高橋奈見「福島県飯舘村の放射能による土壌汚染」
T.飯舘村とは
福島県北東部の阿武隈高地に位置し、面積230平方キロ。山林が75%を占め、主要産業は畜産を中心とした農林業。農業人口は就業人口4018人の約3分の1にも上る。今回の福島原発事故の際、飯舘村は原発から30q以上離れていたため、当初は避難区域などに指定されず、住民は村に残った。しかし実際には、村の土壌は高濃度の放射能に汚染されており、2011年4月末には国によって計画的避難区域に指定され、人口約6000人のうち、老人ホーム入居者ら約120人を除いて村外に避難している。村人たちは仕事と暮らしをすべて手放すという決断を迫られた[1]。
U.土壌学から見る放射能による土壌汚染
(1) 粘土の性質
粘土表面は電気的にマイナスになっていて、ここに水分子の服を着たナトリウムなどの陽イオンが吸着している。これらのイオンはカリウムなどの別の陽イオンと簡単に入れ替わる。これを陽イオン交換という。しかし、福島原発事故で放出されたセシウムは直接粘土表面に強く吸着している。土壌の汚染を考える場合にはこの吸着の違いを理解する必要がある。
(2) 放射能物質の粘土鉱物への吸着のしくみ
粘土鉱物の代表である層状ケイ酸塩はSi四面体シートとAl八面体シートの2種類のシートが脱出縮合して張り合わさってできている。その生成過程で表面にマイナスの電荷が生じ、水和したカリウムなどの陽イオンを表面に電気的に引き付けている。Si四面体シート表面は6員環になっていて、その環のサイズが偶然にもセシウムイオンのサイズと同じなのである。それが‘‘この孔‘‘にはまり込んだセシウム(放射性物質)の除去を難しくしている。この層状ケイ酸鉱物以外にも、異なる構造、携帯、特性を持った鉱物があるので、汚染された土にどのような粘土鉱物が存在するかを調べるのは重要である[2]。
V.飯舘村の土壌汚染
(1)文部科学省が発表した、福島県飯舘村のセシウム137 による土壌汚染のレベル
飯舘村は福島第一原発から北西 約40q離れており、土壌汚染のレベルは16 万3000Bq/s。表面2pの土を1m2にまいたとして、体積は20-g。比重を1とすると、
土壌20sに相当。1m2の土地のセシウム137 による汚染 16.3万Bq×20=326万Bq/m2。チェルノブイリ事故当時(旧ソ連)の強制移住(戻ってこれないという意味)レベル
40キュリー/km2=148万Bq/m2 (1キュリー/km2=3万7千Bq /m2)であるから、飯舘村の土壌汚染は、チェルノブイリ事故当時の強制移住の2倍以上の汚染、その後のベラルーシ等の強制移住基準15キュリー/km2(55万5千Bq/m2)の約6倍にも相当する[3]。
(2)現場から見た飯舘村の土壌汚染
飯舘村役場横の斜面の放射線量を測定すると、上から2.5μS/h、3.5μS/h、7.0μS/hと斜面の上と下では斜面の下の方が高い数値を示した。これは雨で斜面上の土が下に流された結果である。つまり、放射性セシウムが表面に多く蓄積され、それが泥水として移動しているのである。このため、人々は粘土(泥)に注意しなければならない。泥を集落に入れないよう対策を考えなければならない。
W.改善策
(1)放射性物質に汚染された土壌の修復
粘土表面に強く吸着された放射性セシウムは地表面のごく表面に蓄積されているようだ。粘土からセシウムを除去するのは簡単ではない。しかしセシウムと粘土粒子を一体のものとみなし、粘土の移動とその除去を考えることが何らかの技術を開発するヒントになる。例えば、
・代かきして濁水を一箇所に集める方法
・代かきして粘土を沈降させた後表土を剥ぎ取る方法
・表土を地中の土と入れ替える転地返し法
などが考えられる。
(2)集落のクリーン化
セシウムが単独で動くことは稀で、ほとんどの場合は粘土粒子と共に移動する。飯舘村の75%は山林である。宅地や農地のある平坦地を上記の方法などで除染しても強い降雨の度に山林から少しずつ濁水として粘土粒子が流れ込んでくるだろう。また、風の強いときには土埃として粘土粒子が舞い上がって運ばれることも考えられる。集落をクリーンに保つためには流域全体での除染方法考える必要がある。集落に環濠を作り、山林からの粘土粒子が入り込むのを防ぐことも有効かもしれない。これが本当に効果があるのかどうかは、「粘土」の動きが重要なポイントになる[4]。
X.地域団体と政府の取り組み
(1)住民ボランティア
村では農機具の保管場所を設け、監視カメラも設置。住民ボランティア「いいたて全村見守り隊」を発足させた。「見守り隊」は3交代制24時間態勢で村の中をくまなくパトロールし、人がいなくなった村の家々への窃盗犯の侵入等を防止することが主要な仕事である。この「見守り隊」は村の国への要望で「緊急雇用創出基金事業(震災対応分野)」として採択され、その結果、6億円の予算で村民400人の雇用が確保された。ここに、飯舘村の「ゴーストタウン」化を阻止する、村の人たちの命とともに暮らしも守るという方針・工夫がはっきりと見られる(2011年8月26日 時)[5]。
(2)政府の対策
高汚染度地域の農地再生へ農水省も動き出した。5月末には「ふるさとへの帰還への取り組み」と呼ぶ土壌除染プロジェクトを開始。土壌改良で成果を上げて再び営農ができるように全力を挙げる。来年度予算で関連経費が認められるようにする予定だ[6]。
Y. 飯舘村の人たちの心情
東京電力福島第1原発事故で、酪農を廃業に追い込まれた福島県飯舘村の長谷川健一さんは、住民が村外での避難生活を強いられている現実について「古里に帰りたい。望みはわずかかもしれないが」と語った。飯舘村の菅野典雄村長は「やりきれない年末年始だった。この現実としっかり向き合いましょう」と訓示。式後、昨年の年頭に「躍進の年にしましょう」と意気込んだことを振り返り「すべてがパーになった。放射能災害はゼロに向かって何年も戦っていかなくてはならないものだということを国も認識してほしい」と話した。[7]
Z.考察
放射能を吸収した土壌は海に捨てるという残土処理方法を知り、それが本当に安全なのか。私は飯舘村の土壌について共同研究を行っている教授に話を伺った。
「海に捨てると放射能濃度は限りなく希釈されるので心配はない。確かにこの方法は外国の人々には煙たがられるし、付近の魚が放射線物質を吸収してしまう可能性があるかもしれない。しかしその方法を行うか否かの前に、現状ではもうすでに震災後1年近く経って多くの汚染土壌が雨などで流されている。」
私はこの話をきいてもっと汚染土壌の改善策がないかと聞いてみたが、やはり最終的な処理は海に捨てるという方法が一番効率的であり、それよりも注目すべきはWで挙げられた途中過程での地道な作業であり、それこそが確実な処理を実現し人々の安全につながっていくことが分かった。また私は飯舘村の地域住民たちの話を聞いて、とても前向きな姿勢であることに感動した。飯舘村にある広大な土地で農業を行っていた人が、震災後それでも農業を続けたいと、今住んでいる前の50分の1程度しかない土地でまた農業を再開している人がいた。震災直後の自分の土地に帰れないという悲しみを乗り越えて目前の自分がやるべきことと向き合っている現在の姿はとてもたくましく感じられた。政府の対策は計画から実行までに時間がかかり過ぎているので、これからは飯舘村の汚染土壌への改善策をより具体的、効率的なものにし、それを素早く実行に移していくことが重要だと思う。
[2] ・みぞぐち研究室公式ホームページ「飯舘村の『土』は今」(2012年1月7日現在)http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/seminar/110710mizo.html
[3] ・福島県飯舘村のセシウム137 による土壌汚染レベルの推定(2012年1月7日現在)http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/iitate_imanaka_estimate20110325.pdf
[4]・みぞぐち研究室公式ホームページ「飯舘村の『土』は今」(2012年1月7日現在)http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/seminar/110710mizo.html
[5] ・NPO法人栄村ネットワーク「栄村復興への歩み、飯舘村全村見守り隊」(2012年1月7日現在)http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=605
[6] ・放射能土壌汚染に立ちすくむ、福島農業の期待と現実
http://www.toyokeizai.net/business/regional_economy/detail/AC/b5da08842ce698cb4bb586a76c80b612/(2012年1月7日現在)
[7]・朝日ニュース「復興元年決意新た/仕事始め」
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=070000012010400052012年(1月7日現在)