戦力には値しない。駐留を許容したのは、日本の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補おうとしたものに外ならない。日米安全保障条約の締結にあたって、この条約が憲法に適合するか否かは、衆参両院において審議された結果適法妥当なものとして承認を得たものである。アメリカ合衆国軍隊が憲法九条などの趣旨に反するかどうかは、第一次的にはこの条約の締結権を有する内閣、および承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解する。

 

 

 

 

 

 

参考

 

集団的自衛権って何だろう

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/5100/syuudann.html

フリー百科事典

A:\日本国憲法第9 - Wikipedia.htm

A:\憲法改正論議 - Wikipedia.htm