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吉川浩文「合併、そして未来へ―下妻市の合併を通して―」

 

 自分の地元である茨城県下妻市の合併、そして下妻市の未来について考えてみたいと思う。理由としては、下妻市は隣の村の千代川村を含め、吸収合併を成し遂げ、200611日をもって、新「下妻市」となったが、私自身としては、合併を機会に日常生活が変わったわけでもなく、新「下妻市」となった感覚がなかった。しかし、昨年の122日に下妻市市議会選挙が実施され、その際に「“とちぎ発”地域社会を見るポイント100」のポイント12で、合併後の議員定数について書かれていたのを思い出し、我が下妻市では、合併直後では何人体制で市議会が行われていたのかが疑問に思ったことがきっかけとなり、新「下妻市」の発足までの経緯を調べ、合併で得た力をもとに、どのように未来の下妻をつくりあげていくのかを考えてみたかったからである。

 まず、上記に書いたように、200611日をもって新「下妻市」が発足したわけであるが、それに至るまでの道のりは長かった。2003年に第1回の合併協議会が開催され、その時は、下妻市と結城郡である石下町、八千代町、千代川村の4つの市町村で協議され、合併へと至るはずであったが、翌年の20045月に、合併に伴う大規模な新庁舎はいならいという理由で、合併計画に反対し、八千代町長をリコールする動きが見られ、実際に、リコール投票が行われたが、不成立となった。しかし、まだも問題は残っており、都市計画区域の取り扱いについて八千代町側が了解を示さなかったり、既存の名称を使用しないという条件の下で始められた合併協議会だが、「きぬ市」という名称が決定されていたにも関らず、映画「下妻物語」のヒット、下妻二高の甲子園出場、下妻市出身のアテネオリンピック金メダリストを輩出したということが重なり、「下妻」の名称を残そうという市民の署名が一万人分集まり、下妻市長が民意を無視できないとして、問題を複雑化させた。その結果として、この4つの市町村での合併は白紙に戻された。そして、20051月に、下妻市と石下町がそれぞれ千代川村に合併の申し入れをしたところ、「千代川村に新市庁舎建設」、「下妻市の名称での合併」という条件をもとに、下妻市と千代川村で合併の合意がなされ、はれて新「下妻市」誕生へと至ったわけである。そして、私は合併に至るまでの経緯を知ったのであるが、こうも目まぐるしく情勢が変わっていったのにも関らず、当市民として、何も知らなかったことを気づかされた。むしろ、当時高校生であった私は、自分から興味を持ち、自分から情報を手に入れ、知ろうとすることをしなかったことを認識させられ、若者に対してよく言われる、政治に無関心であるということが自分にもあてはまると感じた。それと同時に、市側も、市政に関して、大人だけを焦点にあわせ、政治の説明をし、進めるのではなく、子どもと若者もその視野に入れて、市政が展開し、また、別に悪事を働いているわけでもないし、万が一不正が横行していたら見逃すわけにもいかないので、多くの市民の目によって監視されているという点においても非常にいいと思うし、それは政治だと思う。

 次に、合併で得た力をもとに、下妻市はこれからどのように作り上げられていくかという点であるが、合併特例債は、合併による行政の効率化を図るために新庁舎建設、交流拠点としてやすらぎの里まちづくり事業(仮称)、宿泊施設建設事業、老朽化した中学校の新設や道路整備に使われるとのことであるが、私としては、中学校の新設と道路整備は確実に使用されるから、特例債が使われるのに対して納得いくが、新庁舎建設と交流拠点をつくる事業に関しては疑問がある。新庁舎建設においては、合併に条件に含まれているから若干仕方のない部分もあるが、私が考えるには、一ヶ所に建設するよりも、既存の庁舎を有効活用し、そのまま市役所として使用した方が、一概には言えないが、経費節約にもなると思うし、住民もその方が近くにあるので使い勝手がよいように思われる。さらに、連携して何か行う必要性がある時には、現代の情報技術を駆使して、インターネットを介して、テレビ電話を使用すれば、離れていても問題なく業務がこなせるだろう。交流拠点をつくる事業に関しては、東京から60km圏内、筑波学園都市に隣接しているという立地条件、つくばエクスプレスの開通による交通網の拡大、地方交付税がなくなるから、自力で資金を捻出させなくてはいけないという焦りなどの諸事情があるからこそ、特例債の使用計画に組み込まれているのだと思う。確かに、好条件があるからこそ利益を生み出すことも可能だと思うが、もう少し時間をかけて、慎重になって、検討する必要があると私は思う。特に、北海道の夕張市のような現実あるのだから、合併したのだから勢いに任せてつくってしまえというような考えではいけないと思う。まず、交通網の拡大によってどれだけの人を呼び集めることが出来、人件費を含めて収支の面をしっかりと、なんどもシミュレーションをしたり、あるいは他の市町村での成功例を参考にしたりして、その結果として事業に乗り込むべきだと思う。それくらい、慎重に行動すべきだと私は思う。

 また、成人式において「市長と語ろう20歳」というコーナーがあり、そこで未来を担う子供たちを養うという意味で教育の面と、グローバル化していく現実を踏まえて、これからその国際化に対してどのよう対応していくかという面の2つの事柄に注目して下妻市の未来について質問をすることができた。返答として、教育においては基本政策は「学校教育を充実させ、豊かな人間性をもつ子どもの育成」、「地域の文化を育みスポーツの輪を広げる」、「家庭や地域の人材の育成」であり、そこから学校教育、家庭教育、社会教育等のあらゆる場を通して「新時代をたくましく生きる知・徳・体の調和のとれた幼児・児童・生徒の育成」を推進するために、市は、確かな学力の向上、心の教育の推進、健康・体力の向上、教育環境の整備、家庭教育の充実、文化活動の振興、文化財の保護と活用をしていくとのことである。国際化への対応は、実際に外国人と交流するために、プールに模擬店を出展したりして国際交流祭を実施する、イベントへの外国人の参加、小中学校に外国人英語指導助手(AET)の配置、外国人への窓口サービスの業務として外国語の生活ガイドを配布、国際姉妹都市を提携するとのことであった。そして、この返答に私は満足であり、この方針が履行され、下妻市が発展していったらよいと思うが、強いて言えば、教育の面においては焦点が子どもだけにしかむいていないということが気になり、国際化の対応については、外国人の住民に対して、さらにもっとソフトに対応できるようにし、外国人が住みやすい町、多文化共生がなされた町になってほしいと思う。なぜ、前者に対して上記のように言うかというと、やはり教育現場において先生という存在は非常に大きいと思うからであり、行政が教育に携わることはあまりよくないかもしれないが、未来を担う子どもを育てるという意味で、その子の将来を潰さないように、最大限に何かをできる先生を子ども達に提供できるように、先生の質を高めることを行政が担ってはどうかと思う。さらに、後者に対してであるが、市長が返答したような5つのポイントだけでは十分ではないだろう。これから、ますます外国人の住民は増えていくと予想されるので、そう考えた時、他の市よりも一歩進んで対応を成し、外国人が住みやすい町づくりをしていったら、さらに外国人の住民は増加するだろう。そうすることによって、時代の流れから益を生み出すことが出来るだろうし、税収の上昇、多くの国際化になれた子ども達を育み、世界で羽ばたく大人を輩出することができ、多角的に下妻市が発展し、本当の意味で誰に対しても住みやすい町になるように思える。

 最後に、合併の経緯を追い、下妻の未来について考えてきたわけであるが、何をするにしても、慎重に物事を考え、検討し、話し合いをして、時代の流れを読みんで、この合併を機会に、さらに下妻市が発展してほしいと一市民として思う。

 

参考文献

「市町村合併@いばらき」http://blog.livedoor.jp/gappei/archives/cat_81080.html

合併協議会だより 創刊号(市役所の方より提供)

市町村合併特例債予定事業(市役所の方より提供)

下妻市・千代川村新市建設計画概要版 2005 下妻市・千代川村合併協議会

「市長と語ろう20歳」における質問に対する返答