「京都議定書発効までの経緯とこれからの問題点」
宇都宮大学国際学部国際文化学科1年 加藤博香
1. なぜ京都議定書に興味を持ったのか
私が京都議定書という言葉に関心を持ったのは、宇都宮大学を受験するに当たって、何か1つ国際問題を調べてみようと思った頃だった。環境問題に以前から興味を持っていたので、環境問題をキーワードとして最近の国際問題を調べていた時に、アメリカの脱退によって発効できないという記事が目に入った。あの大国が世界問題に積極的でないのはなぜだろうか、という疑問が湧き起こり、この問題を追及した。私が大学生になる前の平成17年2月16日に、ロシアの批准によって京都議定書は発効されたが、問題点はいくつかある。アメリカ、オーストラリアなど先進国を含む35カ国が批准していないこと、日本の削減目標が高いこと、1990年時点での発展途上国(中国を含む)は、削減義務がないこと・・・etc。この問題を乗り越えて、私たちは本当に二酸化炭素の削減に成功するのだろうか。謎は深まるばかりだが、高校生で調べたことの延長で、もっと広く日本だけではなく世界の問題点にも目を向けていこうと思っている。
全世界で排出された二酸化炭素の量は、2000年の調査時で230億トンだった。まずこの排出量に対する、世界の二酸化炭素排出量の順位を調べてみた。当時のデータからは、アメリカ・・・24,4%、次いでEU15カ国・・・15,8%、中国・・・12,1%、ロシア・・・6,2%、日本・・・5,2%、インド・・・4,7%と続いていく。次に国別一人あたりの二酸化炭素排出量をみて見る。すると順位は異なり、1位・・・アメリカ、2位・・・オーストラリア、3位・・・カナダ、4位・・・ロシア、5位・・・ドイツ、6位・・・イギリス、7位・・・日本と続いていくのだ。国別では、一人一人の排出量が多いのかと思っていたが、そうとも言えないようだ。また私が注目したのは、1人あたりの排出量の上位に、アメリカ、オーストラリアが入っていることだ。この2カ国は、京都議定書に批准していない先進国の一部に当たる。やはり批准していないと、国民一人一人の意識も薄れているのではないかと思ってしまう。では、なぜ全世界の150カ国が批准している議定書に、アメリカをはじめとする先進国などが批准していないのだろうか。京都議定書が発効するまでの歴史を振り返りながら、この謎について調べてみた。
2. 京都議定書発効 アメリカをはじめとする35カ国の未批准
京都議定書は、1970年代に世界の国々で環境問題に関心が高まってから、世界が地球温暖化防止を目指す上で決めた国際条約だ。2005年2月16日に発行。しかし、京都議定書が作られたのは1997年。ここで疑問なのは、発行までにかかった長い期間だ。次に、この長い期間の中には国々のどのような動きがあったのか考えてみたいと思う。
京都で地球サミットが行われた1997年。今でも一番の問題国アメリカは、民主党のクリントン大統領だったということもあったのか、当時は調印していた。その上取り組みに積極的で、ロシアに調印するように促していた。アメリカは『JI(共同実施)』に注目していた。『JI』とは、二酸化炭素の排出権を売買することによって、目標を達成することを推進する制度です。南アメリカとの共同を考えていたようでしたが、相手側は消極的でした。アメリカにひれ伏すように見えてしまうからなのかもしれません。
さて、1997年12月1日、京都会議が開かれた。注目は、世界一の二酸化炭素排出国アメリカの削減目標。アメリカは7%の削減義務を負うことになった。しかし、アメリカは2001年3月28日に京都議定書から離脱。その理由を2つ述べた。1つめは、発展途上国に削減義務を課していない議定書は不完全であること。2つめは議定書がアメリカ経済を損なう可能性があるということだった。
発展途上国に削減義務がないことは、多国が疑問を投げかけている問題である。特に経済発展が著しい中国。先にも述べたように、今では二酸化炭素排出量が第三位。一般的に考えて、排出が多い国が削減しないと地球規模での削減量はあまり多くならないような気がする。だからといって削減義務を課すことはなかなか難しい。発展途上諸国の言い分は、今の温暖化の原因は先進国の経済発展にあるのだから、削減を押しつけられるのは間違っているというものだ。また中国は、いくら経済が発展してきているとはいっても、中国内部ではまだ経済格差は大きく、今削減を実行出来る状態ではないということだ。
経済に損害を与えるかもしれないということは、アメリカに限ったことではない。批准した国々の多くは、損害を覚悟の上で環境問題に向き合っている。それをアメリカだけ協力しないとは、なんと自分勝手な結論なのだろうか。それに便乗するかのように、オーストラリアも未批准のままだ。先にも述べたように、国民1人1人の排出量の第一位と第二位は、未批准の先進国であるアメリカ、オーストラリア。この二カ国の国民の意識が低いのはいうまでもない。批准していないから関係ないのではなく、批准していなくても環境に目を向けることが必要なのではないのだろうか。国からの強制ではなく、国民から国へ影響を促すように1人1人の意識を変えていくにはどうしたらいいだろうか。
3.これからの未来に向けて
では、私たちに出来ることはいったい何があるのだろうか。考えられる項目は、全部で8つ挙げられる。
l 直接規制
l 補助金制度の活用
l 環境税、課徴金の創設
l デジポット制度の創設
l 排出権取引
l 森林植生
l 新エネルギーの開発
l 企業、個人の自主的な取り組み
である。
しかし、このすべてがすぐ実践できるわけではない。規制を強めれば産業の空洞化を招く危険性がある。二酸化炭素の削減には、多くのコストがかかってしまう。いくら環境のためとは言っても、経済の発展・向上にはかえられないだろう。補助金制度も良さそうに見えるが、国債依存度45%という政府にそんな余裕があるとも考えにくい。また、削減する人に除去費用を払うということは、汚染者負担の原則(PPP)n反してしまう。では、日頃よく耳にする環境税はどうだろうか。これはガソリン税に似ているような気がしますが、やはり値段が上がればあがるほど企業のコストアップにつながり、国際競争力が落ちてしまうでしょう。また、消費税のように国民全員の義務になると、逆進課税となって、低所得で排出量が少ない人にも負担が出てきてしまう。これでは不満も消えるはずありません。
デジポット制とは、製品の容器価格に「預かり金」上乗せし、使った人が容器を戻してきたら、「預かり金」を戻すというもの。これはリサイクルとしての循環性を高めるという点で効果的であり、すでにヨーロッパの多くでは広く採用されています。日本でもビール瓶、ペットボトルなどがリサイクルされていることは、多くの人が知っていることです。一見環境に良さそうなリサイクル。しかし、リサイクルをして違う物に変えるという過程において、二酸化炭素が出てしまっています。これでは削減に必ずしも良いとは言えないわけです。次に排出権取引はなかなか良いという面が見られます。ロシアなど、排出権の売買によって経済復興を期待できるし、発展途上国ももちろん、環境問題に取り組むという姿勢も形成されます。先進国も目標が達成できればいいのだから、まさに一石二鳥と考えられます。しかし、排出権が余りすぎると価格の低下につながるという現象が起こってしまうので、まだ確実にいいとは言えませんが、国と国とが協力し合うという関係を大切にしていくことは重要だと思います。森林植生は長い眼で見て有効的ですが、日本の国土にも限界があるので、多くは実行できないでしょう。しかし、森林や海水の二酸化炭素吸収量はとても高いという報告があるように、自然の助けも多いという現実があります。自然を守ることが環境問題につながっていくということも考えて行動していきたいです。新エネルギーも場所、資金、安全など簡単にいかない問題があるのが現状です。
やはり、最後に大切になるのは一人一人の努力です。日本の二酸化炭素排出量の中で、家庭からの排出量は全体の約5分の1を占めています。2003年度は1990年に比べて二酸化炭素換算で31%も増えている。二酸化炭素の規制によって、産業の衰退、発展を妨げるので、削減は無理だなどと世間では言われていますが、その可能性を左右するのは、私たちの生活なのです。電気、水道など、気にしないで使い続ける毎日を世界の人々が見直せば、地球に優しい暮らし方が見えてくるでしょう。世界の一人一人の努力が大切な今、アメリカをはじめとする39カ国が批准しないで発効してしまった京都議定書。これを世界で唯一の全世界が批准する国際法にするために、多くの人に疑問を投げかけていきたいし、自分の生活も見直していきたい。この問題を調べ、考えていく中で、国民の1人1人の力で未来を豊かにしていく必要があるという意識を、世界に広げていこうと思った。