イラク戦争の流れとそのまとめ
1、
イラク戦争の契機
・アメリカが『イラクは大量破壊兵器を有している。中東の脅威である。』としてイラクの調査を求めた。それを受けて国連の査察団がイラクに送られたが、イラクは調査に協力的とは言えず大量破壊兵器の存在を確かめる事ができなかった。アメリカは国連の議決を待たずにイギリスと協力し2003年3月19日イラクに空爆を開始する。
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この時小泉総理は『テロ撲滅の為の侵攻であり日本はこれを支持する。』として「単なる侵略ではないか?」アメリカをと言う国際世論がある中でアメリカを支持した。
2、 イラク戦争の経過
2003年 3月20日 開戦。バグダッド空爆。内部情報からフセイン大統領などイラク指導部を狙った局地的な攻撃が行われる。
3月21日 地上戦開始。イラク南部へ侵攻。
3月26日 クルド人自治区に米軍空挺部隊が降下し、空港を占拠。
4月5日 バグダット侵攻。
4月7日 バグダット中心部制圧、大統領宮殿占拠。
4月9日 バグダット陥落、サダム・フセイン像倒壊。
4月14日
イラク全土制圧完了。
5月1日 ブッシュ大統領イラク戦争終結宣言。
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これを見て分かるように実質戦争と呼べるものは2ヶ月続いていない。アメリカは劣化ウラン弾、クラスター爆弾を使用し圧倒的な戦力でイラクを統治、制圧した。だがこれからイラク問題の泥沼化始まりアメリカはイラクに手を焼くようになる。
3、
統治後のイラクの流れ *ニュースが入った日を表記しています
2003年 5月2日 国連安保理でアメリカとイギリスによるイラク統治権限の承任。経済制裁を解くなどの決議がなされる。
7月13日 イラク統治評議会発足。
12月13日 サダム・フセイン氏拘束。
2004年 2月
陸上自衛隊本隊がイラクに派遣される。
4月 アメリカ民間人4名が殺害され、テレビなどでその模様が放送される。報復にアメリカ軍が空爆イラク民間人にも多数の死者が出る。 イタリア人3名が誘拐される。
4月7日 日本人人質事件発生、日本の世論が擁護派と非難する側に分かれ、問題になる。
5月 アメリカ軍による捕虜の虐待問題が発覚、世界的に非難と供に議論がかわされる。
5月27日 日本人ジャーナリスト2人が襲撃され死亡する。
5月29日 日本人襲撃の3人目の死者が発見される。
5月30日 バグダッドで外国人襲撃、少なくとも一人が死亡。
5月30日 ホワイトハウスでブッシュ大統領がフセイン氏の銃を保管していると判明。
〃 イラク暫定政権内閣の人事が大筋で合意。
5月31日 スンニ派政権幹部が殺害される。
6月2日 イラク大統領にヤワル氏の就任が決定。前後に自動車爆破テロ相次ぐ。
〃 ポーランド人6人が誘拐される。
6月3日 誘拐されていたイタリア人3名の映ったビデオが放送される。イタリア政府への誘拐犯達の要求は仲間の釈放をクルド人達に働きかけること。
6月6日 ポーランド人4名バグダッドで銃撃を受け死亡。
〃
イラク人22名以上が反米武装勢力に『米軍の協力者』として自動車爆弾などで殺害される。
6月8日 米長官がヤワル大統領と会談、6月末に暫定政権に主権を全面的に移譲することを確認。