080121jichinakamuray
中村祐司 「北京オリンピックをめぐる『ポジティブ』課題の拡充は可能か―新聞報道を素材にして―」
本レポートは、北京五輪をめぐる新聞各紙(期間は2007年8月から2008年1月まで)の「ポジティブ」報道(=開催の成功を後押しするような話題の新聞掲載)を抽出・列挙して、そこで指摘されたポジティブな中身を維持・拡充するための論点はどこにあるのかを探ったものである。
1.「温故創新」「礼儀大国」「重点産業地区」
大会の公式スローガン「同一個世界 同一個夢想」(一つの世界 一つの夢)とは別に、「温故創新」というキーワードがある。論語の「温故知新」からの造語で、古きを大切にしながらも新しいものを生み出すという意味である[1]。
「かつて中国は孔子に代表される思いやり重視の「礼儀大国」だった。しかし、その後の1919年の反日愛国運動「五・四運動」や1960年代からの文化大革命で古来の礼儀は「封建的」として排除されたといわれる。さらに「改革・開放」導入後の急激な経済成長で、市民は「われ先に」「取り残される」という社会心理に支配され、マナーは置き去りにされ今日に至っているという指摘がある[2]。
北京市政府の都市発展計画(2006年〜10年)によれば、市中心部に六つ、すなわち「五輪センター」「ビジネスセンター」「中関村ハイテク区」「金融街」「経済技術開発区」「臨空経済区」の重点産業地区が設けられた。これに伴い立ち退きをめぐる「官民摩擦の緩和」が一層重要となっている[3]。
01年から08年までの間に北京五輪で会場建設や都市再開発などに投じられる投資額は2800億元(約4兆4000億円)と、五輪史上でも過去最高額に達する見込みとなっているが、06年の中国全土の固定資産投資総額は10兆9869億元(約171兆2000億円)と、巨大五輪への投資の約40倍である[4]。
2.イメージの向上やボランティア募集
国際的なイメージ改善を図ろうと、空の玄関口となる北京首都空港に係官の態度に関する旅客の満足度を調べる機械が設置された。最重要事項は早さで、旅客1人につき45秒をノルマとした。列に並ぶ時間も25分以下を目標に設定した[5]。
五輪知識や国際常識を市民に植え付けようと、400万人の人口を抱える北京市最大の朝陽区で筆記試験形式の「五輪知識コンテスト」が実施された。出稼ぎ農民から外資系企業勤務のホワイトカラーまで文化程度の差が大きい朝陽区で「文明偏差値」を引き上げがなされたと宣伝された[6]。
北京大会のボランティアは、パラリンピックも含めて10万人の募集に対し、すでに76万人を超えるなど、北京市民の五輪ムードも高まってきている。
3.自然エネルギー、食の安全と「五輪豚」
北京五輪会場では2カ所の風力発電所消費電力の20%を賄うほか、北京市の五輪用体育館には100キロワットの太陽電池が設置された[7]。
北京市は、選手、スタッフらの安全確保のため、消費から生産までさかのぼって食品情報を追跡できるシステムの導入を発表した。また、市内で300万台に上る自動車の排ガス規制を厳格化し、天然ガスを燃料とするバス4000台を導入することも決めた[8]。
「五輪豚」の安全性が宣伝されるということは、裏を返せば、一般市民が食べている豚肉には問題があるということになる。組織委は、北京市で流通する豚肉の97%以上は品質検査をクリアしており、選手用と市民用の区別はないと強調し、市民の反感の緩和に苦心していると報道された[9]。
4.選手養成、反ドーピング条例、北京五輪くじ
中国ではエリート選手養成の体育学校が全国で221カ所あり、強化費は10代のエリートが通う体育学校から省、市のチーム、代表までほとんど国が負担する。しかし、その一方で毎年3000〜6000人の選手が引退し、その約4割が生活苦にあえいでいるという報道もある[10]。
2004年には「反ドーピング条例」を施行し、国家体育総局は、違反が発覚した場合、選手だけでなく所属の省や市、競技団体なども連帯責任を負うと定めた[11]。
中国国家体育総局スポーツくじ管理センターは、北京五輪のサッカーなどを対象とするくじを販売すると明らかにした[12]。
5.企業ブランドの浸透、インターネット放送、聖火の平壌通過、中台関係
北京五輪は「13億人の市場にブランドイメージを一気に浸透させる最大のチャンス」(北京の広告代理店)といわれる。スポンサー企業からは、「ギリシャや豪州とは市場規模が比較にならない。50年、100年先を考えれば高い買い物ではない」という声もある。また、北京には中国全土から投棄資金が流入し、新築住宅の販売価格は「6年で2倍になった」(不動産業者)といわれている[13]。
北京五輪とインターネット放送について、IOCは2003年に米NBC放送と2010年冬季五輪大会、2012年夏季五輪大会について、テレビ放送権とインターネットで動画を使う権利を一括した契約を結んだ。その流れで北京五輪の権利も販売することになり、韓国などでは既に契約が成立していると伝えられている[14]。
五輪聖火が平壌を通過するのは初めてとなる。北朝鮮側は、聖火リレーの公式パートナーである米コカ・コーラ、韓国サムスンと中国系パソコンメーカー・レノボの3社が並走車両に広告を掲げることや、パンフレットを配ることを認めた[15]。
中台(中国と台湾)の選手の関係は悪くない。同じ言葉をしゃべるから自然と親しくなる。「国際大会への復帰が遅れた中国の選手に真っ先に差し入れなどしてくれたのは各地の台湾同胞だった」という指摘もある[16]。
6.「ポジティブ」課題の拡充は可能か
以上、北京五輪に関わる新聞報道におけるポジティブ課題を抽出したが、ここで考えたいのは、ポジティブ性を維持・拡充する政策対応のあり方である。好影響の促進や関連のネガティブ課題解決への適用といった可能性の追求である。以下、個々の視点を羅列する。
「温故創新」は歴史の浅い国家にとっては真似したくても打ち出すことのできない発想であろう。「礼儀大国」の復活に北京五輪が一役買う可能性がある。北京市における重点産業地区は大都市をめぐる発展バランスのモデルとなるかもしれない。マナーの問題だけでなく国際的なイメージアップが市民意識を向上させる素地になり得る。
北京五輪はテレビ放送権とインターネット動画配信権をめぐる綱引きに決着をつける先例となるかもしれないし、テレビとパソコンとの融合化をより一層加速させる起爆剤となるかもしれない。
五輪終了後の国家予算の大幅削減に国民から反対の声が上がり、結果として卓球や体操といった十八番(おはこ)のスポーツ種目と、サッカーやバスケットボールといった欧州やアメリカにおける主流のスポーツ種目との融合がバランスよく進むかもしれない。
消費から生産までの食品情報の追跡情報システムが確立され、また「偽物天国」の汚名が返上され、さらには北京市の環境バスや五輪用体育館で使用する太陽電池が普及すれば、中国に対する環境批判のトーンは下がるかもしれない。
スポンサー企業のブランドイメージの浸透は世界市場におけるブランド競争の様相を一変させ、社会的貢献のあり方をめぐる世界規模での企業哲学論議がわき上がるかもしれない。北京五輪関係をめぐる投資のイメージと実際とのギャップが逆にオリンピック大会そのものを冷静に見直す契機となるかもしれない。
ドーピング封じ込め政策が貫徹されれば、そのことは同時に五輪を舞台にした「国威発揚」の行き過ぎにブレーキをかけた成功事例として後々まで記憶されるかもしれない。僅かな時間とはいえ、国外来訪者と接する空港係官に対する好イメージの印象は、それがそのまま世界に向けた国家イメージのささやかなPRとなるであろう。
サッカーやバスケットボールなどの北京五輪種目の一部をくじの対象とすることで、仮に予想外の不人気に終わったとしても、収益金等の結果(成果)を明らかにすることを通じて、スポーツ振興財源に対する国民の関心を引き上げる可能性はある。
「五輪知識コンテスト」や、五輪聖火の平壌通過とその際の並走車両へのスポンサー企業広告の掲載についても、人と国をめぐるプラスの周縁効果を発揮するかもしれない。中台の選手のフレンドリーな関係についてももっと注目されていい。76万人に及ぶボランティアの募集がたとえ動員性が強いものであったとしても、ボランタリーな行動自体の価値が失われるものではない。
[1] 2007年8月8日付毎日新聞「北京五輪まで1年」。
[2] 2007年8月9日付毎日新聞「開幕あと1年 点検北京五輪」。
[3] 2007年8月8日付読売新聞「中国疾走 五輪まで1年」。
[4] 2007年8月11日付読売新聞「中国疾走」。
[5] 2007年10月11日付産経新聞「好評価は北京五輪まで?」。
[6] 2007年11月23日付産経新聞「北京五輪へ 市民“テスト”」。
[7] 2008年1月4日付朝日新聞「省エネ 上回る成長」。
[8] 2007年8月6日付日本経済新聞「モーレツ開発 しわ寄せ市民に」。
[9] 2007年11月7日付産経新聞「五輪豚は『事実無根』」。
[10] 2007年8月7日付産経新聞「北京 夏天 あと1年」。
[11] 2007年8月14日付読売新聞「中国疾走」。
[12] 2007年11月7日付毎日新聞。
[13] 2007年8月11日付読売新聞「中国疾走」。
[14] 2007年8月8日付産経新聞「『北京』あと1年」。
[15] 2007年12月16日付朝日新聞「平壌にコカ・コーラ広告」。
[16] 2008年1月4日付朝日新聞「中台きしまぬ五輪が見たい」。