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「慰安婦問題とアジア女性基金から見えたこと」

 

050534A  佐山 秀子

 

戦後60年、またこの夏も終戦日が来ます。ニュースでは毎日のように近隣諸国との外交問題が報道され、歴史教科書問題、強制労働者に対する国家補償訴訟、従軍慰安婦そして靖国参拝、国務大臣の問題発言など機会があればあらゆる面から非難されているようです。戦後50年半世紀と言われてから10年が経ち日本の評価は変わったのでしょうか。20051月政府は、アジア女性基金について目的を達したとして2007年の3月に事業を終了すると発表しました。BBC(アジア版)は、基金の事業内容を紹介し、最後に多くの元慰安婦は基金からの「償い金」を拒否し国家補償を求めている。この問題は近隣諸国との関係に障害となっていると結んでいます。従軍慰安婦ですが単純に言葉だけから考えてどうして解決できないのか不思議に思い「従軍慰安婦」そして「アジア女性基金」について調べてみました。

 

1.慰安婦について

 

 まず、従軍慰安婦は戦後発表された表現です。当時は慰安婦という存在として知られていてアジア女性基金発行冊子やBBCでも慰安婦としています。

慰安婦とは、戦時中日本軍の慰安所に集められ、将兵に対する性的な行為を強いられた女性たちのことです。慰安婦は、当時合法的職業の1つでした。お金のためにその職業を選択した人、選択の余地がすでになかった人(身売り、業者による職種の詐欺)などその背景は人の数だけあると思います。

 

外務省の調査では軍の要請で慰安所が設けられ、多くは業者が選定され業者に慰安所の運用(慰安婦の募集など)を任しました。募集は「婦人・児童の売買禁止に関する国際条約」に基づき行われていましたが、植民地は適用外でした。軍は慰安婦の健康などの管理、移送に関わりました。官憲などが募集に加担した事もあったようです。自ら募集に応じた人や何も知らされていない娘たちが集められ、軍の車両が待機し、軍の施設に着き、慰安婦として働く、または、働かされたという事になります。

戦況の悪化により労働条件が過酷なものになったのは慰安婦だけではありませんが、植民地であり、慰安婦という偏見差別も加わりつらい体験だったようでず。慰安所の増加による規約の緩み、強制収容されていた外国人女性が慰安婦にされたという事もありました。

 

2.アジア女性基金について

 

政府は、戦後のサンフランシスコ平和条約、及びその他の関連する2国間条約により補償や財産の請求権問題を含め国家間では戦後処理問題は解決しているとしています。日韓条約交渉時、慰安婦問題は一切持ち出されませんでした。しかし、90年に入り慰安婦問題が国際化し、92年外務省が調査を開始、当時軍が関与していたことを認め、お詫びと反省を表明、95年元慰安婦に対する道義的な責任と女性の名誉と尊厳にかかわる問題の啓発・予防・対応・解決に向けた活動の支援を行う目的でアジア女性基金を設立しました。

 アジア女性基金は、国民からの募金を「償い金」(一人当たり200百万円)として元慰安婦の方々に総理からのお詫びの手紙を添えて渡すこと、政府資金による医療福祉事業を実施することを主な目的としてオランダ、フィリピン、韓国,台湾そしてインドネシアで事業を行いました。

 

 フィリピンにおいては、基金による償いに反対するNGO(国家補償を請求)の一つが元慰安婦の申請手続きを手伝うなどの協力で慰安婦と認定された全員に償い金と手紙が渡り02年に事業を終了ました。オランダでは医療福祉支援を元慰安婦個人に対して実施し01年終了、インドネシアでの事業はインドネシア政府との話し合いの結果個人にではなく高齢者福祉施設整備事業への支援(元慰安婦を優遇する)という形をとり07年に終了予定です。韓国では、国家賠償と戦争責任を求める元慰安婦を支持する団体や韓国政府からの十分な理解を得られないまま02年事業終結、台湾も韓国と同様支援団体の拒否圧力などで困難な状況でした、が、一弁護士の協力(元慰安婦個人の気持ちを尊重したい)でそれなりの数(具体的数字発表せず)の方に償い金が渡され、02年に終了しました。

 事業の結果は、フィリピン、韓国、台湾、オランダで合計364名の元慰安婦の方々に日本政府と国民のお詫びと償いの気持ちを届ける事ができました。国連人権委員会や人権小委員会に報告が出され不十分であるが前向きに評価されました。しかし、元慰安婦の支援団体の多くが基金の事業に批判で国家補償を求めています。

(冊子[慰安婦]問題とアジア女性基金より)

 

3.慰安婦問題とアジア女性基金から見えたこと

 

慰安婦問題では、軍が組織的に関与していたのかという点で是と否に大きく分かれます。まるでイラクの虐待問題のようですが、今日の情報社会でも資料の公表や調査に不十分さを感じたりするのですから時間の経過と軍隊という特殊組織等を考えれば一つの納得いく結論が出ないのも仕方ないのかもしれません。単に “お願いします。”の一言を考えても当時の社会情勢や時期で、誰が言ったのかで言外に意味があったり強制力が変わったり、同じ資料でも読み取り方が大きく変わります。また、有利な資料に注目しがちにもなります。国際的に人権問題の時流のせいか1992年政府が軍の関与認めました。

売春は世界最古の職業といわれ、歴史上も軍隊と供に売春婦がいた事はめずらしくありません。当時の軍隊や男性中心の社会では慰安婦への虐待が問題になるという意識も無かったでしょう。戦後処理の中でアメリカも問題として追及していません。さらに、本人達が元慰安婦であると公にする事の勇気と、女性人権が宗教やモラルによる沈黙を打ち負かすのに数十年を必要としたことになります。

 

次のステップとして補償問題です。現状請求権問題は国家間で法的に解決されています。その当時の社会情勢が条約締結に大きく影響していてもその時其々の国益にかなっているとの判断で結ばれたものだと思います。ですから現状国家賠償は成立しにくいと思います。人道的償いとして、国民もまず元慰安婦のことを思い多くの人が募金に参加したと思います。基金の「償い金」と元慰安婦や支持する団体が求めている国家補償とは別ものであると説明しても韓国、台湾で十分に理解されず、逆に償い金でごまかそうとしていると非難されました。何故でしょう。日本政府に関与するものへの不信感でしょうか。先日の韓国漁船と巡視艇事件、韓国のテレビニュースの一部が流れました。ベットに横たわりぐったりしている船員の姿と日本人にヘルメットで殴られたというコメント、私が韓国人なら‘なんて日本人はひどいことをするのだ’と思ったでしょう。事件の結論よりこんな印象が残っていくのです。情報社会であるという過信や情報選択の偏りなどから視野を狭め、溝を深め、争いを大きくしてしまう事があります。バイアスの少ない交流をしていくのが大切だと思います。

 

フィリピンや台湾においての理解協力は素晴らしいことだと思います。元慰安婦の悲しみや痛みが共通点になり理解協力へとつながりました。対象者の立場になって考えれば紛争解決に近づくかもしれません。

 

アジア各地での戦後裁判や戦犯は現地の連合国の人たちや捕虜への虐待に対するもので日本の植民地支配を裁いたものではないという指摘があります。この様な点もアジア諸国から見た日本の戦争責任にゆがみを与えているのかもしれません。

 

国境無き医師団とアムネスティーの報告によると第二次世界大戦後でもスーダン、ボスニア、バングラディシュで武装集団による敵対集団への作戦の一つとして組織的レイプがあったそうです。強制労働が社会問題になっていますがその中に売春があります。性奴隷や集団による婦女暴行という言葉を使えば過去の出来事ではなく現代の問題なのです。