大月隆寛=文
text by Takahiro Otsuki
丸田祥三=写真
photograph by Shozo Maruta
「なにしろ、競馬のことをわかってもらうだけでも大変なんですよ。こういう騒ぎになってから、地元のテレビや新聞とかも取材に来てくれよるけど、せいぜい知っちょるいうても中央の競馬。地方の、それもうちらみたいな競馬場が日頃どういう仕事をしよるか、説明してもなかなか伝わらんですよねえ」
厩舎団地内の集会所、畳敷きの広間に仲間たちが交代で寝泊まりするその脇で、奥吉秋さんはこう言って懸命に口説いていた。
肩書きは「大分県厩務員労働組合執行委員長」。だが、実はこの三月に結成されたばかりのにわか組合。二月、市長の独断専行でいきなり降ってわいた「廃止」騒動に揺れ続ける九州・中津競馬で、「厩舎関係者に廃業補償をする法律的根拠はない」と前代未聞の無茶を言い張る市長側に対抗するために、調教師から騎手、厩務員までが一致団結、肩寄せ合って自分たちの生活の場を守ろうとしている場がこれだ。
「わしら組合みたいなもん、これまで考えたこともなかったからやり方がようわからんのですよ。けど、こうなったらそんなこと言っておられんからね。相談に乗ってくれた弁護士さんも、こんな調教師から何から全部加わった闘いは初めてだ、って言ってましたわ」
そりゃそうだ。調教師と厩務員は雇い主と雇われ人の関係。厩務員の組合はあっても、調教師まで一緒になって主催者とケンカする組合はおそらく前代未聞。いや、地方競馬じゃこういう組合が正式に結成されているところさえ、実はまだ少なかったりする。
競馬場というのは勝負の世界。何か団結して事に当たる、ということは難しい。勝っている者は他人のために何かしようなんて思わないし、また負けている者が何を言っても相手にしてもらえない。だから組合どころか、互いの相談ごとさえなかなかうまくいかないことが珍しくない。ここ中津もそうだった。こんな「廃止」騒動が持ち上がるまでは組合の“く”の字もなかったし、また、それでも何とかうまくやってきていた。
「書記長」の肩書きを持つことになった若い大下真昭クンも、こう言って笑う。
「中津ってところは昔っからみんな仲いいんですよ。とにかく賞金が安いけ、ねたみあいとかが全然ないですもん」
厩務員が八十人足らず、調教師や騎手、獣医や装蹄師まで含めてもせいぜい百人そこそこ。でもって、一着賞金が二十万円程度から、重賞でも百万円そこそこ。そういう小さな所帯で三百頭ばかりの馬を養っては十日に一回競馬を使い、出走手当てを稼ぎながらささやかな競馬をやってきた、その主催者側も含めた身内意識が、慢性的な赤字経営の中でさえ「廃止」という決定的な事態を迎えないですむ歯止めにかろうじてなっていた。
それがあわてて今回、組合を作った。作らざるを得なかった。やり方がわからないので大分ふれあいユニオンや連合といった上部団体にも加わった。着慣れぬ背広を着てあちこち連れ回されるのはおっくうだったし、運動のやり方まで指導されてめんどくさいことも多いが、それでも慣れない手つきでプラカードをつくり、メーデーにも参加した。手分けしてデモも毎日やり、ビラもまいている。署名を集める準備もしている。いつ何があるかわからない、と、交代で集会所に詰めているのもそういう動きの一環だ。
「この集会所をこげん使うたんは初めてじゃろ。こらええのがあったなあ、と、みんな喜んで寝泊まりしよるんですわ」
とにかくいきなり「廃止」、だった。
主催者側のトップである市長が農水省に駆け込んで「わし、もう競馬やめるけんね」と宣言した。それが全国紙に報道されて、現場はみんな
「聞いてねえよ」 と大騒ぎになった。
九州には地方競馬場が三つある。佐賀、荒尾、そして中津。いずれも赤字経営に苦しむ地方競馬だが、去年、平成十二年度はこの三場が「九州競馬」という枠組みで一致協力、経費の共通化から人馬の交流、さらに互いに開催日がかちあわないよう日程を編成するなど、赤字削減のためのさまざまな手立てを講じ、その効果が上がって単年度収支は劇的に改善されていた。自治体によるタテ割り行政の弊害でその程度のことさえなかなかやってこれなかった地方競馬としてはまず画期的な試みだった。それを見て、よし、うちも、と、北関東の三場
(高崎、 足利、 宇都宮) も今年度から「北関東Hot競馬」という枠組みで連携を始めていた。また、これはうまくいかなかったけれども、市民から馬主希望者を募り、一種の共有馬主として入厩馬不足をカバーしようと試みたのも、ここ中津競馬だった。現場は立て直しのための努力をしていたのだ。
なのに、である。何の下相談もなく、市長だけがいきなり「やーめた」とやった。
地元だけではない、連携していた佐賀や荒尾の関係者も仰天した。すでに四月から新年度予算も組んで、競馬の日程も出てきていた。
「九州競馬という形にして一番いい目をみたのは中津さんだったはずですよ。平日開催で売り上げが前年度比一二〇%くらいになってるんじゃないですか? なのに、いきなりやーめた、では、まるで勝ち逃げですよ」(佐賀の関係者)
この六月いっぱいで「廃止」、と一方的に言う市長に、もちろん厩舎側は反発。赤字が減って希望が見えてきていたはずなのにどうして、と、やりあううちに、今度は決勝写真の撮影を請け負う業者との契約までこじれて、四月からふた月だけ予定されていた今年度の開催までがいきなり中止に。あれよあれよという間に「廃止」は既成事実となり、厩舎関係者は六月いっぱいで厩舎団地を明け渡して出てゆくこと、を言い渡された。
かくて一躍競馬場殺しの主役となったこの市長、名前を鈴木一郎という。アメリカ大リーグはシアトル・マリナーズで目下大暴れのあのイチロー……ではない。単なる同姓同名のこのイチロー市長、東大法学部卒で元農水官僚という経歴の御仁。農水省出身だから競馬にもこれまで理解がある、ということに一応なってはいた。けれども、いきなり廃止と言われて仕事を奪われてどうしたらいいんだ、と詰め寄る厩舎関係者に向かって「生活保護をもらえばいい」と平然とうそぶく始末。転職のあっせんも職安を介して行なう、とは言うものの、仕事としての競馬が具体的によくわかっていないままだから、打診してくる仕事もおよそ的外れなものになる。
「とにかく馬にエサ食わせて走らせよったらいいんじゃろ、くらいの話ですからね。まともに相談なんかできませんよ。こっちの仕事の中味を知らんのだから話にならん」
そう、仕事としての競馬ってやつが果たしてどういうものなのか、現場の主催者でさえよくわかってないままで、その上の市長も知らないままで、だからもちろん地元の一般市民ってやつのほとんどもそんなもんで、今回の「廃止」騒動を報道するマスメディアでさえもいまひとつはっきり見えてなくて、つまり誰も眼の前で起こっていることの何が本当に問題なのか、きちんと知ることができないまま、ただ事態はどんどん勝手に既成事実を積み重ねて進んでいってしまっている。いきなりの「廃止」沙汰にせっかく組合まで作って対抗しようとする厩舎の人々が真っ先に直面しているのは、「いくらブームだなんだともてはやされていても、実は世間のほとんどによくわかってもらえないままほったらかされてきた、生きた馬に関わるこの競馬というお仕事」の現実、に他ならない。
実は今、ニッポンの競馬ってやつは、未曾有の大転換期を迎えている。
少なくとも敗戦後、日本中央競馬会の設立このかた、はっきり中央/地方というダブル・スタンダードでやってきたニッポン競馬は、高度経済成長の「豊かさ」を効率的に吸い上げる装置としては相当にうまく機能してきていた。だが、そのシステムは今や耐用年数を超えたものになっている。ジャパンカップの創設に象徴される「国際化」の推進に始まり、JRAに発したアラブ競馬のなしくずしの廃止の動き、それらに伴う地方競馬の赤字体質のさらなる悪化に、さらにはひとり勝ちと言われてきたJRAでさえもが昨今、毎週重賞のたびごとにはっきり売り上げ減を見せつけられている。認定/交流競走の導入に代表される中央/地方の相互交流の促進にしても、その先に果たしてどんなニッポン競馬の未来像を見てのことなのか、不透明な部分があまりに大きい。
そんな中、儲からないのならやめちまえ、という一見合理的な、しかし儲かる時は競馬からむしれるだけむしってきたこれまでの経緯を考えればあまりに一方的でご都合主義な意見が、地方競馬の主催者の間に広まり始めている。市民の税金を投入してこれ以上赤字の補填をするわけにはいかない、といった、これまたそれ自体は正論の、しかしこれまた文脈抜きでは限りなく暴論にもなり得る物言いが、それらを後押しする。ちらほら出始めた全国ネットでのニュース報道でも、主催者側の中津市が「赤字のためやむなく……」という論調でまとめるのがお約束。事実、市長のイチローもこの「赤字」が錦の御旗だ。
しかし、一番儲かっていた時期など年間数億円も吸い上げていながら、万が一の「廃止」を想定しての内部留保をしていなかった中津市の、主催者としての経営責任には言及されない。まして、競馬組合所有の競馬場の土地の資産価値が約十八億円もあること、JRAから示された場外馬券売り場の併設の提案を数度にわたって蹴ったこと、別府市が地元の観光協会などと共に模索していたと言われる別府競馬場の新設計画にも横やりを入れたこと、などにはまず触れられない。「赤字」=悪役、の図式だけがひとり歩きする。
競馬場がなくなること自体はこれまでにもあった。一番最近では、昭和六十三年に廃止された和歌山県の紀三井寺競馬場。この時は現場の厩舎関係者の対応が早かったこともあって、廃業補償は何とか勝ち取ることができた。彼らの身の振り方も、地方競馬全体がまだ儲かっていた時期のこと、全部ではないにせよ新たな落ち着き先を何とか他の競馬場に見つけることができた。それでも、その移っていった先で苦労した。元紀三井寺の名門厩舎の三代目で、今は高知で厩舎を持つ雑賀正光調教師は、競馬場がなくなることの辛さ、情けなさをこう語ってくれた。
「競馬場は一度つぶれたら二度と復活しません。だから、どんなに賞金が安くても、辛くても、自分たちの競馬場だけは絶対につぶしたらいかんのです」
その高知競馬場自体も、ご多分にもれず存廃論議が出ている競馬場のひとつ。中津の「廃止」の知らせを受けて、雑賀さんたちもいろいろと側面援護をしてきている。
「全国三十ヶ所の地方競馬のほとんどが赤字に苦しみながら廃止できないでいるのは、関係者に対する補償の財源が見つからないからです。補償なんかしなくていい、というこの中津=鈴木一郎方式の『廃止』がまかり通れば、じゃあうちも、と手をあげる主催者が次々と出てきかねない。この連鎖反応が一番こわいんです」
基本的によそごと、と構えていた他の地方競馬主催者も、こんな事情からこの中津の経緯には注目している。JRAも無関係ではない。スソ馬がたまって下級条件ではレースに出走させることさえ大変になってきている現在、馬の二次流通を支える地方の競馬場がつぶれてゆけばそれら〈その他おおぜい〉の馬たちに新たな活躍の場を見つけてやることもできなくなる。これはもう、この大転換期のニッポン競馬全体に関わる大問題、なのだ。
「六月はじめにひとつのヤマが来ると思ってます。もうそこから先は全く収入がなくなるわけですから、馬に食わせることもでけんようになる。われわれは何とか辛抱しても、馬を飢えさせるわけにはいかんですものね」(副委員長の古梶好則さん)
どうするんですか、と尋ねると「もう厩から出してそこらに放して外の草を食わせるしかない。馬主さんも所有権放棄してる馬が増えてますし、今いる馬を殺さないためにはそれしかないかも知れません」。
開催中止からひと月あまり。すでに在厩馬の半分以上、百数十頭がいなくなった。去年と一昨年の中津ダービー馬は共に南関東に転厩、アラブの雄ツキノコルドバも荒尾に活躍の場を求めていった。そうやってよそに移れる馬はまだいい。それ以外の馬たちは……。
「肉にするために(馬運車に)積むのはこの仕事で一番辛いんですよ。でも、このところもう百頭以上そうやって積んだからね。なんでこんなことに……と思いながら積みましたよ。ここらに流れてくる馬はたいていどこかしら故障持ちの馬ばかりだけど、でもわしらはそんな馬でずっと競馬やってきたんだから」
今、まだ厩舎に残っている馬は百頭ほど。この先なおどこかの競馬場で現役を続けられるような馬ならば調教もするが、そうでない馬は日々食わせるカイバさえままならない。筋肉も落ちたそんな馬たちを抱えながら、厩舎を出てゆかねばならない期限は刻々と迫る。
馬が姿を消した厩舎には、埃っぽい春の風が吹いていた。錆びた洗い場の手すりに、砂にまみれたメンコがいくつか揺れる。ここに確かに競走馬がいた、その証しだ。
「ああ、もうほんとなら今頃ここで競馬に乗ってたはずなんですけどねえ……」
今年デビューの新人騎手、佐藤智久クンはそう嘆息した。厩舎は闘っていても、騎手たちは食わねばならない。彼は島根県の益田競馬に「出稼ぎ」に出かけていた。前日、その益田で待望の初勝利。だが、喜びに浸る間もなく中津にとんぼ返り、「正直まだ寝てたいんですけど、でもそんなこと言ってられませんからね」と、今日もまたデモの列に加わる。
アラブのA級戦でいい馬に乗せてもらった。しかも内枠まで引いた。大きな声では言えないが、道中も地元の先輩騎手たちにビミョーに手加減してもらった。はい、勝ちました。
おお、いいハナシじゃないか。稼業のソリダリティってのはそういうもんだ。ソリダリティ、ってなんすか? うん、「侠気」って訳すんだ。
ほんとならおまえなんか乗せてもらえんとこぞ、あんな馬に、と、古手の厩務員が口をはさむ。日焼けした肌にサングラス。藤竜也を思い切り脂っこくしたような風貌。でも、話の合間に見せる表情は正しい九州オトコの人なつっこさだ。わしか? 中学出てからもう四十年、競馬場一本よ。他の競馬場に乗ってた(出稼ぎに行ってた)こともあるけど、この仕事以外なーんも知らんもん。
「よろしくお願いしますッ」。そんな彼も信号待ちのクルマをのぞきこんでは声をかける。顔見知りのラーメン屋のおばちゃんが手をふる。「お願いしまーす」佐藤クンも続く。
「毎日こうやってデモしよると、町の人の反応が変わってきよりますね。市長の言うことばっかり新聞とかで聞かされてたのが、こっちの言い分もわかってくれるようになっとる」
慣れない響きの「お願いしまーす」が、なお街に響く。数班にわかれたデモの隊列は、今日も街はずれにある競馬場を出発して市内のどこかで、ずっと忘れられたままになってきた「競馬というお仕事」の置かれた立場を不器用に訴えている。
中津競馬に思うこと |
最近、地方競馬所属の騎手の活躍が目立ちますが、気になるお題を一つ。 |
中津競馬が3月廃止に!! |
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大分県と中津市でつくる中津競馬組合は、売上高が伸び悩み累積赤字がかさんだため、3月に競馬場を廃止する方針を決め、監督官庁の農水省に伝えた。地方競馬の廃止は和歌山市の紀三井寺競馬場以来13年ぶりとなる。長引く不況などで近年は赤字経営続いており、累積赤字は20億円近くに膨らんでいる。
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submitted
by J.Ishizaka (a.racing horse) |
(4/12)補償問題で迷走・中津競馬、廃止の方針で
廃止方針が決まった大分県中津市の中津競馬が、廃止に伴う補償問題で迷走している。「金銭補償はできない」とする運営主体の中津競馬組合(管理者・鈴木一郎同市長)に対し、調教師や騎手、きゅう務員ら関係者は猛反発。予定されていた本年度の全レースが開催できなくなるゴタゴタにまで発展した。
「収入もなく、死ねということか」「市長はなぜ出てこない」。中止されたレースの補償をめぐり、6日と8日に中津市役所で開かれた関係者との交渉で、激しい言葉が飛んだ。対応した市幹部と組合事務局が返答に窮する場面もしばしばあった。
事の発端は3月31日に、ゴールの写真判定などを担当する市内の映像業者が「関係者に補償しないという市の姿勢は納得できない」として契約更新を拒否したことだった。
当初、6月3日まで営業を続ける予定だった組合は、4月1日からの第1回レースを急きょ中止。結局、代替業者が見つからず、全レース(計16日間)がキャンセルされた。
交渉の結果、中止されたレースについて組合側が関係者に賞金や各種手当の65-100%を補償することで合意し、同競馬場は本年度に1度もレースを開かずに廃止されることが確定的になった。
中津競馬を廃止責任追及の声次々
市長 言い訳答弁に終始
補償を求めて市役所前に座り込みを続ける関係者
六月議会は、競馬廃止議会
中津競馬が廃止されることによって収入の途を絶たれる人々(以下、関係者と呼びます)職種はさまざまで、それは次のようなものです。
調教師
装蹄師
競馬食堂
馬匹運送業者
騎手
獣医師
厩務員
競馬専門紙
映像業者
それぞれの人数は、流動的な面もあって確定しにくいんですが、これまでの交渉の中で言われているのは、直接関係者104名、家族を含めて400名です。
関係者
「市長と直接話し合いたい」
市長
「根拠がないので補償はしない」
議会
「中津競馬廃止に伴う補償を求める請願」を採択した。
これが,競馬問題の現状です。
本会議では、8名の議員が人道的立場から市長の姿勢を厳しく問いました。
市長は「根拠のない金は出せない」と繰り返すばかりでした。これは他に例を見ない廃止の仕方です。
他の地方競馬では、廃止にあたってまず関係者に説明しています。廃止検討委員会を設置し、準備期間をおいて、円満に解決しています。
中津市は一切このような手続きを踏まず、唐突に廃止表明をしたのです。
市長は、農水省や県へ支援も求めることもせず、独りで強引に決着させようとしています。
「市長になったときから廃止を決めていた」などと週刊誌に語っているようですが、その言葉は2年前に場外馬県売場を造るなど悪あがきをして、赤字を膨らませてしまったこととどうつながるのでしょうか。
馬と共に生きてきた関係者の再就職の道は厳しいようです。仕事を奪われた上に、厩舎団地から退去するよういわれています、しかも一切の補償なしです。
振興策を探る場では「万策つきたから廃止しかありません」と答えた市長ですが、廃止問題の解決には「万策」どころかまったくの「無策」です。
三月議会では廃止に伴う不足会は7億7千万だったのに、六月議会では、12億8千万と膨らみ、それには財政調整基金をあてるといっています。
安藤議員 関係者が裁判を提起した場合、市側の裁判費用はどこから出すのか。
総務部長 競馬組合から出す。
安藤議員 裁判に敗けたら上告するのか。
市長 敗けることはありません。
荒木議員 競馬廃止で紛叫している最中に入札業者や委託業者と中国旅行へ行ったのは事実か。
市長 友人として同行しました。
といった調子で、競馬組合管理者(市長)としての責任など、毛ほども感じていないようです。
6月22日、中津市議会は議員提案による@競馬組案管理者(市長)、副管理者〈県農政部長〉は経営責任を取り早急に円満解決にあたることA関係者の生活基盤の確立と競馬組合の財政処分について、県、県議会に協力要請することといった内容の決議も満場一致で採決されました。
大分・中津競馬場サラブレッド200頭の「悲しすぎる最期」
「6月いっぱいをもって中津競馬を廃止する」。2月13日、大分県の中津競馬場の主催者である中津市長によるこの一方的な通告が200頭の競走馬の運命を変えた。迫りくる期日のなかでサラブレッドたちは、いま次々と食肉処分されている。消えゆく地方競馬の姿を緊急リポート!
「廃止決定から4ヵ月。もうすでに150頭の競走馬が処分された。いま厩舎に残っている50頭ほどもその運命は免れないでしょう。せめて廃止までに猶予期間があれば、もっと多くの馬の引き取り先をみつけることかできたのに……。本当に辛いことです」(大分県厩務員労働組合執行委員長・奥吉秋氏)
今年2月13日、大分県・中津競馬場の6月末での廃止決定が、主催者の中津競馬組合の管理者である鈴木一郎・中津市長(66歳)によって発表された。昨年12月まで馬主にさらなる競走馬購入を呼びかけていた鈴木市長が一転して、約20億円の累積赤字を理由に、競馬場の閉鎖を打ち出したのだ。これによって所属していた競走馬300頭余りか行き場を失うことになった。
そのうち100頭ほどは、他の地方競馬場や牧場などに引き取られていった。しかし、受け入れ先がみつからなかった残る200頭の競走馬たちは、食肉用として「廃馬」処分される運命にあるのだ。
廃馬が決まった競走馬は一頭あたり数万円で精肉業者に売られている。通常は、業者の所有する飼育場で肉質をよくするため、約8ヵ月間おからなどの飼料を与えられるが、中津の馬たちは施設の容量の関係から、期間を待たずに次々と処分されている。
しかも、鍛え抜かれた競走馬は食肉としては不向きなため、脇腹、太腿の部分が馬刺し用になるだけで、あとは動物園に餌として売られるのだという。
馬だけではない。閉鎖にともない、騎手、調教師、厩務員ら中津競馬場関係者約150名が職を失うことになった。さらに市側は6月末までに彼らの生活拠点である厩舎団地からも退去せよという通告を出した。これによって関係者を含め、約400人の家族が、職もなく、路頭に迷うことになる。
現在4期目をつとめ、市長選の公約では「中津競馬場存続」を掲げながら今回、突然の廃止決定を下した鈴木市長は、本誌の取材に対しこのように語る。「中津競馬場は競馬としての商品価値がもうなくなっている。閉鎖はいきなりではありません。私は農水省出身ですが、13年前、市長選出馬の際、当時の同僚から『中津競馬場をやめてくれよ』と言われている。(公約違反との批判については)まあ、そんなもんじやないんですか。20億円以上の累積赤字に加え、今年も開催すると1億8000万円の赤字が予想されたので決断したわけです。それに競馬場は八百長などのイメージかあるんでしょうか、嫌悪感を持っている市民かけっこういますからね」
しかし、昨年6月には初の試みとして、佐賀競馬、荒尾競馬(熊本県)と日程を調整して「九州競馬」を開催し、単年度赤字が4億5000万円から1億円余りに減り、希望が持てた矢先の廃止決定である。
競馬場関係者への補償に対して、鈴木市長は「法的な雇用関係が認められない以上、補償に応じるつもりはない。市の財政から補償金を出すのは法律上できないことだ」と断言する。が、過去の例をみると、競馬場の廃止にともない補償がおこなわれたケースは、1974年廃止の春木競馬場(大阪府・62億円)、1988年廃止の紀三井寺競馬場(和歌山県・25億円)がある。
競馬事情に詳しい民俗学者の大月隆寛氏は、こう批判する。「赤字だからつぶすという図式は一見わかりやすいが、過去、儲かっていたときには49億円もの売り上げを一般会計として市の財政に吸い上げるばかりで、何も内部留保を作っておかなかった市の経営責任はまるで問われていない。大企業でも経営責任が問われる昨今、市長だけが知らん顔では絶対に許されない。とにかく、今回のような補償なし、即持廃止の“中津方式”は競馬場の潰し方としては前代未聞のメチャクチャなやり方です」
現在、全国30ヵ所ある地方競馬のほとんどが赤字に苦しんでいる。主催者側の無責任経営の最大の被害者は、ひたむきに走るサラフレッドたちなのだ。
(2001年05月04日) |
地方が中央を支える構造 |
まずとりあえずは基礎知識から。日本の競馬には「中央競馬」と「地方競馬」がある。中央競馬はJRA(日本中央競馬会)が主催し、一方、公営競馬ともいわれる地方競馬は各地方自治体が主催する。その全国組織がNAR(地方競馬全国協会)。九州でいえば「小倉」では中央競馬が行われ、「佐賀」「荒尾」「中津」の3場では地方競馬が開催される。 |
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起死回生をかけた「1本場2場外」への転換 |
長びく不況の影響は、もちろん競馬にもおよんでいる。メジャーの中央競馬でさえ苦戦を強いられるなか、地方競馬の売上は1991年をピークに右肩下がりが続き、ほとんどの競馬場が赤字経営。九州の3場も例外ではない。なかでも中津競馬は累積赤字が20億5000万円を越えて存亡の危機に立たされ、優良経営といわれた佐賀競馬も3年連続の赤字に苦しんでいる。こうした状況を打開するため、昨年6月からスタートしたのが「九州競馬」である。これは九州エリアの「佐賀」「荒尾」「中津」の各競馬場が、これまでの”独立開催“から路線を変更し、一致協力してレースの充実化をはかり、ファンを呼び戻そうという起死回生の策であった。 |
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廃止問題に揺れる「九州競馬」の行方 |
ではここで、九州エリアの3つの競馬場を簡単に紹介してみよう。まずは九州競馬のリーダー的存在ともいえる佐賀競馬。その名前から佐賀市内と思われがちだが、実は鳥栖市内の緑の田園地帯にある。1万5000人収容の壮麗なスタンドは、地方競馬のなかでもトップクラスの規模で、1万台収容の駐車場もある。競走路は1周1100m、幅24m。競走馬は約760頭。昨年10月に場内を大改修して待望の全館冷暖房を実現。有料指定席の窓が全面総ガラス張りとなって、レースが見やすくなったと好評である。ここではダートグレードレース(中央と地方のダート交流重賞レースにGI〜IIIの格付けしたもの)のGIIIが年間2回開催される。昨年、佐賀の年間最多勝を更新する239勝を上げ、地方競馬全国3位にランクされた鮫島克也騎手が、どのような戦いをするのかが楽しみである。 |