031020jichi 中村祐司作成メモ
―地方分権推進委員会の中間報告― http://www8.cao.go.jp/council/bunken/middle/
(*01年10月1日の地方自治論で用いたメモから)
第1章
総論
1993.6
地方分権の推進に関する衆参両院決議
1994.12
地方分権の推進に関する大綱方針の閣議決定
1995.5、
地方分権推進法の制定:
政府に対して地方分権推進計画の作成を義務づけ。地方分権推進計画の作成のための具体的な指針を内閣総理大臣に勧告する機関。この地方分権推進計画に基づく施策の実施状況を監視しその結果に基づく内閣総理大臣に必要な意見を述べる機関として、総理府に地方分権推進委員会を設置。5年の時限立法。
1996.7
地方分権推進委員会の設置
「明治期以来の中央集権型行政システムを新しい地方分権型行政システムに変革しようとする決意を表明」「明治維新・戦後改革に次ぐ『第三の改革』」
なぜ地方分権か?→
中央集権型行政システムの制度疲労
明治維新以来徐々に形成されてきた中央集権型行政システムは戦時体制の下で一段と強化された。戦後改革はこの戦前のシステムを大きく変革するものであったが、機関委任事務制度の踏襲と拡張にみられるように、それは中央集権型行政システムを完全に払拭するものではなかった。そしてその後の高度成長期の行政活動の発展と膨張の流れのなかで、通達行政の濃密化と補助金行政の拡大にみられるように、新しい形態の集権化が積み重ねられてきた。 この明治期以来の中央集権型行政システムは、限られた資源を中央に集中し、これを部門間・地域間に重点的に配分して効率的に活用することに適合した側面をもち、これが当時はまだ後発国であったわが国の急速な近代化と経済発展に寄与し、比較的に短期間のうちに先進諸国の水準に追いつくことに大きく貢献してきた事実は、否定できないところである。
しかしながら、中央集権型行政システムにはそれなりの弊害も伴う。すなわち、国民国家の統一のために地域社会の自治を制約し、国民経済の発展のために地域経済の存立基盤を掘り崩す。権限・財源・人間、そして情報を中央に過度に集中させ、地方の資源を収奪し、その活力を奪う。全国画一の統一性と公平性を重視するあまりに、地域的な諸条件の多様性を軽視し、地域ごとの個性ある生活文化を衰微させる。それは、脳神経ばかりが異常に肥大しその他の諸器官の退化した生物にも比せられる。
このように、中央集権型行政システムには功罪両面があるのであるが、わが国の政治・行政を取り巻く国際・国内の環境はここのところ急速に大きく変貌してきている。そしてその結果として、今日では中央集権型行政システムが新たな時代の状況と課題に適合しないものとなって、その弊害面を目立たせることになったのではないか。言い換えれば、旧来のシステムは一種の制度疲労に陥り、新たな状況と課題に的確に対応する能力を失っているのではないかと考える。」
変動する国際社会への対応
「冷戦の終結に伴い、国際社会の枠組みは大きく変動した。経済活動のボーダレス化が急速に進み、政府レベルの国際交流のみならず、地域レベル・市民レベルの国境を越えた交流が活発を極め、政治・経済・社会をめぐる新たな国際秩序の模索が続いている。このような国際情勢の下で、国が担うべき国際調整課題があらゆる行政分野にわたって激増してきている。にもかかわらず、この種の国際調整課題に対する国の各省庁の対応は決して十分に迅速かつ的確であるようには見えない。
そこでこの際、国にしか担い得ない国際調整課題への国の各省庁の対応能力を高めるためにも、地方分権を推進し、国の各省庁の国内問題に対する濃密な関与に伴う負担を軽減することを通して、これを身軽にしその役割を純化し強化していくべきである。」
東京一極集中の是正
「産業の海外進出に伴う国内産業の空洞化現象」+「人口・産業・金融・情報・文化等の東京圏への過度の集中」。「東京圏における超過密の弊害は住民の生活環境のあらゆる側面に及んでいるとともに、この巨大都市圏は地震等の大規模災害に対してきわめて脆弱になってしまっている。そして地方圏では過疎化が進み、地域社会の活力が低下し、ところによっては崩壊の危機にさらされている。」
「多極分散型の国土形成」「政治・行政上の決定権限を地方に分散し、これによって東京一極集中現象に歯止めをかけ、地域の産業・行政・文化を支える人材を地方圏で育て、地域社会の活力を取り戻させる必要がある。」
個性豊かな地域社会の形成
「多くの行政分野でそのナショナル・ミニマムの目標水準を達成」。しかし、「中央集権型行政システムの下で全国画一の統一性と公平性が過度に重視され、地域社会の諸条件の多様性が軽視されてきた」。「国民の多様化した価値観に対して全国画一の統一性と公平性の価値基準を押し付けようとすることは、もはや時代錯誤」。「ナショナル・ミニマムを超える行政サービスは、地域住民のニーズを反映した地域住民の自主的な選択に委ねるべきものである。その結果として地域差が生ずるとしても、それは解消されるべき地域間格差ではなく、尊厳なる個性差と認識すべきである。」
高齢社会・少子化社会への対応
「高齢者に向けては保健・医療・福祉及び生涯学習関連のサービス相互の緊密なる連携が、幼児児童に向けては保育・教育関連のサービスの再編成が要請」。
「各種の公益法人、NPO、ボランティアなどの協力をはじめ、場合によっては民間企業の参入を得て、公私協働のサービス・ネットワークを形成する必要」。
「この種の総合行政と公私協働の仕組みづくりは、国の各省庁別の、さらには各局別の縦割りの行政システムをもってしては到底実現できない。この種の仕組みづくりは地方公共団体のなかでも、住民に身近な基礎的地方公共団体である市町村の創意工夫に待つほかはない。」
「『国と地方』、『国民と住民』、『全国と地域』、『全と個』の間の不均衡を是正し、地方・住民・地域・個の側の復権を図ることを目的に、全国画一の統一性と公平性を過度に重視してきた旧来の『中央省庁主導の縦割りの画一行政システム』を、地域社会の多様な個性を尊重する『住民主導の個性的で総合的な行政システム』に変革することである。」
<衆院総選挙と地方分権>
道州制:
「都道府県を廃止し、広域的なブロックを「道」や「州」に再編する構想。57年に第4次地方制度調査会が全国を7~9ブロックに再編する「地方制」を提唱。それ以降も学界、経済界から様々な提案が出ている。強力な「州」を作り、国から権限を移すことで中央集権型社会を転換する狙いなどがある。
最近は市町村合併の進展をうけて『中二階』的な都道府県のあり方が見直され、青森、岩手、秋田の東北3県のように都道府県レベルの合併を検討する動きもある」
「北海道開発局や地方整備局などブロック単位で置かれている国の出先機関の権限を『道』や『州』に移し、地方分権と同時に行政改革を進める構想が(*首相の)念頭にある」
「税源移譲が進めば、自治体が自ら財源を確保するようになる。しかし、高額所得者や大企業が少ない小規模の自治体では、逆に税収が減る可能性もある」
「税源移譲が進むほど市町村合併が加速。そして市の規模が大きくなると、今度は県の存在意義が薄れ、道州制論議が盛んになる、という理屈だ」
「民主党は00年6月の総選挙で、全国を10程度の州と1千の市に再編する『道州制』を提唱するなど、取り組みは早い。//////▽次期総選挙のマニフェストでも、合併を予定している自由党の基本政策である11法案のうち、全国3千の市町村を300程度に再編する『地方自治確立基本法案』を採り入れる方針で、具体的な表現を調整している」
(「道州制 政権公約に急浮上」2003年8月25日付朝日新聞朝刊)。
「////「三位一体」という難解な言葉だが、その中身は補助金や税源問題といった、要するにお役所の台所事情の話に終始している。民主主義社会のありようにかかわる大きな転換点であるにもかかわらず、国民を巻き込むダイナミックな議論に展開しないことがもどかしく、残念に思う」
「様々な社会の課題への対応やルールを、誰が、どこで決めるのか―それが、「国と地方」をめぐる問いかけであるはずだ。答えはたぶんとても簡単で、現場に近ければ近いほどよい。全体のコーディネートはもちろん必要だが、決定権や責任は、あくまで身をもって実践し汗を流している現場が持つのがよい」
「介護保険料の滞納整理に歩く担当者は、荒れ果てた独居老人宅を訪ね、財布から500円、千円をいただいて帰らなければならない」「米の減反にしても、担当者は夜な夜な農家の説得に歩き、時には朝まで酒を飲んで苦労話に聴き入る。理念や制度と実態との乖離を、体で知り抜いているのは常に末端自治体なのである。しかし、現状ではそこに決定権はない」
(*教育現場について)「「国民への説明責任」に名を借りた無意味な数値集め、机上の議論のための各種調査―膨大な作業が最後は現場の負担となり、教員が一人ひとりの子どもと丁寧に向き合う時間をいや応なく奪っていく」
「本当に国民主役の政治を志すなら、まずは現場に来て、見て、感じて、ものを考えることから始めてほしいと強く願う」
「「国と地方」は、農山村に住む者だけの問題ではない。東京の真ん中だろうが岩手の山中だろうが、そこに暮らす人々が自らの問題を自ら考え、顔の見える身近なコミュニティーの中で物事を決めていくことが出来るかどうか。それは、この国の住人である私たち一人ひとりに等しく投げかけられた問いなのである」
上記文章:役重 真喜子(岩手県東和町教育次長)「「国民主役」は現場から」(朝日新聞朝刊2003年10月11日付「私の視点 特集 総選挙に望む」)から抜粋。
「実際、合併すると『得』になるのだ。新たに生まれる自治体の規模と態様に応じて大量の地方債の発行が特別に認められ、ごくわずかな自己資金で巨額なハード事業を実施できる。しかも特例債の元利償還金についても、将来、交付税交付金が上乗せされて国に面倒をみてもらえる仕組みになっている。市町村が『合併しない手はない』と考えても不思議ではない。
そもそも地方財政が破綻寸前の状況にあるのは、景気対策や単独事業の促進などの名目で膨大なハード事業を実施してきたからだ。その際、所要資金の大半は借金で賄い、元利償還は将来の交付税交付金で面倒をみるという施策が用意されていた。政府による『交付税の先食い』奨励策である。一見すると地方に有利な制度のおかげで、各自治体は通常であれば到底計画することのない事業にまで手を出した。//////」
「/////財政的に自立できなくなった自治体を合併に追い込むためのアメ玉として、特例債という『交付税の先食い』をまたぞろ持ち出すのは、甚だしい見当違いでしかない」
「いま自治体が問われているのは、その規模や『量』よりもむしろ『質』である。住民が望まない施設をどんどん造った果てに、借金の返済に四苦八苦しているのは、自治体の規模が小さいがために生まれた現象ではなく、行政の質が悪かったからである」
上記文章:片山善博(鳥取県知事)「合併特例債 交付税の先食いはやめよ」(朝日新聞朝刊2003年10月3日付「私の視点」)から抜粋。