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高荒あかり「NHKと政府の関わりについて」
平成18年11月8日 に総務省より日本放送協会(NHK)に対して平成18年度国際放送実施命令の変更が出され話題になった。その内容とは北朝鮮による日本人拉致問題に留意する旨の放送事項の追加である。
過去にも政府はNHKに対して放送命令は出している。今までの指示内容とは「時事・国の重要な政策・国際問題に関する政府の見解」といったものであった。しかし今回は「北朝鮮の拉致問題」というように内容が限定されたものであった。
放送法の中で命令放送は可能であると規定されている(第三十三条 総務大臣は、協会に対し、放送区域、放送事項その他必要な事項を指定して国際放送を行うべきことを命じ、又は委託して放送をさせる区域、委託放送事項その他必要な事項を指定して委託協会国際放送業務を行うべきことを命ずることができる)。実際に、「時事・国の重要な政策・国際問題に関する政府の見解」というように抽象的な表現で命令放送は行われてきた。しかし今回の場合内容が限定され報道の自由が奪われてしまうと考えられる。総務省は「北朝鮮の拉致問題」についてのどの部分について放送するかなど詳しい中身についての指示はだしておらず、内容についてはNHKの判断に任せられている。しかし、その内容はほぼ決まっているようなものではないだろうか。「時事・国の重要な政策・国際問題に関する政府の見解」についてというようなものであればNHKに選択の余地があり、その中でも何に重点を置くかということもNHKの判断となる。報道する内容が限定されてしまっては政治的な意図を帯びてしまうと考えられる。
今回総務省がこのような命令を出したのは安部内閣が北朝鮮の拉致問題解決に重点を置いているということを示し、早期解決を目指すという目的である。確かに、「国際問題に関する政府の見解」を示すには必要なことかもしれない。だが、公共放送は政府からの干渉を受けず、客観的な判断によって放送する必要がある。
NHKは受信料を財源とする公共放送である。NHKの基本使命とは公平・公正な立場で放送の自主性を保ちながら、テレビやラジオの放送を通じて国民の生命・財産を守り、公共の福祉、文化の向上に貢献することである。NHKがその使命を果たすためには、政府や企業などの特定のスポンサーに頼ることのない「財政の自立」が必要である。NHKはテレビを持つ国民すべてが公平に負担する受信料によって、財政での自立が保障され、放送の自主性を保ちながら基本的使命を果たすことが可能になる。
国民からの受信料で運営されているNHKが政府からの命令で放送内容を決められることができるのだろうか。総務省からの命令の場合、国から命令放送のための予算が出される。しかし、NHKは基本的には国民の受信料から成り立っており国民のために、必要な情報を取捨選択して放送すべき機関なのではないだろうか。表現の自由や、報道の自由ということで、どのような情報を発信するかはNHKの判断に任せられる。NHKは公共放送であり、客観的な報道が求められる。命令放送にはこの客観性や選択の自由が制限されてしまう恐れがあると考えられる。
NHKは政府の干渉を受けず客観的な報道を求められる機関である。国全体としての意向を表現することも必要であるが、今、国全体としてどういう傾向にあるかを政府からではなくNHK自身が客観的に判断したことを伝えることが求められるべきであり、政府によって報道内容が限定されてしまってはその目的が達成されないと考える。
ここで今回の命令放送の話題をきっかけに、公共放送とはどのようなものなのか、NHKと政府の関係はどのようになっているかに焦点を当ててみようと思う。
まず、国営放送と公共放送、商業放送とはどんなものなのかを確認しようと思う。国営放送とは国家予算や国庫交付金などを主たる財源とし、国家の一部局として、あるいは国家の強い管理下で放送事業を行う放送局を指す。また公共放送とは、受信料または受信許可料(イギリスのBBCなどの場合)を主たる財源とし、営利を目的とせず、しかも国家から独立して放送を行う放送局の一般名称である。「公共放送」と「国営放送」の決定的な違いを測る物差しは、政府から言論・報道機関(ジャーナリズム)として自立しているかどうか、ということになるだろう。また、商業放送とは、広告収入を財源とし、営利を目的として放送事業を行う放送局で、私企業として経営されている。日本で一般に民放(民放放送)と呼ばれているものである。
民間企業の創意と工夫を最大限に生かして放送活動を行う民放は、その自由闊達さや大衆性が取り柄だが、反面、利潤追求原理から完全に自由であることは難しく、視聴率優先、効率優先に傾き、娯楽偏重やセンセーショナリズム、番組の画一化、少数者対象番組の切捨てなど、さまざまな弊害を伴いがちである。その点、公共放送事業体であるNHKは、ジャーナリズムと文化の倫理だけを物差しに、報道、教育、教養、娯楽などバランスのとれた放送活動ができる。NHKは、いわばスタンダードとしての役割を担っているのである。そのことによって、民放の弊害や歪みを補い、ある面ではそれをチェックする機能をもつわけで、その両者の競い合いを通して言論・表現活動の多様性や質が維持され、全体として「放送の公共性」が実現されることを、期待されているはずである。そういった面からNHKに対して、ある種の経験則なり信頼感を持っている視聴者は多いはずだ。
同じ公共放送であるイギリスのBBC(British Broadcasting Corporation)とNHKを比べてみようと思う。BBCは「市民の公共放送」として視聴者としっかり向き合い、ジャーナリズム機関としても権力を監視するスタンスを堅持しているといわれる。しかしBBCに対する政府の権限は形式的にはきわめて大きい。例えば経営委員の解任権、放送免許を取り消す権限、特定の放送を禁止する権限、さらに緊急事態が予想される場合には政府の判断でBBCの施設を国王の名のもとに接収することも可能である。その意味ではNHKよりはるかに国営放送に近いが、決定的に違うのは、発足以来終始一貫して言論・報道機関の立場を貫き、政府の干渉を受けず、独立を指示してきたことである。また、BBCの最大の特色は、「公共放送は視聴者一人一人に対して責任があり、その責任を果たすためにアカウンタビリティー(説明責任)と公開性が必要だ」と考え、それを実行しているところにある。そのためにBBCは毎年『視聴者への約束』を発表しているほか、10年ごとの特許状更改に際して、次の10年間、BBCは何を実行するかという「将来ビジョン」を「公約」(マニフェスト)として示し、会長や経営委員も参加して全国各地で視聴者との話し合いの場を設け、広く意見を聞いている。
受信料の集め方にも同じ公共放送のNHKとBBCでは違いが見られる。NHKの場合視聴者に受信契約を義務づけているだけで(契約義務制)、受信料を払わなかった場合の罰則を設けていない。ゆえに世界の公共放送のなかで、NHKほど、国民の理解と信頼を絶対的に必要としているところはないだろう。逆に、BBCの受信許可料制度は、NHKと違って「支払い義務制」で、不払いには罰金が科せられる。理屈からいえば、それだけBBCは受信許可制度のうえに、“あぐら”をかき、視聴者とBBCの間に伽離間があっても不思議ではない。しかし、BBCは視聴者に徹底して情報公開を貫き、説明責任を果たしている。それもきわめて具体的に、である。例えば、日頃の番組活動や戦争報道に関する「ガイドライン」(指針)に関しても、すべて公開して、視聴者がそれを参考にしてBBCの放送活動を批判することを可能にしているのである。いいかえれば、日頃から視聴者のなかにBBCを批判的に見る目を育て、あえてそういう視聴者にさらされ、鍛えられ、緊張関係を作ることで、公共放送としてのあり方を検証しながら視聴者との間に信頼関係を築き上げてきたのである。
NHKは対政府において、事業予算・経営委員任命には国会の承認が必要であるなど経営・番組編集方針には時の政権の意向が間接的に反映される形をとっており、命令放送も法律で認められているなどあるなど、政府とのつながりを否定できない。しかし、政府の意向に左右されず「真実」を伝えるために生まれたのが「公共放送」というものであり、公共放送というものは私たちの生活には必要であり、NHKやBBCというものができたのではないだろうか。真実を伝える、客観的に物事をとらえる、多角的に見ることができるのが公共放送の役割であり、視聴者はそれを期待し、やってくれると信じている。また、民放放送のように営利や視聴率といったものを意識しないで、今私たちが問題とすべき、考えるべきことは何なのか、どんなことに関する情報が必要なのかということや、私たちの生活を豊かにする教養や娯楽番組の提供ができるのが公共放送であると思う。営利や権力にとらわれないからこそできることである。その公共放送が営利や権力に左右されてしまってはどうなるだろうか。その公共放送はもはや民放放送と変わりはなく視聴者の信頼も崩れるだろう。NHKのように受信料の支払いを義務化していても、不払いに対して特に罰則のない制度の場合、視聴者との信頼、支持によって支えられている部分が大きい。信頼が崩れれば財政も困難となり、NHKは放送業務を行えなくなるだろう。信頼とは築きにくく壊れやすいものである。この信頼を創るために視聴者が受信料を支払うことに納得できるような内容を放送することはもちろんである。BBCはこの信頼を得るために、そして築き上げた信頼関係を保っていくために自らを追い込んでいくような形をとりながら積極的な情報公開をし、政府からの批判を受け、干渉されそうになったときでも自分たちの信念を貫いてきた。そうしてきたことでBBCはイギリスの視聴者だけでなく、世界中からも信頼される報道機関となった。現在のNHKのもこのような姿勢が求められているのではないだろうか。
情報時代の今様々な情報が溢れている。どれが正しい情報なのか判断することが難しくなってきているし、情報は世論にも大きな影響を及ぼす。そのような時、考える材料となるのは公共放送の情報を参考にしている部分が多いのではないのだろうか。それだけ公共放送に期待されるものは大きいし、役割も重いものである。その期待に応え、役割を果たすためには確固とした信念やジャーナリズムとしての精神、政府からの独立、視聴者と向き合うことが必要不可欠である。
《参考文献》
松田 浩著 「NHK ―問われる公共放送―」(岩波新書)
http://www.nhk.or.jp/eigyo/index.html (NHKインターネット営業線センターより)
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