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佐々木慎太郎「ミャンマーにおけるデモと日本の海外に対しての姿勢について」
先日ミャンマーにおいて民間人が政府に対しての大きなデモを起こした。そのデモを現地に乗り込んで取材していた日本人ジャーナリスト、長井健司氏が取材中にミャンマーの政府軍に殺害されたことに殺害されたことにより、日本国内で大きくメディアに取り上げられた。
この反政府デモは、政府がガソリンや軽油などの燃料の値段を急激に上げたことが原因となって始まった。ミャンマーは長年、軍事政権が政権を握っており、今なおその状態が続いたままでいる。この軍事政権は、国民を軍事力で抑えつけていて言論の自由や思想の自由も保障がままならず、そのため最初は値上げに対するデモであったものが次第に政府に対するデモへと変化していったのだ。過去にも何度も反政府デモは起きていたが、今回のものはその中でも格段に規模の大きいものであった。もともとミャンマーは上座部仏教の国民が大部分を占める国で、仏教で高い地位を占める僧侶らは国民の尊敬を集める存在となっているのだが、彼らが今回のデモで初めて加わったことや、ノーベル平和賞を受賞しているアウンサン・スーチー氏らが加わったことが国民の後押しとなったのである。
しかし、今回のデモも軍事政権は従来と同様に、武力で強引に制圧してみせた。多数の市民が殺害され、その中に長井氏も含まれていたのである。僧侶たちも制圧され、アウンサン・スーチー氏に至っては自宅軟禁におかれたままでいる。この非人道的なミャンマーの動きに対し、国連は制裁を加えることを検討したが、ミャンマーの資源を狙う中国やロシアがこの案に反対の姿勢を示し、国際的な足並みが揃わないままでいる。現在もミャンマーの情勢は変わっていない。
このニュースを受けて、私は日本の国際情勢に対する疎さを感じた。このデモのニュースが大々的に報道されたのは長井氏が殺害された後であった。私はたとえ海外とはいえ、このような大きな事件をもっと早く取り上げなかったのかと考える。アメリカやイギリスを始めとする欧米の国々では中東の情勢を専門で扱うチャンネルや海外ニュースをメインで扱うチャンネルなどがある。それに対して日本はというと、邦人の犠牲者が出なければ海外に目が向かないという疎さがある。今回殺害されてしまった長井氏も、自分が殺害されたニュースではなく、取材した内容を報道してもらいたかっただろう。そもそもミャンマーは1990年まではビルマという、現地の民族によって政権が保たれていた国であったのだが、軍事政権が強引に政権を奪い、ミャンマーという国名に改正したのだ。国際的には、非民主的に政権が奪われた結果、ミャンマーという国名になったので、日本以外の多くの国は、ミャンマーを、敬意をこめてあえてビルマと呼んでいるのである。何気なく私たちはミャンマーと呼んでいるが、この点に関しても日本の国際事情に関しての価値観が表れているのだ。
邦人の犠牲者が出なければ海外に目が向かない日本の性質を示す、典型的な例となる事件がある。数年前に日本人の若者が三人でイラクに乗り込み、テロリストに拘束され、日本政府が動いてテロリストの要求を飲んで解放したという事件があった。その時、イラクから帰国した彼らに対してのバッシング相当ひどいはものであった。メディアでは、「税金を無駄にした」「危険と分かっていながら行ったのだから、解放にかかったお金は自分で払うべきだ」などと書き立てられ、また彼らの自宅にまで「死ね」「非国民だ」「自己責任だ」などの様々な中傷の言葉が書かれた手紙が送られたのだ。この日本の姿勢に対し、海外諸国は彼らを「命の危険を冒してまで、イラクの事情を知ろうとした彼らを日本は誇るべきだ。危険を冒す者がいないと進歩しない」という見方をしていた。日本と海外諸国の国際事情に関しての考え方のズレはかなり大きいのだ。確かに彼らは行くなと言われて行ったが、あくまで結果的に拘束されて政府が動くということになったのである。現時点で世界で一番危険な場所はイラクということは日本人は誰でも知っているとは思うが、18歳の若者がイラクに行くと決心したら親は泣いてでも止められるのだろうか?止めるどころか、最初のころはテレビでは18歳とは思えないしっかりした考えを持った若者だと褒めていました。確かに税金が使われたので日本国民が怒るのは当然だとは思うが「馬鹿な若者だが、日本人なのだから助けてやろう」という考えにはなぜならないのだろうかと私は思う。彼らの親は「助けてもらうのが当然だろう」という見方をしているのにもかかわらず、親に対しての批判は全くないのもおかしな話ではないだろうか?もし、ミャンマーで殺害された長井氏も、同じように拘束され、お金を払って解放されていたら、批判を食らうのだろう。外務省のホームページには海外の危険情報などが当たり前のように載っているが、これは危険を冒して現地に調査をしてくれている人がいるからである。国と国との情報交換は、単純なものではない。だからこそ現地に乗り込んでいくのだ。現地では行かなければわからないことがたくさんある。このまま日本の海外に対しての閉鎖的な考えを取り除かなければ将来日本の国際的な孤立を招くのではないかと私は考える。
現在の世界は、テロリズムという新たな脅威が蔓延している。毎日、世界のどこかでテロが起こり、罪のない人々が殺されているのだ。アメリカは9.11同時多発テロ後、テロを撲滅すべく、アフガニスタンに「対テロ戦争」の名目で国連の承諾を得ないまま、侵攻した。結局、テロの首謀者とされていたオサマ・ビン・ラディンは捕まらず、無実の市民が大勢死んだ。その結果、テロは逆に過激化し、現在のテロの蔓延という現状に至っているのだ。ところで日本では現在、自民党が憲法改正をして戦争をできる国にしようとしている。イラクへの人的な補助が日本からない事に怒っているアメリカに、日本は従ったのだ。だが最近はアメリカが開戦の根拠とした、大量破壊兵器も見つけられず、国際的な批判が高まってきている。それにもかかわらず、日本はアメリカの味方となり、アメリカを補助し続けているのだ。国際的な流れを無視して、アメリカにばかり従う日本の外交には、国際的な孤立を招くという意味で危険を感じる。
そもそも日本は、資源や食糧に乏しく、食糧自給率も低い国である。国内での石油などの燃料や小麦や大豆などの食料はほぼ100パーセント輸入でまかなわれている。そのため、海外の国々との関係が悪くなってしまうと、国民の生活に直接響き、より大きな打撃を受けてしまうのだ。そのため、そうならないように、日本は海外との関係により敏感になり、大切にしなければならないのだ。日本人は海外事情を他人事のように見ているが、日本が常に安全で豊かでいられるという保証はどこにもない。日本人特有の外国に対して特別な見方をしてしまう性質をなおして、せめてもっと海外事情に敏感になるべきだと私は思う。