大月隆寛=文
text by Takahiro Otsuki
丸田祥三=写真
photograph by Shozo Maruta

 

「なにしろ、競馬のことをわかってもらうだけでも大変なんですよ。こういう騒ぎになってから、地元のテレビや新聞とかも取材に来てくれよるけど、せいぜい知っちょるいうても中央の競馬。地方の、それもうちらみたいな競馬場が日頃どういう仕事をしよるか、説明してもなかなか伝わらんですよねえ」
 厩舎団地内の集会所、畳敷きの広間に仲間たちが交代で寝泊まりするその脇で、奥吉秋さんはこう言って懸命に口説いていた。

 肩書きは「大分県厩務員労働組合執行委員長」。だが、実はこの三月に結成されたばかりのにわか組合。二月、市長の独断専行でいきなり降ってわいた「廃止」騒動に揺れ続ける九州・中津競馬で、「厩舎関係者に廃業補償をする法律的根拠はない」と前代未聞の無茶を言い張る市長側に対抗するために、調教師から騎手、厩務員までが一致団結、肩寄せ合って自分たちの生活の場を守ろうとしている場がこれだ。
「わしら組合みたいなもん、これまで考えたこともなかったからやり方がようわからんのですよ。けど、こうなったらそんなこと言っておられんからね。相談に乗ってくれた弁護士さんも、こんな調教師から何から全部加わった闘いは初めてだ、って言ってましたわ」
 そりゃそうだ。調教師と厩務員は雇い主と雇われ人の関係。厩務員の組合はあっても、調教師まで一緒になって主催者とケンカする組合はおそらく前代未聞。いや、地方競馬じゃこういう組合が正式に結成されているところさえ、実はまだ少なかったりする。

 競馬場というのは勝負の世界。何か団結して事に当たる、ということは難しい。勝っている者は他人のために何かしようなんて思わないし、また負けている者が何を言っても相手にしてもらえない。だから組合どころか、互いの相談ごとさえなかなかうまくいかないことが珍しくない。ここ中津もそうだった。こんな「廃止」騒動が持ち上がるまでは組合の“く”の字もなかったし、また、それでも何とかうまくやってきていた。
「書記長」の肩書きを持つことになった若い大下真昭クンも、こう言って笑う。
「中津ってところは昔っからみんな仲いいんですよ。とにかく賞金が安いけ、ねたみあいとかが全然ないですもん」

 厩務員が八十人足らず、調教師や騎手、獣医や装蹄師まで含めてもせいぜい百人そこそこ。でもって、一着賞金が二十万円程度から、重賞でも百万円そこそこ。そういう小さな所帯で三百頭ばかりの馬を養っては十日に一回競馬を使い、出走手当てを稼ぎながらささやかな競馬をやってきた、その主催者側も含めた身内意識が、慢性的な赤字経営の中でさえ「廃止」という決定的な事態を迎えないですむ歯止めにかろうじてなっていた。
 それがあわてて今回、組合を作った。作らざるを得なかった。やり方がわからないので大分ふれあいユニオンや連合といった上部団体にも加わった。着慣れぬ背広を着てあちこち連れ回されるのはおっくうだったし、運動のやり方まで指導されてめんどくさいことも多いが、それでも慣れない手つきでプラカードをつくり、メーデーにも参加した。手分けしてデモも毎日やり、ビラもまいている。署名を集める準備もしている。いつ何があるかわからない、と、交代で集会所に詰めているのもそういう動きの一環だ。
「この集会所をこげん使うたんは初めてじゃろ。こらええのがあったなあ、と、みんな喜んで寝泊まりしよるんですわ」

 

 

 

 

とにかくいきなり「廃止」、だった。
 主催者側のトップである市長が農水省に駆け込んで「わし、もう競馬やめるけんね」と宣言した。それが全国紙に報道されて、現場はみんな 「聞いてねえよ」 と大騒ぎになった。

 九州には地方競馬場が三つある。佐賀、荒尾、そして中津。いずれも赤字経営に苦しむ地方競馬だが、去年、平成十二年度はこの三場が「九州競馬」という枠組みで一致協力、経費の共通化から人馬の交流、さらに互いに開催日がかちあわないよう日程を編成するなど、赤字削減のためのさまざまな手立てを講じ、その効果が上がって単年度収支は劇的に改善されていた。自治体によるタテ割り行政の弊害でその程度のことさえなかなかやってこれなかった地方競馬としてはまず画期的な試みだった。それを見て、よし、うちも、と、北関東の三場 (高崎、 足利、 宇都宮) も今年度から「北関東Hot競馬」という枠組みで連携を始めていた。また、これはうまくいかなかったけれども、市民から馬主希望者を募り、一種の共有馬主として入厩馬不足をカバーしようと試みたのも、ここ中津競馬だった。現場は立て直しのための努力をしていたのだ。

 なのに、である。何の下相談もなく、市長だけがいきなり「やーめた」とやった。
 地元だけではない、連携していた佐賀や荒尾の関係者も仰天した。すでに四月から新年度予算も組んで、競馬の日程も出てきていた。
「九州競馬という形にして一番いい目をみたのは中津さんだったはずですよ。平日開催で売り上げが前年度比一二〇%くらいになってるんじゃないですか? なのに、いきなりやーめた、では、まるで勝ち逃げですよ」(佐賀の関係者)
 この六月いっぱいで「廃止」、と一方的に言う市長に、もちろん厩舎側は反発。赤字が減って希望が見えてきていたはずなのにどうして、と、やりあううちに、今度は決勝写真の撮影を請け負う業者との契約までこじれて、四月からふた月だけ予定されていた今年度の開催までがいきなり中止に。あれよあれよという間に「廃止」は既成事実となり、厩舎関係者は六月いっぱいで厩舎団地を明け渡して出てゆくこと、を言い渡された。

 かくて一躍競馬場殺しの主役となったこの市長、名前を鈴木一郎という。アメリカ大リーグはシアトル・マリナーズで目下大暴れのあのイチロー……ではない。単なる同姓同名のこのイチロー市長、東大法学部卒で元農水官僚という経歴の御仁。農水省出身だから競馬にもこれまで理解がある、ということに一応なってはいた。けれども、いきなり廃止と言われて仕事を奪われてどうしたらいいんだ、と詰め寄る厩舎関係者に向かって「生活保護をもらえばいい」と平然とうそぶく始末。転職のあっせんも職安を介して行なう、とは言うものの、仕事としての競馬が具体的によくわかっていないままだから、打診してくる仕事もおよそ的外れなものになる。
「とにかく馬にエサ食わせて走らせよったらいいんじゃろ、くらいの話ですからね。まともに相談なんかできませんよ。こっちの仕事の中味を知らんのだから話にならん」

 そう、仕事としての競馬ってやつが果たしてどういうものなのか、現場の主催者でさえよくわかってないままで、その上の市長も知らないままで、だからもちろん地元の一般市民ってやつのほとんどもそんなもんで、今回の「廃止」騒動を報道するマスメディアでさえもいまひとつはっきり見えてなくて、つまり誰も眼の前で起こっていることの何が本当に問題なのか、きちんと知ることができないまま、ただ事態はどんどん勝手に既成事実を積み重ねて進んでいってしまっている。いきなりの「廃止」沙汰にせっかく組合まで作って対抗しようとする厩舎の人々が真っ先に直面しているのは、「いくらブームだなんだともてはやされていても、実は世間のほとんどによくわかってもらえないままほったらかされてきた、生きた馬に関わるこの競馬というお仕事」の現実、に他ならない。

 

 

 

 

実は今、ニッポンの競馬ってやつは、未曾有の大転換期を迎えている。
 少なくとも敗戦後、日本中央競馬会の設立このかた、はっきり中央/地方というダブル・スタンダードでやってきたニッポン競馬は、高度経済成長の「豊かさ」を効率的に吸い上げる装置としては相当にうまく機能してきていた。だが、そのシステムは今や耐用年数を超えたものになっている。ジャパンカップの創設に象徴される「国際化」の推進に始まり、JRAに発したアラブ競馬のなしくずしの廃止の動き、それらに伴う地方競馬の赤字体質のさらなる悪化に、さらにはひとり勝ちと言われてきたJRAでさえもが昨今、毎週重賞のたびごとにはっきり売り上げ減を見せつけられている。認定/交流競走の導入に代表される中央/地方の相互交流の促進にしても、その先に果たしてどんなニッポン競馬の未来像を見てのことなのか、不透明な部分があまりに大きい。

 そんな中、儲からないのならやめちまえ、という一見合理的な、しかし儲かる時は競馬からむしれるだけむしってきたこれまでの経緯を考えればあまりに一方的でご都合主義な意見が、地方競馬の主催者の間に広まり始めている。市民の税金を投入してこれ以上赤字の補填をするわけにはいかない、といった、これまたそれ自体は正論の、しかしこれまた文脈抜きでは限りなく暴論にもなり得る物言いが、それらを後押しする。ちらほら出始めた全国ネットでのニュース報道でも、主催者側の中津市が「赤字のためやむなく……」という論調でまとめるのがお約束。事実、市長のイチローもこの「赤字」が錦の御旗だ。

 しかし、一番儲かっていた時期など年間数億円も吸い上げていながら、万が一の「廃止」を想定しての内部留保をしていなかった中津市の、主催者としての経営責任には言及されない。まして、競馬組合所有の競馬場の土地の資産価値が約十八億円もあること、JRAから示された場外馬券売り場の併設の提案を数度にわたって蹴ったこと、別府市が地元の観光協会などと共に模索していたと言われる別府競馬場の新設計画にも横やりを入れたこと、などにはまず触れられない。「赤字」=悪役、の図式だけがひとり歩きする。

 競馬場がなくなること自体はこれまでにもあった。一番最近では、昭和六十三年に廃止された和歌山県の紀三井寺競馬場。この時は現場の厩舎関係者の対応が早かったこともあって、廃業補償は何とか勝ち取ることができた。彼らの身の振り方も、地方競馬全体がまだ儲かっていた時期のこと、全部ではないにせよ新たな落ち着き先を何とか他の競馬場に見つけることができた。それでも、その移っていった先で苦労した。元紀三井寺の名門厩舎の三代目で、今は高知で厩舎を持つ雑賀正光調教師は、競馬場がなくなることの辛さ、情けなさをこう語ってくれた。
「競馬場は一度つぶれたら二度と復活しません。だから、どんなに賞金が安くても、辛くても、自分たちの競馬場だけは絶対につぶしたらいかんのです」
 その高知競馬場自体も、ご多分にもれず存廃論議が出ている競馬場のひとつ。中津の「廃止」の知らせを受けて、雑賀さんたちもいろいろと側面援護をしてきている。
「全国三十ヶ所の地方競馬のほとんどが赤字に苦しみながら廃止できないでいるのは、関係者に対する補償の財源が見つからないからです。補償なんかしなくていい、というこの中津=鈴木一郎方式の『廃止』がまかり通れば、じゃあうちも、と手をあげる主催者が次々と出てきかねない。この連鎖反応が一番こわいんです」

 基本的によそごと、と構えていた他の地方競馬主催者も、こんな事情からこの中津の経緯には注目している。JRAも無関係ではない。スソ馬がたまって下級条件ではレースに出走させることさえ大変になってきている現在、馬の二次流通を支える地方の競馬場がつぶれてゆけばそれら〈その他おおぜい〉の馬たちに新たな活躍の場を見つけてやることもできなくなる。これはもう、この大転換期のニッポン競馬全体に関わる大問題、なのだ。

 

 

 

 

「六月はじめにひとつのヤマが来ると思ってます。もうそこから先は全く収入がなくなるわけですから、馬に食わせることもでけんようになる。われわれは何とか辛抱しても、馬を飢えさせるわけにはいかんですものね」(副委員長の古梶好則さん)
 どうするんですか、と尋ねると「もう厩から出してそこらに放して外の草を食わせるしかない。馬主さんも所有権放棄してる馬が増えてますし、今いる馬を殺さないためにはそれしかないかも知れません」。
 開催中止からひと月あまり。すでに在厩馬の半分以上、百数十頭がいなくなった。去年と一昨年の中津ダービー馬は共に南関東に転厩、アラブの雄ツキノコルドバも荒尾に活躍の場を求めていった。そうやってよそに移れる馬はまだいい。それ以外の馬たちは……
「肉にするために(馬運車に)積むのはこの仕事で一番辛いんですよ。でも、このところもう百頭以上そうやって積んだからね。なんでこんなことに……と思いながら積みましたよ。ここらに流れてくる馬はたいていどこかしら故障持ちの馬ばかりだけど、でもわしらはそんな馬でずっと競馬やってきたんだから」
 今、まだ厩舎に残っている馬は百頭ほど。この先なおどこかの競馬場で現役を続けられるような馬ならば調教もするが、そうでない馬は日々食わせるカイバさえままならない。筋肉も落ちたそんな馬たちを抱えながら、厩舎を出てゆかねばならない期限は刻々と迫る。
 
 馬が姿を消した厩舎には、埃っぽい春の風が吹いていた。錆びた洗い場の手すりに、砂にまみれたメンコがいくつか揺れる。ここに確かに競走馬がいた、その証しだ。
「ああ、もうほんとなら今頃ここで競馬に乗ってたはずなんですけどねえ……
 今年デビューの新人騎手、佐藤智久クンはそう嘆息した。厩舎は闘っていても、騎手たちは食わねばならない。彼は島根県の益田競馬に「出稼ぎ」に出かけていた。前日、その益田で待望の初勝利。だが、喜びに浸る間もなく中津にとんぼ返り、「正直まだ寝てたいんですけど、でもそんなこと言ってられませんからね」と、今日もまたデモの列に加わる。
 アラブのA級戦でいい馬に乗せてもらった。しかも内枠まで引いた。大きな声では言えないが、道中も地元の先輩騎手たちにビミョーに手加減してもらった。はい、勝ちました。
 おお、いいハナシじゃないか。稼業のソリダリティってのはそういうもんだ。ソリダリティ、ってなんすか? うん、「侠気」って訳すんだ。
 ほんとならおまえなんか乗せてもらえんとこぞ、あんな馬に、と、古手の厩務員が口をはさむ。日焼けした肌にサングラス。藤竜也を思い切り脂っこくしたような風貌。でも、話の合間に見せる表情は正しい九州オトコの人なつっこさだ。わしか? 中学出てからもう四十年、競馬場一本よ。他の競馬場に乗ってた(出稼ぎに行ってた)こともあるけど、この仕事以外なーんも知らんもん。
「よろしくお願いしますッ」。そんな彼も信号待ちのクルマをのぞきこんでは声をかける。顔見知りのラーメン屋のおばちゃんが手をふる。「お願いしまーす」佐藤クンも続く。
「毎日こうやってデモしよると、町の人の反応が変わってきよりますね。市長の言うことばっかり新聞とかで聞かされてたのが、こっちの言い分もわかってくれるようになっとる」
 慣れない響きの「お願いしまーす」が、なお街に響く。数班にわかれたデモの隊列は、今日も街はずれにある競馬場を出発して市内のどこかで、ずっと忘れられたままになってきた「競馬というお仕事」の置かれた立場を不器用に訴えている。 

 

 

 

 

 

 

中津競馬に思うこと

 最近、地方競馬所属の騎手の活躍が目立ちますが、気になるお題を一つ。
 今年の初めに、大分県中津市市長が同市の競馬を6月をもって廃止とすると宣言しました。半年後、中津競馬は廃止となってしまったのですが、なんだか釈然としないものが今もって残ります。地方行政の抱える赤字財政という点が競馬廃止への大きな理由の一つでもあったようですが、それ以外にも、「競馬=ギャンブル=悪」という図式が見え隠れしているように、第三者にはみえます。もちろん、市の市民に対する行政サービス充実のために、赤字を最も出す分野を削除していくことはやむを得ないことであり、その点から言って中津競馬の廃止も仕方のないことであったのかもしれません。
 しかし、ここで考えなければならないことがないでしょうか。もちろん、現在地方行政の財政を逼迫させる要因の一つかもしれない地方競馬ですが、数十年前、まだ娯楽というものが少なく、競馬が地方と中央とを問わず盛んで売り上げが大きかった頃、地方競馬の税収などは地方財政に大きく寄与していたのです。地方自治体に売り上げを「上納金」として納めず、競馬馬独自で将来的な貯蓄をしていたら・・・とも考えますが、少なくとも、地方競馬が納める上納金で財政が潤った自治体もあるはずです。それが「昔、いくら金を納めていても今、足手まといとなるなら切り捨て」といわんばかりに、競馬廃止の後の補償をも真面目に考えない姿勢は、一体どういうことでしょうか。
 もう一度言いますが、競馬廃止を非難するのではありません。廃止とするなら、それに伴ってするべきことがあるだろう、ということです。競馬場が潰れてしまうことで、どれだけの人が職を失うか。一人だけの問題ではありません。家族がいます。若い騎手や厩務員といった人たちは、それでも新天地を求めることが可能でしょう。事実、荒尾や佐賀などの競馬場に移っていっています。しかし、年老いた厩務員、調教師といった人たちはどうでしょう。この不況のなか、新たに生活の糧となる職を見つけだすことは、簡単なことなのでしょうか。
 それでも人間はまだいいです、人間は。いざとなればどんな知恵でも浮かびます。では、馬は?他の地方競馬に移ることの出来なかった馬は?食肉となるのも仕方ないと簡単にいえますか?競馬場が存続していれば、肉になることなく走っていられた馬たちです。「しゃーないやん」の一言で片付けられるほど、軽い命ではない!
 大体において、横浜市や東京文京区でもそうだが、サラブレッドがどういう生き物か、「競馬」というスポーツが発展することで文化にどのように貢献してきたか、「知らな」さすぎる。所謂、学識経験者たちの意見を聞いて・・・と言うにしても、その学識経験者とは一体何者であるか。筆者の同僚の大学教員にも、「競馬が文化?あれはギャンブルであって真面目に研究する対象になんかなるものか」という御仁が多い。これで国際コミュニケーション学科教授かと失笑を禁じ得ないが。そして、こういった人物たちが「学識経験者」として意見を述べるのである。いい加減きわまりないとはこういうことではないのだろうか。そもそも、競馬はあらゆる「勝負事」を賭の対象としていたイギリス貴族によって、現在の形に作り上げられたものである。もっと遡ると競馬の起源らしきものは古代ローマに求めることも出来る。
 近代の哲学者ヤスパースは、馬に人間が乗ったことで人間は大地から解放されたといい、人間が歴史を持つようになった要因の一つとして挙げている。難しい哲学は別にしても、文化史の中で人間と馬の関係は無視することは出来ないものであり、競馬も馬と人間の文化史を構成するものの一つである。こういったことに頭がまわらないから、競馬はギャンブルで、それは悪でしかなく、そんなものはつぶしてしまえという結論が導き出されるのではないだろうか。
 中津市の場合、市議会がまだ健全なようで、補償についての議会決議とかを講じているそうだ。競馬に従事していた人々に、人間としての「思いやり」を示していただきたい。青少年に「おもいやり」を連発している大人たちです、自分たちがお手本を、さぁ、みせていただきましょう。
 元中津競馬所属だった騎手のみなさんが、新天地で活躍してくれることを祈ります。
 中津の観光収入源の一つであっただろう「卑弥呼杯」、今年から無いのですね。 

 

 

 

 

 

中津競馬が3月廃止に!!

 

大分県と中津市でつくる中津競馬組合は、売上高が伸び悩み累積赤字がかさんだため、3月に競馬場を廃止する方針を決め、監督官庁の農水省に伝えた。地方競馬の廃止は和歌山市の紀三井寺競馬場以来13年ぶりとなる。長引く不況などで近年は赤字経営続いており、累積赤字は20億円近くに膨らんでいる。

 

submitted by J.Ishizaka (a.racing horse)
2001-02-12 00:48:01+09

 

 

 

 

 

 

 

 

最新競馬ニュース

(4/12)補償問題で迷走・中津競馬、廃止の方針で

 廃止方針が決まった大分県中津市の中津競馬が、廃止に伴う補償問題で迷走している。「金銭補償はできない」とする運営主体の中津競馬組合(管理者・鈴木一郎同市長)に対し、調教師や騎手、きゅう務員ら関係者は猛反発。予定されていた本年度の全レースが開催できなくなるゴタゴタにまで発展した。

 「収入もなく、死ねということか」「市長はなぜ出てこない」。中止されたレースの補償をめぐり、6日と8日に中津市役所で開かれた関係者との交渉で、激しい言葉が飛んだ。対応した市幹部と組合事務局が返答に窮する場面もしばしばあった。

 事の発端は3月31日に、ゴールの写真判定などを担当する市内の映像業者が「関係者に補償しないという市の姿勢は納得できない」として契約更新を拒否したことだった。

 当初、6月3日まで営業を続ける予定だった組合は、4月1日からの第1回レースを急きょ中止。結局、代替業者が見つからず、全レース(計16日間)がキャンセルされた。

 交渉の結果、中止されたレースについて組合側が関係者に賞金や各種手当の65-100%を補償することで合意し、同競馬場は本年度に1度もレースを開かずに廃止されることが確定的になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中津競馬を廃止責任追及の声次々
市長 言い訳答弁に終始

競馬関係者の座り込み
補償を求めて市役所前に座り込みを続ける関係者

六月議会は、競馬廃止議会

 中津競馬が廃止されることによって収入の途を絶たれる人々(以下、関係者と呼びます)職種はさまざまで、それは次のようなものです。
 
調教師
 装蹄師
 競馬食堂
 馬匹運送業者
 騎手
 獣医師
 厩務員
 競馬専門紙
 映像業者
 それぞれの人数は、流動的な面もあって確定しにくいんですが、これまでの交渉の中で言われているのは、直接関係者104名、家族を含めて400名です。


関係者
「市長と直接話し合いたい」
市長
「根拠がないので補償はしない」
議会
「中津競馬廃止に伴う補償を求める請願」を採択した。
 これが,競馬問題の現状です。
 本会議では、8名の議員が人道的立場から市長の姿勢を厳しく問いました。
 市長は「根拠のない金は出せない」と繰り返すばかりでした。これは他に例を見ない廃止の仕方です。
 他の地方競馬では、廃止にあたってまず関係者に説明しています。廃止検討委員会を設置し、準備期間をおいて、円満に解決しています。
 中津市は一切このような手続きを踏まず、唐突に廃止表明をしたのです。
 市長は、農水省や県へ支援も求めることもせず、独りで強引に決着させようとしています。
 「市長になったときから廃止を決めていた」などと週刊誌に語っているようですが、その言葉は2年前に場外馬県売場を造るなど悪あがきをして、赤字を膨らませてしまったこととどうつながるのでしょうか。
 馬と共に生きてきた関係者の再就職の道は厳しいようです。仕事を奪われた上に、厩舎団地から退去するよういわれています、しかも一切の補償なしです。
振興策を探る場では「万策つきたから廃止しかありません」と答えた市長ですが、廃止問題の解決には「万策」どころかまったくの「無策」です。
 三月議会では廃止に伴う不足会は7億7千万だったのに、六月議会では、12億8千万と膨らみ、それには財政調整基金をあてるといっています。
安藤議員 関係者が裁判を提起した場合、市側の裁判費用はどこから出すのか。
総務部長 競馬組合から出す。
安藤議員 裁判に敗けたら上告するのか。
市長    敗けることはありません。
荒木議員 競馬廃止で紛叫している最中に入札業者や委託業者と中国旅行へ行ったのは事実か。
市長    友人として同行しました。
といった調子で、競馬組合管理者(市長)としての責任など、毛ほども感じていないようです。
 6月22日、中津市議会は議員提案による@競馬組案管理者(市長)、副管理者〈県農政部長〉は経営責任を取り早急に円満解決にあたることA関係者の生活基盤の確立と競馬組合の財政処分について、県、県議会に協力要請することといった内容の決議も満場一致で採決されました。

 

中津競馬を廃止市長責任と補償は?

●廃止にともなう債務負担額
        29億249万円
精算による整理事項
内訳
@累積赤字
     21億6647万9千円
A長期債の繰上償還
        3270万2千円
B場外馬券売り場(ドリーム中津)
 現状復旧費用  2216万円
C退職金   5040万7千円
D看板摘去費用 759方2千円
E機器リース料 1億2040万円
F畜産組合返還額
      5億260万9千円

ここ3年間、競売振興対策費として3億1800万円、経費見直しにより5億600万円の出費を抑制したが、それでも平成12年度で1億8000万円の赤字となった。

●市長のいい分
 「やめた方がいいという一般市民のコンセンサスは90%得られた。存続中は志気にかかわるのでやめるとはいえなかった」
 一般質問でも質問者10名中6名が競馬問題を取り上げた。

 平成13年度当初予算
歳入
   245億5577万8千円
     (前年度比 4.4%増)
※地・万交付税 4.6%減
※市債 14.5%増
歳出の中では土木費が突出している。
 土木費合計 (予算総額の24%超)
          59億8千万円
 今年度の主な土木事業
☆ダイハツ誘致関連   5億円
☆中津港改修      5億円
☆米山公園新設     3億円
☆鍋島公園新設  1億8千万円
☆中津中学校舎増改築
            5億9千万円

 

大分・中津競馬突然の廃止

大分・中津競馬場サラブレッド200頭の「悲しすぎる最期」

「6月いっぱいをもって中津競馬を廃止する」。2月13日、大分県の中津競馬場の主催者である中津市長によるこの一方的な通告が200頭の競走馬の運命を変えた。迫りくる期日のなかでサラブレッドたちは、いま次々と食肉処分されている。消えゆく地方競馬の姿を緊急リポート!
 「廃止決定から4ヵ月。もうすでに150頭の競走馬が処分された。いま厩舎に残っている50頭ほどもその運命は免れないでしょう。せめて廃止までに猶予期間があれば、もっと多くの馬の引き取り先をみつけることかできたのに……。本当に辛いことです」(大分県厩務員労働組合執行委員長・奥吉秋氏)
 今年2月13日、大分県・中津競馬場の6月末での廃止決定が、主催者の中津競馬組合の管理者である鈴木一郎・中津市長(66歳)によって発表された。昨年12月まで馬主にさらなる競走馬購入を呼びかけていた鈴木市長が一転して、約20億円の累積赤字を理由に、競馬場の閉鎖を打ち出したのだ。これによって所属していた競走馬300頭余りか行き場を失うことになった。
 そのうち100頭ほどは、他の地方競馬場や牧場などに引き取られていった。しかし、受け入れ先がみつからなかった残る200頭の競走馬たちは、食肉用として「廃馬」処分される運命にあるのだ。
 廃馬が決まった競走馬は一頭あたり数万円で精肉業者に売られている。通常は、業者の所有する飼育場で肉質をよくするため、約8ヵ月間おからなどの飼料を与えられるが、中津の馬たちは施設の容量の関係から、期間を待たずに次々と処分されている。
 しかも、鍛え抜かれた競走馬は食肉としては不向きなため、脇腹、太腿の部分が馬刺し用になるだけで、あとは動物園に餌として売られるのだという。
 馬だけではない。閉鎖にともない、騎手、調教師、厩務員ら中津競馬場関係者約150名が職を失うことになった。さらに市側は6月末までに彼らの生活拠点である厩舎団地からも退去せよという通告を出した。これによって関係者を含め、約400人の家族が、職もなく、路頭に迷うことになる。
 現在4期目をつとめ、市長選の公約では「中津競馬場存続」を掲げながら今回、突然の廃止決定を下した鈴木市長は、本誌の取材に対しこのように語る。「中津競馬場は競馬としての商品価値がもうなくなっている。閉鎖はいきなりではありません。私は農水省出身ですが、13年前、市長選出馬の際、当時の同僚から『中津競馬場をやめてくれよ』と言われている。(公約違反との批判については)まあ、そんなもんじやないんですか。20億円以上の累積赤字に加え、今年も開催すると1億8000万円の赤字が予想されたので決断したわけです。それに競馬場は八百長などのイメージかあるんでしょうか、嫌悪感を持っている市民かけっこういますからね」
 しかし、昨年6月には初の試みとして、佐賀競馬、荒尾競馬(熊本県)と日程を調整して「九州競馬」を開催し、単年度赤字が4億5000万円から1億円余りに減り、希望が持てた矢先の廃止決定である。
 競馬場関係者への補償に対して、鈴木市長は「法的な雇用関係が認められない以上、補償に応じるつもりはない。市の財政から補償金を出すのは法律上できないことだ」と断言する。が、過去の例をみると、競馬場の廃止にともない補償がおこなわれたケースは、1974年廃止の春木競馬場(大阪府・62億円)、1988年廃止の紀三井寺競馬場(和歌山県・25億円)がある。
 競馬事情に詳しい民俗学者の大月隆寛氏は、こう批判する。「赤字だからつぶすという図式は一見わかりやすいが、過去、儲かっていたときには49億円もの売り上げを一般会計として市の財政に吸い上げるばかりで、何も内部留保を作っておかなかった市の経営責任はまるで問われていない。大企業でも経営責任が問われる昨今、市長だけが知らん顔では絶対に許されない。とにかく、今回のような補償なし、即持廃止の中津方式は競馬場の潰し方としては前代未聞のメチャクチャなやり方です」
 現在、全国30ヵ所ある地方競馬のほとんどが赤字に苦しんでいる。主催者側の無責任経営の最大の被害者は、ひたむきに走るサラフレッドたちなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

20010504日)
[地方競馬事情]
公営中津競馬、跡地再利用計画が白紙に画像なし
 20016月限りで廃止される予定で、既に4月から開催を打ち切っている公営中津競馬について、中津競馬組合(管理者:鈴木一郎中津市長)は、競馬場跡地のうち借地の部分を所有者に返還する方針を明らかにした。
 
 中津市側は、競馬場跡地については当初、走路とスタンド施設を取り壊すことなく再利用し、運動公園として活用する方針を固めていた。ところが、競馬場敷地のうち走路一帯とスタンド施設付近は、競馬組合が所有者の薦神社(中津市)から有償で借りている土地で、一年単位で賃貸契約を更新しているものだった。今回の競馬中止を受けて、神社側は、競馬開催に協力するための土地賃借だった旨を強調し、競馬が廃止される以上は賃貸借を継続する理由はないとして、原状を回復した上で土地を返還するよう、組合側に申し入れた。
 
 組合側は、契約上これに応じるほかなく、2001年度中に競馬場施設をすべて解体し、更地に戻した上で土地を返還する運びとなった。この結果、新たに1億円以上の解体費用が発生することになり、中津市当局は6月の定例市議会で補正予算を組む方針。
 
 中津市は、競馬場跡地を競馬組合から買い取って運動公園として再利用するというかたちで、公的資金による損失補填を行う方針だった。ところが、今回新たに1億円以上の経費が発生したほか、競馬場全体の敷地のうち中心部分、全体でも三割に相当する土地が欠ける事態となったことから、買い取りのための財源が足りなくなり、また、運動公園への再利用そのものが実現困難になった。
 
 この結果、中津市による競馬場跡地の再利用計画は、大幅な見直しを迫られることになる。また、競馬廃止に伴う厩舎関係者(調教師、騎手、厩務員)に対する補償を巡って、市当局と厩舎関係者の対立は依然続いており、中津市内では競馬関係者によるデモ行進や署名活動が連日行われているという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地方が中央を支える構造

まずとりあえずは基礎知識から。日本の競馬には「中央競馬」と「地方競馬」がある。中央競馬はJRA(日本中央競馬会)が主催し、一方、公営競馬ともいわれる地方競馬は各地方自治体が主催する。その全国組織がNAR(地方競馬全国協会)。九州でいえば「小倉」では中央競馬が行われ、「佐賀」「荒尾」「中津」の3場では地方競馬が開催される。
 では、なぜ中央と地方に分かれているのか。それは競馬の発展過程に2つの流れがあったから。おおまかにいえば中央競馬は、文久元年(1861)に横浜で行われた、居留外国人による日本初の西洋式競馬に源を発している。戦前までは優良な軍馬を育てるために競馬が大いに奨励され、やがて競馬の主催団体が統合されて全国組織となり、戦後の国営競馬を経て日本中央競馬会へと発展していく。一方の地方競馬では、歴史をたどると神社の祭礼にあたって、古くから奉納されてきた競馬神事にさかのぼるものもある。それぞれに発展の事情は異なるが、地域に根ざした個性的な競馬を受け継いでいるのが地方競馬の特徴だといえる。
 中央競馬の競馬場は全国10箇所。馬場は芝コースが中心。早くからレース体系や施設を整備し、広報活動にも力を入れながら、つねに競馬のイメージアップに努めてきた。中央競馬のレース格付けの頂点にあるのがGI(グレードワン)レース。このGIを中心にスターホースや人気ジョッキーが競り合い、熱狂的なファンだけでなく、女性や若者へもファン層を拡大して今日の人気を築いてきた。これに対して全国30箇所の競馬場で開催される地方競馬は、砂を敷きつめたダートコースが中心。各地方自治体が主催していることもあって他場との連携プレーが取りにくく、レース体系や出走馬の格付けも競馬場ごとに異なったまま。またイメージアップやファンサービスという面で後れをとってきたため、中央はメジャーで地方はマイナーというイメージがぬぐいきれない。
 ところが行われている競馬レースの回数(のべ)を調べてみると、中央が年間288日、約3400レースに対して、地方が年間約2400日、約2万5000レース。年間で約1万頭も生産される競走馬のうち、中央でデビューする馬はおよそ数百頭。ほんのひとにぎりのエリート馬であり、残りのほとんどは地方を走る。つまり日本の競馬を支えているのは、実は地方競馬の存在である、という構図が見えてくる。事実、これまでも地方から中央に籍を移して活躍した名馬は数多い。デビューから10連勝を飾って怪物と呼ばれ、GIを2勝したあのハイセイコーも、通算3221勝(2着6回)の戦績を残し、GIを4勝したあのオグリキャップも、もともとは地方競馬の出身なのだ。地方の頑張りがあってこそ中央が成り立つ、という原理がここにもあるように思われる。  

 

 

 

起死回生をかけた「1本場2場外」への転換

   長びく不況の影響は、もちろん競馬にもおよんでいる。メジャーの中央競馬でさえ苦戦を強いられるなか、地方競馬の売上は1991年をピークに右肩下がりが続き、ほとんどの競馬場が赤字経営。九州の3場も例外ではない。なかでも中津競馬は累積赤字が20億5000万円を越えて存亡の危機に立たされ、優良経営といわれた佐賀競馬も3年連続の赤字に苦しんでいる。こうした状況を打開するため、昨年6月からスタートしたのが「九州競馬」である。これは九州エリアの「佐賀」「荒尾」「中津」の各競馬場が、これまでの独立開催から路線を変更し、一致協力してレースの充実化をはかり、ファンを呼び戻そうという起死回生の策であった。
 では九州競馬となって、これまでと何が変わったのか。その主なポイントは、第1に「1本場2場外」の体制。これまでは3場が土・日曜にそれぞれ開催していたレース日程を調整し、平日にも分散化して開催。競馬は1場だけで行い、他の2場はその場外馬券を発売する。つまり競合してお客を取り合う路線から、協調してお客を増やす路線へと大転換したのだ。ただし地元ファンへのサービスとして、連休や盆、正月には各場とも開催する。この結果、3場トータルの開催日数は削減しながら、馬券購入の機会は大幅に拡大する。競馬開催のコストを抑えながら売上アップをめざす、という画期的な九州方式だった。
 2つ目のポイントは、人と馬を3場の共有資源と位置づけ、人馬の交流を促進してレースの充実化をめざすこと。競馬では主だったレースは重賞レースと呼ばれるが、九州競馬ではこの重賞レースを大胆に改革。お互いに垣根を低くして、3場から騎手、出走馬が参加して競い合う九州交流重賞レースを設定した。またサラブレッド系のレースでは、3場統一の格付けである九州グレード(KG1〜3)を設け、レース体系をより分かりやすくした。
 さらに3つ目は、広報活動や事務処理の共同化を進め、経費削減に努めること。開催日程表や騎手名鑑、出走表などはすでに共同で作成。3場間を光ファイバーで結び、他場のレースを生中継で見られる映像システムも稼動している。
 ほとんど交流のなかった3場が、これまでの自己完結型の殻を打ち破って協調体制を築き、九州全体を見すえたファンづくりをどのように進めていくのか。厳しい財政事情をかかえる地方競馬では、こうしたブロック化構想に大きな期待を寄せていた。南関東地区では先例があるものの、広域にわたる実施は全国でもはじめての試み。中津競馬の廃止問題が浮上してきたのは、このような九州競馬の取り組みに熱い視線が集まっていた矢先だった。

 

 

 

 

廃止問題に揺れる「九州競馬」の行方

 ではここで、九州エリアの3つの競馬場を簡単に紹介してみよう。まずは九州競馬のリーダー的存在ともいえる佐賀競馬。その名前から佐賀市内と思われがちだが、実は鳥栖市内の緑の田園地帯にある。1万5000人収容の壮麗なスタンドは、地方競馬のなかでもトップクラスの規模で、1万台収容の駐車場もある。競走路は1周1100m、幅24m。競走馬は約760頭。昨年10月に場内を大改修して待望の全館冷暖房を実現。有料指定席の窓が全面総ガラス張りとなって、レースが見やすくなったと好評である。ここではダートグレードレース(中央と地方のダート交流重賞レースにGI〜IIIの格付けしたもの)のGIIIが年間2回開催される。昨年、佐賀の年間最多勝を更新する239勝を上げ、地方競馬全国3位にランクされた鮫島克也騎手が、どのような戦いをするのかが楽しみである。
 海の見える日本最西端の競馬場として有名なのが荒尾競馬。「潮風をきって、感動が駆け抜ける!」のキャッチフレーズ通り、スタンドの真正面に有明海が広がり、夕陽も美しい。卵型の競走路は1周1200m、幅25m。競走馬は約630頭。スタンドのカラー舗装や自由席の改修も終え、JR荒尾駅や三井グリーンランドに近い立地を生かして、レジャー施設としての充実化を進めている。昨年の2000年に奇しくも通算2000勝を達成した牧野孝光騎手は「とにかくほっとしました。九州競馬では他場の騎手と交流できるから大きな刺激になります」と言う。これまでにNARグランプリ優秀騎手賞を4回も受賞した強者の、これからの手綱さばきに注目したい。
 桜の名所・大貞公園にある中津競馬では、向こう正面の奥に薦神社の森が見える。この神社で行われていた奉納競馬が発祥の起源だという。全国でも2番目に小さな競馬場であり、競走路は1周1000m、幅20m。競走馬は約300頭。財源確保のためにスタンド正面に広告看板を掲出。全国でも例のない試みとして話題を呼んだ。「ここは馬場が狭い分、迫力がありました。他場で乗るのは難しかったが、九州競馬ではレベルの高いレースを経験できました」と語ってくれた有馬澄男騎手。今年1月末に通算3484勝を達成し、大記録3500勝に王手をかけたのだが……。全国から招待した女性騎手だけで争われる中津の名物レース「卑弥呼杯」の存続を望む声も多い。
 走りはじめたばかりの九州競馬だが、中津競馬が抜けるとなったら、どうなるのだろう。3場共同による場外発売所の開設や在宅投票システムの開発など、新しい可能性を模索していたプランも見送られるのだろうか。これまでに中津競馬は、市の会計に合計約49億円を納付するなど財政面でも貢献してきた。新しい一歩を踏み出した九州競馬の成否もまだ未定である。それだけに突然の廃止問題を残念に思う競馬ファンも、きっと多いことだろう。
 「あまりに急な話に驚くばかり。競馬は地域のみんなで守り、受け継いできた財産です」というのは、中津競馬で30年間、競馬新聞「競馬ファン」を編集発行してきた山田實さん。「一度廃止すれば、復活はまずできない。赤字でも頑張っている競馬場は全国にたくさんあるのだから、何とか続けてほしい」と存続に希望をつなぐ。現在のところ、今年の6月まではとにかく中津競馬は開催されるようだ。熱烈な競馬ファンで知られた作家の故山口瞳氏は、すべての地方競馬場をめぐり歩いて書いた観戦記『草競馬流浪記』に何度も書いている。「競馬の必勝法、それは馬券を買わないことである」と。赤字に苦しむ地方競馬の現状を見たら、さて天国の作家は何とアドバイスしてくれるのだろうか?