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SACO合意からみる普天間基地返還-----日米政府と県政の動向-----

           真玉橋知香(宇都宮大学国際学部国際社会学科一年)

 

1.  沖縄国際大学米軍ヘリ墜落に見る沖縄の現状

 

 2004813日の昼,沖縄県中部に位置する宜野湾市内にある沖縄国際大学構内に、普天間基地所属の米軍ヘリが墜落した。奇跡的に負傷者はなかったものの,一歩間違えれば多数の犠牲者を生み出す悲惨な事故になるのは間違いなかった。構内に残る真っ二つに裂けてしまった木の幹と,黒く焼け焦げ破壊された校舎の壁面は事故の衝撃を物語っていた。この事故を機に宜野湾市民だけではなく,沖縄県民は,改めて基地と隣り合わせにある平穏な生活のもろさと,基地存在の危険性を目の当たりにすることとなった。

 沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故が県民に思い知らせたのは基地の恐怖だけではない。事故後の米軍兵の対応,日米両政府の対応は県民に不信感を与えるものであった。 

 事故現場である大学構内は大学という教育機関の特質上,自治が守られるべき空間である。そこで起きた事故である以上,事故後の処理は大学側に委ねられるべきであった。しかしその実態は,米兵により完全にシャット・アウトされ,大学関係者や地元警察が立ち入ることができたのは,米兵により校舎の破片から現場の土まで,すべてが持ち去られたあとだった。また事故の詳細・原因を米政府に追求するべく,稲嶺現沖縄県知事が小泉首相に面会を求めた際も,首相の夏休みを理由に面会は実現されなかった。

 この事故やその後の政府対応をきっかけに,私は県内の普天間基地全面返還への動きとそれをめぐる日米政府の対応をSACO合意について着目して整理し,普天間基地返還にむけての今後を私なりに考察していきたいと思う。

 

 

2. 普天間基地返還・移設をめぐる日米政府・沖縄県政の経緯

 

普天間基地返還をめぐる日米両政府と沖縄県政,そして移設受け入れ先として指定された名護市側の動きを大まかにまとめると以下のようになる。

 

95年に沖縄県中部に位置し米軍を抱える北谷町で米軍兵による少女暴行事件が起こったのをきっかけに,沖縄県民の反米運動が高揚し、それに対応するという形で日米両政府間に「沖縄に関する特別行動委員会」(the Special Action Committee on Okinawa),通称SACOが発足された。SACOの目的は沖縄の基地負担を軽減し,それにより日米同盟関係を強化することにある。SACO発足から5ヵ月後の964月に中間報告、同じく4月に橋本首相(当時)とモンデール駐日大使とが会談(橋本・モンデール会談)を行い、そして9月の現状報告を経て同年12月にSACO最終報告がなされた。 

このときの報告をSACO合意というのだが,報告書の中で普天間基地返還の条件として代替ヘリポートの建設条件などが盛り込まれている。そして県内の動きとして,SACO合意内容の重要なポイントである移設先には,政府から名護市辺野古沖の名前があがり,974月,名護市は基地建設の事前調査を受け入れた。しかし同年12月名護市民はこの辺野古沖普天間基地代替へリポート建設の流れに反対し,住民の直接投票により反対の意を正式に表明した。それに対し名護市政側では水面下で基地建設の流れをつくり,当時の比嘉鉄也名護市長の政治生命と引き換えに,辺野古沖への代替施設建設受け入れを表明した。

そして9811月,それまで県政を握っていた太田昌秀知事に代わって,辺野古海上ヘリポートの米軍使用期限を15年とし,軍民共用空港としての建設を訴える稲嶺恵一氏が知事選に勝利し,稲嶺県政が誕生した。稲嶺新知事就任1ヵ月後の12月,内閣において辺野古沖への基地建設をする旨の閣議決定がなされた。それを受け県としては翌9911月,「苦渋の選択」として知事により移設先を“キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域”と正式に発表した。それに対し同年12月,岸本建男新名護市長は移設受け入れを表明した。その際、市長は受け入れの条件を県と同じく15年使用期限付き軍民共用施設としている。   その後,名護市の受け入れ容認を受け,政府は名護市など関係自治体を含む代替施設協議会を設置し、2002年までに9度にわたり具体的な意見調整を行ってきた。

 

 

3. SACO合意を基にした返還の問題点

 

 上記してきたとおり,普天間基地返還について,日米政府レベルではすでに合意済みであるが,合意から8年経った現在でも返還は実現されていない。基地返還運動に対して政府はSACO合意を元にした辺野古沖海上ヘリポート建設の早期実施こそが基地負担軽減につながるという。本当にそうか。以下は公文書お記述を交えながら,今後基地返還を考える上でのわたし個人の考察を述べたいと思う。

 

 第一に,SACO合意自体が沖縄の基地負担軽減のためというよりは米軍に有利なように進められてきたのではという疑念がある。沖縄県立公文書館初代館長の故宮城悦二郎氏よれば,701月に作成された米軍の文書の中に,ベトナム戦争の最中である65年に新たな飛行場建設の適地を調査したとの記述があり,その中のひとつとして辺野古沖海上を埋め立てる案があがっていたという。そして661月には米海兵隊により滑走路3000メートルに及ぶ辺野古埋め立て飛行場計画図を作成したとされる。SACO合意による代替施設建設予定地が辺野古沖に決定された後の979月の米国防総省による海上基地の構想最終案によれば,滑走路の方位は66年の計画書にもとづくとも記されている。このことから,SACO合意以前から米政府側には新航空施設建設の思惑があったといっても決して過言ではない。事実,SACO合意文書の中身にははっきりと,SACO最終報告書の内容が実施されれば在日米軍の能力および即応態勢を十分に維持することとなるという記述がある。普天間基地は沖縄戦終了以前に本土への攻撃基地として建設されており,極めて老朽化が進んでいる。基地負担軽減を謳った合意内容は,実際は海上新施設建設の引き換え条件として老朽化の進んだ普天間基地を返還するというのが真実なのではないか。

 第二に,SACO合意の内容は期限切れであり,さらに政府によってその内容がすりかえられてきているという点も見逃せない。合意文書の中には,今後5乃至7年以内に十分な代替施設が完成し運用可能になった後,普天間飛行場を返還するとあり、8年後の現在も建設の目処が立っていない状況にある。仮に今から建設を始めたとして,県の試算では16年もかかる施設の完成を待つことは合意文書の期限から大幅にずれることとなり,いずれにせよ合意文書は破綻しているというしかない。さらに建設予定の海上施設の滑走路2000メートルであるのに対し,合意文書の内容では滑走路の長さは約1300メートルとなっている。これは明らかに合意文書と反するもので,施設建設は文書に基づくとする政府見解とは異なるものである。

 第三には,日米政府と県政・名護市政間,そして県政・市政と県民世論間にみられる建設受け入れへの基本姿勢の食い違いがあげられる。県・市の移設容認の条件は15年使用期限つき軍民共用施設としているが,米政府の資料によれば使用年数は40年とされており,県・市側の受け入れ条件とは異なる解釈がなされている。20027月に行われた代替施設協議会第九回会合では軍民共用空港であることは基本合意されたが,15年使用期限の条件は政府間協議において完全に無視されている状況にあるのだ。また住民投票により直接民主主義的に受け入れを拒否した住民側の民意を始め,移設をめぐる県内世論は一度として受け入れ賛成が反対を上回ったことがない事実がある以上,県政・市政と県民間の負担軽減の示すベクトルは異なっていると言わざるを得ない。こうした食い違いが,今後の返還協議をより一層複雑にするのは明白であり,大きな課題といえるであろう。

 

 

4.普天間基地返還への今後

 以上見てきたように普天間基地を取り巻く問題はさまざまなポイントをめぐって微妙なゆがみを示しており,基地無条件返還という県民の願いは県内経済の具体的な振興策がなければ容易に実現するものではないと私は考える。沖縄の基地返還を考えるとき,その裏にはどうしても財政的貧困や基地雇用者の問題,基地跡地の有効的活用法の問題がついてまわるからだ。名護市長が民意に逆らって受け入れを表明した裏には,受け入れを条件とした国からのさまざまな財政的優遇措置の魅力もあったのだろう。だがしかし,本当に基地がなくなったら食べていけないほど県民の生活は困窮するのだろうか。基地のない平和をとるか基地と共に経済をとるかという二者択一の選択肢の中で,長い間県民は苦しんできた。しかし,内閣府閣議決定にもとづいて設置された協議会の「沖縄経済振興21世紀プラン」最終報告によれば,72年の沖縄復帰当時に2万人いた基地労働者人口は現在8千人を切り,県内の全就労者人口に対する割合は1.3%にとどまり,県民総支出に占める基地関係受取の割合は30%から平成9年度には52%にまで減少してきているとの報告がなされている。戦後60年を迎えようとする沖縄はいつまで基地に依存しなければならないのか,私は疑問に思う。81年に返還された北谷町は4年間で米軍跡地資産価値を30倍にし,数人の基地雇用に代わり1千人が働くショッピングセンターをつくりあげた。

普天間基地返還をめぐってもめている現在は,沖縄県民にとって再び選択を迫られている重要な時期といえるのかもしれない。

 

 

参考文献

沖縄に関する特別行動委員会(SACO合意)最終報告

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/saco.html

 

岐路に立つ沖縄

http://okinawaforum.org/okiwiki/index.php?%B4%F4%CF%A9%A4%CB%CE%A9%A4%C4%B2%AD%C6%EC

沖縄・辺野古の海上基地建設問題

http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/makisi0408.html

 

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/okinawa/

月刊インターナショナル963月 69号  

http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/jap/jap022.htm