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高橋清人「富山市におけるLRT導入までの経緯に関する考察」

 

1、はじめに

今日、地方都市は公共交通の弱体化、少子高齢化、中心市街地の空洞化など多くの問題を抱え、その解決に頭を悩ませている。また、地球温暖化などのグローバルな動きにも対応を求められ、行政の果たす役割が増加していると言えよう。一方で市民が自ら、様々な問題に取り組む動きが現在活発である。NPO法人や市民団体、社会起業家などのさまざまなアクターが既存の行政による伝統的な上からの対策とはちがった、草の根の下からの活動が活発になってきた。この現象は問題の多様化によって、相対的に行政の役割が小さくなっていると言えるだろう。しかし、さまざまな問題の解決には行政の力も重要なパワーであることはいまだに否定はできない。そうした動きの一例として、富山市における、様々な問題の解決手段として注目されたLRTの導入過程に着目してみたい。日本における初のLRT導入として注目を集め、現在においても唯一の導入自治体に着目することによって、どのようなアクターがそれぞれどのような動きを見せ、導入という結果が導き出されたかを明らかにし、今後の行政や市民社会の役割について考察したい。

 

2、富山市におけるLRT導入の経緯

 富山市においてLRTが導入されたのは平成18年のことであり、きっかけは平成13年に北陸新幹線の富山市への延伸が決定したことにある。LRT導入された路線は、現在は富山ライトレール株式会社が運営しているが、それまではJR西日本によって運営されていた富山港線という鉄道の路線であった。この路線は沿線人口がほぼ横ばいであるのに対して、平成11年から利用者の減少により、一日の列車本数が減少し、赤字の路線と言われていた。北陸新幹線の富山駅構内への配置に関してこの路線の扱いが非常に重要となる。富山港線を廃止するかしないかという選択がまず、問題となった。行政が選択肢として提示したものは、3つであり、廃止の場合のバスの代替案、廃止しない場合の高架化案かLRT化案である。行政が懸念したのは、それらの費用対効果であったが、LRT化がもっとも適切とされた。この点では北陸新幹線建設の補助金である国の連続立体交差事業の一部を路線のLRT化に使用できるという国の合意がえら得たためであった。平成15年になり、正式にLRT化が市から発表された。その後、北陸新幹線の高架事業の着工の関係で、平成18年にはその工事を終わらせる必要があったため、平成18年度を目標年に設定されることとなり、結果として平成18年度に富山ライトレールが開業した。

 

3、市民団体の動向

 それでは、上記の経緯の中で市民や市民団体が果たした役割とは何だったのだろうか。本論では、北陸線・ローカル線の存続と公共交通をよくする富山の会が一つ重要なアクターとして着目する。同団体は平成11年に発足した市民団体で、北陸新幹線延伸問題に伴う在来線の経営分離問題に独自の調査から提言を行うことから開始された団体である。

 富山ライトレールの問題に関しては、平成15年から開通までの平成18年までに様々な活動を行っている。まず、平成15年には市民を招いたシンポジウムを開催し、LRT化に関連する情報を共有したり、市への要望や市民の意識調査を実施した。また、シンポジウム以外でもアンケートを実施した。そのアンケート結果を見てみると、8割がLRTを歓迎し、7割近くが今まで以上に利用すると回答し、LRT化に賛成住民が多数いることが分かった。

 また、同団体は4度市へ要望を行っている。これらの活動を通じて、住民のニーズを反映させた。また、アンケートの対象は富山港線沿線住民を対象としていたため、歓迎ムードが高かったと思われる。これは非常に戦略的なアンケートの実施と言えよう。これは市が同時期に行った沿線住民へのアンケートと同傾向の回答であった。市民団体と行政がアンケートを実施することによって、LRTに対する住民の意識の傾向の信ぴょう性が高まる形となったと言えよう。

 しかし、上記のように市民団体が行政の外部で活発な活動を行う一方で、行政側の動きに直接的にかかわるような内部の活動には市民は参加をしていない。例えば、富山港線の上記の3つの案を検討した富山港線路面電車化検討委員会には市民の委員は参加しておらず、2名の大学関係者、2名の国土交通者関係者、2名の鉄道事業関係者、4名の富山市関係者の計10名が委員として参加してた。これらの行政の活動に市民団体が参加したのは、市も音頭の元、いくつかの沿線自治振興会が「富山港線を育てる会」を設立してからであり、主な活動として、育てる会と富山ライトレール株式会社と富山市とで平成16年に構成された富山港線路面電車化支援実行委員会を運営している。この委員会の活動として、市民に富山市の公共交通を通じた富山の発展に関わる活動への寄付を呼び掛けている。この活動は、市民との協力関係を強化する取り組みとして評価されている面もあるが、実際のLRT導入の検討には関わっていない。「富山港線路面電車化検討委員富山港線路面電車化検討委員会最終とりまとめ」はこの委員会が設立する前に出されていた。

 また、アンケートについて、戦略的に言えば確かに優れているが、民主主義の観点から見ると、一部の住民(沿線住民)に注目し、その発言の集計結果によって、市が行う政策を判定するには、果たして適切だと言えるだろうか。

 また、市長が平成17年度から3年間で108回の説明を行ったということから、成功したという評価もあるが、平成17年というと、ほとんどどんなものを導入するかなど決定してからであり、それらを決定したのは行政側である。

 

4、考察

富山市のLRT導入の動きを見ると、市民活動が活発に行動し、市民のニーズを行政に伝える役割を果たした。しかし、一方でその活動には限界もある。あくまで外部からの圧力であり、行政に対して強力な圧力団体としての活動は困難である。たとえば、検討委員会の委員に市民団体が選出され発言権を持つことができれば、その検討に影響を及ぼすことも期待できよう。また、富山港線路面電車化支援実行委員会への市民団体「富山港線を育てる会」参加は、行政が主導し、市民団体の自主性や独立性が保たれているとは言えない。上記の委員の選出においても気をつけなければならないのは、行政との関係性であり、委員に選出されたからと言って、行政の下につくわけではなく、あくまで団体としての意見は持ち続けるべきである。

 一方で、行政については、発表から3年以内の開業を実現し、そのスピードは驚くべきものがある。しかし、この実現に関して、必ずしも民主的であったかは、はなはだ疑問である。住民に対するアンケートの実施についても、沿線住民のみに対象を絞る手法や短期間での市民不参加の検討委員会の実施により、市民への情報の公開性や透明性に関して十分だったとは言えない。富山市のHPの市へのご意見・ご要望に対する回答のページには、LRTの工事の騒音についての要望として、工事の情報を知らせてほしいという要望があり、その解答は、工事などの調整がすすまず、住民へのお知らせが遅れてしまうというものもあった。

 このように、富山市のLRT導入をめぐる経緯を見ると、市民団体の役割が増えてきていることが分かるが、やはりまだ、行政の上からの圧力によって物事が進むという側面もいまだに強く残っていることが分かった。今後、ますます、地方自治体が抱える問題が増えていく中で、市民団体の動きがより、重要になるだろう。しかし、相対的に行政の上からの圧力が弱まらない限り、その力は発揮されにくいだろう。また、より民主主義とは何かという問題が浮上する。数に支援された行政と少数の市民団体の正当性をどのように比べるべきなのか。今後、考えていかなければいかないだろう。

 

参考文献・資料

富山市「公共交通を軸としたコンパクトなまちづくり」基調講演発表用資料125日開催「第4回人と環境にやさしい交通を目指す全国大会in東京」

土居靖範(2005 JR 富山港線のLRT 転換と課題(上)」『立命館経営学』第43 6

深山剛、加藤浩徳、城山英明(2007)「なぜ富山市ではLRT導入に成功したのか?」『運輸政策研究』Vol.10 No.1

酒井久雄、岡本勝規(2006)JR富山港線のLRT化過程にみる成果と課題−沿線住民の運動を通じて−』交通権学会(京都)

 参考URL

北陸線・ローカル線の存続と 公共交通をよくする富山の会

http://www5e.biglobe.ne.jp/~thlt/index.html

富山市役所「市へのご意見・ご要望に対する回答」

http://www3.city.toyama.toyama.jp/qa/cv_detail.php?id=235