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山口喜子「アメリカの厳罰化を背景にした日本の少年法改正の効用の有無」

 

最近、少年の重大事件に対する社会感情を背景とする厳罰化の動きが顕著である。2001年4月に改正された少年法の適用により、昨年12月1日に行われた、東京・板橋の両親殺害事件(犯行当時15歳)の東京地裁判決で、少年が殺人罪による実刑判決を受けたことは記憶に新しい。歴史上「刑事罰による懲戒や威嚇」が一般的な犯罪抑止策として講じられ、かつては少年にもこの方策が採られてきた過程があるものの、発達上の問題や劣悪な環境に置かれていたことに原因がある少年非行の場合、刑事を優先するよりも少年更生を目指し、安全な社会につなげていくという方針を備えていた旧少年法が改正され、それが今でも多くの議論を呼んでいる。厳罰化を推し進めた理由の背景には、昨今の社会感情の変化と、アメリカの厳罰化の模倣があると見て、私は後者に焦点を当てて、少年法改正がこれから意味のあるものになっていくのかという視点で追っていこうと思う。

 

 アメリカで最初に作成された保護主義を基調とする少年法は、イリノイ州少年裁判所法(1899)であった。しかし、70年代以降、アメリカ社会は経済面の低迷に直面すると同時に、少年犯罪が多発、ギャングや薬物関連事件、銃を使った凶悪犯罪事件の増加を理由に、少年に対しても適正手続きを保証することが強調されるようになった。犯罪の低年齢化と凶悪化を懸念する世論を内包するように、抑止効果を期待した厳罰化が進み、少年司法は刑事司法化してしまった。[1]

 

これと同じ状況を日本も迎えてしまったのであろう。いや、状況が状況でアメリカと似通っていたからこそ、模倣のような形で少年法改正に踏み切ったのだろうと思う。しかし、アメリカの厳罰化がある意味効果を挙げていないというところに、日本はもっと多くを学んでから行動に移すべきだったと考えるのは私一人ではないだろう。しかし、今からでもそれらの失敗から学び、現在の少年法を実のあるものにしていくことは可能であると考え、次に「厳罰化」の抑止効果が否定的であることを実証した例を二つ取り上げてみていこうと思う。そこから読み取り、改善していくべき点はどこか。

 

 まずは、1つ目の実験で、一般的に厳罰化の導入で抑止効果を挙げたと半ば信じられている1987年ニューヨーク州少年法(Juvenile Offender Law)の抑止効果について、S.I.シンガーが実証的な調査を行った。法改正により直接影響を受ける年齢層のニューヨーク州の少年を実験群とし、対象年齢層ではないニューヨーク州の年長少年とニューヨーク州少年法の厳罰化の影響を受けない他州の少年を統制群として、法の導入の前後で、殺人、傷害、強盗、強姦、放火などの犯罪逮捕数を比較したものである。その結果、厳罰化のターゲットとしていた群には、法改正による抑止効果は認められなかった。(SimonI.Singer,RecriminalizingDelinquency:Violent Juvenile Crimes and Juvenile Justice Reform,1996)二つ目は、J.ファガンによるニューヨーク州とニュージャージー州の法制度の違いを利用した実験である。(15〜16歳の少年が、強盗、侵入盗で係属した場合、二ューヨーク州では刑事裁判所で、ニュージャージー州では少年裁判所で処理される)1981年から82年にかけ、強盗と侵入盗を犯した少年たちを両州からそれぞれ抽出し、比較を行ったものであるが、結果、強盗は刑事裁判所でより有罪率が高く、収容率も高いことが認められた。再犯率も圧倒的に高いことがわかった。反面、侵入盗は刑事裁判所のほうが高いが、有罪率、再逮捕率、再収容率について、少年裁判所と刑事裁判所で差はなかった。(Fagan,Separating the Men From the Boys,in James C.Howell et al(ed),A Sourcebook:Serious,Violent and Chronic Juvenile Offenders,1995[1]

 

  これらの実験からわかるのは、厳罰化が少年の犯罪を抑制する働きをするかという質問に否と首を振っていることだ。少年たちは、罰を恐れて犯罪を犯すことをやめるのではなく、心身ともに追い詰められ、または何か衝撃的な影響を受けて犯行に及んだ当時の心境をいかに適正な環境で、更生させていくかで再犯をなくしていくことが真実であると私は思う。ファガンが言うように、基本的に現在の少年裁判所の枠組みを維持し、改革を重ねることを支持していくことも必要であると思う。

 

アメリカの厳罰化を疑問視する点で、犯罪者を輩出する社会層は納税率が低いことから、納税者の負担する税金は、しょっちゅう刑務所や犯罪者の処遇費用に回り、納税者の生活向上に還元されないという納税者からの批判がある。日本では、格差社会とは言えども目に見えた格差を感じる瞬間は、自分の身の回りではほとんどないように思う。幅はありながらも、中流階級が多くを占めているわけで、あの社会層が非納税者だ、という指摘も現段階では無きに等しい。また、特定の階層(貧困層、移民、有色人種など)に厳罰の影響が集中し、差別的な法制となってしまうのではという見方もある。今日本が、改正少年法を適用する場面は幸いわずかではあるが、これからそのような場面に多く遭遇するようになってしまった場合、納税者である国民の不満や、悪質な環境が及ぼした少年の犯行に対する処分があまり未来あるものではなく更生も深く望めないがために感じる人々の複雑な社会感情を生み出してしまうかもしれない。

 

 では、また日本の少年犯罪に触れることにしよう。平成17年1〜12月の警察庁の統計「少年非行等の概要」によると、同年中の刑法犯少年(14歳以上20歳未満)の検挙人員は12万3,715人で、戦後最高である昭和58年の19万6,783人と比べると、格段に減少している。しかし、人口比で見ると、(同年齢階層1,000人あたりの検挙人員)については、平成17年が15,9(戦後最高:昭和57,58年の18.8)で、成人(2,5)の約6.4倍で憂慮すべき事態であることもわかった。[2]

 

少年が引き起こした重大事件が頻発したのもこの年代に近接している。そして、世間に厳罰化の風潮を根付かせ始めたのもこの頃といっていいのではないだろうか。人は、恐ろしい犯罪を犯した少年に対し、当時騒がれる報道や新聞に熱心に目を向け、今の世の中はどうなっているんだろうね調子で語り合い、この少年がすぐに社会に出てきてしまうのを何をもってか否定を重ね、その結果、厳罰化への意識が高まるように思う。重大事件というのは一時的な感情で引き起こされるとは到底思えない。積もり積もった行き場のない気持ちが、家族、あるいは他人へと向けられてしまう少年たちをなくしていくためにできる取り組みは、効果が少ないアメリカの厳罰化というのを踏まえて考えるならばいったい何であろうか。 

 

 取り組みとして、私は少年犯罪を未然に防ぐという点から考える。まず、マスメディアへの規制を進めること、これは、マスメディアによる過剰報道が未成年者を次々と同じような事件を引き起こすように駆り立てているというような現象「コピーキャットシューティング」を誘発している恐れがあるからだ。また、少年に影響を与える暴力的なTVや映画、インターネットに関しても、家庭に「Vチップ」[3]を導入することでカバーしていくという方法もある。{外部が与える影響における犯罪の防止}次に、少年及び保護者への相談活動を強化していくことである。昨今、子と親の気持ちの不一致から生じる様々な諍いの種を解消していく手助けをするべき各種行政機関、民間ボランティア、学校内部においてはスクールカウンセラーの対応が真に必要とされている。{家庭や周辺環境の影響における犯罪の防止}最後に、強調したいことであるが、それは人との関わりを持つことに敏感になることが重要だということである。現代っ子はみなで外に行って遊ぶこともあまりなくなり、家庭で気楽にできる、時には現実から逃げるためゲームなどを一人でこもってやるような子供の環境が当たり前に形作られているような状態を、本人ではあまり気づかない可能性も考慮して、回りがとことん働きかけて一人でいる時間を少なくしていくことが必要だと思う。それは、本当に遠回りで、長い期間を要するかもしれないが、結果的にその姿勢が今の少年法の厳罰化は、アメリカの厳罰化は、少年犯罪を減らしていくための有効な手段ではないということを私たちに気づかせてくれるだろう。

 

<参考>[1] http://www.zenshiho.net/syotai21.htmlni (21世紀の少年司法を考える少年法「改正」への問題提起)

[2] www.sangiin.go.jp/japanese/annai/kounyu/20060512/2006051207.(少年事件の調査、処遇の見直しと国選付添人制度の導入)

[3]http://www.geocities.com/kubozemi10/mitasai/kanno.html?200710 (アメリカと銃と少年)