王琳琳「改革開放がもたらす官民関係の変化」
改革開放は主に経済の改革をさす、そして改革はすでに存在した制度を調節することである。中国の場合は経済改革を先、制度の転換はその後になる。
まず、中国は本来の計画経済を改革し、同時に政治改革を触れない。そして、1992年から経済体制の改革目標は 経済体制そのものを変えることである。しかし、最初から経済の改革と伴って、政治の改革を行わないことにはとても珍しいケースである。勿論、経済発展と政治体制の矛盾も多く現れたのである。
本来の政治体制の特権が残っていて、経済改革に大きな落とし穴になる。不法経済は多くの人を裕福にし、貧富差はますます大きくなる。元の体制の集団や分野の企業の地位は変わりがなく、それが経済成長の妨げになる。元の企業は制度転換に需要となるコストは大きくなり、社会保障など、処理がうまく行かなければ社会の安定にもかかわる
改革前、中国は政治が経済を統治する。計画経済の中、社会のあらゆる分野は中央政府及び地方政府の管理の下に機能する。国の中央銀行はもちろん金融機構はほとんど国有、公有である。国有企業も経済全体を占める。大きな国有企業は職員の福利、職員の家族の福利子女の教育費、医療費まで面倒を見なければならなかった。その体制の中、民である職員は直接政府と関らなくても、政府の下で生活するわけである。国は「単位」(仕事場で分けられた小さなユニット)で構成され、共産主義色が濃く、配給制度が完備されていた。その単位は物資配給から福利厚生、教育まで司っていた。庶民の生活のすべて「単位」に委ねるため、「単位」の官である幹部はよく「父母官」と呼ばれていて、官と民はまさに上下関係であった。
改革開放によって経済発展を主要位置に置かれた。中央集権の体制にも影響をもたらした。外資の投入、地方企業の発展につれ、地方政府の権限は限られていることはだんだん著しくなってきた。統一しすぎる政策は地方の発展には妨げとなる。国有企業(中国の経済構成の大部分を占める、庶民から見れば自分の仕事場―単位である)の改革につれ、分離されてきた住宅制度、保険制度、ゴミや環境問題などのもと国有企業で単位にやったことは地方政府に求められる。そして、経済発展につれ、社会が複雑化し、行政機関は経済発展の補助にもなったように変わらなければならない。
しかし経済改革と違って、行政の改革は遥かに遅れてきたのである。経済特区の沿海地域、上海などの高度経済成長都市を除いて、内陸、東北三省などの地方政府まだ改革に十分な権限がないままの状態である。特に全国一致した国有企業の改革、ほとんど同じような政策は著しくなっている地域差と相応しないケースは少なくない。
社会体制の改革は、選挙にも表れる。例えば、農村幹部の直接選挙も政務公開も広範な人民大衆を最大限に政務に参与させ、自らの民主的権利を最も十分に行使させるためである。そのため、最も早く、最も多く政治体制改革の中から利益を得たのは広範な大衆であり、この改革もおのずと最も広範な支持を得た。もちろん、中国の特殊な国情のため、政治体制改革の面では穏やかに進める政策を取らなければならない。中国の社会に長期にわたって安定を保たせることができ、それによって改革の成果が絶えず強固にされ、拡大されるのを保証されなければならない。
計画経済から市場経済に過度し、生活必須品から住宅などの高価商品まで、貨幣で買うことになった。選挙も前より民主的になっている。公民は生活まで政府に頼る時代は改革と一緒に去った。しかし、社会体制、行政はまだ不完全な状態である。経済の量を膨張的に追求する「全民皆商」という渦の中で、経済の質と社会秩序は無原則的な状態となっている。十三億の人口の国情もあって、社会行政の改革は簡単なことではない、民と官の矛盾もまだなくすことできない。これからもっと円滑な官民関係、社会関係を築くことできるだろうか。その進行を見守りたいと思う。