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三浦菜摘「普天間基地問題は何故ここまで複雑化したか」
普天間基地移設問題は未だ解決されていないにも関わらず、最近のメディアで取り上げられることはほとんどなくなってしまった。これは問題自体が暗礁に乗り上げまるで動きを見せなくなってしまったことと、すでにメディアにも視聴者にもこの問題は報道し尽くした感があることに起因するのだろう。しかしこれはメディアの注目が去ったからといって関心を失ってしまってもいいような問題では決してない。私は、日本だけでなくアメリカや近隣アジアを巻き込むこの問題が、何故ここまで複雑化してしまったのか、今後どういった対応が求められているのか知りたかった。
普天間飛行場は沖縄県宜野湾市の約4分の1の面積を占める在日アメリカ軍基地で、その騒音や事故の危険性から市街地に隣接する現在地からの移設が求められていた。1999年当時の岸本名護市長が普天間飛行場移設受け入れを表明したことから、その後2006年の日米合意と2009年のグアム移転協定をもって在沖縄アメリカ海兵の一部のグアム移転とフライト機能のキャンプ・シュワブ(沖縄県名護市と宜野座村にまたがる在日アメリカ軍基地)沿岸部への移設を2014年までに完了させることが決定した。しかし2009年、鳩山政権は航空部隊のみの県外や国外移設を検討、移転先の選定を来年以降に持ち越しておきながら、最終的には2010年の日米共同声明でキャンプ・シュワブ沿岸部(=名護市辺野古)への移設という方向で両政府は合意した。鳩山内閣が退陣した後も管内閣は辺野古移設への理解を求めているが、沖縄県は政府への不満を募らせ県外移設を主張している。
私は普天間基地移設問題を調べて1) 迷走する首相のリーダーシップ2) 足並みのそろわない閣僚の意志3)沖縄県に対する説明と謝罪の遅れ、がこの問題をここまで複雑にしてしまった大きな要因ではないかと考えた。政権を獲得する以前の鳩山代表は沖縄市での講演で「日米の政府がまとめたものは何も変えてはならないと県民におしつけられるとしたら、違うのではないか」と沖縄の人々に語り1、政権交代が実現したら普天間の「県外・国外移転」を米政府に提案する考えをしめした。しかし民主党は政権交代を見据えた総選挙のマニフェストでは、米軍再編は「見直しの方向で望む」と表現を和らげた。実際に米政府との連立を始めるに当たって、いきなり日米合意を正面切って否定してしまえば信頼関係にヒビが入りかねないという懸念があってのことだろうが、この時点で政権交代に沸いた沖縄県民は期待と現実のギャップに不安を抱き、そしてそれはその後の首相発言が重なるたびに大きくなっていった。鳩山首相は普天間問題について「早期に解決する」と一度は発言しておきながら、その後年内の解決にはこだわらないとし、その後1月の名護市長選後に決断を先延ばしに。最終決着は5月末とした後も首相の「腹案」は具体的な形にならず、結局「公約というのは選挙の時の党の考え方とは異なる」として、民主党のマニフェストと党代表としての自分の約束は別だと主張した2。しかし期待をもてあそばれたと感じる沖縄県民の怒りは収まらない。
そもそも鳩山内閣が発足したのは2009年9月16日だが、その翌日に北沢防衛大臣は普天間飛行場の移設問題について「県外あるいは国外(移設)という選択肢はなかなか厳しい」と述べている3。10月に入っても具体的な県外の移設先を得られなければ、北沢防衛相は2006年のロードマップに沿った打開案を検討し、岡田外相は沖縄県内の嘉手納飛行場への統合の道を探っていた。首相の補佐役であるはずの平野官房長官は、名護市長選の後に判断するとの首相発言について「関係閣僚(委員会)とか正式な(意志決定の)手順を踏まえたものではない」4と、首相の発言が必ずしも政府見解ではないという旨の発言をした。こうした足並みのそろわない内閣を見れば、首相が繰り返し唱える県外移設という言葉がどれだけ非現実的であるかは国民にも察せられる。それでもここまで問題を先送りにしてきたのは、社民党との連立を守るという名目の下に「常駐なき安保」を諦めきれない首相の個人的な思想が見え隠れしなくもない。しかし普天間基地の移設には、沖縄の負担軽減という大儀に並んで、基地周辺に住む人々の安全な生活の確保という早急に達成すべき具体的な目標があったのではなかったか。沖縄県の負担軽減を目指す鳩山首相の発言は間違っていない。だが多大な時間と政治的駆け引きが必要となる県外移設は、今回のような時間制限のある中でどうにか出来るものではない。最終的に2014年までに撤去されるはずだった危険性が当面そのまま普天間に居座り続けることになってしまったことは、沖縄県の人々が最も望まない結末だったはずだ。
一方で、もしも県外移設を真剣に検討するつもりだったならば、やはり首相のリーダーシップと具体的な説明が閣僚と米政府に向けられるべきであった。なぜ辺野古への移設を考え直すべきなのか。地理的観点だけ見れば抑止力として基地が沖縄にある意義は相当に大きく、それを無視して県外への移設を訴えれば日米関係にヒビが入るのは避けられない。それでも県外移設を進めようとするのなら、鳩山首相は関係の悪化を恐れて「私を信じて」などというぼかした言葉で表面を取り繕うのではなく、その後の誤解の連鎖を防ぐためにも日米合意の辺野古移設を見直す意志を率直にオバマ大統領に語るべきだった。理解が得られたとは考えにくいが、あのタイミングで県外移設を実行するにはそれだけの覚悟を伴った決断が必要だっただろう。
沖縄に対する政府の説明と謝罪の遅れがここまで移設を長引かせてしまった一因でもある。確かに基地のキャンプ・シュワブへの移設は危険と負担を沖縄県内でたらい回しにしているにすぎない。移設の計画が事実上白紙に戻った後米政府はグアム政府との調整に難航し、海兵の2014年までのグアム移転を断念しているが、基地の移設とセットで行われる予定だったこの米海兵隊8千人とその家族9千人のグアム移設は、人口密集地にある沖縄本島中南部の負担軽減に繋がっただろう。政府は決定事項を押しつけるだけでなく、そうした利害を踏まえたロードマップだったと誠意を込めて沖縄の人々に伝えなければならなかった。そして県外移設の希望を与えながら実現出来なかった事実を、もっと早い段階で謝罪しなければならなかった。2010年6月4日に鳩山内閣が総辞職した後、管首相が沖縄県を訪問し知事に謝罪をしたのが12月17日。管首相は「民主党代表の立場も含めて沖縄の皆さんに申し訳ない」5と陳謝したが、この半年の沈黙は長すぎた。
こうした経緯をもって依然解決の糸口が見えない普天間問題だが、私は日・米そして沖縄の三者ともに忘れてはいけないのが、現在も普天間基地周辺の人々は騒音と事故の危険性に悩まされているという事実であることをここに強調したい。もちろん将来的には沖縄の基地負担は軽減されなければならない。しかし現状での普天間基地の県内移設は、沖縄の負担軽減という大事の前の小事という扱いでいいのだろうか。まずは普天間基地の危険性が取り除かれることに専念するべきである。同時に今回の一連の騒動は沖縄の基地負担の不平等さと日米安保の在り方について全国の国民が考え直す機会となった。日本はこの記憶が薄まる前に普天間基地移設とはまた別の沖縄の負担軽減に繋がる道を模索するべきだ。基地を受け入れる自治体はそう簡単には現れないだろうが、しかし今後も時間をかけて沖縄の負担軽減に取り組むことが、普天間基地の県外移設を実行できなかった政府の沖縄に対する誠意となるだろう。
参考
聞蔵Digital News Archives
http://database.asahi.com/library/simple/s-detail.php
YOMIURI ONLINE(2010年7月23日17時35分 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/feature/20091215-481540/news/20100723-OYT1T00752.htm