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靖国神社参拝への批判から見る日本の戦争責任を考える

−グローバリゼーションの今何が求められているのか−

(宇都宮大学国際学部国際社会学科一年 中野良美)

 

1.   靖国神社参拝に対する日本と中国の意見

 

戦後60年経った今、日本と東アジア、特に日韓・日中関係は悪化の一途をたどっている。日中関係について一例をあげると、近年小泉首相の靖国神社参拝について、あまりにも中国側からの反発が激しい。その激しさゆえ、かつて福田前官房長官は「誰もがわだかまりなく参拝できる施設」として国立慰霊施設の建設案を掲げたが、あまりにも多い国内の反発のためにほとんど頓挫してしまった。その他、代わりに千鳥が淵墓苑へ訪れるという案もあったが、千鳥が淵墓苑は元々海外における遺骨収集が進んだものの個人識別できず遺族に返せないような遺骨を納める目的でできた施設であり、参拝の代わりにはならないという理由で立ち消えてしまった。靖国神社の代替施設への訪問は実現困難となった。

 

そして今は中国と日本の両者が一歩も譲らず、激しくかつ不毛な議論が交わされていている状態である。中国側の意見を簡単に言うと、大量の中国人を虐殺したA級戦犯が祭られている靖国神社に一国の代表が参拝するのはとんでもないことで、参拝は戦時中の日本の行為を正当化するような行為であり認められない、中国の国民感情を考えて行動すべきだ、となっている。一方、小泉首相は戦争を二度と繰り返さないという気持ちで参拝していると言う。かみ合っておらず、しかも相手の意見に耳を傾けていない。両者が和解するなど現段階では想像もつかない。

 

 

2.   戦争責任問題についての日本の対応

 

中国側が主張する日本の戦争犯罪について、強制連行や慰安婦問題、そして日本帝国主義の中国侵略のシンボルとなっている南京大虐殺などが挙げられる。これらに対し、日本はきちんとした補償や公式の謝罪をしていない。これはおそらく、小渕元首相と金大中大統領が「以後過去の問題を持ち込まない」と約束したことが一因となっている。これによりまた話がこじれるのだが、いったん二国間で正式に合意したこの約束を無視し非難してくる中国に対し、日本が過去についての謝罪をさせにくくし、さらに「約束違反だ」と問題をそらしてしまう原因をつくってしまった。

 

 また靖国神社に祭られているA級戦犯については事情が異なる。満州事変から太平洋戦争までの日本の行為を侵略戦争とみなし、戦争犯罪人として戦争責任者を断罪した東京裁判(正式には極東国際軍事裁判)は、国際違法を無視した戦勝国による復讐裁判だというのが現在の一般的な解釈となっている。付け加えると、A級戦犯を含むすべての戦犯はサンフランシスコ講和条約第11条に元づき免責されている。この裁判でA級戦犯とされた人々が祭られているから靖国神社への参拝は止めろというのは、かなり感情的な意見である。

 

 しかし、日本の対応はやはり適切ではない。戦争自体の責任について、よく「あの戦争が侵略戦争であったかどうかは後の歴史家の判断を待つ」といったような発言が聞かれる。非常に卑怯かつ無責任である。問題を先延ばしにし、自分たちは何も行わないなど言語道断である。解決の困難なこれらの問題を後の世代に丸投げするなど許されない。

 

 

3.   政治レベルと民衆レベルの差

 

中国の国民感情を無視するやり方は納得できない。政治は常にリアリズムを利用して動くが、それだけを考慮するのはいかがなものか。アジア諸国との政治家あるいは政府間では様々な関係が作り出されてきたが、民衆には「感情記憶」があり、不信感が残っているという。例を挙げると、日本の行った南京大虐殺については、その犠牲者30万人という数字の信憑性においては様々な証拠・証言と照らし合わせてみると疑問があるが、それについて言及すると中国内からは激しい反発が出てきて、合理的な議論ではコントロールできないそうだ。(『グローバリゼーションと戦争責任』金子勝,高橋哲哉,山口次郎 岩波書店)これから先、アジア全体で協力していかなければならない時期が必ず来る。その時の為にも、こういった不信感を解消していく努力が必要だ。

 

 

4.   我々は今何をすべきか

 

グローバル化している今、中国と「政冷経熱」のままでは日本は国際社会で生き残ることは不可能だろう。日本は今アジア内で孤立している状態である。経済競争、国際競争で生き残るためにはアジアの結束を強化すべきなのは明らかなのに、である。その為にも、中国との関係を回復させることは重要になってくる。

 

 誤解のないように付け加えるが、国際競争に勝ち残るためだけに仲良くやっていこうというのではない。倫理的な問題として、日本が他国に対して行った非人道的な行為の謝罪と補償は当然である。これは単純に良心の問題である。古くからの交流のある隣国と、このままギクシャクした関係を続けていくのは双方にとって様々な面においてマイナスである。このグローバリゼーションの世の中を渡っていくために、靖国神社参拝問題の視点から、有意義な議論を活発に交わしていくことが今求められている。