Shimada011203 「地方自治論」レポート
「(競馬=ギャンブル=悪)という構図」
1、よく、「ギャンブル」というだけで露骨に嫌悪感を示す人がいる。まるで悪の権化であるかのような言い方までされる。なぜ「ギャンブル=悪」という偏見が生まれてしまったのだろう。あなたはギャンブルと聞いてどんなものを思い浮かべるだろう。パチンコ、パチスロ、ルーレット、ポーカー、ブラックジャック、麻雀、競艇、競輪、オートレース、そして競馬。確かにこれらのものは「金を賭ける」という点ではどれも共通点を持っている。しかし、だからといって、これらを全て同じものとして見てしまうのはいかがなものだろう。ただ金を賭けるという点が共通しているということだけで同類項として見られてしまうことには納得がいかない。私は、競馬とはただギャンブルであるというだけにとどまらず、ありとあらゆる娯楽性を有した文化的総合エンターテイメントであるとつねづね思っている。ファンは、勝馬を予想することによって推理ゲームを楽しみ、自己の知的好奇心を満足させ、実際に馬券を購入することによってギャンブルを楽しみ、そしてレースを観戦することによって迫力のあるスポーツを堪能することができるのである。あるいは自分の気に入った馬やジョッキーを応援するのもいい。これだけ高いギャンブル性とスポーツ性を同時に併せ持つ娯楽はそうはあるまい。なぜ、競馬がこれらの2つの要素を持ち合わせているのだろう。その由来は、産業革命期のイギリスにまでさかのぼる。競馬は最初、イギリスの王侯貴族が自分たちの所有する馬を競わせて楽しむ「比べ馬」から始まった。つまりスポーツとしての競馬のほうが先だったのである。後に中産階級の人々がこの「比べ馬」に対して金を賭けるようになり、ここにギャンブルとしての要素が加わり、近代競馬が確立した。以来200年余り、競馬は伝統と格式のあるエンターテイメントとして国民に親しまれている。イギリスでは、競馬はただのギャンブルなどではなく、立派な文化なのである。対して日本ではどうか。日本に近代競馬が本格的に導入されたのは明治期に入ってからだが、それは競馬が無類のエンターテイメントであるからではなく、強い日本を作るために必要な軍馬の育成という目的のためである。当時も、競馬は社会的害悪と見られ、まともな人間のやることとは思われていなかった。戦後、軍馬の育成という目的は消え去ったが、社会的害悪というレッテルは剥がされることはなかった。しかし70年代にハイセイコーというアイドルホースが誕生し、それは社会的現象にまでなり、競馬は一般層からも少しは認知されるようになった。そして80年代後半、芦毛の怪物オグリキャップと武豊という2大スターの登場により、競馬人口は爆発的に増え、ようやく市民権を得ることができた。それでも、「競馬=社会的害悪」という見方をする人は根強く存在し、「競馬=文化」という見方はあまり広まらない。それはイギリスの競馬がスポーツとして始まったのに対し、日本の競馬が軍馬の育成やギャンブルというあまり一般的にイメージのよくないところから始まってしまったことにも由来するのだろう。だが今まで指摘してきたとおり、競馬の本質はギャンブルではなく、むしろスポーツにあるのである。野球やサッカーを見て熱狂するのも、競馬を見て熱狂するのも、本質的には同じ行為なのである。そこにあるのは、「金が賭けられているか否か」という違いだけであり、そのことによって、競馬は社会から「害悪」「教育に悪い」などといったきわめて理不尽なレッテルを貼られる。確かに、競馬によって人生を台無しにしてしまった人も大勢いるだろう。だが、その原因を単純に競馬のみに帰せられてよいものだろうか。だいたい競馬で人生を持ち崩すような人は例外なく自律性に欠け、金銭に関して非常にいいかげんである。競馬に問題があるのではなく、むしろその人の人間性に問題があるように私には思われる。逆の発想をすれば、競馬を長く続けることによって、金銭感覚と自律性を磨くことができるともとれるではないか。ましてや、ギャンブルというだけで教育に悪いなどというのは短絡的かつ非常に幼稚な意見である。偏見を捨て、一度競馬というものをちゃんと見てみさえすれば、そんな発想は出来なくなるはずである。おそらくこういった批判を口にする人というのは、競馬を真剣に見たことなどただの一度だってないだろう。だが、こういった人たちによって、「競馬=悪」という見方は広まり、文化として見られることはますます難しくなっていくのである。
2、なぜこのようなことを長々と書いたかというと、今回の大分県中津競馬場廃止問題における中津市市長の態度に、「一度も真剣に競馬を見たことのない人」のそれが現れているように思われるからである。まず、この事件の内容を簡単に説明しよう。今年の2月13日、大分県の中津競馬の主催者である中津市長・鈴木一郎(66)によって、「6月いっぱいをもって中津競馬を廃止する」という宣言がなされた。約20億円の累積赤字を理由にである。昨年12月まで馬主たちにさらなる競走馬購入を呼びかけていたにもかかわらず、市長選の公約では「中津競馬場存続」を掲げていたにもかかわらずである。実際、半年後に中津競馬は廃止され、所属していた競走馬300頭余りと、関係者150人余りが行き場を失うこととなった。この事件の顛末についてさらに詳しく書きたい。300頭近くいた競走馬のうち100頭ほどは、他の地方競馬場や牧場などに引き取られていった。しかし、受け入れ先がみつからなかった残る200頭の競走馬たちは、食用肉として「廃用」処分されてしまった。「廃用」が決まった競走馬たちは、一頭あたり数万円で精肉業者に売られていった。通常は、業者の所有する飼育場で肉質をよくするため、約8ヵ月間おからなどの飼料を与えられるが、中津の馬たちは施設の容量の関係から、期間を待たずに次々と処分されていった。しかも、鍛え抜かれた競走馬は食肉としては不向きなため、脇腹、太腿の部分が馬刺用になるだけで、あとは動物園に餌として売られていったという。また、騎手、調教師、厩務員ら中津競馬場関係者約150名も、金銭補償をされることもなく、職を失った。さらに市側は6月末までに彼らの生活拠点である厩舎団地からも退去せよという通告を出した。これによって関係者を含め、約400人の家族が、職もなく、路頭に迷うことになった。
3、鈴木市長は、「中津競馬場は競馬としての商品価値がもうなくなっている。閉鎖はいきなりではありません。私は農水省出身ですが、13年前、市長選出馬の際、当時の同僚から『中津競馬場をやめてくれよ』と言われている。(公約違反との批判については)まあ、そんなもんじゃないんですか。20億円以上の累積赤字に加え、今年も開催すると1億8000万円の赤字が予想されたので決断したわけです。それに競馬場は八百長などのイメージかあるんでしょうか、嫌悪感を持っている市民かけっこういますからね」などと語っている。昨年6月に初の試みとして、佐賀競馬、荒尾競馬(熊本県)と日程を調整して「九州競馬」を開催し、単年度赤字が4億5000万円から1億円余りに減り、希望が持てた矢先の話である。競馬場関係者への補償に関してだが、鈴木市長は「法的な雇用関係が認められない以上、補償に応じるつもりはない。市の財政から補償金を出すのは法律上できないことだ」と断言している。だが、過去の例をみると、競馬場の廃止にともない補償がおこなわれたケースは、1974年廃止の春木競馬場(大阪府・62億円)、1988年廃止の紀三井寺競馬場(和歌山県・25億円)がある。また、鈴木市長は、競馬場跡地については当初、走路とスタンド施設を取り壊すことなく再利用し、運動公園として活用する方針を固めていた。ところが、競馬場敷地のうち走路一帯とスタンド施設付近は、競馬組合が所有者の薦神社(中津市)から有償で借りている土地で、一年単位で賃貸契約を更新しているものだった。今回の競馬中止を受けて、神社側は、競馬開催に協力するための土地賃借だった旨を強調し、競馬が廃止される以上は賃貸借を継続する理由はないとして、原状を回復した上で土地を返還するよう、組合側に申し入れた。組合側は、契約上これに応じるほかなく、2001年度中に競馬場施設をすべて解体し、更地に戻した上で土地を返還する運びとなった。この結果、新たに1億円以上の解体費用が発生することになり、中津市当局は6月の定例市議会で補正予算を組まねばならなくなった。鈴木市長の計画では、競馬場跡地を競馬組合から買い取って運動公園として再利用するというかたちで、公的資金による損失補填を行うということだった。ところが、今回新たに1億円以上の経費が発生したほか、競馬場全体の敷地のうち中心部分、全体でも三割に相当する土地が欠ける事態となったことから、買い取りのための財源が足りなくなり、また、運動公園への再利用そのものが実現困難になった。この結果、競馬場跡地の再利用計画は、大幅な見直しを迫られることになった。
4、確かに、累積赤字をなくすためにも競馬場を廃止しようという意見それ自体は正論に聞こえるかもしれない。市民の税金を投入してこれ以上赤字の補填をするわけにはいかないという意見も正論に聞こえるかもしれない。しかし、一番儲かっていた時期など年間数億円も吸い上げていながら、万が一の「廃止」を想定しての内部留保をしていなかった中津市の、主催者としての経営責任が問われないのは一体どういうことだろう。ましてや、競馬組合所有の競馬場の土地の資産価値が約十八億円もあること、JRA(中央競馬協会)から示された場外馬券売り場の併設の提案を数度にわたって蹴ったこと、別府市が地元の観光協会などと共に模索していたと言われる別府競馬場の新設計画にも横やりを入れたことなどについては全く触れられないのはどういうことだろう。中津競馬が納める上納金で財政が潤った時期もあったのである。それを、昔、いくら金を納めていても、今足手まといとなるなら切り捨て」といわんばかりに、競馬廃止の後の補償をも真面目に考えないのが、市政のトップに立つ人間の姿だろうか?先に紹介した「九州競馬」の構想はかなりの成果をあげ、現に単年度収入は劇的に改善されていたのである。その事実には目もくれず、己の無為無策を棚にあげて、長年続いてきた中津競馬を潰した鈴木市長の無責任な行為は絶対に許されるべきではない。競馬事情に詳しい民俗学者の大月隆寛氏は、こう批判している。「赤字だからつぶすという図式は一見わかりやすいが、過去、儲かっていたときには49億円もの売り上げを一般会計として市の財政に吸い上げるばかりで、何も内部留保を作っておかなかった市の経営責任はまるで問われていない。大企業でも経営責任が問われる昨今、市長だけが知らん顔では絶対に許されない。とにかく、今回のような補償なし、即持廃止の“中津方式”は競馬場の潰し方としては前代未聞のメチャクチャなやり方です」私も氏の意見と全く同じである。さらに言わせてもらえば、鈴木市長のやったことは文化の破壊である。農水省出身というだけで、競馬に関する知識や理解など全く持ち合わせていない彼のような男が、50年近く続いてきた文化を粉々に破壊したのである。おそらく彼は、競馬場に足を踏み入れたこともなければ、真剣にレースを見たこともないだろう。ましてや、ファンの熱い思いや、真剣勝負にかける騎手や調教師たちの思い、ただひたむきに走る競走馬たちのことなど、一瞥だにしなかっただろう。例えばこれがJリーグならどうだろう?J2にも赤字で潰れそうなチームはたくさんある。だからといって、地元の住民がそのチームを潰すことに賛成するだろうか?おそらく住民が一丸となってそのチームをもりたてていこうとするだろう。それは、住民たちにとって、サッカーがただのスポーツではなく、文化として見られているからである。そして、赤字続きではあるがようやく勝ち星をあげられるようになり、チームが軌道に乗ったと思われた矢先に、赤字続きという理由だけで、市長側から「チームを廃止する」などという宣言がなされたらどうなるだろう。住民側から猛反発が起き、リコール運動がおきてもおかしくないだろう。鈴木市長のやったことはこれに匹敵する、もしくはそれを上回る暴挙なのである。「サッカー=文化」という見方をする人はいても、「競馬=文化」という見方をする人はほとんどいない。競馬がギャンブル的側面が強いというだけで、いわれなき理不尽な差別を受けなければならないのである。
<参照サイト>
http://www.shiojiri.ne.jp/~kurateru/bajutsu/comments/20010613.html