松野 穣『国債増発に伴う日本社会への影響』
1.前置き
2009年度、政権交代が実現し、民主党のマニフェストに従って様々な政策が執られようとしている。されどその政策によって税収が減少、そのうえ歳出が大幅に上昇と見込まれている。ここで足りない予算分を国債で埋め合わせたらどうなるか、その点について論じてみようと思う。
2.国債の法的立場及び現状
まず国債とは何か、について述べたいと思う。
国債とは国の運営資金調達用の株証券、または日本の借金と考えれば分かりやすいだろう。国債には普通国債と分類分けされるものがあり、それには建設国債、そして赤字国債が含まれている。
建設国債とは道路やダムなどの形に残る公共事業費に充てるために発行される国債である。これらの公共施設は将来も利用できるという観点から建設国債が認められている。
それに対して赤字国債とはその場限りに借りつけ足りない予算分を補填する国債である。
なお、赤字国債は法的に認められていない。本来できないことを特例としてその年限り、その年限りと延々続けて今に至っている。
実際、元からある予算を建設国債に当たらない部分に回し、足りない分を建設国債で補うなどすることも可能な為、両者を分ける意味はほとんどないと言っても良いだろう。
次に、その国債の発行額だが、普通国債だけをとっても563兆円を超える。[i]借入金等も含めれば、その量は860兆をも上回る。10年前は309兆円余りで、単純計算でいけば年間約30兆円のペースで溜まってきたということになる。これら国債を含む債務残高をGDP比[ii]で表したとしても、1990年は約65%に対し、2007年には約170%と大幅に上昇している。これは他の国と比較しても異常なほどの変貌である。この結果にバブル崩壊が絡んでいるのは言うまでもない。国を立て直すために赤字国債を毎年発行し続け、これほどの大金に膨れ上がったのだ。一度膨らんだ財政、予算を切り詰めるのは容易なことではない。切り詰めるということは増税か福祉の圧迫、どちらにしても国民の生活に大きな影響が及ぶだろう。
3.国債の社会的地位
ここで、国債を国の借金と考えるとする。借金なのだから借り手には無論、金利という利益を与える必要がある。その金利は金を貸すことにどれだけのリスクを伴うか、つまり日本という借り手の信頼度がここに表れる。
現在、日本の国債の金利は約1.25%。これが国債増発の可能性が浮上したことで僅かながら上昇傾向にある。この不景気にそれだけ金利が上がればその影響は決して小さくはないだろう。
しかし、その信頼とは観測者によって異なるものだ。国債とは各国が発行しているものであり、その買い手も他国民にも及ぶ。そこで民間会社が様々な証券と同様に各国の国債についても格付けを行っている。その格付けは会社によって違いもあるし、絶対的な指標とは言えないが、このデータを基に投資を決める企業も少なくない。それが国債のデータとなれば、国債だけに留まらず、その国にある企業にまで影響が出かねない。
他にも、国債を発行するということは通貨を増発することに近いもので、つまりは円安へと導くことになる。円が安くなるということは輸出業にとって望ましいことであり、外からの利益を得る機会ではあるのだが、今現在世界経済は順調とは言えない。よって輸出品の買い手がつかない状況なのだ。これでは利益は望めない。
しかも、日本は原材料に関してはあらゆる面で輸入に頼っている。不用意に円安となれば、その輸入費用も高くなり、結果としてさらに日本企業を苦しめるものとなるのだ。
4.他国との比較
だが一方で日本には他国と比べてひとつの安心要素があるとも言える。それが国債所有者の日本国民における割合だ。
日本国債を日本人でない人たちが持つ割合が僅か7%あまりとなっている。[iii]これがアメリカだと財務省証券と国内民間債及び外債を含めると55%にも及んでいる。イギリス、ドイツ、フランスなどは大体20%代で、アメリカはもちろんその他の国と比べてみても日本は自国の国債のほぼ全ての自国民が所有していることが分かる。
これは日本の国債が他国情勢の影響を受けにくいことを示しており、自国への借金だからと、国内で収まっている為、安定していると考えることもできなくはない。
また反面、日本は国債の公的部門が所有する割合も高い。[iv]これは国が保管、つまりは捌かずにいる国債が多いことを示し、結果として市場に出回る国債は発行額よりも少ない。それだと国債が速やかに消化されずにいつまでも残り、溜まってゆくことになる。この点において、前述の国債の自国民所有率が高いことも悪い方へと働いている。保有者がほぼ自国民と画一的な為、市場変動への対応も似たものとなり、結果として流動性に乏しくなり国債を捌けない状況になる。
5.まとめ
以上のように、国債とは他の様々なものと深く結びついている。それを不用意に赤字国債増発などとすれば、どれほどの影響が出るだろうか。それほど影響もなく済む可能性も無くはないが、だからと言ってこれからも財政が不足だから国債発行などとやっていれば、いつからは多大な打撃を被ることは火を見るより明らかである。
なので、表舞台の議員たちは国債についてはより一層の注意を払って言動に移すべきだと私は考える。彼らの発言ひとつひとつが大きな波をおこすやもしれないのだ。
元より法律では禁じられている赤字国債。もはやそれから抜け出せないほど日本財政は国債という借金に依存している。ならば、それから脱却すべく、最善を尽くすべきではないだろうか。
今、国民たちの目もこの国債に向いている。国債発行を抑えるため、という名分ならマニフェストの変更もある程度の容認を得られるかもしれない。それはもし仮に政権が再び変わった時も同じだ。いつまでも毎年特例を作っては資金を集めるなどとしていてはいずれ破滅を見る。今この時を逃せば、次にはもう後の祭りの可能性すらあるのだ。将来へと積み重ね後回しにしてきた負の遺産を見直し、正す時はまさにこの瞬間なのではないだろうか。