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鈴木啓介「災害資本主義と復興特区法の考察」
1.復興特区法の詳細
多くの人はいまだ東日本大震災について忌々しく思っているのではないかと思う。私もまたそう思わずにはいられない人間の一人である。人智を超えた圧倒的破壊に人間の弱さ、儚さを感じたのではないだろうか。しかし私はこの震災には屈せずたくましく復活してもらいたいと祈らずには居られない。一時も早く東北が復興し、以前のように生活を営めるようになってもらいたい。
しかし大勢の日本人の願いとは裏腹に政治は迷走を続け、本格的な復興事業が行われないまま半年以上の時間が無為のうちに過ぎてしまった。やっとの思いで2011年11月21日に可決された3次補正予算も復興関連は9.1兆円と金額的に心もとなく、遅れに遅れる本格的な復興に多くの人が不満を感じているのではないだろうか。
そんな中2011年12月7日に「東日本大震災復興特別区域法」(復興特区法)が全会一致で可決された。
「東日本大震災復興特別区域法」(通称:復興特区法)とは被災地において規制や税の特例を認める法律である。政府が特区と認定すれば、浸水した住宅地や農地の再開発をめぐる手続きが緩和され、新しく立地する企業の5年間の法人税免除なども認められる。市町村の費用負担がゼロの復興交付金も用意され、自治体は津波の被害に遭った集落の高台転移事業や道路設備など国が指定する40事業、その関連事業に交付金を使うことができる。1
やっと復興を促進するための下準備ができたと多くの人は思ったのではないだろうか。しかし実はこれには様々な懸念や、反対意見がが寄せられているようだ。
京都大学大学院教授の藤井聡氏はこの復興特区法に懐疑的な意見をメディアに載せている。
彼によればこの復興特区法は「被災地で構造改革、規制緩和を徹底して推進すると同時に、外資も含めた大資本家からの様々な投資を呼び込もうとするものである」としている。これを上記の復興特区法の内容についての記事と照らし合わせてみれば、確かにそのように解釈できる。しかし、藤井聡氏はそれそのものを危険視しているようだ。藤井聡氏はこの法案はもともと政府がやりたかった「特区による構造改革」を大災害に便乗して推し進めてしまおうという、「災害資本主義」の側面があるのではないかと危惧しているのだ。
藤井聡氏は、もしそうであるならばこの特区法の行き着く先にあるものは「ふるさと再生」などではなく、「外資も含めた資本家たちの営利目的のために好きなように弄り回された土地」ではないかと警鐘を鳴らしている。
『むろん、読者の中には、それは可能な解釈のひとつに過ぎないとお感じになる方もおられるかもしれない。しかし、この解釈が当たっていれば、復興特区法とそれに基づいて実施される復興事業が、被災者たちに大いなる不幸をもたらすことは避け難い。
そのような危惧が現実にある以上、今、求められるのはその懸念を一人でも多くん国民が冷静に吟味することではないのか』2
私はこの復興特区法は被災地のために役立つものだと考えてきたが、それは危険な可能性を秘めているということで大いに興味を持った。そして災害資本主義を調べるにあたって書『ショック・ドクトリン-惨事便乗型資本主義の正体を暴く-著:ナオミ・クライン』などをを参考にした結果、災害資本主義が市場原理主義と密接な関係にあることを知るに至った。
2.災害資本主義と市場原理主義
ここで強調されている「災害資本主義」、「惨事便乗型資本主義」とは「大暫時につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」のことである。
まず、これを理解するには市場原理主義の理解が必要であった。市場原理主義とは20世紀後半から20、30年にわたって世界を席巻している経済理論のことである。それは主に「規制緩和」「民営化」「公共予算の削除」などを行い、国家による市場への介入を最小限にとどめ、市場に全てを任せることで経済全体が最も好ましい状態になる、という市場放任の立場をとっている。いわゆる小さな政府の理論だが、この思想が災害資本主義の根源となっているのだ。
この理論が実際に災害資本主義と結びついた事例の最たるものは、2005年にアメリカ、ルイジアナ州を直撃したハリケーン「カトリーナ」の災害復興だ。アメリカ政府はこの市場原理主義にならい、ニュー・オーリンズの公共の学校を復興するのではなく、私立学校の設立を促し、教育を民営化させた。結果100校以上あった公立学校は10校以下にまで数を減らし、市立学校は7つしかなかった私立学校は31校にまで数を増加した。だがアメリカでは私立学校による教育の2極化が社会問題となっており、ニュー・オーリンズでは社会問題を引き寄せられた結果となった。こうしてニュー・オーリンズは市立教育機関設立の実験場にされたのである。
また2004年のスマトラ沖地震の津波の被害を受けたスリランカの災害復興では、海岸線をリゾート地にするための計画が進められた。被災者は除け者にされ、住民の土地、家屋の修理ではなく、ただ更地にされることだけが進められたのである。
市場原理主義は共同体を解体せしめようとする危険な思想である。市場原理主義にとって邪魔なものは市場原理主義に反するような非資本主義的行動やその集団である。すなわち共同体のことなのだ。歴史や文化を共有する地域共同体、またはそれに連なるものを市場原理主義は徹底的に除去しようとする。そのためにならば災害時のショックに便乗するこすら躊躇わず、一気に自らの拡大を図ろうとするのである。つまり災害資本主義は被災地を生贄に地域共同体を解体する外道そのものなのだ。
3.日本の新自由主義
日本もまた市場原理主義と類似する新自由主義とは無縁では居られなかった。むしろ世界でもかなり新自由主義が猛威を振るってきたと言ってもよい。日本政府は活発に新自由主義の理論を取り入れ、構造改革路線を突き進んだ。それが小泉政権の際に行われた郵政の民営化や最近のTPP、緊縮財政(公務員数の削減、公共事業の削減、など)などである。それが如何に日本の国力を失わせてしまったのか。この20年間デフレに延々と苦しみ続けている我国の経済現状や、社会間現状を見れば自明なものである。しかしそれにも拘らず、現政権は新自由主義を手放そうとしていない。それはTPP参加路線、消費税増税に邁進する現政権を見れば、彼らが現在進行形で新自由主義に盲目的にのめり込んでいることは明らかだ。
余りにも熱心な新自由主義への傾倒はバブル崩壊からの立て直しを阻害し、デフレ不況の悪化を煽り続けた。日本経済は長くにも渡って停滞を強いられもかかわらず、政府は新自由主義を手放そうとしない。
4.災害資本主義を見逃さないために
2008年に勃発した金融危機によって市場原理主義に対する目線は冷ややかなものになっている。だが日本は新自由主義を大事に抱え込んでしまっている。それゆえに私は復興特区法が新自由主義を拡大するための災害資本主義ではないかと疑わざるにはいられない。東日本大震災によって傷ついた被災地を新自由主義の実験場にさせるわけにはいかない。
この復興特区法が最終的に災害資本主義を行うのか、それとも復興の光明となるのかは今の時点ではまだ分からない。だが、上記の記事にあったようにできるだけ多くの国民がこの事業を注視する必要があることだけは、確かだ。