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伊東正文「住民投票で民意は問えるか―沖縄市泡瀬開発問題から見えてくるもの―」
現在、多くの人が政治に対して無関心であったり、自ら積極的にかかわろうとせず、政治家に任せっぱなしの姿勢でいるのではないだろうか。また実際、市民が政治に参加することのできる制度が数少ないのではと感じられる。自分たち自身の暮らしや生活のために政治家だけに任せるのではなく、市民一人ひとりが政治に対して強い関心を持ち、参加することのできる制度作りが必要なのではないだろうか。
主権者一人ひとりが政治に参加することが可能な制度として住民投票制度があげられる。主権者自らが投票を行うことにより政治や政策に対して民意の方向性を示すことができる制度だ。住民投票で得られた結果に法的拘束力はなく結果に従うことが義務づけられているわけではないのだが、実施により民意を明確にできるなど、その制度が持つ意義は大きい。しかし、現在の住民投票制度では民意を明らかにすることが非常に困難となってしまっている。沖縄市泡瀬開発問題を事例として現在の住民投票制度を見直し、今後の課題を探る。
沖縄県沖縄市、いまここである対立が起きている。基本的な概要はこうである。沖縄市の経済、雇用状況は全国と比べて極めて悪い状況であり、完全失業率は全国平均の4,7%を大きく上回る11,7%となっている。この状況を打開しようと沖縄市が中心となり東部海浜開発事業の計画に乗り出した。計画内容は沖縄市の海岸に出島を造ることにより大規模な土地を確保し、その土地に静穏な海域を活かした海洋性レクレーション拠点、また国際交流リゾート拠点の形成を図るものであった。[1]これに対し、市民団体から計画に難色を示す声があがった。開発事業により極めて貴重な自然である泡瀬干潟が失われる。この自然は失ったら二度と取り戻すことはできない。それに加え、開発自体の効果も期待できないのではないか。これらの理由から開発の中止を訴え始めたのである。
対立が進むにつれ、市民団体は「市民一人ひとりが自らの生活空間の在り方を考え、沖縄市のより良き未来のまちづくりを話し合うこと、重要な問題は市民が参加して判断することが必要」と住民投票の必要性を訴え始めた。そして2001年7月、必要署名(約1800)を大きく上回る約9400の署名を集め、市に市民投票条例制定を直接請求した。だがこれに対し、市議会は請求を否決。[2]また2002年1月、市に直接請求を行ったのだが再び否決され、住民の民意が示されることはなかった。[3]
沖縄市でこの開発事業が行われるかどうかは住民の暮らしや生活に大きくかかわることである。そのため住民は自ら立ち上がり、その決定に参加することが出来る住民投票制度を請求した。だが市議会は住民が政策決定に参加することを拒否したのである。
なぜこのような事態になったのだろうか。現在の住民投票制を見てみよう。住民投票とはある一つの事柄に関して、その賛否や最も適切だと思われる案を有権者自身の直接投票で決めるものである。議員任せではなく、有権者自身の直接投票によって主権者の意思を明らかにし、それを行政の施策に反映させるのが住民投票なのである。
住民投票は何に基づいて実施されるかによって大きく三つに分けることができるが、沖縄市ではその一つの「条例に基づいて行われる住民投票」に基づいて請求を行った。これは近年最も多く行われている実施法であり、これからの住民投票の代表的な実施法であると考えられる。そのためここではその実施法に絞って進めていくことにする。住民投票を実施させるには、まず住民投票条例を制定し、それに基づき行われなければならない。住民投票条例を制定するには首長、議員、または有権者によって請求が行われる。沖縄市の場合は市民である有権者から請求が行われたケースであり、全国各地で起きている住民投票活動の多くがこれである。この請求の場合は同意の署名を有権者の50分の1以上集める必要がある。だが注意するべきことは、請求がされさえすれば条例が制定され、住民投票が実施されるわけなのではなく、請求されたのちに議会の審議を経て可決されなければならないということだ。この審議を通過して初めて住民投票が実施され、有権者の民意を問うことができるのである。
沖縄市の事例で住民投票が実施されなかったのは議会による審議で通過しなかったからにほかならない。議会は有権者からの請求を拒む権利を持っており、議会の多数派が住民投票の実施を拒めば制定はされることがない。沖縄市がそうであったように必要署名人数を大きく上回る署名が集められ、多くの主権者が制定を求めた場合でも住民投票が実施されないことが十分にありうる。過去には有権者の48,8%もの連署を提出した徳島市の住民投票条例制定請求も議会で否決されている。[4]即ち、市民は住民投票実施の発案権を持つだけでしかなく、それを実施するかは議会がすべての権限を持っているのだ。条例制定のためには議会選挙の際に制定賛成派の議員を増加させることが必要とされるがこれを実現することは相当に困難であると考えられる。
否決になる理由は、住民投票によって得られた民意が議会意思とは異なることを避けたいと首長や議員が考えているからであるだろう。事実、市議会の意思と市民の意思とには大きなかい離が存在していた。2001年11月、一度目の請求が否決された後に沖縄タイムス社、朝日新聞社、琉球朝日放送の合同で沖縄市民を対象とした世論調査では、泡瀬干潟を埋め立てる計画に「反対」は57%で「賛成」の24%の二倍を超え、いったん否決された住民投票は「実施すべき」が68%であり「必要なし」の18%を大きく上回った。[5]市側は住民との間にあるこれらの意思のかい離を住民投票によって示されることを恐れていたのではないだろうか。
現在の住民投票制度ではその実施の決定は最終的に議会の判断に委ねられることとなり、住民の民意は市議会の大きな壁によって阻まれ、示すことは困難な状態にある。この壁を打ち破るため、ひとつの手段を提案してみよう。それは住民投票の実施を求める署名の数があらかじめ設けておいた一定の数を超えた場合、議会はその請求に従わなければならない。規定の数を超えた署名数が集まれば必ず住民投票にかけられる制度とするのだ。これは実際にチェコやオーストラリアで行われている制度であり、こうすることで従来は議会によってその実施に限界が見られていた制度が、住民の多くの支持を集めることができれば無制限で実施が可能となる。
住民投票制度はすばらしい制度であるはずだ。その実施が決定されれば住民はその問われている問題について多くの関心を寄せるであろう。自らの一票が自らの生活や暮らしに直接かかわることを認識することでその決定に葛藤しながらも最善の選択をすることが期待できる。また、その問われている問題の先頭に立つ者は住民の支持を得ようと情報を公開し、意見交換が行われ、それにより意思の調和が図れることも期待できるだろう。私自身、住民投票によって示された多数派の意思を実行することが住民投票の真義とは考えていない。実施をすることで明確になった市民の意思を出発点として、そこからより良き政策を思案し、選び抜いていくことに真義があるのだと考えている。
住民が政策に参加する手段として住民投票の実施は一つの有効な方法であるのだが、現在の制度のままでは市議会という大きな壁に阻まれ続け、やがて廃れてしまうのではないだろうか。主権者である住民の民意が反映された政策を実現するために動きださなければならない。その努力によって今後の住民投票制度は極めて有効な方法となりうることだろう。
≪参考文献≫
・泡瀬干潟埋め立ての賛否を問う住民投票
http://homepage1.nifty.com/jj-junjun/awase.HTML
・沖縄タイムス 2001年11月20日 朝刊
http://www.ne.jp/asahi/awase/save/newspaper/okinawatimes/2001/11/20m1.htm
・国民住民投票を活かす会NEWS
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1412/rd/news40.html
・今井一『住民投票―客観民主主義を超えて―』
[1] 東部海浜開発局 計画調整課 マリンシティー泡瀬 なんでもQ&A http://www.city.okinawa.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=91&id=2331&page=1
[2] 琉球新報 市民投票条例案を否決/泡瀬干潟埋め立てhttp://ryukyushimpo.jp/news/storyid-109222-storytopic-86.html
[3] 琉球新報 泡瀬住民投票条例、再び否決/沖縄市長「着工に全力」http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-105963-storytopic-86.html
[4] 署名や住民投票 http://www.wwf.or.jp/activity/enetwork/activity/04.htm
[5] 沖縄タイムス 反対57%・賛成24%/沖縄市民世論調査・75%http://www.ne.jp/asahi/awase/save/newspaper/okinawatimes/2001/11/20m1.htm