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峰村明日香 「日本における集団的自衛権と政府解釈」

 

 現在、日本では集団的自衛権を持つべきではないか、またそのために憲法9条を変えたほうがよいのではないかという議論が積極的になされている。安倍首相は日本が自衛隊を海外に派遣することは、大きな国際貢献になると述べた。10年前には大きな話題にはならなかったこの「集団的自衛権」問題が今熱くなっているのはなぜなのだろうか。政府解釈の推移と共に考えていく。

 

 そもそも自衛権というのは急迫不正の侵害を排除するために、武力を持って必要な行為を行う国際法上の権利のことをいう。他国からの武力攻撃に対し、実力を持ってこれを阻止・排除する権利を個別的自衛権、自国と密接な関係にある他国に対して第三者による武力攻撃を実力を持って阻止・排除する権利を集団的自衛権といい両者は区別される。どちらも国連憲章51条(*1)で規定されている国家の「固有の権利」である。

*1 第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく機能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

 

まず初めに現在の政府の集団的自衛権論を確認する。「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然である。しかし、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきであるものと解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。」(防衛白書 要約)つまり、集団的自衛権の行使は憲法上禁止されているとの考えである。

 

 ではどのようにしてこの見解に至ったか、その過程を見ていくことにする。国会で初めて集団的自衛権に関する論戦が行われたのは1949年12月である。この背景には1947年にトルーマン・ドクトリン(*2)、マーシャル・プラン(*3)が発表され、また翌年、1948年には朝鮮半島に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が誕生するなど世界情勢の変化が関係している。こうした情勢を背景に米国が日本を「反共の防波堤」とすべく対日占領政策を転換し、民主化・否軍事化を中止して経済復興を促進する決定を下したことが大きい。

*2 アメリカ合衆国第33代大統領トルーマンが自由主義諸国に対する共産主義の脅威と闘うことを唱えた主張

*3 イギリスの経済学者マーシャルが立案した欧州復興計画

 

こうして1950年以降本格的に集団的自衛権についての議論が始まっていく。1951年の国会答弁によると憲法9条により軍備は一切持たない、日本は個別的自衛権も集団的自衛権も保有しているが、集団的自衛権の海外での行使は憲法違反であるというのが政府の見解である。当時の日本人は集団的自衛権を持つことを当然としていたが米の戦争に巻き込まれて、再び海外派遣をする日が来るのではないかという不安があった。しかし1953年の政府解釈でも、海外派兵はありえない、絶対にしないというもので、海外派兵禁止が当時の日本人の至上命題だった。1954年には集団的自衛権は憲法解釈上自衛権を超えるから禁止、1959年には集団的自衛権は憲法9条1項の「国際紛争を解決する手段」としての武力行使という見解が出されている。1960年には集団的自衛権イコール海外派兵であり、やはり違憲であると当時の安保課長である東郷が述べた。

 

現行政府の解釈に大きな影響を与えたのは1972年5月12日参議院内閣委員会の水口宏三(社会党)の質疑である。ここで水口は憲法で禁止されている集団的自衛権をなぜサンフランシスコ講和条約(*4)や安保条約(*5)で確認したのか政府に質問した。安保条約では自国の憲法によって対処するとあるが自衛権に関する憲法はないため有事法制(*6)などの法律がこれにあたる。この質疑では政府内で集団的自衛権禁止をはっきり主張した側、はっきり禁止されているのは海外派遣だけだという側に分かれ、統一の見解がなされなかった。しかしこれ以降あいまいな答弁はなくなり「集団的自衛権は憲法で禁止されている」という答弁が今日まで繰り返されている。外務省の行動の整合性上、保有しているが憲法の制約で政策的に行使しないという解釈に傾いたものだと思われる。内閣法制局は集団的自衛権が個別的自衛権と違うということを強調したり、集団的自衛権は自衛権の濫用だといったりすることはできた。しかし、結局は日本独自の基準であり、政策的な限界を表し、価値中立的な自衛権発動三用件(*7)以外に主張できることがなかった。

*4 第5条(c)連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

*5 両国が国際連合憲章に定める個別的または集団的自衛の固有の権利を有しているを確認し(前文)自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する(第5条 共同防衛)

*6 いずれかの国が日本と周辺の制空権、制海権を確保した上で、地上軍を日本本土に上陸侵攻させ、国土が戦場と化す事態を想定した法制

*7 急迫不正の侵害があること、他にこれを排除して国を防衛する手段がないこと、必要な限度にとどめること

 

憲法に反するものを条約で確認してきた経緯と、行使できない権利という矛盾は問題として残る。また、日本が集団的自衛権を国際法上も憲法上も保有しているという政府内の認識は早くからあったと想定されるし、安保条約や基地提供は集団的自衛権の行使という認識もあった。しかし結局は不明瞭な答弁で対処せざるを得なくなった。

 

 2000年に米国の知日派グループが出した政策提言で「日本が集団的自衛権を禁止していることが両国の同盟協力を制約している」と指摘した。また2000年に誕生したブッシュ政権は、日本を同盟国として重視する代わりに同盟国としての義務の履行を従来よりも積極的に求めた。このことが議論復活のきっかけになった。また日本では2001年に小泉政権が誕生し集団的自衛権の憲法解釈の見直しに言及し始めた。それ以後この問題は積極的に議論されている。

 

 以上、半世紀にわたる集団的自衛権に関する政府解釈の変遷を見てきた。集団的自衛権の典型例である海外派遣に対する野党、国民の疑念を払拭するための答弁が集団的自衛権そのものの行使を制限し、ついに一般的禁止にいたった。しかしその後は、自分で禁止したものを事実上行使するための「憲法解釈見直し」や「知的アクロバット」的解釈に追われてきた。

 

 集団的自衛権禁止は日本を自縄自縛に追い込む。現在もシーレーン(*8)防衛のように従来の専守防衛を超える協力をアメリカから求められているが、日本では個別的自衛権も専守防衛の考え方なので、「座して死を待つ」事態を引き起こしかねないという指摘もある。現在、憲法の解釈変更は事実上不可能だと言われている。今まで見てきたように解釈は時々の政府に正当性を与えるために案出され続けてきた。しかしもうこれ以上は不可能だという見方が政府内で強力である。安全保障問題に極めて内向きで常に問題の核心を忌避する手法をもたらしたという点で負の影響が大きかったこと、また日本側の主観的な基準で日本の活動を国内的に正当化することに焦点がしぼられたことが過去の反省であり、現在に影響をもたらしている。

*8 一国の通商上・戦略上、重要な価値を有し、有事に際して確保すべき海上交通路

 

ではこれからどうしていったらいいのか。本来政治がとるべき「政策」の責任を内閣法制局の「解釈」に頼ることの適否について検討が必要である。(「集団的自衛権に関する現行政府解釈の成立経緯とその影響」)やはり、解釈には限界がある。憲法を改正するのか、自衛隊の海外派遣を禁止するのか、はっきりと文章で明記すべきだと思う。日本と他国の利益が両立すること、また対米追従ではなく独立国として日本の自立性を確保することを考慮したうえで、私たち国民一人ひとりが真剣に考える時である。政府は国民に理解と支持を得られるよう、考えを明確に説明し議論内容をもっと公開していくべきだし、国民はそれに耳を傾け、今国会で何が議論されているのか興味を持つべきだと思う。今まで先延ばしにされ、時々の政府が都合のよいことを言ってきたという点は問題ではあるが、これからは解釈に頼らず、誰でも一目見て理解できる決まりごとを作るべきではないか。私たちの生命がかかる問題だけに国民一人ひとりのさらなる関心、問題意識が必要だ。

 

参考 集団的自衛権に関する現行政府解釈の成立経緯とその影響

www.j.u-tokyo.ac.jp/~jjweb/research/MAR2002/honma_tsuyoshi.htm

自衛権 – Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/集団的自衛権