090119genseinakamuray

 

中村祐司「北京五輪をめぐる関連事業の新展開」

 

 

はじめに

 

 昨夏(2008)の北京五輪をめぐる報道は、取材メディアの常套手段とはいえ、臨場感溢れる競技・試合内容の映像伝達や参加選手(人気選手)を中心とした話題提供に取材活動のエネルギーが割かれてきた。そうした中、「サイド情報源」とでもいうべき、ニュース・バリューとしては傍流に位置づけられる地味な報道・通信に関心を喚起する内容が散りばめられていることもまた事実である。

 

 以下に提供するように、北京五輪をめぐる関連事業の裾野は思いのほか広い。大会開催は必然的に多言語コミュニケーションを要請した。一般の人々にとって当たり前のように受け入れていた開幕日(開会式当日)の背景に、日付の設定をめぐる政治的摩擦が存在した。開会式当日に合わせる形で「五輪博覧会」が開催された。また、開催都市北京での五輪熱とは対照的に日本の若者の冷めた視線を示すアンケートもあった。さらに間隙をぬうかのように五輪をスポンサー企業以上にしたたかに活用した知恵のある企業行動も見られた。

 

 そこでこの小論では、こうした一見、北京五輪において脇役と見られがちな関連事業に注目し、各々の内容を把握し提示する。そして、ユニークな個々の新事業展開に見られる特徴について指摘したい。

 

 

1.「オリンピック観客コールセンター」の開設

 

北京五輪組織委員会は、「オリンピック観客コールセンター」を開設した。北京五輪に関する質問に日本語で回答するサービスである。「@中国語、A英語、B仏語、C他の言語」からCを選択した後で、「@日本語、Aスペイン語、Bドイツ語、Cロシア語、Dポルトガル語、Eイタリア語、F韓国語、Gモンゴル語、Hアラビア語」から@を選択すると、日本語を話す担当者につながる[1]。上記の言語表示に仕方に北京五輪をめぐるコミュニケーション言語の優先性が凝縮されているように思われ興味深い。

 

 

2.「五輪博覧会」の実施

 

五輪ならではといった関連イベントもあった。「第1回五輪博覧会・北京2008年五輪博覧会」が8日から、北京で10日間にわたって開かれた。国際オリンピック委員会(IOC)・国際五輪委員会、北京五輪組織委員会、中国五輪委員会および中国郵政グループの共同主催で、国際五輪切手展やIOC名誉会長の個人収集切手展のほか、中国切手博物館切手展、国際スポーツ切手展、国際個人五輪記念品収蔵展などが開催された[2]

 

 

3.開会式設定をめぐるIOCと組織委員会との摩擦

 

北京五輪組織委員会報道宣伝部によれば、北京五輪大会の開会式を88日としたのは、 IOCとの「歩みより」の結果だった。五輪憲章によれば夏季大会の会期は17日間、開会式は金曜日、閉会式は日曜日という定めがある。当初から開会は7月下旬から8月下旬とされていたので、開会式の候補は「725日」「81日」「88日」「815日」「822日」「829日」の5通りだった。

 

 IOCは当初、725日の開会を考えていた。一方、北京五輪側は829日の開催を希望。7月下旬から8月上旬にかけては北京市が最も暑い時期で、競技への影響の恐れだけでなく、空調のための電力使用も大幅に増加するというのがその理由であった。725日に開会した場合、北京が夏の盛りを過ぎた8月下旬の開会と比べ、会場などの冷房費用は最低でも10億元は増えるという試算も背景にあった。

 

北京側は725日開会に強硬に反対。IOC側は妥協案として81日開会を打診したが北京側は拒絶。IOCは改めて8日を主張したが、北京側は同様にこれも拒絶した。IOCとしては、北半球の多くの国で夏休み期間が7月下旬から8月上旬であり、視聴率を上げ広告効果を高めたいスポンサー側の強い意向を無視できなかった。

 

その後、双方が「これ以上ずらすのでは、開催は不能」と主張するなどぎりぎりの交渉が続いたが、最終的に互いが歩み寄った結果、開会式は88日に決まった。開会直後の競技種目は、射撃、アーチェリー、水泳の飛び込み、卓球、バドミントンなど、高温の影響が少ない競技や室内競技を選んだ。陸上などは極力、終盤近くに行うことに決定。中国では「8(中国語の発音はバー)」は、発財(ファーツァイ=財をなす)、発展(ファーヂァン)の「発」に通じるとして、縁起のよい数字とされる、このため、中国側が「88日」開催にこだわったとする説が強いが、実際はIOCとの「ぎりぎりの交渉」の末の決定だった、というものである[3]

 

 

4.日本の若者の北京五輪をめぐる認識

 

日本の新聞報道(NPO法人「ドットジェイピー」による全国の大学生ら約1,800人を対象に実施した調査)によれば、北京での開催に「賛成」する学生は18.2%。北京以外を含めても中国での開催には25.2%が「賛成」。北京開催への「反対」は37.7%であった。反対理由は「環境問題」が30.1%と最も多く、「治安・政情不安」17.2%、「中国への不信感」10.6%であった。報道では、中国政府は交通規制など大気汚染対策を実施し、国際オリンピック委員会(IOC)も問題ないと判断しているが、直前調整を中国ではなく日本で行う国もあり、学生もニュースなどでそうした事情を知っているようだと分析した[4]

 

 

5.「蒙牛」と「ペプシ」の成功戦略

 

五輪協賛企業以外の企業がビジネスチャンスを生かした興味深い事例がある。中国乳製品大手の「蒙牛」やアメリカ飲料大手の「ペプシコーラ」は、IOCが直接契約を結ぶ世界スポンサーにも、五輪開催国組織委員会が自国内で募集するスポンサー(なお、北京五輪組織委員会が中国国内で集めた内外企業からの協賛金は、06年時点でIOCスポンサー協賛金を超過)にも属さない企業である。

 

 「蒙牛」は「激情08 現在出発」(情熱の2008年、今からスタート)というスローガンを打ち出し、オリンピックを意識したキャンペーンを展開した。「五輪との関連性がある」との理由で、北京五輪組織委員会に差し止められた後には、「全民健身(みんなでスポーツを楽しもう)」に変えた。中国における半数以上の消費者は「蒙牛」を北京五輪の正式スポンサーだと思っている。同じ中国乳製品大手の「伊利」は「蒙牛」のライバルで、北京五輪組織委員会が認めた正式なスポンサー企業ではあるものの、「蒙牛」と「伊利」の売り上げの差は、2006年の約1億元から2007年の約10億元まで拡大している[5]、という。

 

 「ペプシ」についても同様である。07年から「為中国加油(中国のために応援を)」というキャンペーンを中国全土で展開し、五輪選手に真似て両手の親指を立てて観衆の応援に応えるポーズで撮った写真をネットでアップするキャンペーンを始めた。2,800万人がこのポーズでの写真を投稿したという。まさに「五輪をきっかけに企業イメージの向上と売り上げアップに結びつけた好例」とされた。

 

 「この7年間の中国人の共通した国民感情」は、「もっと豊かになりたい。環境改善や健康増進も求めたい、そして五輪を通じて世界とのつながりを深めたい」であり、蒙牛とペプシはテレビを通じて幅広くこの国民感情を捉え、「みんなでスポーツを応援し楽しもう」というイベントを展開したことになる。

 

 中国では安い労働力に依存する経済成長モデルは曲がり角にきていて、華南地域の労働集約型企業の多くはさらに内陸部やベトナムなどへ移転し、沿海部は技術集約型産業へとシフトしつつある中で、こうした国民感情こそ、「五輪後に中国の成長を牽引している最大のエンジンであり続ける」とされるのである[6]

 

 

6.おわりに

 

 上記の諸事例はいずれも周縁に位置する五輪事業ではあるものの、いずれも北京五輪に内在する本質的な課題を含んでいるように思われる。それは大会開催に不可避的に付随せざるを得ない類のものである。「自国語(中国語)→英語→フランス語→その他」に優先順位を設定した上での多言語対応がそれである。スポーツそのものが共通言語であると主張には説得力はあるものの、やはりこれだけの大規模スポーツイベントを世界に伝え、世界から人とモノを飲み込む限り、多言語対応が不可欠となる。世界上での多言語相互コミュニケーションの展開が五輪大会には不可避なのである。

 

 五輪博覧会の役割は決して小さくない。歴史上、北京五輪は過去の五輪大会とは切り離されて実施されたわけではない。いくら史上類を見ない規模を誇ったとしても、歴史的なつながりにおいては一里塚としての北京五輪に過ぎないという見方もできる。脈々と引き継がれた「遺産」を次回大会にバトンタッチするという役割を公に顕示する場もまた不可欠だったのである。

 

 たかが閉会式の月日されど閉会式の月日設定である。88日の背景になったのは極論すれば欧米市場利害と中国との全面対決だったのではないだろうか。実質的にはIOCの発言力をも凌駕する欧米スポンサーが視野に入れるのは、映像を通じ観戦する膨大な数の欧米地域の人々(顧客)なのであろう。しかし、良好な競技環境の条件設定のみならず、中国には中国の事情がある。閉会式の月日をめぐる相互交渉はIOC、スポンサー企業、欧米の五輪委員会、中国政府、北京五輪組織委員会、北京市政府といった主要勢力間の妥協の結節点を目指すプロセスでもあった。

 

 日本の若者の北京五輪に対するスタンスがいくら冷めたものであったとしても、良くも悪くも疾風怒濤のごとく人々の関心を喚起しつつ、北京五輪は開催された。日本の若者は自国選手の活躍にも冷めた視線を送ったのであろうか。

 

 「蒙牛」と「ペプシ」の企業行動は、市場開拓のための知恵の発揮が当局による規制の網の目をかいくぐる形で成功した事例であろう。北京五輪大会前後を含めて多くの人とモノを総動員したかのような徹底した取締、治安強化、監視システムが敷かれた状況の中で、萎縮とは無縁の企業行動に学ぶところは多いかもしれない。

 



[1] http://www.cn.emb-japan.go.jp/consular_j/joho080801-2_j.htm

在中国日本国大使館「オリンピック観客コールセンターの開設」(20088月現在)。

[2] http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0807&f=national_0807_007.shtml

中国情報局「北京五輪:8日、第1回目の五輪博覧会が北京で開幕」(20088月現在)

[3] http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0804&f=national_0804_013.shtml

中国情報局「北京五輪88日開会の真相「縁起が理由」でなかった」(20088月現在)

[4] http://mainichi.jp/select/seiji/campus/news/20080808org00m010006000c.html

毎日新聞「キャンパスアンケート:五輪の北京開催に「反対」の学生4割 「東京五輪」も4割のみ」(20088月現在)

[5] http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/xu.cfm?i=20080805c7000c7&p=2

日本経済新聞「『スポンサーでない企業』がハートをつかんだ秘密とは」中国市場戦略研究所代表徐向東(20088月現在)

[6] http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/xu.cfm?i=20080805c7000c7&p=3

日本経済新聞「国民の参加意識をくすぐるキャンペーン展開」中国市場戦略研究所代表徐向東(20088月現在)