120123hagiyat
萩谷竜樹「東日本大震災の北海道への影響」
2011年3月11日、世界にも稀に見る大地震が東日本を中心とする日本国ほぼ全域に発生した。震災そのものにより、東北地域を中心とする沿岸地域は甚大な津波の被害に遭い、約11ヶ月経った今もなお、未だに復興のめどは経っていない。また、福島第一原発の事故に伴い、放射線被害が、もしかしすると震災そのものよりも大きな被害を及ぼすおそれがあり、津波と放射線の複合的な災害となった。しかし少なからず、震災ボランティアや自衛隊の力により、津波や揺れなどの復旧には復興の兆しがみえつつある。
政府による復興費用「東日本大震災復興特別会計(仮称)」として、3兆7754億円の予算が組まれるとの案を出した。[1]主に除洗などに重点が置かれるようだが、地域としては被災地の東北などが中心となるであろう。
確かに、被災地の状況は厳しく、私は5月、7月、11月と宮城県へボランティアとして赴いたが、行くたびに復興の厳しさを身をもって味合わされる。手付かずの地域はいつになったらなくなるのだろうかと、毎回思わせられる。そのような状況で生活する、またはしてきた人たちのことを考えると、少しでも早く復興を果たしたいという気持ちになる。さらには原発事故による放射能被害の発生。政府の対応の悪さが被害拡大に拍車をかけ、被害収束には一体どれほどの年月がかかるのか、検討もつかない。目に見えない不可視な被害までもが発生している東日本大震災。
しかしながら、震災の影響を受けたのは東北や関東地域だけではない。人災や家屋倒壊などの直接的な被害はないが、海を隔てた北海道という地域にもその影響は少なからずあり、さらには将来的な影響はかなりのものになるよう思える。
北海道という地は、政府の国策により「開発」を推し進められてきた地域である。また豊富な自然・資源があり、石炭がまだ主要なエネルギー源であったころには、多くの炭鉱が作られ、日本の工業発展に多くの貢献をもたらしてきた。そして今もなお、公共事業による道路工事などが経済の中心になっている地域も多い。それは明治期から推し進められてきた開発からくるものである。公共事業であるから、必然的に政府からの予算に頼ることになる。しかし、ここ十年近くで、年々減少傾向にある北海道開発予算は約半分の5000億円程度にまで減少してきている。[2]これだけでも北海道経済が落ち込んでいるのだが、今後東北地方の復興へ開発予算が割かれることを考えると、開発予算の減少は避けられないことであろう。つまりは北海道で建設業などに従事する人々の職が減っていくことが懸念される。
実際に北海道で働く人へ、震災による不安はないかと尋ねたところ、「来年、再来年行われるであろう道路などの建設の『予定』が全くない。2〜3年後の仕事がない。」と不安を口にしていた。本来であれば道路建設などの工事に取り組む前に行われる、計画と仮施工などの計画がないのだという。これは、現場の北海道で働く人々から聞いた感想であり、本レポートでしている不安と一致している。
震災直後の全国的な買い渋りや、イベントなどを自粛する雰囲気、また北海道経済の大きなものの一つの観光業も、国内の雰囲気や放射線健康被害により外国人観光客の減少により落ち込みをみせたが、今は復調の兆しが見えている。農業や漁業も東北・関東地域の物流網の乱れにより被害を受けた。
これらはどれも長い目で見れば一過性のものに過ぎず、やはり、今後予想される復興予算の拡大と開発予算費の削減は先行きの見えない大きな不安となっている。
・北海道開発の歴史的な流れ
では、どうしてここまで公共事業に依存し続けてきたのか、それは国策としてすすめられた開発と、それを保護し推進する政府があったからであろう。
明治期に始まった開発の歴史は、移民や屯田兵により国策として進められてきた。当時エネルギーの主力であった石炭に恵まれた地域だとわかると、炭鉱の開発を大々的に行い、採掘を始めた。北海道における採掘量は全国屈指となり、日本を近代国家へと押し上げるのに大きな助力をした。しかし、1960年代ごろにエネルギーの主力が石炭から石油に代わると、北海道の炭鉱は閉山するところが相次ぎ、道内に数多くあった炭鉱都市は機器を迎えるのである。代表例が夕張市である。屈指の採掘量を誇った石狩炭田のなかにあった都市であるが、国のエネルギー政策の転換やグローバル化に呑まれ、2006年に財政破綻してしまった都市である。
また、開発予算そのものが平成16年度には7823億円であったのが23年度には4358億円までに削減されているとことからも、北海道の開発が次第に縮小傾向にあるのがわかる。今では、仕事を求め、北海道から本州へ出稼ぎのような形で仕事をしている人々もいる。[3]
・北海道を例にこれからの地方自治のあり方の考察
地方分権や地方自治が叫ばれる現在、結局は中央や政府に頼らなくてはならない地方の体質・現状が、大きな問題となってあらわれている。一刻も早く中央依存の体質からの脱却を果たしていくことが地方に課された一番の課題であろう。では、地方はどのようにしてあるべきか、独立していくべきか、二点ほどあげて論じたい。
1、
自立的な経済体制の形成
そもそも地域は、その土地固有の風土や文化にのっとり歩んできた。北海道は良い例であろう。多くの自然を有し、美しい景色や豊かな動植物に恵まれ、自給自足の生活を歩んできた。それがいつしか近代化の中に埋もれはじめ、気づけば自給自足とは程遠い、依存しきった生活をしている。農業や漁業が多くある北海道で、自給自足の生活は不可能になってしまったのであろうか。ここでは、再び北海道が自給自足の生活を歩んでいく方法を、「地産地消」の観点から、考察していきたい。
まず、農村や漁村が都市と共存していくのは、単に特産品の開発や観光の開発によってでは実現できないと考えられている。農村・漁村の住民が地域づくりに参加し、その土地固有の文化や生活様式を見直すことが必要とされている。つまり、地方の開発には地域住民の参加が必要条件なのである。では、北海道に地産地消を基にビジネスを構築し、持続可能な開発を行うことはできないであろうか。食糧自給率が約200%にもなる地で、おそらく自給自足は可能であろうと考える。地域のものを地域で買い、経済を動かす。これが依存脱却の一つの足掛かりとなると考えている。そしてすでにいくつもの地域で実践されており、例えば札幌市のホームページによれば、米・小麦・牛乳・卵は道産を使用しているという。[4]北海道における基幹産業である農業・漁業が、今後こうした動きに進むことによって、自立的な経済基盤を形成していくための一つの手段となり得るであろう。[5]
2、「道州制」の導入
道州制とは、行政区画として道と州を設置する地方行政制度のことである。現在の都道府県よりも高い権限をどうと州に与えることを目的としているものである。
北海道では、道州制を推進する立場をとっている。北海道はほかの県都は合併せずに道州制へ移行できるので、他の地域よりも円滑な移行ができると考えられています。目的としては、北海道のことは北海道が決める、という地方自治の実現であり、さらには、公共事業などでよく言われている「二重行政」の課題も、国の地方支部局と北海道の担当範囲を統一し北海道が権限を移譲することにより、財政の効率化も目指している。公共事業の比率の大きく、土木や建設業が多く存在する北海道において、公共事業の効率化は多くの利点を有しているといえよう。[6]
地方が主権を持ち、それぞれが効率の良い、地域に根差した価値や行政をおこなっていくことこそが、今求められている地方自治である。道州制は、その実現に向けた一つの大きな論点であると考える。地方自治体が責任を持ち自立し、中央依存からの脱却へ向けた動きにつながるであろう。[7]ますます削減される中央からの予算に頼っている現状も、財政のスリム化をはかることによって、解消されていくのではないだろうか。
以上が私の考える地方自治のすすむべき方向である。東日本大震災の北海道への影響は、東北・関東圏の流通ネットワークの混乱や、東日本復興特別会計による北海道開発予算削減の懸念など、多くの不安を生み出した。言い換えると、地方がいかに自立していないかや、地方自治体の脆弱さなどをみせつけられたようなものである。しかし、これを機に地域の住民たちが自分の地域を見直すきっかけとなれば、地方時という観点からは、ひとつの好機として考えうるかもしれない。それは東北地方のみならず、北海道などにもいえることであり、今後の地方自治の行く末を日本国民一人ひとりが考えていく必要があるだろう。