050519kasuyan 「10日間で見えた途上国」 

粕谷直洋

 

私は10日間グアテマラという国に行ってきた。目的としては何より途上国を自身の目で見てみたいということだった。結果としては観光の部分では名所がたくさんあり満足であったのだが、社会問題や国の状況は思った以上にひどいものであった。普段我々が途上国を思い浮かべるときにどんなことを思うだろうか?一般的には国民が汚らしく見えており貧困があるとか治安が悪いなどというところだろう。私もそういった漠然としたものを思いつつ現地に向かったのだが、空港がある首都のグアテマラシティーに出たときには特に途上国らしさは見えなかった。町の中はきれいな建物やビルが並んでいて、きれいにおしゃれをした女性や男性が一緒に手をつないで歩いていたりと想像を裏切られるような場所もあったのだが、やはり日本とは何か違った空気があった。まずナイフを所持している人の多さ、そして一番驚いたのは店によって入り口にショットガンをもった番人がいることだった。また目に見えてはいないのだが常に誰かが自分を狙っているかのような雰囲気が流れているのも怖さを感じた。実際スリに遭いそうになったのは何回かあった。現地で聞いたのだが市バスでは毎日のように夜に強盗がでているそうだ。このように現地に赴くことで抽象的であったものが具体的になっていくことがはっきりとわかった。今回は自分が旅立つ前に思っていたものを具体化した自分なりの途上国を記し、またこれからの途上国の課題を探っていきたいと思う。

 

                 

グアテマラの貧困問題

 

貧困について記すと、まず基礎データは57%が貧困層に属し、うち27%が極貧であるといわれている。しかし10%の上流階層の人が国民全体の47%の所得を持ってしまっている。現地の大学の経済学部長の話によると日本でいう財閥のようなところがほとんど独占してしまっているらしい。そのためお金の回りが悪くなってしまっているのだ。実際独占している金銭が国民全体にわたれば、ほとんどの子供たちが中学校まで通うことができるそうだ。しかし昔の日本でもそうだが独占してしまっている会社を説得することはかなり難しい。国の中においては地域によるのだが、ひどいところでは日本でいうホームレスのような人や物乞いがたくさんいるようだ。自分は危険なところには入らなかったのだが、それでも貧しい村に行ったときに、店の中での食事中に外から物乞いがやってきて少しでいいから金をくれとずっといい続けてきた。最終的には店員に追い出してもらったのだがあのしぶとさは異様なものを感じた。金がなければ食べられないのだし、あそこまでねだるのだからあげてもいいと思ったのだがその場で現地の人が言われたのはお金を与えても何の解決にもならないということだった。その人話によると仮にお金を与えたとしても、食べ物を買うのではなく結局はドラッグなどに使ってしまうそうだ。道端でもドラッグは簡単に買えるものであるから金が手に入れば買ってしまうのである。お金がなくて貧困に陥るということだけではないことがわかったのと同時に貧困問題の複雑さを知った。その中で自分が考えたのは村人などに食料を直接与えるということは効果があるのではないかと思う。確かに与えられた食料を売ってお金に換え、またドラックに走ることはあるかもしれないが、直接お金渡すよりははるかに意味のあるものであると思う。貧困というものは自分が思い描いていた構図をはるかにしのぐ複雑さを持ったものであると思った。どれか一つの部門から考察しても結局は何かが足りないことになってしまうため、いずれにせよ貧困問題については経済や国民性、政治など多面的な考察が必要になりそうだ。、

 

海外援助の貢献

 

途上国を語る上で必ずといっていいほど出されるのは海外からの援助だろう。ではグアテマラはどの国からどれだけの援助を受けているのだろうか。外務省のHPを参照するとアメリカが6400万ドル、日本が3000万ドル、オランダが2000万ドルとなっている。アメリカがダントツで多いが、実際私が現地で生活していたときに乗った市バスなどはアメリカで使われていたスクールバスにペンキを塗ったものであったし、ものによってはペンキすら塗ってないものもあった。現地でお会いした外務省の専門調査員の人の話によると現在のグアテマラの経済はここ10年かなり危険な状態であるらしい。特にアメリカ頼みの部分が多くアメリカがこければ道ずれとなることは高い確率で起こりうることだそうだ。要するに外国による援助なしでは成り立たないということだ。アメリカを強調して書いたが、もちろん日本の援助もかなりの額である。やたらときれいな道路をみつけたが、それは日本援助による道路であるらしい。日本性の車もかなりあった(三菱車が一番の高級車であったことには苦笑いだった)。特に私が日にちをかけて見てきたのはJICAの活動である。途上国を支援する組織がたくさんある中、どれくらいの貢献ができているのかを見てきたのだが、実情はかなりきびしいものであった。よく言われるのは、援助ということに重点を置きすぎて、相手側を満足させるためにお金ばかりを与えるといった中身のない援助が多いことであるが、特に目立ったのは援助される側の要求とする側の目的が食い違うことである。ここでの課題は現地の人とじっくり話し合い、お金だけの援助にならず、その場に効果のある援助ができるかということであると思う。

 

 

途上国のおける教育の必要性

                            

一言で教育といっても様々なものがあるが、私個人としてはこの国においては教育全般がかなり欠けていると思えた。例えば私が向かった学校では中学生になっても掛け算九九ができないという生徒がかなりいた。算数ができなければお金の計算ができない。ということはそれに関する仕事には就けなくなってしまうということだ。そういうことが何個も出てきた結果、職がないということになってしまう。職がなければお金が手に入らない。そしてお金がないから万引きや強盗をする。この連続が途上国の治安の悪さや経済の発展を妨げているのではないだろうか。また少しずれるが、グアテマラの環境のひどさには驚かされた。町中にごみが散乱していたり、川からたくさんのごみが流れていた。またバスに乗っていたときにも窓からごみを投げている人をたくさん見た。実はここにも教育の欠如が表れているのだ。というのもごみを投げているのは大人から子供まで様々である。親がごみを捨てている姿をみれば当然子供も親のまねをするだろう。だからここにも教育が必要なのである。自分がこのような意見をはっきりと確信したのは、現地で環境教育をおこなっていたJICAの隊員の方とお会いして、実際に現場の話を聞き、また自分もその授業に参加させていただいたことからだった。子供たちに環境のことを伝えることが難しいということは当然わかったが、少しでも伝わっていたことには感動した。というのも学校の帰り際にある子がごみを捨てようとした時に授業を受けた子が捨ててはいけないよと注意していたのだ。とても小さいことであるが、この小さいことがどれだけ多くの人に伝えられるかがこの国の将来を左右するのではないだろうか。何をするにしても金銭的な理由などで大々的にやることができない途上国では小さいことからやっていくしかない。しかしその小さなことですら知ることができていない子供たちが大勢いるということが現在の途上国の現状である。グアテマラにおいては義務教育を受けているのは半分ぐらいである。私が訪れた小学校では登録してある子供は184名だが実際通っていたのは100名程度だった。残りの約84名は家の手伝いや働きに行ってしまっている。この約84名を授業に参加させることが重要な課題であることは間違いないだろう。

 そしてその課題を達成し、その子供たちがその子孫に伝えていくことができれば、発展という道が見えてくるのではないだろうか。しかしその道のりは長く険しい。我々は長い眼で見守っていくことが必要である。