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田中美希 「長野オリンピック後の長野市の実態」

 

 1998年の27日から222日まで、長野市とその周辺で20世紀最後の冬季オリンピックである長野オリンピックが開催された。7競技68種目が行われ、72の国と地域、2303人が選手として参加した。長野オリンピックは多くの支援により、世界中の人々に感動を与え、20世紀最後の冬の祭典として、成功と共に幕を閉じた。

 

 その長野オリンピックの中心地となった長野市は人口38,486人(人口は2005111日現在)の中核都市で、長野県の県庁所在地であり、善光寺の門前町として発展した都市である。善光寺を中心とした観光産業に力を注いでいる。オリンピックでは大会運営の中心地として、これまで全国レベルより遥かに劣っていた交通などの産業基盤が、誘致決定から5年という速さで次々に建設されていった。それによって長野市は36万都市とは思えない都市化を実現し、ほかの県庁所在地に見劣りしないレベルまで達した。

 

 このように長野市は長野オリンピック開催によって、“都市化”というメリットと、それを実現するために抱えることになった多額の“負債”というデメリットに直面したのである。

 

 まずはメリットである“都市化”については、交通インフラが大きい。1990年代後半まで長野県には空港も新幹線も高速道路もなかった。しかしオリンピック開催決定後、その全てが整備され、特に長野市はいま新幹線の終着地である。この終点効果という特需が、向こう8年は受けることができる。長野市を中心に動く交流人口がもたらす利益は大きいのではないだろうか。また、オリンピックという世界文化的スポーツの祭典が開催されたという県民または長野市民の“誇り”は精神的に大きいと考える。今まで、世界はおろか日本でも目立つことのなかった長野という都市が、オリンピック開催によって世界でも名の通るような有名な都市になった。このオリンピック開催都市という誇りを産業に繋げていくことができたら、市民による街づくりが活発にできるのではないか。

 

 そしてデメリットはオリンピック開催に伴い整備した交通インフラや大会運営などによって生まれた多額の負債である。長野市は35万都市であるが、オリンピック開催によって50万年並みの都市化が整備されたと言われている。ここで具体的にオリンピックにかかった費用を挙げてみる。長野オリンピックでは総額548456067892円かかったとなっている。内訳は誘致活動費2556067892円、大会運営費1030億円、オリンピック競技運営施設建設費(エムウェーブ・ホワイトリング・ビックハット・アクアウィング・スパイラルなど)1950億円、オリンピック関連道路建設費(高速道路網の整備、選手・ボランティア・観客などのための宿泊施設の整備、新幹線の敷設、コミュニケーション・メディア・ネットワークの整備など)2479億円となっている。そしてオリンピック開催後競技施設はそれぞれ大型展示場や野球施設などにリニューアルされ有効活用を図ろうとしているが、それらの維持費も年間100億円以上かかる状況である。これらの財源は大まかに分けて3つに分類することができる。1つ目は国と県の補助である。国は競技施設の建設費の半分を負担し、長野県が370億円、また長野市が2830億円負担することになった。2つ目は、起債つまり借金ある。長野市の市債額は18675万円であり、平成元年の1〜3倍となった。3つ目は市民の負担税となり、これは市民税に頼られた。

 

 オリンピック開催によって生まれたこれらのメリットとデメリット。これをどのように捉えていくかが長野市の課題ではないだろうか。こうして記述してみるとデメリットの方が多いように思える。しかし、オリンピックによって言葉では語れない様々な人との出会いや、感動が生まれたのは事実である。また、その感動は長野オリンピック閉幕後も、様々な形で継続していると思う。私は昨年開催されたスペシャルオリンピックス2005にボランティアとして参加し、オリンピックでフィギュアスケートの会場として使用されたホワイトリングでフロアホッケーの選手誘導のボランティアをした。そこでは、多くの人々が長野オリンピックの感動を振り返り、このスペシャルオリンピックスもそのような素晴らしい大会にしようという動きがあった。また、オリンピックで知り合った外国の方と今でも交流しているという人も多く存在している。財政的に見たら、問題は山積だ。お金の問題は目を背けてはならない。でも私はこの感動までは否定したくない。心から、長野でオリンピックを開催してよかったと一生思っていきたい。だからこそ、このメリットを最大限に生かして、デメリットを減らしていくことが最善の策だと考える。

 

 そこで私は長野市の観光業に注目した。長野市はもともと善光寺を中心とした仏都として栄えた観光都市である。善光寺は、阿弥陀如来が祀られた無宗派の寺である。天台宗と浄土宗が共同で寺を管理するという、大変珍しい形態をとっている。善光寺には江戸時代から善光寺参りと呼ばれ、多くの信者が参拝に訪れる観光都市であった。善光寺本堂は国宝に指定されており、経堂は重要文化財である。特に6年に1度前立本尊“御開帳”時には全国から500万人以上の人が訪れる。オリンピック時に敷設された新幹線によって、東京長野間は最速79分という速さで行き来することができ、日帰りでも十分訪れることのできる都市である。

 

 観光都市、つまり人々が訪れたいと思うような都市とは、高い交通料金を払ってまでも行く意味があるか、その都市に訪れるに値する魅力があるかが重要だと思う。長野市は善光寺周辺の町並みや、オリンピック開催地としての様々なオリンピック関連施設、りんごやそば、野沢菜、おやきなど独特な食文化など、観光客が訪れても楽しめる、訪れる価値のある都市だと思う。しかし、実際は望んでいるほど多くの観光客は訪れていない。善光寺御開帳時以外は、観光客はいることにはいるがその収益は大きいものではない。長野市には、オリンピックの有形無形財産を観光に生かして行くために、よりいっそうの工夫が必要だと思う。

 

 まず、善光寺の観光客の多くが年配の人々だが、長野駅はアップダウンの激しい構造となっている。年配の人が使いやすい、バリアフリーな工夫が必要だ。また、長野駅は駅ビルMIDORIのある西口側は発展しているが、東口側は西口とは異なり、私はバスの乗り降り以外で訪れたことがないくらい、何もない。東口の開発も必要だと思われる。そして、長野市の良いところは、善光寺周辺の趣ある街並みである。しかし、都市化によって景観がかなり変わってしまった。景観を維持するために、地元の商店街の動きが必要だ。善光寺らしい景観とは、私が考えるのは木目調の茶色い街並みだ。そこで、栃木の日光などいくつかの市町村で行われている、コンビニや自販機、街の看板などを街の景観に合った色に統一する動きだ。小さなことなのだが、これをやるのとやらないのでは街のイメージが覿面に変わる。実際、私の出身市の小諸市のある街でもそのような取組みが行われ、街の景観が良くなった。また、情報の発信や、広報活動なども必要だと思う。観光都市は知名度が重要だと思う。長野市はオリンピックによって知名度は上がったが、具体的に長野市に何があって、どんなところかという想像ができる人はあまり多くないと思う。そこで、今世界中で様々な人が活用している、インターネットや、誰もが見るテレビ、または、旅行を計画するときに参考にする旅行雑誌などに長野市の情報を掲載する。そうすれば長野市に対する真の知名度が上がるだろう。

 

 これらの長野市の観光を発展させるために設立されたのが“ながの観光コンベンションビューロー”である。この組織は一応自治体によって運営されている。目的は、長野市の産業、自然、文化、歴史など資源及び長野オリンピックの有形無形の文化財を活用し、コンベンションの企画・誘致及び支援並びに観光の振興を図り、もって長野市の産業経済の活性化及び文化の向上並びに国際相互理解の増進に寄与する。長野市の観光に関するパンフレットの作成や、インターネットホームページの開設、観光行事の支援など、観光産業促進のために日々様々な活動を行っている。オリンピック関連施設を利用した日本のみならず、世界の競技大会でも活躍している組織である。しかし、ながのコンベンションビューローの働きは大きいはずだが、その知名度は低い。私はこの組織自体の存在を知ってもらう必要があると思う。そのためには、もっと地元と密着するべきである。長野市の中心商店街は大型店の閉店に伴い、衰退の一途を辿っている。これを食い止めるためにも、ながの観光コンベンションビューローの活動は不可欠であり、その活動をサポートすることができるのは長野市を昔から知っている商店街の人々であろう。この両者の協力が長野市を更なる観光都市へと発展させるだろう。

 

 このレポート作成によって、オリンピックが長野にもたらしたものが見えた。やはり長野オリンピックは素晴らしいスポーツの祭典であったと思う。この良い記憶を永遠に持続させるためにも。長野市はオリンピック財産を活用していくべきだ。それには官と民の相互理解が必要だ。これからの長野市の発展のために、もう一度オリンピックの感動を思い出し、あの時の活気ある長野市を取り戻してほしい。

 

参考:Topic6:長野冬季オリンピック開催6日前

http://www.senshu-u.ac.jp/%7Ethe0350/E07/houkoku/topic6.htm

   ながの観光コンベンションビューロー

   http://www.nagano-cvb.or.jp/convention/index.html

   「五輪シティ長野市」街は変わったか

    http://www1.tcnet.ne.jp/uri/nagano/s0407.html