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市来 優太「宇都宮周辺地域における町村合併」

 

はじめに

マクロに眺めると、 “平成の大合併” と言われる全国規模の市町村合併はとても大きな規模で進んできたように見えるが、ミクロに覗いてみたとき、いったい何が見えてくるのだろうか。つまり、平成の大合併が、数値的にいえば非常に進んできた中、もっと一つ一つの自治体を取り上げたときどのようなものが見えてくるだろうか。

 

地方自治論の授業の前半では、日本国における市町村合併を分権改革と三位一体改革に結び付けて、非常にマクロで行政的、制度的な面から学んできた。これを、もっと市民の意識レベルで捉えてみようという試みである。

 

私は、現在宇都宮市に住んでいるが、ここ宇都宮でも市町村合併の話が耳に入ってきたし、実際そのような動きも見られた。今回ここで、宇都宮市とそこに絡み合う8町(河内、上河内、南河内、石橋、芳賀、高根沢、壬生、上三川)がいつ、なぜ、どのように、合併に至ったのか、または至らなかったのかを分析していく。

9つの自治体にどのような“合併観”があったのか。それぞれの思惑はどのように動いていったのか。そして、平成における当該地域での合併政策を通して言えることはどういったことだろうか。

 

 

1.             宇都宮市から見た8町を巻き込む合併計画

 

(1)宇都宮市の掲げる合併の“背景”“メリット”“デメリット”

 宇都宮市のホームページでは盛んに、合併推進を市民に呼びかけるような文やメッセージが掲載されている。これは、よく考えてみるとわかることなのだが、宇都宮を中心とする栃木県中央から県南にかけての地域の中では、珍しいパターンである。

 

 というのも、宇都宮市以外にはこのように、「合併」という言葉自体が、現在各自治体で掲載されているところはほとんどない。唯一、芳賀町にだけは市町村合併という項目が並んである。

 

 宇都宮市のホームページにおける、合併に関連する記述は、ただ「載っている」というものではなく、非常にわかりやすく、丁寧に述べられている。(一応注意しておきたいのは、“わかりやすさ、丁寧さ”というのは“論旨が貫かれていて鮮明に”という意味で用いたわけではない。)その内容として、市が掲げる合併の“背景”や“メリット”、そして“デメリット”が説明されている。

 しかしながら、トップページから入って行きやすい場所にあるとはいえない構成になっていたのは事実だ。

 

(2)これまでの合併への取り組み

また、これまでの合併への取り組みというものも掲載されている。しかしながら、事実、宇都宮市は8つの町村との合併を考えていたが、多くの自治体と決裂して終わるという結果になっている。市のホームページに掲載されている、さまざまな合併協議会の経緯などが、うまく行ったもの(その時点では、合併に前向きに終了した会合)とを、そうでないものを並べて比較してみると、うまく行かずに終了してしまった協議会の多さに驚くだろう。

 

 (3)宇都宮市の抱く合併観

 つまり、上述したような、各自治体のホームページという“市民との架け橋”となる場で、開けている情報から、各自治体にどのような経緯があり合併に至ったり至らなかったりしたのかが見えてくる。

 

 “温度差”というか、“すれ違い”と言えようか。つまり、各自治体の抱いていた合併観というものに違いがあったのだ。さまざまなコミュニティサイトやブログで、広範囲とはいえないがいくらかの市民・町民たちが、WEBという媒体を使ってローカルでインフォーマルな非常に小さい協議会を行ってきた。

 

 行政が、制度が、という考え方の重要度は確固たるものだが、こういったローカルなコミュニティを無視していられるだろうか。実際このようなインフォーマルな場面で(ネットなどはそのごく一例、公園、主婦の立ち話、噂話など、さまざまな場面が想定される。)、行政というものは動きを封じられるのではないだろうか、と考える。

 

 

2.各町から見えていた“合併観”とは

他の町村の間では、一体どのような反応が、市民レベルで起こっていたのだろうか。ここで、宇都宮市と合併協議の関係があった8つの町村をあげておく。上三川町、高根沢町、芳賀町、壬生町、石橋町、南河内町、河内町、上河内町である。

 

 このうち、河内町と上河内町は、宇都宮市と合併が成立した。また、石橋町、南河内町は、別の二つの自治体と下野市を構成するという結果になったし、他の自治体とは決裂に終わっているのだ。

 

 ほかの高根沢町や、上三川町という多き企業を持つ町では、かなり明確に合意に至らなかった模様が、宇都宮市のホームページなどから予想がつく。

 

 しかし、芳賀、壬生といった町村とはどのようにして、なぜ決裂してしまったのだろうか。

 壬生町では、高根沢町との合併を計画していた。高根沢も同様といえる。しかし、宇都宮は高根沢と芳賀にそっぽを向かれたという結果に終わっているが、ひとつ疑問なのは、高根沢町は芳賀町と合併に至らなかった。

 WEBにおけるある市民たちのコミュニティサイトにおいて、市民たちがどのような反応をしているかがうかがえる。本来はアンケートやインタビューといった形をとることが望ましいのだろうが、こういったサブカルチャー的な場面にも、政治の末端が隠れているのだということも考慮してみた。

 

 芳賀町民は、「どーせくっつくなら宇都宮と合併したい」という考えが多かったり、高根沢の人は合併したくないのか、ということを考えるとなると注目はホンダに働く人だが、実際ホンダマンたちの多くは宇都宮に暮らしているという現状があったようだ。

 

 

まとめ

 

宇都宮市の「合併したい」という“片思い”の理想は、結局現実化しなかった。合併が現実化したのは、上述したように河内町と上河内町という、結局どちらも当初から宇都宮との合併に友好的、というより熱愛的な自治体としか成功できなかったわけである。県内初の50万人都市は達成できることになったものの、人口減少が始まった今、夢の政令指定へは随分な遠さが感じられる。

 

 こういった市町のやりとりは、政治的要素や経済的要素が一番大きいことは事実だ。だが、その裏には市民たちの“見張る目”というものが、存在する。もちろん選挙という仕組みはこういった“見張る目”を政治と無関係にはさせないようにしている。

 結果的に言えば、この「全国の平成の大合併」という問題においては、市民の意識が高まったということができるだろう。しかし逆に言えば、市民たちの意識が下がれば、“見張る”は選挙というフィルターを通さなくなり、政治はもっと政治的で経済的なものになる。それは、市民のためではなく、政治家が自分たちのための政治・経済を意識するという意味になるのだ。今回の大合併、宇都宮地域では住民の考えが大きな影響を持って動いた形になったのではないだろうか。

 

参考文献

宇都宮市HP

http://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/somu/somu/somu_03_gappei.htm20061217日現在)

上三川町HP

http://www.town.kaminokawa.tochigi.jp/20061217日現在、未検討)

高根沢町HP

http://www.town.takanezawa.tochigi.jp/20061217日現在、未検討)

壬生町HP

http://www.town.mibu.tochigi.jp/20061217日現在、未検討)

芳賀町HP

http://www.town.haga.tochigi.jp/20061217日現在、未検討

河内町HP「合併情報」

http://www.town.kawachi.tochigi.jp/busyo/kikaku/gappei/20061218日現在、未検討)

宇都宮地域合併協議会HP

http://www2.ucatv.ne.jp/~u-gappei.moon/index2.html20061218日現在、未検討)