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錦織慎「薬害肝炎集団訴訟」

 

・このテーマの選択理由

 私自身、過去に医者から処方されたある軟膏を使用していたところ、その軟膏に求める改善症状は見られず、症状はさらに悪化の一方で最終的には対象患部にケロイドができるなどの望まない症状があらわれた。この経験により、現在でも私はあまり処方された薬を素直に使うことができないでいる。だから、報道で「薬害」という言葉が出てきたとき、もっとこの事について知りたいと思ったのに始まり、このテーマを選んだ理由でもある。

 

・薬害肝炎とは?

 薬害肝炎とは、血液凝固因子製剤(フィブリノゲン製剤、非加熱第\因子製剤、非加熱第[因子製剤)の投与によるC型肝炎の感染被害のことである。製薬会社「田辺三菱製薬」は、フィブリノゲン製剤の推定投与数は約29万人であり、推定肝炎感染数1万人以上であるとしている。

 

・フィブリノゲン製剤

 フィブリノゲン製剤は、血液凝固第T因子であるフィブリノゲンを抽出精製した血液製剤である。日本では、旧ミドリ十字(現田辺三菱製薬)が1964年から製造販売している。

 非加熱フィブリノゲン製剤「フィブリノゲン−ミドリ」(1964年‐1987年)、およびウイルス不活性(ウイルスの感染を失わせる)対策として乾燥加熱処理がなされた製剤「フィブリノゲンHT-ミドリ」(1987年‐1994年)により、薬害肝炎が発生した。これらのフィブリノゲン製剤は、輸入売血または輸入売血と国内売血の混合血から製造されていた。現在販売されているフィブリノゲン製剤は、献血由来、乾燥加熱処理と界面活性剤処理が施されており、薬害肝炎の原因とはなっていない。また、1985年以前に製造されていたフィブリノゲン製剤は、BPL処理(血液製剤の製造工程のなかで、βプロピオラクトンを添加することでウイルスを不活性すること)が施されており、C型肝炎ウイルスは結果的に不活性されていたとの検証実験が報告されている。

 

・フィブリノゲン製剤による肝炎集団感染事件

 1986年から1987年4月にかけて、青森県三沢市の産婦人科医院で、非加熱フィブリノゲン製剤「フィブリノゲン−ミドリ」を投与された産婦8名がC型肝炎に感染した。これは、BPL処理法からHBsグロブリン添加法に変更されてから出荷された製剤のものであり、これ以前には、同医院でも肝炎発生の報告はなされていない。厚生省は、1987年1月に非加熱フィブリノゲン製剤による肝炎感染の情報を入手、同3月26日に調査開始した。この肝炎集団感染事件については、1987年4月18日、新聞報道され、社会問題となった。

 

・418人のリスト放置問題

 2002年8月に厚生労働省が作成したフィブリノゲン製剤によるC型肝炎ウイルス感染に関する調査報告書の調査過程で、厚生省が、製薬会社の「三菱ウェルファーマ」(旧ミドリ十字、現田辺三菱製薬)から提出された文書の中に、フィブリノゲンによってC型肝炎に感染した418人分の個人ごとの情報が記載された症例リストや1987年以降の資料が含まれていた。個人ごとの情報には、イニシャル・氏名や住所、投与日、症状、医療機関名などが含まれており、個人を特定できるケースも複数存在した。しかし、厚生労働省と製薬会社は、個人が特定される患者に対しても事実関係を予告することなく、2007年10月に発覚するまで放置していた。このため、「国や製薬会社は20年以上も薬害の事実を隠ぺいしてきた」、「2002年の時点で告知をしておけば、被害者は適切な治療をより早期に受けることもできた」などの厳しい批判の声が上がった。

 厚生省は、調査プロジェクトチームを立ち上げてこの問題を調査し、11月30日に最終報告書をまとめ「国は患者の視点に立ち、告知に配慮してしかるべきで、反省すべきだ」とした。しかし、告知を行わなかった責任については、「責任があるとまでは言い切れなかった」と結論づけた。

 一方、報告書は「職員に隠ぺいの意図は無かったが、文書管理の状況は極めて不十分」だとし、厚生労働省は、12月3日に高橋直人医療食品局長、医療担当の黒川達夫官房審議官、医療食品局総務課長の3人を厳重注意処分とした。

 2007年11月30日現在、418人のうち265人がほぼ特定されたが、そのうち51人が死亡していた。医療機関を通して感染の事実や感染原因を告知されたのは92人。死亡した人のうち9人の遺族に対しても、感染原因などが伝えられた。

 

・訴訟の概要

 薬害肝炎の被害者が原告となり、国と製薬会社3社(「田辺三菱製薬」(旧「三菱ウェルファーマ」)、「ベネシス」(=以上2社は旧「ミドリ十字」)、「日本製薬」)を被告として、フィブリノゲン製剤と非加熱第\因子製剤の投与によりC型肝炎に感染したと主張し、損害賠償を求めて全国で合わせて5つの裁判所に提訴した。2006年6月に大阪地裁で、8月に福岡地裁で、それぞれフィブリノゲン製剤について、国と製薬会社の責任を一部認める判決が言い渡された。

 翌2007年3月には、東京地裁で、国と製薬会社の責任を一部認める判決が言い渡され、初めて第\因子製剤に対する製薬会社の責任が一部認められた。さらに7月の名古屋地裁判決では、フィブリノゲン製剤・第\因子製剤ともに1976年以降の国と製薬会社の責任を認めた。原告数は、2007年2月5日の全国一斉提訴により、計160名になった。さらに11月30日に30人が一斉提訴、12月5日に2人が提訴し、原告数は200人を超えた。418人リスト問題の発覚による提訴者は5人を数える。

 

・訴訟の経過

*2002年10月、東京原告13名と大阪原告3名が、東京地裁と大阪地裁に、損害賠償を求めて提訴。

  

*2003年4月、福岡地裁で10名提訴。その後、名古屋、仙台でも提訴。

 

 *2006年2月、大阪地裁と福岡地裁で結審。6月21日、大阪地裁で判決言い渡し。フィブリノゲン製剤に関し、被告である国について1987年4月以降の、被告「三菱ウェルファーマ」、「ベネシス」について1985年8月以降の「責任を認めた。原告、被告双方が控訴し、大阪高裁に係属。8月1日、東京地裁で結審。8月30日、福岡地裁で判決言い渡し。フィブリノゲン製剤に関し、被告である国と「三菱ウェルファーマ」、「ベネシス」について1980年11月以降の責任を認めた。原告・被告双方が控訴し、福岡高裁に係属。

 

  *2007年1月23日、名古屋地裁で結審。3月23日、東京地裁で判決言い渡し。フィブリノゲン製剤に関し、被告である国について1987年4月〜1988年6月、「三菱ウェルファーマ」、「ベネシス」について1985年8月〜1988年6月の責任を認めた。第\因子製剤のクリスマシンに関し、「三菱ウェルファーマ」、「ベネシス」について1984年1月以降の責任を認め、PPSB−ニチヤクに関し、「日本製薬」について1984年1月以降の責任を認めた。原告・被告双方が控訴し、東京高裁に係属。4月16日、仙台地裁で結審。7月31日、名古屋地裁で判決言い渡し。フィブリノゲン製剤に関し、被告である国と「三菱ウェルファーマ」、「ベネシス」について1976年以降の責任を認めた。第\因子製剤のクリスマシンに関し、国と「三菱ウェルファーマ」、「ベネシス」について1976年12月以降の責任を認め、PPSB−ニチヤクに関し、国と日本製薬について1976年12月以降の責任を認めた。原告・被告双方が控訴し、名古屋高裁に係属。9月7日、仙台地裁で判決言い渡し。国に責任なしとされ、原告が敗訴。12月13日、大阪高裁が東京地裁判決に基づき1984年以降の感染者のみ国の責任を認める内容の和解案を提示。原告団はあくまで1984年以前の感染者や訴訟を提起していない被害者も含め全員を救済すべきであるとして、当日の内に和解案の受け入れ拒否を表明。12月15日、被害者救済法(16日施行)の成立)の成立を受け、国との和解に基本合意。山口美智子・全国原告団代表(51)らと厚生労働相が、厚生省で合意書に調印。

 

・今後の方向性

5高裁5地裁で係争中の訴訟は初提訴から5年余を経て、2月7日の大阪高裁を皮切りに順次、国との和解が成立する見通し。

(毎日新聞 2008年1月15日)

 

  この問題は今現在も進行中であり、今後の政府の適切な対応に期待である。