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大嶺さなえ ウージ染めのこれまで

       〜村おこしの一環として〜

                   

私の生まれ育った沖縄県豊見城市は、平成144月1日に豊見城村から豊見城市に移行し、県都那覇市に隣接しているため近年ベッドタウンとして住宅地が急激に増加している一方、一次産業の野菜・果樹栽培等と同様にサトウキビの生産が盛んである。サトウキビと言えば、南国の島沖縄ではあらゆるところで見られる最も有名な植物であり、その茎を絞ることで黒糖の原料に、そして絞り粕をパルプの原料や飼料として昔から利用してきた。しかし、葉の部分は収穫の際に刈り取りわきに寄せられ、そのまま畑に放置・廃棄されてきた。これに着目し、実際に地域産業としてサトウキビの染め物を始めたのが「豊見城市ウージ染め協同組合」である。これからウージ染め、そしてウージ染め協同組合について、足りない点もあるだろうが、少し説明したいと思う。

 

ウージとは沖縄の方言でサトウキビのことであり、ウージ染めとはウージの葉と穂を煮出し、媒染などを適宜加えることで得られる黄色からうぐいす色、茶色まで色鮮やかな微妙な色合いを楽しむことの出来る染め物である。そして、豊見城市ウージ染め協同組合とは、平成元年に豊見城村商工会が取り組んだ「村おこし」事業において、村内の女性の「ウージ染め」の提案を採用し、平成六年に女性のみのメンバー、13人で組織された団体である。

 

ウージ染めは、基本的に「染め」と「織り」の製品に分かれ、その製作工程は全く異なるものとなっている。現在の組合員の比率を見ると多少「染め」職人の方が多いようで、「染め」のほうが「織り」に比べ大量生産しやすいという利点がある。しかし、「染め」と「織り」の両方にそれぞれの趣があり、加える媒染の量で出てくる色が異なるので、職人によって仕上がりの色合いは変わってくる。商品は生活用品を中心に、のれんやネクタイ、巾着、またキーホルダーなどの各種小物類など様々であり、最も安価なもので262円のしおり、最も高価なもので5万円程のタペストリーとなっている。これらは沖縄県内では、実際に多くの観光名所や土産売り場で見ることが出来る。また、最近ではかりゆしウェアというYシャツよりもラフに着れる仕事着が新たな商品の一つとして、本格的な商品化に向け試作を重ねている。昨年は、クールビズの象徴であるノーネクタイのシャツとして、かりゆしウェアを小泉首相が着るなどの宣伝もあり、限定1200枚の売上げは上々だったようだ。これを自信につなげ、これからは安定した商品を目指して製作・販売していくようだ。また、現時点では色落ちの心配のないプリント製のかりゆしウェアを作っているのだが、将来的には手染めの製品の商品化を目指して試験を重ねている。

 

そして、この組合の面白い点は製作は個々人に任せ、それぞれが独立していると言うことである。基本的にそれぞれの持つ工房で作業を行い、月2回製品検査のために協同組合の作業所に持ち寄るのだ。検査に合格した製品のみが市場に出回ることとなる。各工房が独立しているため、製品の色合い、柄はその組合員によって異なり、収入もその人次第となる。また、協同組合の作業所でもはたおり機や染め用の道具は揃っており、そこでも作業を行うことも出来るし、先輩に指導をお願いするときにも利用できる。経験の浅い組合員でも質問すればやさしく指導してくれるようで、独立しているとは言っても協力体制は整っていると言えるだろう。

 

「ウージ染め協同組合」の経緯としては、一次試作段階の試作者として選ばれたメンバーによる試作研究が始まりと言える。そして、平成3年に特産品開発センターが設置され、村内女性を対象に第1期研修生を募り、染色の基礎知識やデザインなど技術の習得に努めた。組合員の募集年齢として第1期研修生の時には、制限なく募集したため子育て後の40代の方が多く見られたが、染め物に限らず工芸と言う分野は、一人前になるまでに最低10年はかかるようで、現在では35歳未満と規定している。現在の組合員の年齢層は大学卒業後すぐに訪れた20代から、設立当初から参加して大ベテランと言える60代まで様々である。いずれにせよ、特産品開発センター設立のその年の沖縄県産業まつりにおいて、新商品開発の部で最優秀賞を受賞し、特産品として商品化することへの自信を得たのである。さらに商品開発と試作を続けながら組織化への準備を進め、平成6年度に出資金120万円、組合員13名の女性で「豊見城村ウージ染め協同組合」を組織化した。組合設立の前も後も商工会、農協、行政からの補助は厚く、毎年100万程度の補助金を得ていたようだ。これは、行政からも地域活性化の鍵となる特産品の開発を積極的に捉えてくれた結果であると思う。そのおかげで、人材育成に力を注ぐことが出来たようで、組合の組織化まで比較的スムーズに運ぶことが出来たのだろう。

 

そして、豊見城の特産品「ウージ染め」を生活工芸として位置づけ、県内を中心に積極的に販売活動、宣伝活動を展開してきた。商品紹介用のパンフレットや商品展示会の開催などのPR活動を行い、徐々に市場への浸透を図ってきた結果、平成9年度に初めて県内業者からの取引希望があり、本格的に販売を開始した。また、愛知県にある(株)丸善・名古屋では、毎年2,3回展示販売会を実施することができ、そこでの売上げは250万円に昇り、非常に大きな成果を得られたと考えて良いだろう。加えて、マスコミ関係に情報がいきわたり、取材を行ってくれたことで、多方面から視察、問い合わせ等が寄せられるようになった。現在では、基本的に20名以上の団体から体験学習を受け入れることにしているようだ。去年だと20組程度の地元の小学生や婦人会などが体験学習を申し込まれたが、これまで地元の豊見城という枠を超えて、県内、県外、国外からの様々な方々の視察や体験学習の要望に対応してきたようだ。この数は毎年増加傾向にあるようで、これからも積極的に一般の方々がウージ染めを知れる機会を設けるべきだと思う。

 

 最後に、協同組合の今後の課題について述べようと思う。

 「ウージ染め協同組合」は、平成元年の企画から平成六年の組織化、軌道に乗ってきた現在に至るまで、行政による補助を享けてくることが出来た。先にも述べたように、そのおかげで、これまで黒字を保つことが出来たのだ。それは実際には補助金に頼り、自立運営とは程遠い状態であったのだが、平成9年度に初めて実質的黒字となることが出来た。それからも順調に売上げを伸ばしてきた結果、三年前から補助金は停止となったようである。組合員にとっては、今まで続いてきた補助金がなくなることは厳しく、施設整備などに手が回らず、戸惑いを感じているようである。

 

また、組合員の安定的確保が求められている。現時点では20名の組合員が在籍している状態だが、その入れ替わりは激しく安定していないようだ。その原因としてやはり、工芸という分野の技術習得の難しさ、それに伴う収入を安定的に得るまでの時間の長さが挙げられると思う。実際には、講習を受けて准職員になってから、定番商品と呼ばれるある一定の商品を作るのだが、その収入は月に五千円から二万円程度しかない。それから定期的、安定的収入を得るまでには十年もかかるのだ。これでは、趣味程度で始めた人はいいとして、それで生計を立てる人にとっては厳しい問題である。現在、10月スタートの講習に「織り」で五名、「染め」で五名の参加者がいるようだが、はたしてこの中から何人一人前の組合員として残るのだろうか。私としては、売上げにこだわるのではなく、純粋にウージ染めをしたいという組合員が増えることが望ましいと思うが、現実問題そんな簡単なものではない。やはり生活が第一なのだ。このような人に対して、何らかの手当てが支給出来れば良いのだが、行政からの補助が停止した今、それは難しいだろう。

 

しかし、世間への認知度も高まりつつあり、経営が軌道に乗り始めている今、個々の作品製作と平行して、組合員一丸となって協力して売上げ拡大に向け市場に展開していくべきではないだろうか。その売上げが上がれば上がるほど、組合員の数は増加していくのではないだろうか。市場に展開とは、世の中の流れを敏感に察知し、新商品の開発にいち早く取り組むのだ。私はかりゆしウェアに目をつけ、限定品とはいえ売り出したことは大きな成果であると思う。世の中のニーズに合わせた製品作りが重要なのだ。

 

このように、今後の課題としては、多くのことを抱えている状態と言えるのかもしれない。しかし、観光立県沖縄として、観光産業が目覚ましく発展していく中、生活工芸品としての地位を確立し、観光産業に深く関わっているこの「ウージ染め協同組合」の今後は大きな可能性に満ちているだろう。私は一豊見城市民として、心から彼女らの成功を願っている。