080121gunjit
郡司 寿次「水戸市と茨城町の合併について」
1.テーマの設定動機
現在、国の後押しもあって全国各地で市町村合併が起こっている。その流れが4年前に自分の地元である茨城町にも来た。隣接する水戸市と合併しようという協議であった。しかし、つい2ヶ月前にその協議は打ち切られ、水戸市と茨城町の合併案は廃止に終わった。
各地の合併協議を調べたところ、協議が打ち切られ合併案が廃止に終わる事例はほとんどなかった。そのため、どうしてこのような結果になったか合併協議開始から終了までの経緯を踏まえ、原因を追究したいと思った。できるのであれば、どうしたら水戸市と茨城町は合併したかも考え、案をまとめられればと思う。
2.合併協議の経緯
2003年10月 合併に関する住民アンケートを実施
2003年11月 合併調査特別委員会発足
2004年 5月 茨城町が水戸市に合併案を申し入れる
2005年 8月 行政制度内容調査合同説明会が開催
2005年 9月 水戸市茨城町行政内容調査合同説明会が開催
2006年 9月 水戸市と茨城町の合併が仮決定される
2007年 4月 茨城町選挙が行われ、町長が交代する
2007年 6月 茨城町が水戸市に合併案の打ち切りを申し入れる
2007年10月 合併協議案廃止及び協議会解散
3.合併案廃止の背景
水戸市と茨城町の合併案を廃止へと導いたのが、上記2項に記されている茨城町長選挙である。この選挙で茨城町長が佐藤 順一氏から小林 宣夫氏に変わった。町長の交替が合併案の交替へとつながった。
両者は合併案について全く正反対の考えを持っていた。佐藤氏は町長就任から水戸市と茨城町の合併について意欲的な姿勢を見せており、住民アンケートでも約7割の合併への賛同を得ることができ、その声を反映させたいと強く考えていた。そして当時は茨城町が成立してちょうど50年目であり水戸市と合併することによってさらによりよいまちになるきっかけとしたかったようだ。一方で小林氏は、この案にはかなり慎重(反対)の姿勢を見せていた。小林氏の考は次の3つである。@合併することで茨城町にメリットがあるのかと考えると、ほとんどない。A政府が制定した合併を促進させるためのアメである、「合併特例債」はすでに受領期間を過ぎていたこと。B住民アンケートが行われた時と茨城町長選挙が行われた間の期間に住民の合併に対する思考が明らかにかわったこと。この3点を理由に挙げている。また、茨城町には新しく2つの高速道路と3つのインターチェンジができ、それらは町内にある2つ工業地域に近いため、合併しなくても独自に発展していくことができると考えていた。
4.茨城町民の合併案に対する考えの変化
茨城町長選挙によって町民の合併案に対する考えが変わっていったのも注目すべき点だ。選挙が行われる前まで佐藤氏が合併案を推し進めていたこともあり、町民のほとんどは合併案に賛成だった。しかし、選挙が行われ町長が小林氏になってから彼らの合併案に対する考え方は冷ややかになった。町民の間でもし本当に合併すれば、水戸市内で旧水戸市と旧茨城町間で発展格差が深刻化する。そう考えると、その問題があるにもかかわらず、今より高い税金を払うことになるのはいかがなものかという考え方が広まった。そのため、住民アンケートから約4年後には合併案反対の町民が多数を占めるようになった。
5.どうすれば合併案は成立したか
まず、合併案を成立させることができなかった背景には以下の2つの理由があるのではないかと考える。@合併特例債が時限制度であったこと。A合併後、旧市町間の発展格差をどう埋めるかビジョンが明確ではなかった。の2点である。日本の現行の合併特例法では、とにかく早く合併しろといわんばかりの法律である。合併それだけを強く勧めていてそれ以外の点に触れられていないように思える。合併する地域の多くは、発展都市と地方都市間がほとんどである。そこでは上記の小林氏が言っているように、両街の発展格差を生む。なので、合併後に両街間で格差が生まれないメリットのあるまちづくりにすることができる法整備をする必要があると思った。また、合併特例債も時限制度ではなくその法に常時付随する制度とすれば合併案成立の可能性は高くなったのではないだろうか。
6.参考資料
@水戸市茨城町合併協議会ホームページ
→http://www.town.ibaraki.ibaraki.jp/gappei/gappei-m-i/index.html
A「茨城町と水戸市との合併協議打ち切りについて」
→http://business2.plala.or.jp/ibarakit/gappeinituite.pdf