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平松 舞 「ハーグ条約から見える日本の社会問題

 

1.国際離婚に潜む問題

 

国際化した昨今の日本において結婚もまたグローバル化し、結婚する日本人の20組に1組が外国人との国際結婚と言われている。それに伴い国際離婚も急増し、1992年には7700件だった国際離婚件数は2009年に19400件に達した1。国際離婚後に片方の親が子供を母国に連れ帰ろうとした際にトラブルが生じ、「連れ去り」や「誘拐」として扱われて親が逮捕されることも多い。その原因の一つとして、日本が「ハーグ条約」に加盟していないことが挙げられる。日本は先進国で唯一のハーグ条約未加盟国であり、他の先進国からも加盟するように圧力がかかっていることは昨今の報道からもよく理解出来る。しかし国内では加盟に異を唱える声も少なくない。賛成と反対の意見に注目し、批准する際にどのようなことが行われるのか?スウェーデンの実例を挙げ、今後の日本の在り方に関して述べていく。

 

 

2.「ハーグ条約」とは?

 

1980年にハーグ国際私法会議において採択された条約の総称である。国際結婚の破綻後、一方の親が無断で子どもを国外に連れ出し、他方の親が会えなくなる事態に対処するために制定され、多くの国が批准・発効した。正式名称は「国際的な子の奪取の民事上の面に関する条約」である。子どもの返還を求められた加盟国は、所在を調べて元在住国に戻す義務を負い、その子どもの対象年齢は16歳未満である。「連れ出してから1年以上経過している場合」、「子どもが元の国に戻ることを拒否した場合」、「戻れば子供に身体的、精神的に重大な危険が及ぶ見込みがある場合」などは裁判所の判断で返還を拒否できる。主要国(G8)では唯一日本だけが未だにこの条約に加盟をしていない。そのために日本は諸外国から強い批判を浴びてきた。アメリカより強い圧力がかかり、菅政権下で2011年5月に加盟を閣議了解している21980年に締結されたこの条約がおよそ30年を経た今、なぜ日本で騒がれているのか?その背景には、グローバル化が進み国際結婚と離婚が急増したことがまず挙げられる。

 

 

3.欧米諸国の「共同親権制度」と日本の「単独親権制度」の齟齬

 

 国際結婚であっても、そうでなくても離婚後に両親の間で一番争点になるのは子どもの親権であろう欧米諸国では、離婚後も両親で親権を維持できる「共同親権制度が取られている。共同親権の場合は離婚後も育児に関する権利を共に主張することが可能で、制約がなく子どもと面会することや子どもも両親のところを行き来することができるも。一方、我が国日本では離婚後に母親か父親の片親だけに親権が与えられる「単独親権制度」が取られている。その決定は家庭裁判所の介入によって行われる場合が多い。親権を失った片親は不利な立場に立たされ育児への権利を主張するどころか、子どもと会うことすら難しくなる場合が多い。日本のこのような状態が他国との齟齬を生みだし、国を跨ぐ子の連れ去りへと発展する背景になっているのではないだろうか?

 

 

4.条約加盟に賛成する意見

 

 ハーグ条約の加盟に関して国内では賛否両論がある。まず賛成の意見を取り上げてみる。離婚後に日本人が子どもを連れて強引に帰国してしまった場合、日本はハーグ条約に加盟をしていない為に外国人である元配偶者は、子供の親権を司法の場で主張することが出来ないのが現状である。そのために外国人の元配偶者は子どもを力ずくで連れ帰るしか道がない。しかし、それを実行した場合には「誘拐」として通報されてしまうであろう。過去にはアメリカ人の男性が日本で逮捕されたとの報道があった。日本がハーグ条約に加盟すれば互いに親権を平等に主張し、司法の場で争うことが可能となる。

 別のケースを取り上げてみよう。昨今は国際結婚後に日本に居住し家庭を築く外国人も多い。外国人は日本に生活の拠点があるからと言っても、ひとたび離婚した後は安心できない不平等な現実が待ち受けている。日本には家父長制の時代があり、女性が家庭に入り育児の一端を担ってきた時代背景がある。時代は変化しても女性が育児も行う比率は未だに高い。そのために日本の家庭裁判所は女性の方が育児に向いているという決断を下しがちで、母親が父親よりも親権を獲得することが多い。特に外国人が父親の場合、今の日本の状況では親権獲得は厳しい。なぜならば権利を主張するにあたり、日本の役所は日本国籍を保有していることを重視するからである3。このように外国人は日本において国際離婚すると弱者になってしまう。加盟後はこれらの問題もクリアできるのではないかと期待されている。これらの理由により、早期加盟を諸外国から要求されている。

 

 

5.反対意見から見えてくるハーグ条約加盟後の危険性

 

 ハーグ条約に加盟すると子どもを戻すかどうかの是非は子どもが連れ出された先の裁判所が判断するため、個別事情にかかわらず連れ戻される例が多いと言われている。それを受け、加盟に異を唱える日本の法律専門家もいる。これはどういうことを意味しているのだろうか?昨今では国内外問わず、配偶者のDVによる離婚が急増している。中にはDVから逃避するために、子どもを連れて祖国日本に帰国する人もいる。しかし日本が加盟した場合には、DVを与えていた配偶者も司法の場で親権を主張できることになってしまう。条約に「戻れば子供に身体的、精神的に重大な危険が及ぶ見込みが在る場合」などは裁判所の判断で返還の拒否が出来るとされている。しかし上記で触れたように、「子どもを戻すかどうかの是非は子どもが連れ出された先の裁判所が判断する。(要約)個別事情にかかわらず連れ戻される例が多い」といわれている。従って逃避をしていたとしても、裁判所の決定によっては、元に居た場所に子どもを返還させなければならない危険性をはらむこととなる4

 

 

6.条約加盟のためのプロセス

 

 是非にかかわらず日本がこの条約を批准し加盟する場合は、ハーグ条約の趣旨に乗っ取った国内法の整備が必要になる。加盟の意志があるからといって即座に批准はできない。既に批准している他国との法律の擦り合わせが必要だからである。上記に挙げたような「危険性をはらんだ返還」を防ぐためにも、迅速な国内法の整備が最重要課題となる。国内法の整備にあたっては日本の「単独親権制度」も欧米と同等の「共同親権制度」に改正される可能性が高い。国内法の改正には国会(衆議院・参議院)で過半数以上での可決が必要になる。しかし目下、野田政権下では消費税増税の議論で持ち切りのために条約加盟の関心は薄れていると政府関係者は指摘している5

 

 

7.「単独親権制度」が日本社会に落とす影

 

 時代はグローバル化しているにもかかわらず、「単独親権制度」からも分かるように日本の法律は時代とマッチしていないと思わざるを得ない。母親にばかり親権獲得が有利に働いていることはジェンダーの視点から見ても問題ではないだろうか?父親だからといって育児に向いていないわけではない。女性ばかりが育児を行い、女性の社会進出を難しくしている。一方、男性が育児休暇を取得することも容易ではない。こうした我が国の社会制度やジェンダーの問題は根深く、親権以外にも一人当たりのGDPの低下に代表されるように他方面に悪循環を生み出している。

 

 

8.スウェーデンの「共同親権制度」の現状

 

 続いて「共同親権制度」についてもう少し深く掘り下げていきたい。筆者は北欧のスウェーデンに一年滞在した経験が在る。北欧では「共同親権制度」が当たり前であり、出会った友人たちの中にも離婚後に「共同親権制度」の下で、育児を行っている人が多くいた。また、事実婚の家庭が多かったことも印象的であった。スウェーデンでは事実婚の制度が社会的に認められており、それはスウェーデン語で「サンボ(Sambo)」と呼ばれている。事実婚であっても両親は互いに様々な権利を主張可能とし、社会もまたそれを認めるという内容が記された「サンボ法」という法律も1980年に制定されている6。サンボによる庇護の下で子どもを設けることができ、子どもは婚姻している家庭と格差なく社会保障を受けられる。従って、両親がその後に別れても育児の「共同親権」を維持できるのである。

 

 

9.「共同親権制度」の実例

 

 スウェーデンの人々は「共同親権制度」をどう捉えているのか?筆者の友人であるウルフ・カールソン氏に話を聞いてみた(2012114日)。カールソンはサンボによって息子を2人設け、現在既に子どもたちは独立している。およそ20年前にカールソンはパートナーと別れ、子どもたちを彼が引き取った。スウェーデンでは18歳が成人とされており、成人になるまで子どもたちを育て上げた。「我々は長男が誕生した時点でパートナーと別れた時のことやどちらかが死別した時のことを想定し、養育費を支払う比率、育児の場所、面会の回数など事細かに決めた書類を作成した。スウェーデンではサンボであってもこのような書類を作成することが義務となっている」とカールソンは語った。「別れは我々家族にとって悲劇であったが、毎週末に子どもたちは母親の元へ泊まりに行っていた。母方の親戚との関わりも途絶えることもなかった。自分とパートナーが直接会うことは減ったが、我々は節目節目で育児に関する相談や話し合いを頻繁に電話で行ってきた。信頼関係を維持し、育児に関する責任を共有できた。私は彼女と育児ができたことを誇りに思っているし、それは家族全員においても幸せなことであった。彼女とは子育てが終了した今でも連絡を取り合っている。家族の在り方が変化しようとも我々は子どもにとって、いつまでも両親であることに変わりがないのである」とカールソンが語ったことが印象的である。日本の単独親権制度については「子どもにとっても残酷なシステムであろう。両親が平等な権利を主張でき、それが享受されて両親同士は信頼関係を構築することができる。しかし単独親権制度はそれに限界を生じさせるどころか、敵対心ばかりを生み出しているようにしか感じない。それは偏っており、子どもの成長にも悪影響を及ぼすであろう」と述べた。

 

 

10.条約加盟が与える可能性

 

 筆者の私見を述べるならば、ハーグ条約加盟に「賛成」である。そもそも先進国の中で日本だけが加盟していなかったことに無理があったのではないだろうかと感じるからである。反対派の慎重な意見も理解できないわけではないが、単独親権制度をはじめとする国内法の改正に対する議論がもっと盛んに多面的に行われれば様々な問題にも対応出来るのではないかと期待している。ハーグ条約加盟論議は日本が抱えるジェンダーや社会制度問題にもリンクしているが、人々の関心はまだ薄い。日本がハーグ条約へ加盟することになれば人々の意識が変わる好機になるのではないだろうか。

                                                      



1. NHK総合テレビジョン『グローズアップ現代』2011.2.2放送

2. 信濃毎日新聞(2012年1月5日付)記事より要約

3. コリン P .A. ジョーンズ  (2011) 『子供の連れ去り問題 日本の司法が親子を引き裂く』 平凡社新書 155156

4. 信濃毎日新聞(2012年1月5日付)記事より要約

5. 信濃毎日新聞(2012年1月5日付)記事参照

6. 宮本太郎(2009年)『生活保障 排除しない社会へ』岩波新書 104