babak070115

馬場久美子「馬路村〜ゆずによる村おこし〜」

 

 私は、今回このレポートを書くにあたり、ゆずによって村おこしに成功した高知県の馬路村を取り上げることにした。わたしが馬路村の存在を知ったのは、『ごっくん馬路村』というゆずドリンクを飲んだ時だった。村の名前をそのまま商品名にしてあることに驚いた。馬路村について、調べてみると、『ごっくん馬路村』以外にも多くのゆずに関連した商品があることを知った。ゆずの生産量日本一を誇る高知県にありながらも、そのゆずの産業において、村として成功をおさめた経緯を見ていきたいという思いから、このレポートを書くことを決めた。しかし、そんな馬路でも、人口は減少傾向にある。全国ブランドである馬路村の、そのような現実の問題も見極めながら、村おこしというものを考えていきたい。今日、村おこしは、多くの地域で考えていかなければならない課題でもある。そのことも念頭におきながら、馬路村独自の産業への取り組み方を考えていきたい。

 

 馬路村は、高知県の東部に位置する、人口1155(平成183月現在)の村である。高知県35市町村で人口が2番目に少ない。また、1000m級の山々に囲まれた山間に位置し、面積の96%を山林が占めている。基幹産業は、林業と農業である。これまでに、市町村合併の機会はあったが、村民の反対多数により、合併協議を離脱してきた。その大きな要因として、馬路村が県東部の幹線道路である国道55号に出るまで、村の中心部から車で30分以上かかる僻地であるということが挙げられる。大半が国道沿いに位置する県東部の他の市町村とは地理的条件が格段に悪く、多くの村民は「合併すれば真っ先に切り捨てられる」との懸念が強かったという。それと、合併すれば、あらゆる分野で合理化が進むのは間違いない。馬路村は農協や林業、温泉施設などと一体となって振興を図っているが、新自治体ではそこまでの対応は難しいだろうし、地理的に不利な馬路の産業はリストラ対象になりやすいということであった。そして、「産業が消えれば人は生活できなくなり、いずれ地域が消える。それはできない。」というのが、馬路村の出した答えであった。

 

 そのような馬路村を代表するゆず産業は、現在では、30億円産業にまで成長している。農業就業人口率は32%で、農業産出額の90%をゆず関連のものが占めている。(平成16年度) ゆずは5月中旬ごろ白い花を咲かせ、10月下旬から11月いっぱいが収穫期となり、村中が黄色に染まり、柚子の香りが谷間いっぱいに満ちる。ゆず関連の商品は、『ごっくん馬路村』をはじめとして、ポン酢や味噌、ジャムやゼリーなど様々であり、50種類を越えている。村の中には、『ごっくん工場』というゆずの加工工場があり、見学が出来たり、商品が販売されている。また、物産展へ出展や、通信販売の充実などに努めている。

 

 馬路村がゆず産業を始めたのは、1970年代のことである。当時、林業が村の唯一の基幹産業であったが、木材価格の低迷や林業従事者の高齢化によって、衰退し始めていた。それに代わって大きく成長したのが、1960年代半ばから植栽を開始し、70年代半ばから取り組みを開始したゆずの生産と加工品による「ゆず産業」だった。村にはもともと100年を超えるゆずの古木があちこちにみられ、ゆずを搾って果汁を利用する食文化が受け継がれていた。それが水田転作作物としてゆず栽培に乗り出したきっかけとなったらしい。

 

 しかし、村の生産農家は農薬を使用しないで自然のままにゆずを栽培していたため、生産されたゆずは不揃いで、ごつごつした形の黒点病などにより見た目も悪く、ゆずそのものとしての出荷は困難だった。果汁を売るか、加工するしか商品化の道はなかった。問題は、果汁や加工品をいかに販売していくかであった。また、県内には、ゆずの産地はいくつもあり、産地間競争では遅れをとっていた。思い切って大阪や東京の大都市市場に打って出たほうが可能性が開けるのではないかという考えにより、年に数回、デパートの催事に出掛け、加工品の販売とPRに努めた。しかし、一挙に売り上げが拡大するような活動にはいたらなかった。だが、このときに、お客さんとの対面販売から売り方や消費者ニーズを学んだ。また、販売ルートの大きなヒントをつかむこととなった。それは、催事に来たお客さんが農協に商品の問い合わせをしてくるようになったのだ。その顧客リストがその後の事業拡大の貴重な財産となった。また、今日、大きな規模を誇る通信販売市場の先駆けとも捉えられる。この時に、遠くにいる消費者の大切さを感じたからこそ、現在の通信販売の重要さも身を持って知っているのだろう。

 

 馬路村のゆず産業の大きな発展の契機となったのが、『ごっくん馬路村』の発売である。ゆずの果汁と蜂蜜で何度も試作を重ねた末に開発した苦心の新商品は、味はもとより、親しみやすい商品名、素朴なパッケージデザイン、さらには村の少年や高齢者を活用したユニークな広告が消費者の心を見事にとらえ、馬路村を代表するブランドに成長した。『ごっくん馬路村』の発売は、村の人々のゆずへの思いを知ることができる。ゆずの村としての誇りと自信にあふれるような商品である。そして、「馬路村」という名前を出すことにより、馬路村そのものを全国へアピールする役割も果たした。村では、ゆず商品をきっかけに、馬路村事態を売り込む広報戦略を展開し、全国に馬路村ファンを広げ続けている。

 

 『ごっくん馬路村』によって、村おこしに成功した馬路村であるが、ここからは、村が抱える問題や、今後の課題を見ていきたい。

 

問題として、村の人口の減少が挙げられる。生産農家は170戸だが、高齢化に伴う後継者問題も深刻化しており、耕作放棄地対策が差し迫った課題となっている。村の産業は前向きであっても、若者がみな、ゆず産業に必ずしも携わるとは限らない。一つの産業だけに頼らず、より広い分野において、働く場所を設けることが必要だ。ゆず産業を一つの切り口として、そこから各方面へ広げられたらいいと思う。若者の雇用問題は、どこの地域においても考えなければならない深刻な問題である。村おこしに成功したところであっても、その現状は同じということに驚いたが、過疎化の問題は農作物一種だけでは解決できない面があるようにも感じた。

 

 馬路村は、今後の課題として、交流人口の増加を挙げている。その一環として「特別村民制度」を導入した。だれでも自由に特別村民に登録することができる。特別村民になると、馬路村でのイベントに参加したり、インターネット上で馬路村の広報紙を見たりできる。交流人口が増えることで、実際に馬路村に住みたいという人が出てきたり、馬路村の情報をいろいろな場で広めてもらうなど、次につながるきっかけとなることを期待している。

 

 このように、課題の面においては、他の市町村とも変わらない状況にあるだろう。しかし、市町村合併も行わず、ゆず加工品と共に村そのものを売り出してきた村の人たちの、馬路村村民としての意識は、他とは違った力強さがあると思う。ゆず産業によって、村の土台はしっかり構築されたのだから、抱えている問題も、自信を持って解決していってほしい。更なる成功を願っている。

 

 

 

《参考ホームページ》

http://www.yuzu.or.jp/ ゆずの村・馬路村

http://www.kochinews.co.jp/gappei/gappeifr2.htm 高知県・市町村合併の動き

http://www.toukei.maff.go.jp/shityoson/index.html わがマチ・わがムラ−市町村の姿−