Kinoshita020123

木下とも美「地域からの国際協力」

国際協力と一言にいっても、ひとそれぞれ捉え方そして協力の関わり方も多様である。その中で私は地域からの国際協力に焦点を絞って考えてみたいと思う。ある日本の地域、地方自治体が国際協力事業をおこなうことは、今はもう珍しいことではなくなってきている。その土地の産業や特徴を生かし、さまざまな協力が日本中でみられる。その協力の中で国際協力、国際交流といった面では本当に幅広い活動が見られると思うが、さらに国際貢献といった面ではどうだろうか。

 

私が18年間生まれ育った、島根県横田町では東南アジアのタイとそろばんを介した国際貢献事業を進めている。この活動の始まりは、そろばん大使として中学生を派遣し、異文化体験を通してのそろばんというものの文化紹介にすぎなかったが、今はその単なる地域交流をこえて一つの国の教育制度まで変えようとしている。何をもって貢献とするかについての答えは千差万別だと思うが、日本では衰退してきているそろばんという地場産業を生かしての取り組みが国の教育制度を変えるということは、立派な国際貢献になるのではないかと思う。

 

 島根県横田町は兵庫県小野市とならびそろばんの一大生産地である。「雲集そろばん」とよばれるそのそろばんは、現在日本で作られている78割をしめており、黒檀・紫檀など最高級材料を使用した工芸要素の強いもので、通産省認定の伝統的工芸品に選定されている。かつては「読み・書き・そろばん」と学問の基礎として位置づけられており、単なる計算法だけではなく、「数感覚をやしなう」「計算の過程を理解する」手段として、あるいは計算以外に「集中力が高まる」「論理的思考が身につく」といわれ、重要な修養のひとつであった。しかし、そのそろばんも今は衰退し、現在の生産量はピーク時の約10分の1にまで落ち込んでしまった。 

 

 そのような深刻なそろばん業衰退の中で、横田町において、そろばん産業を活用した国際交流事業が始まったのは、1990年の事であった。地域の特色ある文化を生かして、ニュージーランドに「そろばん大使」として中学生を派遣するなどさまざまな交流が始まった。しかしこの時点では国際協力や貢献の色は無く、単に国際交流を目的とするものであった。

 

 それまでの交流のあり方を変えたのは、一つのNGOその出会いだった。タイとラオスで中学校進学のための奨学金提供を主におこなっていたNGO「日本民際交流センター」の秋尾氏と町担当者の親交がきっかけであった。秋尾氏は、開発途上の地域のために、金銭を出して高価な計算機を与えるのではなく、自ら計算する能力を高める道具として、そろばんが役立つのではないか、と提案し、これによって海外旅行延長のような交流事業から、国際貢献事業へ転換するきっかけとなったのである。94年からタイの中でももっとも貧しい地域にあげられている東北部ロイエット県から取り組みが始まり、97年にはそのロイエット県のそろばん研修が偶然にも、タイ教育相の副大臣のしるところとなった。80年代の経済危機から脱するために国民レベルでの学力向上目指していたタイにおいて、数的理解・暗算力の向上が期待できるそろばんは、その解決策の一つとして高い評価を受け、そして一年を待たずして、小学校の教育課程への導入が決定した。

 

 横田町に対しては、教材調達と指導者育成について、さらなる協力の要請があった。国家単位での協力は、人口8000人の自治体の力量を大きく上回るものであったが、島根県の理解と協力が得られ、対応することができた。さらに、JICAもこの事業に加わり、年間で一万丁以上のそろばんがタイへ送られている。

 

 国際貢献としての活動にあわせて、住民レベルの交流も盛んに行われ、理解者・支援者も増えており、行政主導以外にもタイとの交流が町民の中に浸透している。また97年からは横田町内において、タイの国家的なそろばんトレーナーとしてそろばん技能を学ぶ研修生を毎年2人受け入れている。その他、交流を効果的に推進するための国際交流員としてタイ人のスタッフを町役場に配置している。

 

 この事業の貢献のこれからの問題点を挙げてみたいと思う。まず一つ目にこれが本当に町の振興策となるかという事である。当初は、地場産業であったそろばん作りの活性化につながればという思いがなかったわけではないが、今の段階でのその可能性は低い。なぜならば、今後正式に教材として採用されたからといって、横田町のそろばんの需要とはならないからである。タイと日本の物価の違いで、日本におけるもっとも安価な商品ですら、タイでは高額商品で、学校の教材には不適当である。技術転移によって、そろばんを現地で生産することも計画されてはいるが、問題が多く現地生産のめどは立っていない。

 

 もう一つの問題点として、国・政府との関係である。地方自治体が国家政府を飛び越えて国際協力を進めていくということには、厚い壁が存在する。政府はこれまで国際貢献としてODAをおこなっているが、ここに自治体が主体的に立案した活動の例はほとんどない。そしてこの横田町も市町村合併とは無関係ではない。今後どのようにしてこの活動を継続していくか、住民、町、国、NGOのバランスの取れた貢献という面においてこれからさらに新しい道を作り出していく、その道を模索していくことが求められているように思う。

 

 またここから新しい地域活性化の可能性も指摘できる。現在の過疎地域を取り巻く構造は、過疎対策で施設や交通が改善されても根本的に変わりはなく、いつまでも周縁の地位にある。いつしか過疎の町の人々は、都市への劣等感から自信や誇りを見失ってしまっているのではないか。この問題にたいして、この横田町の国境を越えた地域連携と見知らぬ人たちとのふれあいは、国内では評価されにくい地域資源でも有効活用できるという点のみならず、自分たちの地域社会を新たにとらえなおす事ができる点でも大きな意味を持つものである。互いの地域の利益になる、互いの活性化を目指して、国際貢献の新しい形の目指すべき方向性がこの事業を通して見えるのではないかと思う。