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酒井綾子「居住区における自治への考察」

 

現在日本では最小の地方自治体は市町村とされている。市町村以下の居住地区単位の自治会や町内会は行政区分ではなくその活躍する範囲も限られたものとなっているが、アメリカにおいては現在、居住区における強力な自治、従来既存の公政府が行ってきた事業やサービスをその居住区内にける税金の徴収と民間企業などへの委託で行うという点に政府の代替的機能が見られ、私的政府とも言われる自治形態が現れている。

 そのようなアメリカの集合居住区、CIDには、入居者制限によるものでなくても経済的に事実上中高所得者 のみが住むことのできるものも多く、富める者とそうでない者との社会の分断であるなどの指摘は多い。すなわち個人主義とネオリベラリズムの風潮の中、経済的に豊かな者のみの居住区が自治の一つの単位となりお金を出して民間に整備やセキュリティなどを委託し、自分たちに必要な公的サービスは自分たちの居住区内で充足できるということを達成できることで、自分たちの居住区におけるサービスが満たされればそれで良いとし、その他の人たちについては無関心になる可能性、低所得者、貧困層への福祉政策などに対する軽視につながり一層の社会分断が進行するという可能性への批判だ。社会分断の象徴として、集合住宅形態の中でもセキュリティ機能を高め、居住区の周りをゲートで囲んだゲーテッド・コミュニティと呼ばれる形態などには特に批判も多い。また、居住区と地方税との税金の二重払い回避の要求も見られる。公的政府が行う事業、サービスを居住区レベルで代替した部分のみについての二重払いを免除することに問題はないのかもしれないが、根本に自分たちの税金が自分たちと関係のない者への事業や低所得者、貧困層への福祉事業のために使われることに反対であるというような思考があるとしたら、ネオリベラリズムや競争主義の思考のもとで、富裕層と低所得層との分岐は自由主義経済の競争の結果であって格差の是正、弱者の救済や福祉は不要だとする考え方をする者が富裕層の一部にいる現在、格差社会という社会問題と結びつく重大な問題であると思う。

 

 

しかし住民の意思も入った合併は進められているものの日本の市町村からは与えられた行政区分という感じが抜け切らないように思えるのに対し、アメリカでは地方自治体の出来方も、日本と異なり住民の意思と合意をもとに税金を拠出し施設設置などを進めて創設されるというものであるということは、自治や政治とは何かということを問いかけてくれてもいると思う。日本では国民にも政府に任せきりにする受動的な意識、態度があったり、国家、地方共に現在の政府、体制に非効率性や無駄遣い、汚職不祥事も多いことが国民の政治への関心、関与の意欲を失わせているところもあったりする。既存国家、地方自治体の非効率性には改善、工夫する余地が多くある。サービスや事業によっては従来の国家や地方自治体という大きな単位から画一的に非柔軟的に供給される代わりに居住区を一つの自治の単位とし、効率良く供給する方法をとるのも一つの策だとする声もあり、また、国民の政治政策決定における参加が少ない現状の中で、自分たちの居住区における自治は政治への関心関与への意欲につながる一歩となるとするなど、居住区を一つの自治単位として肯定的に見る論もある。

 

 

最近日本社会の中でアメリカのCIDに関しては、やはりセキュリティという項目への注目が大きい傾向にある。日本ではアメリカで見られるようなゲートで囲む集合住宅や極度に差別排他的な集合居住区などは建設上、法律上の制限や困難や実現性の観点から以前に意識的、景観的にも日本でそのような形態は馴染まないというところもあるのだが、現代の社会の中ではセキュリティへの意識、不安が大きい。居住区においてセキュリティに重点を置き、ゲーテッドシティも含めて着目し、アメリカの集合住宅形態からセキュリティ部分が模倣、導入される傾向にある。実際にはタウン・セキュリティと呼ばれる「居住区ぐるみの集団的セキュリティ体制」という形態が新興集合住宅地などで出てきている。壁で囲い込む代わりに地域、居住区ぐるみの協力による防犯といえる点、またその居住区で防犯の意識を高く持ち自分達でそれを行うという意識は自治への関心と参加意欲につながるという点から評価する論もある。

 

 

しかし、セキュリティの過度な追求の方向性には問題点も潜み、居住区における自治についてもやはりアメリカにおける批判と同様の問題点、注意するべき点がいくつかある。

現在の日本では階級によって居住区が分離される傾向が多く見られるわけではないが、セキュリティの追及や居住区の整備において効率性のために所得層的に同質性を求め、高所得者のみの居住区という要望が増加したり、高所得者と低所得者との居住区が分かれたりする傾向が進むと社会的な問題も出てくると思う。実際に日本でも入居者制限によるものでなくても実質的に高所得者層のみなど所得層的に同質性の高い集合居住区というものも注目されているし、競争主義社会の現在の中で弱肉強食思考と結びつき、社会分断へという方向に向かう場合はアメリカと同様に、問題であると思う。 

居住区を一つの単位とする自治では内と外との境界性がはっきりするというような性質 側面も持つので、この点からも、自分達の居住区の外に住む人たちについては無関心、関与しないという方向性に向かう可能性への注意が必要だ。関心がただ内向きのものにとどまるとそこからより広い政治に対して関心がつながるということもなく、物理的障壁を置かなくても社会の分断という方向性につながりうる可能性もある。

また、個人主義の風潮も強い現在では、自分達の居住区のことしか考えないと言うときにも、その「自分達」ということに対しての捉え方が、ただ共に同じ居住区に住むから「自分達」というだけで、または階級的に同質的な自分たちという意識のみで、親睦や 共同体的意識 コミュニティ意識 を感じているとは限らず、自分のことのみを考えているという傾向も見られる。近年の地域、居住区における親睦や近所づきあいの減少、ほぼ皆無という状態もあることは既に指摘されているが、居住地に対してセキュリティなどのみに重点を置いている、その点で自分が満足できれば他のことは自分達の住む居住区内のことでもその自治、政策に関心を持たないということも多いかと思う。個人の家のみにしか関心がなく居住区全体には興味がないという考え、このような個人主義の傾向のもとでは自分たちの居住区のことしか考えない差別性と分断の心配どころか、自分の属する居住区 自治 にさえ関心がなく、より広い政治全体にはますます関心は持たないということも心配されると思う。

 

 

居住区における自治は住民に最も近い自治体として、既存の国家、地方自治体の都道府県、市町村という大きな単位よりも地域の事情に精通し、より効率的に政策、事業を行うこともできるという側面、住民の政治への関心や関与の意欲を促すきっかけともなりうるといった多くの利点も持つ。同時に、内と外との境界線を持つ性質や効率性、安全の過度な追求の傾向から、階級者別の居住区の分離、社会の分断という方向性への危険、批判も常につきまとうどのような政治単位においても非効率的なことや無駄遣いなどは多く、効率性を高めたり競い合ったりすることは必要だが、弱者保護の軽視などによって効率性を高めるのではなく、共存と社会的、公的性質も一つの政治単位として重要だ。。福祉分野は大きな政治単位から一律的になどで行われるより、身近であり事情を知りうる地域単位で協力、対応することで効率性を発揮することのある分野でもある。そういった効率性という方向を追求し、また、効率性から同質性を求めて階級別に居住区が分離するような傾向に進むのではなく、福祉の必要な者も居る居住区の自治体レベルで福祉政策も充実した形態であるというのが本来望ましいものだと思う。

 

 

 

 

参考文献、HP

エヴァン・マッケンジー著/竹井隆人、梶浦恒男訳『プライベート・ピア ―集合住宅による私的政府の誕生』世界思想社、2003

倉沢進、小林良二『地方自治政策 ―自治体・住民・地域社会』放送大学出版、2004

竹井隆人『集合住宅デモクラシー ―新たなコミュニティ・ガバナンスのかたちー』世界思想社、2005

読売新聞オンライン「広がるタウン・セキュリティ」

http://osaka.yomiuri.co.jp/rakujyu/monthly/rm51029a.htm2007113日アクセス)