070115imaizumim

 

今泉桃佳「自立する地方自治体―矢祭町を事例に―」

 

 「矢祭町」、「平成の大合併」における混乱の中で福島県でも知名度の低かった(と思われる)この町が一躍脚光を浴びた。その要因が、「市町村合併をしない矢祭町宣言」である。これはこの町が現在日本国内いたるところで推し進められている「平成の大合併」を尻目に2001年、堂々と全国に向かって掲げた方針である。福島県内でも多くの市町村の合併が進む一方で、なぜ人口七千人程度の過疎化が進むこの町がこのような決断を出したのか、また、合併により各自治体がどんどん大きくなっていく中で一自治体としてどのように自立していくのか、福島県出身である私なりの考えも含みつつこれらを考察していこうと思う。

 

 まず、矢祭町の紹介から始めよう。矢祭町は福島県の最南端に位置し、人口は6974人(平成1812月1日現在)、福島県最大の都市である郡山市までは70km、町の中心には矢祭山があり、町の南北に流れる久慈川に沿って開けた村落である。行政においては、20027月に個人情報保護の観点と利用者が年10人足らずだったことから、全国で最初に住民基本台帳ネットワークシステムからの離脱を宣言した。そして、2001年「平成の大合併」に反対して他の市町村に先駆けて「合併しない宣言」を町議会が可決した。

 

 ではなぜこのような宣言を行ったのか。その理由は「合併をしない矢祭町宣言」においてこう述べられている。『市町村は戦後半世紀を経て、地域に根ざした基礎的な地方自治体として成熟し、自らの進路の決定は自己責任のもと意思決定をする能力を十分に持っております。地方自治の本旨に基づき、矢祭町議会は国が押し付ける市町村合併には賛意できず、先人から享けた郷土「矢祭町」を21世紀に生きる子孫にそっくり引き継ぐことが、今、この時、ここに生きる私達の使命であり、将来に禍根を残す選択はすべきでないと判断いたします。』またその中で、合併を推進する国の目的は、小規模自治体をなくし、国家財政で大きな比重を占める交付金・補助金を削減し、国の財政再建に役立てようとするものである、と国の政策に対する批判もしている。そもそもこの矢祭町は、第二次世界対戦終戦後、1953年から1950年代末頃にかけて実施された、いわゆる「昭和の大合併」で「血の雨が降る」と言われる程の犠牲を出した歴史を持ち、合併によって山村が見捨てられると懸念したのが大きな理由とされている。

 

ではこの宣言以降、一地方自治体として生き残っていくため、具体的にこの町はどのような政策を行っているのだろうか。その内容は非常に興味深く、私自身も驚いたほどである。その政策は、簡単にいうと独自の財政の歳出削減により行政改革を行うものであり、「矢祭町集中プラン(平成1721年度)」において述べられている、財政の基本は「入るを量りて出を制す」である、という言葉にぴったりであるように思う。その一部を以下に示す。

職員・人件費と削減>

職員削減に伴う、職員の職務兼務・組織変更>

<出張役場制度の創設>

役場職員の自宅を出張役場として利用。町民は職員自宅で各種届出・納付可能に。

 

<その他>

・町税等の公共料金の支払いをスタンプ券で支払い可能に。( 地元商店街が発行する、スタンプ券(買い物の際に27000円で500円分)で、介護保険料含む各種公共料金を支払うことが可能になった。)

・役場職員消防隊の結成(役場職員が消防員として、有事の際に消火活動にあたっている。)

     税金滞納対策( 職員自ら回収にあたる。夜は超過勤務手当のかからない課長クラスが担当。)

 

そしてなにより驚いたのが介護保険料の安さである。福島県内では最も安く、全国も8番目に安いというその負担額は一カ月千九百四十円で、国平均の三千二百九十三円を大きく下回っている。しかしながら決して介護サービスの質が低いわけではなく、町内には特別養護老人ホームやデイサービスセンターも完備され要介護者・要支援者を受け入れる態勢も整っている。担当者が、その安さの秘密は役場のやる気だ、と言っている通り、介護保険は特別会計となっているため、決算が赤字となることを恐れる市町村は少し多めに介護保険料を徴収しているが、矢祭町は実際に予想される介護サービスの量を一人ひとりのお年寄りの体の具合など実態に即してきめこまかく算出し、保険料を割り出しているためこの低料金にできているようだ。

 

また、過疎化に歯止めをかけるために、17年度は3人目の赤ちゃん誕生に100万円を祝い金として出したり、さらに4人目に150万円、5人目に200万円を出すという太っ腹な政策の実施をも目指しているという。加えて、町の収益を増やす上でも重要な企業誘致も積極的に行われ、町民税は平成8年度から右肩あがりの増収である。

 

これらを見てみると、合併になだれ込んだ市町村の最大の理由である「合併しないと財政が行き詰まる」という考え方は、矢祭町によって大きく覆されたように思う。もちろん、ここまでの経緯に町民の団結と多大なる努力があったからこその成功である。2006年に矢祭町で開催された「第6回 小さくても輝く自治体フォーラム」(11415日)に参加された方のコメントに「矢祭町は職員の自宅を出張役場と位置付けたり、職員OBによる第二役場構想など次々と新機軸を打ち出してきたが、何といっても最大の実績は、住民との揺るぎない連帯感を醸成したことにあるだろう。」とあった。そのうえで「矢祭町は一つの完成された町をつくり上げた、住民と役場の一体感は日本一である。」と述べている。なんだか自分がほめられているようでとても嬉しかった。私は矢祭町の人たちを同じ県民として誇りに思う。矢祭町の、「自己決定、自己責任による小さくても独立独歩の自立した町づくりを進めていく道」(矢祭町集中改革プランより)はまだまだこれからも進化していく。矢祭町が理想とする自治体の完成に向けて挑戦し続けてほしい。矢祭町のこれからが非常に楽しみだ。

 

 

参考HP

http://www.town.yamatsuri.fukushima.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020004&WIT_oid=icityv2_004::Contents::1184(矢祭町HP「市町村合併をしない矢祭町宣言」)

 

file:///E:/%E7%9F%A2%E7%A5%AD%E7%94%BA.htmWikipedia「矢祭町」)

 

http://www.town.yamatsuri.fukushima.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020004&WIT_oid=icityv2_004::Contents::1220(矢祭町HP「矢祭町集中改革プラン」)

 

http://www.kagaribi.co.jp/index.html(かがり火「No110」)