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野本拓也「インターネットの可能性」
今日の現代社会においてインターネットほど人々の生活を激変させたものはない。
この情報技術の登場により私たちの生活はますます、より便利なものへとなった。
今や自宅にいながらにして仕事や友達作り、買い物までできるようになった。
その気になれば自宅で一生を過ごす事だって可能だ。
そこまではやりすぎだが私たちは多かれ少なかれ、このインターネットによる恩恵を
享受している。
今、そのインターネットが日本でその在り方を大きく変えようとしている。
昨年の12月18日、文化庁長官の諮問機関・文化審議会著作権分科会内で開かれた
私的録音録画小委員会で著作者に無許諾で動画や音楽をアップロードしたサイトからの
ダウンロード1を、著作権法30条で認められた「私的使用」の範囲から外し、
「違法サイトと知ってダウンロードした場合は違法とする」という方向性がまとまった。
これは昨年協議されていたインターネットの規制に関するニュースの中でも
実現する可能性が極めて高いものである。
この他にも政府の手によってインターネットはあらゆる方面で規制が進められようと
しているのだ。
では、なぜインターネットが規制される流れになっていったのか。
こうした動きが起こった背景にはインターネットの持つ利便性故の弊害にある。
去年の夏、8月に愛知県で起こったOL殺人強盗事件を覚えているだろうか。
3人の男が名古屋市千種区の路上でOLの女性を車で連れ去った後、
現金を奪って殺害、女性の遺体を岐阜県内の山林に遺棄したという痛ましい事件だ。
容疑者らは犯罪者仲間を募る携帯電話のサイトで知り合ったといい、素性が分からないようお互いに偽名を名乗っていたという。
つまり、この事件においてその3人を引き合わせ、その恐るべき犯罪を実行させて
しまったのはインターネットなのである。
他にもイジメの現場がインターネット上に公開されたり、少女が出会い系サイトによる
性犯罪の被害者となるなどインターネットを使った犯罪が後を絶たないのだ。
なのでインターネットを犯罪の道具として使われることを防ぐためにさまざまな規制が
加えられることになったのだ。
しかし、そうした規制をかけること、もしくは規制の方法は本当に適切なものなのだろうか。
最初に例として挙げた「ダウンロード違法化」を使って、この規制が実現された場合
どのようなことが起き得るのか、その功罪について考えてみる。
そもそもこの規制が行われるようになったのはインターネット上で横行している
著作権侵害にある。「winny」や「share」などのファイル共有ソフトや
一般ユーザーが自分でCDから音源を抜き出し、携帯電話で再生可能なものにした
データを掲示板に貼り付けて他のユーザーに無料でダウンロードさせるいわゆる
「違法着うた」の配布などがこれにあたる。
これを重くみた日本レコード協会専務理事の生野秀年氏が中心となって、違法サイトからのダウンロード違法化を訴えたのである。
従来の法律2ではアップロードしか取り締まることができない。
そうしてアップロードされたものをダウンロードする行為は著作権法30条の「私的使用」の範囲内とみなされ、処罰されないのである。
確かにアップロードする側だけでなくダウンロードする側も取り締まればそうした違法な
著作権物を撲滅することができる可能性は飛躍的に高まるだろう。
この部分のみをみるとこの規制は正しいことのように思われる。
だが、この規制のやり方を乱暴だとする声は多い。
IT・音楽ジャーナリストの津田大介氏は私的録音録画小委員会の委員でもあり、
その中で「ユーザーから見れば違法か適法か分からないサイトが多く、違法とされれば悪意のない多くのユーザーが“潜在的犯罪者”とされる」「法改正を利用した悪質な業者につけこまれ、架空請求のネタに利用される可能性がある」「そもそも送信可能化権で違法サイトを取り締まればよく、ダウンロード違法化は行きすぎ」と「ダウンロード違法化」の危険性を訴えていた。
(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0712/18/news125.htmlITmediaNews 2007年12月18日付『反対意見多数でも「ダウンロード違法化」のなぜ』)
同委員会が公表している「中間整理」に対するパブリックコメントの中でも、「ダウンロード違法化」に対し、一般ユーザーから多数の反対意見が寄せられていた。
この一例をみてもわかるようにインターネットの規制というのは確かにメリットも大きいが、時に同等かそれ以上に大きいデメリットを生み出してしまう危険を孕んでいるのだ。
そのため、もし規制をかけるのであればその方法を決める際、何よりも慎重な態度で
臨まなくてはならない。間違っても目先の利益だけをみて決めてはならないのである。
インターネットの規制、その究極形として存在するのは中国である。
中国ではインターネットの検閲を実施しており、検索エンジンでは「天安門事件」などの
中国の暗部にかかわるキーワードが検索できないということを知っている人も多いはずだ。
最近ではオーストラリアでも中国を真似て一部のコンテンツについてインターネットの
検閲を開始することを明らかにしている。
しかし、こうした国でインターネットを利用する人々は果たしてこのすばらしい技術を
最大限に活用できるのだろうか。
これも一つの「インターネットの悪用」といえるのではないだろうか。
私はインターネットを規制することに関しては必ずしも反対というわけではない。
インターネットがこのような便利な技術である以上、それを悪用しようとする人間は
どうしても出てきてしまうだろう。
けれども、そうやって発生した問題にばかり気をとられて安易にこの技術の可能性を
奪ってしまうようなことだけはしてはならないのである。
インターネットはこれからまだまだ進化していく可能性を秘めた技術である。
この技術はさまざまな人たちの手で多くのことに利用され世界中の人々の役に立っている。
だからこそ、一人一人にもっとこの問題に関心を持ってほしい。よく考えてほしい。
どうすることがインターネットにとって、人々にとって、社会にとって最も幸福な道
なのかを。
そうしたら、少しでも構わない。その考えを思い切って表明してもらいたい。
掲示板にそっと自分の意見を書き込んでみるだけでもいい。
それがそこにいる人たちと違う意見でも大丈夫のはずである。
なぜならインターネットは原則匿名なのだから。
最近の風潮ではインターネットが匿名であることがまるで欠点のように扱われている。
しかしこれは見方を変えれば「自分の意見を遠慮なく表明できる」長所とも考えられる。
これも一つの「インターネットの可能性」といえるのではないだろうか。
参考文献
ITmediaNews 2007年12月18日付
『反対意見多数でも「ダウンロード違法化」のなぜ』
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0712/18/news125.html
Wired Vision 2005年04月20日
「巧妙な中国政府のネット検閲、米の調査で明らかに」
http://wiredvision.jp/archives/200504/2005042002.html
TechCrunch Japanese 2008年1月2日
「オーストラリア、中国を真似てインターネットの検閲開始」
http://jp.techcrunch.com/archives/australia-joins-china-in-censoring-the-internet/
スポニチSponichi Annex 速報 2007年08月26日付 速報記事
『極悪!朝日新聞拡張員らを逮捕』
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20070826006.html