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主計啓太朗 「東アジア共同体からの可能性」

 

経緯

日本は近代化の過程において、アジアを脱し欧米列強と肩を並べるべきであるという

「脱亜入欧」と、アジア的な価値を重視し各国と連帯すべきであるという「アジア主義」

の間で揺れ動いてきた。脱亜入欧が日本を富国強兵へと駆り立てる一方で、欧米との摩擦や差別が日本をアジア主義に回帰させた。戦後、日本は平和憲法と日米安保体制の下で経済復興に専心し、70 年代には経済大国としての地位を築いた。その後安定成長、バブル、長期不況を経て、近年ようやく経済は回復基調にある。他方、91 年の湾岸戦争で日本が十分な国際責務を果たせなかったことが、日本の国家像や外交の在り方をめぐる論議を巻き起こした。日本は自衛隊の国連PKO派遣に踏み切ったほか、米国との防衛協力の推進と巨額に上る米国債の保有を通じて、日米同盟の強化に努めている。

過去、日本は54 年以降長年経済協力を通じて東アジアでの影響力を維持し、地域諸国

も日本を手本に経済発展に努めてきた。ところが近年ODAの減少と相まって東アジアでの日本の経済外交は低調になり、その影響力も弱まりつつある。また、中国は東アジア諸国に対し積極的な外交を展開し、その影響力を高めている。こうした中、近年「東アジア共同体」について様々な議論が展開されている。

 

地域統合の形成にあたり

現在の地域統合の例として、EUを例にとりたいと思う。今日まで地球上に、いくつもの地域共同体が、国境の壁を越えて作られては消え、消えては作られてきたけれども、疑いもなくEUは、そうした地域統合の中で最も発展した統合の形だといえる。というのも、通貨と議会と軍という、本来、国家の独占物とされていたものを、ともに持つに至っているからだ。EUのような地域共同体形成には三つの条件の共有が必要であった。すなわち、「共通の脅威」、「共通の利益」、「共通の価値観」である。つまり人々が、地域共同体を作ることによってはじめて、「共通の脅威」に対処し、「共通の利益」特に通商や生産に必要な利益を、共に増大しあうことができる。その上、お互いが同じ集団に属しているという「共通の価値観」、いわゆるアイデンティティーを手にして、それを強めることができる。そしてEUにとってのこれら統合の三条件とは、ソ連共産主義の「共通の脅威」と、戦後復興にかけた「共通の利益」と、再生ヨーロッパに向けた「共通の価値観」であった。もちろん、これら三条件はそれぞれバラバラな要素ではなく、お互いに深く関わり合っている。

話をアジアに移してみよう。はたして東アジア共同体の構築は可能であろうか。一般に、東アジアは文化、宗教、政治、経済など、すべてにおいて多様である。政治面では民主主義国家と軍部独裁国家、一党独裁国家が混在しており、経済面では先進国から発展途上国、農業国と工業国など発展段階の異なる国々から成り、ヨーロッパ諸国に比べて所得格差も大きい。こうした多様性の中で「東アジア共同体」を実現するには、より均一性のあるヨーロッパ統合よりも、はるかに多くの困難が予想される。東アジアには、今のところビジョンはもとより切実な「共同体意識」もない。将来の共同体構築に向けて多くの課題と困難を乗り越えていくには、少なくとも東アジアにおいて「共同体意識」を作り上げることが必要条件である。にもかかわらず、「東アジア共同体」形成のコアとなるはずの日本、中国、韓国の三経済大国間には、経済の相互依存関係は一段と深まっているものの、「共同体意識」は育っておらず、また、東アジアに実効性のある「経済共同体」の成立も容易ではないと思われる。

しかし、考えてみれば、四半世紀前のヨーロッパと今日のアジアを単純に重ね合わせるのは、余りにも短絡化した見方でしかない。今から50年前のヨーロッパでも、今の欧州地域統合ができるなど考えもしなっかただろう。先の地域統合の三条件をアジアにも当てはめ、考察しようと思う。

まず東アジア共同体の「共通の脅威」となりうる要素としては環境問題がある。冷戦凍結15後、ポスト冷戦下の今日東アジア地域の中心的安全保障は、「攻撃するか、攻撃されるか」ではない。むしろ国境を越えた山火事による煙害や水質汚染、黄砂などの環境劣化に始まり、SARSや鳥インフルエンザの拡大のような貧困や開発発展、貧弱な政治体制と密接に絡み合い一国だけで処理できる問題ではなく、自国内と地域内の政治的・社会的安定化、解決を必要とする問題である。しかも、これらの問題はグローバル化によってつくられ、加速する。たとえば海賊は、グローバル化の進展する中、アジア金融危機を境に急増した。これは、地域経済崩壊と、貧困層の増加と結びつけることができるだろう。また、SARSの蔓延が中国南部の貧しい農村地を発生源とし、グローバル市場の急展開と人の移動を介して、世界中に広まった。

次に「共通の利益」として、東アジア経済統合が急速に進んでいることを示すものの一つの例として、域内相互依存率がある。東アジアでは貿易総額に占める域内貿易の割合が2002 年には輸出・輸入とも50%超とNAFTAを凌ぎ、EUに次ぐ。東アジアでは輸出より輸入の域内依存度が高く、域内で生産を分担して最終製品を欧米へ輸出する構造になっている。これを各国の経済向上に伴って域内で消費される最終製品が増えれば、域内貿易はさらに弾みがつくだろう。そおなれば将来、ヨーロッパの域内貿易比率を上回る可能性も十分あると言わざる得ないだろう。特にASEAN連合が今、日中韓三大国の対立を緩和させ各国を結びあわせる緩衝材の役割をはたしつつ、5億6千万人の巨大な魅力的市場を有し、通商と投資の市場として大国を引き寄せる、「統合の磁場」の役割を果たしつづけている。今アジアは、世界で最も活気のある工場と、市場を併せてもつ注目の場所なのだ。

三つ目に「共通の価値()」だが、その多様性の為に東アジアには地域としてのまとまりがなく、人々にも共同体意識が薄い。我々東アジア人に共通の文化・価値観があるのだろうかという問いには、明確な答えを用意できないように、この点は、これからの東アジアが「東アジアのアイデンティティー」を我々が構築していくことが、課題なのである。東アジアの市民が「共通の利益」の下に文化・経済・人的交流やネットワークを広げ、「共通の脅威」を自覚し、これらの問題を防止・解決す手法を今後の国際会議の場で中心的に取り上げるべきである。東アジア市民が「東アジア」で対応すべき問題に直面することで、「東アジアアイデンティティー」形成の発端となるだろう。この場合、市民社会やノン・ステート・アクターズ(多国籍企業、NGO、宗教団体、教育機関)などが重要な役割を負うと思われる。また一方で、アジアの多様性は共同体構築の絶対的障壁とはならないとの見方もある。グローバル化によりあらゆるものが画一化に向かう傾向にあるなかで、むしろ多様性は貴重な要素であるならば、新しいものを生み出すダイナミズムの源となり得るともとらえることが可能だろう。

 

展望

東アジアにおける共同体構築の目的は単に各国の経済的繁栄のみにあるのではなく、地域各国の不戦、平和と繁栄であるべきであり、経済共同体からさらに政治・安全保障、社会・文化を含めた共同体を目標にすることが重要である。そのためには、モノや人・資本などの移動を自由化し、域内を一つの経済単位に融合していく過程である経済統合を当面の目標に置き、FTA、関税同盟、共同市場、経済同盟、完全な経済統合といったプロセスを経て、達成する必要があろう。

 

近い将来、「東アジア共同体」が実現し、東アジアにおける社会秩序の安定・安全が約束される日が来たら、我々がヨーロッパから学んだように、世界は我々から何を学び取るだろうか。地域統合に伴う国家内外の解決すべき問題は数多く浮上するだろう。しかし、その問題に協力し共に解決に向け前進することから、国家間の垣根を低くし統合に向けたプロセスは始まっていると解釈する。

 

今日、地球温暖化を筆頭に地球規模での環境問題解決が、早急に求められている。世界が「共通の脅威」を「地球環境問題」とし、「共通の利益」を地域統合による経済成長から始まり、それを維持するための「将来」とする。そして、「共通の価値」を「地球市民」と置くことで各国が各国の狭い国益や発展段階の違いを超えて、いわば「地球益」もしくは「地域益」を形成し、お互いがお互いに全体としてつながりあっている。このような構図が完成したとき、真の「世界平和」につながるのではないだろうか。この現実に向けて、例えどれほどの時間がかかろうとも、我々は後世や貴重な地球資源のためにも向き合っていかなければならないだろう。

 

 

〈参考文献〉

小原雅博 『東アジア共同体』岩波書店

進藤榮一 『東アジア共同体をどうつくるか』ちくま新書